第3話

 小規模な結界を構築する魔道具を起動させて安全を確保してから眠りについたヴァンは銀毛のニゲルフェレプスの「ブーブー」という鼻を鳴らす音で目を覚ました。

 睡眠としては十分な時間が経っているのだが、寝起きにその鈍い音は僅かに不快感があり、目覚めの気分が悪い事に目をつぶれば目覚ましとしては有能なその音を耳元で響かせた魔獣はいつまで寝ていると言わんばかりにヴァンの頬を前足で叩く。


「ふあぁぁぁ。 身体痛い……」


 旅の開始から一週間が経過し、その間まともな寝床での睡眠を一切取っていないヴァンの身体は地面の硬さによってダメージが蓄積されていた。

 ワリと寝相が悪く、すぐに寝がえりを打つタイプだから一点に集中してダメージがあるワケではないがそれでも広範囲にわたって僅かな痛みがあることは確かだ。


「魔法が使えたら寝起きに回復出来るんだろうなぁ」


 ないものねだりと分かってはいるが、小さな不快を常に与えるその痛みはそう思わずにはいられない。


「ふぅ……とりあえず飯でも食うか」


 引き付けるように肩を抑えて大きく肩を回し、筋肉をほぐしたヴァンはアイテムバッグの中から数日前に作っていたライ麦パンのサンドイッチを取り出して頬張った。

 昨日といいライ麦パンを食べるのは別にライ麦が好きだからではない。

 味も食感も万人受けするようなものではないが、その栄養価は高く需要や小麦の生産性の高さといったさまざまな要因によって安価である。

 資金の少ないヴァンにとっては健康を保てるという意味でも非常に都合の良い食べ物なのだ。


「ほれ、お前も食うか?」


 餌を狙うようにサンドイッチを狙う姿を見て挟んでいた薄い肉と野菜を一枚ずつ差し出してみたヴァンから強奪してモグモグと一口で口に全て入れる。


「なるほど、どっちも食べたところを見ると雑食か。一瞬しか見えなかったが歯並びも肉食動物と草食動物の両方の特徴だな、性格はともかく種族はやっぱりちゃんとニゲルフェレプスっぽいな」


 観察されることを嫌ったのか小さかったこともあってあっという間に食べ終えてヴァンの上に飛び乗って観察の餌食になるのを防いだ。


「昔別のやつを観察した時はみんな普通に観察出来たんだが……生まれ育った環境が特殊なのか? つっても種族的には離乳したらすぐに単独で生活するから普通に育ってるってことは親とか兄弟は関係ないハズだし見た感じこの森には目立った外敵はいないし。銀毛症だから、なのか?」


 悪魔でも銀毛症を知らなかったり理解のない親によってはそういうことがあるとは聞いたことがある。

 銀毛症は特別生まれついて魔力が高い個体に起こる症状で、理性を失うほど感情が昂ると体内の魔力を無作為に放出する魔力暴走を起こす可能性があるからそういう意味で気味悪がられることもあるのだが、もっと悪いのが奴隷として売られる場合だ。

 旧時代的な魔術を信じている魔術師が銀毛症の悪魔に高値を付けることがあり、親としては金も手に入るし厄介払いも出来るからと売られることがある。

 魔獣の中での認識は知らないが、少なくとも悪魔においては銀毛症の悪魔というのが人によっては迫害の対象になる事も確かだ。


「人間は魔力がないから羨ましい、としか思わないが……お前も銀毛症に生まれたせいで迫害されたのかねぇ? 俺としてはなんともないが、本人たちにとっては軽い問題じゃないんだろうな。経験のない話だから無責任に分かるなんて言えないが」


 それでも多少かわいそうだと思うところのあるヴァンは慰めるように追加で肉と野菜を頭上に持っていく。

 なにをヴァンが思っているのかヴァンの言葉を理解したのか、軽く鼻を鳴らしたかと思えば『同情するな』と言わんばかりに肉と野菜ごとヴァンの指を甘噛みした。

 甘噛みと言う通り噛んでいる力は弱いのだが、噛むのに使っている歯が肉食動物としての部分であるためにそれなりのダメージはある。


「ごめんごめん! もう同情しねぇよ」


 ヴァンもなんとなくその意思を読み取って謝罪をした。


「てか俺になんかされたり言われたりすんのが嫌なら他のとこ行きゃ良いのに。なんでわざわざ俺んとこにいるんだよ」


 ペットとして飼われることもあるから人語を解すことは気にしないが、不快なら逃げるというのが動物としての当然の行動。

 にもかかわらず、足踏みスタンピングや甘噛みをする程度には確かに不快感を抱いているその姿はヴァンとしては理解が出来ない。


「……ん? そもそも飼われてる魔獣が人語を理解するのは分かるが野生の魔獣が俺の言葉を理解してるのは変だな。もしかして元飼い魔獣とか使い魔か?」


 飼い魔獣と使い魔に明確な区別はないが、あえてするとしたら飼い魔獣に使い魔が包含されていて使い魔は魔法使いの手足として飼われている。

 愛玩用か作業用か、という違いだ。


「にしては……認識票がついてないしその痕もないか」


 認識票と言うが現代いまでは札の形をしているものは珍しく、小型魔獣の場合だと足環リングの形態が主流である。

 そして魔獣を飼い慣らす場合、そのほとんどが幼い頃から飼われているものだ。

 理由としては単純で、その方が調教しやすいから。

 その他にも成熟した魔獣は飼いづらいというモノがある。

 ニゲルフェレプスのような人への警戒心の薄い魔獣ですら飼うとなると話は別になるのだ。

 成熟した魔獣を飼い慣らすのは余程でもないと不可能である。

 よって飼われる魔獣は幼い頃から足環リングを装着されるため、そこの部分だけ不自然に細くなっているのだ。

 だが銀毛で覆われていて判りづらいとは言え、脚はどこも細くなっていない。


「ま、山だし山賊の話し声で人語を理解したがその山賊が屑だったから人への警戒心が高くなったってところが落としどころか? ならその時山賊に捕まえられてた可能性が高いが……まあ、コイツが賢かったってことだろ」


 とりあえず自分が納得出来そうな仮説を立てて半ば強引に納得させるヴァン。


「お前さんよ、ついて来るのは止めんが……世界中を旅してまわるから結構過酷だぞ? 砂漠地帯にも行くし氷雪地帯にも行く、火山地帯にも行くしもしかしたら大海原の深海にも行くかもしれん、それでも来るなら好きにしたまえよ」


 既に身支度をすませ、行く手を阻む結界を解除したというにも関わらず一向に立ち去る様子を見せないその魔獣に話しかける。

 もし山賊からの情報だけで人語を理解したというのなら今ヴァンが言った言葉はあまり通じていないかもしれないが、それでも一応と大まかすぎる行き先を提示した。

 過酷という言葉だけを理解して去るのも良しと反応を待っていると『知ったことか』と言わんばかりにフンスと鼻を鳴らす。


「そうか……なら名前を付けないとな。じゃないとはぐれた時とかに呼べないからな」


 名前を考えるように唸り声を上げるこの男、ネーミングセンスは壊滅的である。

 過去に魔獣を一体飼っていた時、水を操る犬の命名候補の一つとして『水犬アクアカニス』と命名しようとしたほどに壊滅的なのだ。


「よし! 黒猫兎だ!」


 一切誇れない命名であるにもかかわらずなぜかドヤ顔でそう言い放った瞬間、当の黒猫兎(仮)から強烈な跳び蹴りを受ける。

 ちなみに『黒猫兎』とは種族名の『ニゲルフェレプス』の直訳だ。


「あ、そうだな! 黒じゃないもんな! 銀猫兎だもんな!」


 何一つ理解していないヴァンは今度は銀猫兎(仮)から鳩尾付近に時速八〇キロほどの強烈なパンチを受ける。

 そしてヴァンのネーミングセンスに期待するのを止めたのか小枝を指に挟み、地面に器用に文字を書き始めた。

 そこに書かれたのは『アルナ』の文字。


「確かに魔王アルナも銀毛症だけど……流石にアルナの名前をお前に着けるのは……色んな人から文句言われそう。人間や悪魔ならたまにいるけど、流石に魔獣はアウトじゃねえか?」


 いくらヴァンが飼い魔獣や使い魔として扱わずに仲間として扱ったとしても周囲からすればヴァンが主人に見られることは間違いない。

 仮に『アルナ』と名付けたとして、周囲の者からは『アルナ』を飼っている人間という認識になる。

 それは人間と悪魔を、人類全体から不敬として罰せられてもおかしくはないことなのだ。


「まだフルネームの『アルナ・デーディー』を要求しないだけマシ? だが……俺にとっては『アルナ』って人生に影響及ぼすレベルで凄い人なのよ、出来れば止めて欲しいんだけどなぁ~?」


 チラチラと相手の様子を窺う姑息な商人のような雰囲気を発しながら説得を試みるヴァンだったが、当のアルナ(仮)は意にも介さずに地面に書いた『アルナ』の文字をてしてしと叩いて示し続ける。

 引く気の一切感じられないその姿に長々と悩みに悩んでから諦めたヴァンはため息とともに肩を大きく落とし、アルナを持ち上げて毛についた土を落としてから頭の上に載せた。


「多分珍しい魔獣とか植物を見たらふらっとその方に行くだろうからついて来るならお前……はぁ、アルナの位置はそこだ」


 ネーミングセンスの自覚はないが性格の自覚はあるヴァンはアルナとはぐれないようにと頭の上に載せる。

 ついでに言えば多少の猫背の気があるため、アルナを頭の上から落とさないことを意識することでの猫背の改善を目論んでもいた。


『フンス』

「なんとなく、根拠はないがなんとなく、臭いと言われた気がしたんだが!?」

『フンスー』

「なにその後に引く長い鼻息。仕方ねえだろ?! 流石にまだ冷たさの残るこの時期の水でガッツリ身体拭いたら流石に風邪引くわッ!」


 そんな下らない言い争い(片方は鼻息のみ)を繰り広げながらヴァンは下山する。

 反対側で既に見ているということもあるが、なによりも久しぶりのコミュニケーションを楽しいと感じているその足取りは軽いものだった。

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人魔探索記 軒下晝寝 @LazyCatZero

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