第4話

「私の掲載が決まった?」

 遡ること数時間前。月白さんが電話を切って数分、別の編集者さんが先輩に電話を掛けてきた。

「田畑くん、相坂から連絡があったと思うんだけど」

 若いのに疲れている女性の声。先輩に一番近い存在。私は、電話越しの相手がどういう存在か盗み聞いた。くだけた口調で、あまり年齢差を気にしない。対等とでも言うように、先輩とその編集者さん──登坂さん──は話す。

 先輩も信頼している様子で、しかしちょっと距離の空いた喋り方をする。

「はい。月白はもう書かないと宣言しまして」

「まじかよ、手元に原稿はない?」

「今外に出てるので……多分、今月分の原稿は書いてすらないです」

「なんて無責任な……。わかった。こちらとしてはあいつの小説は今月載せられない体制で行く。その分、一枠空いてしまったから、今月の掲載枠を一個増やすことにしようと思うんだが、だれかいいやつはいないか?」

 先輩は、私をちらっと見る。淡い期待が全身を駆け巡り、興奮の一歩手前でとまる。これで推薦されなかったら、哀しいどころではない。落胆に、私は殺される。小説を書けなくなるかも知れない。

 けどそれも杞憂だった。

「立花ちゃん……立花佳子さんの小説を読んでみてください」

「お、おう。あっあったぞ! どれどれ」

 私が今月応募したのは、男の子と星を見に行く話だ。その約束に女の子は胸を躍らせ、約束の場所に向かう。けど、その男の子は約束の場所にいなくて。なぜいないのか、理由もわからない。私は、なぜその場所へ行ったのだろう。自己嫌悪とバカにされた気分がないまぜになり、そうしてただ一人、星を見ている。そして──。

「立花さん、これってハッピーエンド?」

 急に代わってくれと言われて、そんな事を訊かれた。

「そ、そうです」

「わかったわ。ありがとう」

 そして。男の子がなぜ来なかったのか、理由は何一つ解けないが、十年後主人公はその場所へ訪れる。そして一人の男性と出会う。「こんなことがあったんですよ」と終わる。

 

 一週間後、正式に私の小説の掲載が決まったことが先輩の口から伝えられる。

「本当に決まったんですか?」

「おめでとう」

「とっても嬉しいです!!」

「月白は本当に小説を書くのをやめたみたいだね」

「そうなんですか」

 先輩は、ライバルを喪った悲しみを言葉には出さない。でもその悲しみは顔から垂れていて、負のオーラが全身に滲み出ている。 

 私は、気になっていたある質問を先輩にぶつける。

「八知凜々花ってどういう人だったんですか」

「立花ちゃんは、もうわかってると思うけど、俺は八知さんのことが好きだったんだよ」

先輩は、当時の思い出を慈しむように語り始めた。私もそれに連れてタイピングをやめる。

「昔も今も、サッカーが好きで、サッカーをしていたんだ。本格的に始めたのは、中学のときだったんだけど、あの時はサッカーに夢中だった。あんなにハマったのは、数年たった今でもないと言い切れるよ。でも俺は、絶望的にサッカーが下手だった。どれだけ練習しても、俺が一ヶ月必死に練習して得た技術を常人は一週間で会得してしまう。割に合わないよ。それで結局、くだらないミスで怪我をしてやめたよ。

それからずっとやることがなくて、本を少し読むようになって、ああそうだ。小説を書いている友達がいたんだよ。それで俺も書くようになった。

数カ月書き続けて、月白に出会った。あいつは俺に才能があるって言ってくれた。サッカーはてんでだめだったから、そう言われた時はめちゃくちゃ嬉しかった。でもさ、続けて見てわかったけど、苦しいんだよ。書くのが。

 八知さんは、月白と出会ってちょっとしてから知り合った人だった。どこまでも純粋で、月白のことを一番に思っている人だった。そして、人に優しかった。親切の分配が、上手だったのか、下手だったのか。俺はそれで惹かれた。

 でも、八知さんを好きになって俺には、人を愛する才能もないことがわかったよ。月白のことは、尊敬しているし、恩人だけど、俺は純粋に二人の恋を応援できない。こんなにも想っているのに、八知さんの為になることは思えない。月白は、それができるんだ。それを思い知った。今回の件もそうだ。あいつに酷い目に合わせてやる、ぐらしいしか思えなかった。最低な人間だ。既に死んだ人間に尚も一方的な恋愛感情をだらだらと続けていく自分が腹立たしいよ」

  ごめん、と言って先輩は部室を出ていった。


   *


「あれ、この子、新人の子よね?」

 隣のデスクの相坂が登坂に訊いてくる。

「そうだけど」

「原石みつっけちゃいました〜?」

「どうだろな」

 登坂は、いつもの冷たい口調で相坂を追い払う。

「あれ、もしかして嫉妬〜?」

「私は小説を書いたことがありません」

「また、いつものやつね」

 呆れ顔で、相坂は仕事に戻る。登坂がこの言葉を使ったのは、三度目だった。立花佳子の小説が印字されたテキストが雑に置かれる。

 嫉妬なんてしているはずがない、登坂は思う。私に才能はないんだから。そう思うと田畑くんの才能には脱帽だし、嫉妬もする。けど、月白くんは才能以外に努力という武器でぶつかってくるから、ムカつくのだ。登坂は目の前のタスクを消化しながらそんなことを思う。

「努力をしきれなかった自分が悪いんだよな……」

 努力をしたとしても、勝てない相手はいる。立花佳子はそれを知らないのだろうか。まだ何も汚れていない新雪の地面を汚したくなる。ふつふつとした思いが、登坂に込み上がっ

ていた。

登坂未来にもまた、越えられない天才がいた。


 一週間後、立花佳子の小説が載った雑誌が発売された。

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