第2話

「お!? オオキバクロアリの変種、オオドクキバクロアリじゃないか! 存在は知っていたがまさかこんなところで見られるとは!」


 旅を始めて一週間が過ぎ、ヴァンは森の中を歩き回っていた。

 その目的はもちろん魔獣の調査。

 オオキバクロアリの巨大な蟻塚を見つけたヴァンは地を這うオオドクキバクロアリを自作した吸虫管を使って捕まえ、手帳に姿形をスケッチし大きさや特徴などを事細かに記入している。


「体長約二センチ、色は光沢感のある黒、頭部の半分ほどある大きな牙の先端は白」


 細い木の棒を二本巧みに操りオオドクキバクロアリを持ち上げて観察するヴァンはアイテムバッグから一本の金属棒を取り出してオオドクキバクロアリの前に差し出した。

 すると瞬時に反応したオオドクキバクロアリがそれに噛みつき噛みつかれた金属棒はその噛みつきの力に負けて僅かに曲がったかと思うと噛みつかれた部分から瞬く間に赤茶けた錆を生んでそこから崩れ落ちる。


「おお! 別名がヤケドオオキバクロアリだからそうではないかとは思っていたがコイツの毒はやはり腐食液か!」


 金属棒が崩れ落ちたのは金属の腐食、有り体に言えば『錆び』が原因だった。

 牙から腐食液が流されて金属が錆びる。

 錆は金属棒から剥離し、そこに腐食液が流れて腐食、を繰り返した結果金属棒が二つに別れたということだ。

 そして一般的に腐食は金属のみだと思われているが生物にも存在し、人体に腐食液が流れ込んだ結果が『火傷』という話になる。




「お? ルフロースか、日陰で咲くとはこれまた珍しい」


 オオドクキバクロアリの調査を終えて森を再び徘徊していたヴァンの視界に赤を主張する花が数十輪入り込んだ。

 ルフロースという名の赤い花はそのほとんどが日向に咲く。

 その理由は栄養にある。

 根の弱いルフロースは土中からの栄養吸収の力が弱く、そのため生命維持に必要な栄養の多くを光合成で生成していた。

 だから光が必然的に弱くなる森の中で育つのは珍しい。

 現にヴァンの目の前に咲くルフロースの花も日向に生えるものと比べるとかなり小さかった。

 代わりに葉が通常のものよりも少し大きく、茎も図らないと分からない程度ではあるが大きい。


「人間だから魔力とかは感知出来ないが空気中の魔素マナ魔素粒子エーテルが普通の所よりも多いんだろうな、そのうち悪魔の助手か研究者に会いたいものだ」


 魔素マナ魔素粒子エーテルを感知して数値化出来る魔道具があればその方が楽なのだが、ヴァンはそんな便利な魔道具の話を聞いたことはなかった。

 大陸に名を轟かせる天才発明家と呼ばれる『ウゥゴ』『テラリス』『ノルエン』『ハイナ』の四人の研究テーマは少なくとも今現在はヴァンが求めている類の魔道具とは方向性が違う。


「ま、見た感じ一世代目じゃなくて十数世代は経ってるからまたこっちに戻ってきたときに見に来るとするか」


 数輪だけなら話は別だが数十輪にもなると動物の糞に紛れた種が芽吹いてからかなりの時間が経っていることが分かる。

 あくまでも一世代目だというのなら種子の栄養で何とか育っているとも考えられるが、世代を経ているのなら生存の不安定さはあるだろうが問題なく成長出来るということの証拠になるはずだ。

 さっきヴァンは十数世代と言ったが、ひょっとしたら大きさと繁殖力を捨てて日陰でも成長出来るように変化しているのかもしれない。

 他にも空気中の魔素粒子エーテルを吸収し、魔素マナとして結合させて空気中に排出する時のエネルギーの効率を向上させて生命維持に繋げている、という可能性もある。


「一応サンプルとして数輪ほど採取して……ついでに土も少し回収しておくか」


 戻って来たとき比較するために、と抜いた花からある程度土を落としたあとガラス瓶の中に入れ採取した土を別のガラス瓶の中に入れて内部の時間が停止しているアイテムバッグの中に入れた。

 その後も森を徘徊して面白そうなものを見つけ、あっちへフラフラそっちへフラフラと特に決まった目的地を持つことなく歩き続ける。




 平地にある森を進み、山に入り山頂にたどり着いたヴァン。

 木も草もあまり生えていない手を突けば僅かに湿る程度にしっとりとした地面で焚き火を始め、その火を使って干し肉を炙り始めた。

 アイテムバッグの中は時間が止まっていて生物も多く入っていて別に保存食である干し肉をわざわざ食べる必要はないのだが、ヴァンはアイテムバッグが出来る以前の旧時代的な旅の雰囲気が好きなのだ。 

 旅が危険であり恐怖が付きまとっていた旧時代。

 生活は豊かじゃないから今も文明レベルは高いとは言い難いが、そんな今よりももっと生活が貧しく文明レベルが低かった頃の旅というものは多くの時間を要するものだった。

 アイテムバッグがないから持てる荷物は限られていて、その上長期に及ぶ旅の場合は食糧が懸念されていた。

 少ない食糧では腹は満たないがそれでも我慢して歩き続けていた過去の旅人たち。

 なによりもヴァンにとっては幼き日のアルナがそんな旅をしていたと知ってから一度でいいから同じ気分を味わいたい、叶うことなら同じ光景を目にしたい。

 そんな思いがあったのだ。


「しょっぺ」


 表面に塩の浮いた硬い干し肉を丈夫な顎で噛み千切りながら空を見上げる。

 焚き火以外の光のない森の中では星がよく見えた。

 かつての旅人たちの目印になった星を見つめ、そこから左右に分かれる天の川を眺めてながらふと、隣にアルナがいて一緒に星を見上げている。そんな妄想をしてしまう。

 夜風を浴びて冷静さを取り戻して羞恥に両手で顔を包み隠すヴァンがふと横に目を向けると、そこには銀毛を揺らす小さな魔獣がいた。

 特に敵意も害意も発さずいつの間にかちょこんと可愛らしく座っていたその魔獣はヴァンの視線に気付くと同じようにヴァンを見つめ返し、つまらなさそうに欠伸を発する。


「ニゲルフェレプス……か? だとしたら銀毛症か」


 ヴァンを馬鹿にするように鼻を鳴らしたその銀毛の魔獣は見た目から察するに珍しくもなんともない黒い兎のような猫のような魔獣、ニゲルフェレプスだ。

 しかし魔獣および悪魔に極々稀に見られる特徴である銀毛症によってその名の通り全身の毛を銀色に染めている。

 そして銀毛症とは言うがその特徴は体毛の色の変化だけではなく、他の部位にも表れるのだがこの銀の魔獣の場合は目にその特徴が現れていた。

 銀毛症の特徴が現れたその目は紅玉のように真っ赤に透き通っている。


「アルナのことを考えてたらそれに似た特徴の魔獣、って……どんな偶然だよ」


 奇跡的な偶然にヴァンは思わず苦笑を零し、気まぐれにアイテムバッグの中から小さな果実を取り出しその魔獣に与えてみた。

 果実を受け取るがすぐに『手懐けられるつもりはない!』と言わんばかりの態度で睨まれ『妙な真似をしたらこうしてやる!』と言わんばかりに真ん中の辺りまで一気に齧って噛み砕く。


「いや、中央にある種ってやたらと硬い殻で覆われてて噛み砕けるモンじゃないんだが? そんな強い種族だったっけ? キミ」


 知識にあるニゲルフェレプスと同じように人に近づきはするが警戒心がかなり薄いその種族とは思えないほどの警戒心の高さを見せ、ペットとして飼われるほど安全な魔獣ならざる咬筋力を発揮され、手帳片手に観察してはスケッチやメモを書き加えるヴァン。

 勢いよくペンを動かす姿に興味を持ったのか猫のような跳躍力でヴァンの頭に飛び乗ってその手帳の中を見る。

 そして手帳に描かれた自身の姿を見ると怒ったように足踏みスタンピングで攻撃した。

 手帳に描かれていたのは確かに特徴を捉えた絵なのだが、一〇人に聞けば一〇人が『上手い……んだけどなんかこれじゃない』と言うような絵だった。

 とどのつまり攻撃の真意は変に似ているがゆえの怒りである。


「痛い痛い、喚くほどではないが微妙に痛いのが連続で来るから微妙に辛い」


 ペンを手帳に挟んで開けた左手でポスポスとふわふわした背を軽く叩いてなだめようとするが『触るな』と言わんばかりに甘噛みを受けた。

 指がベタベタになること以外特に影響のないヴァンは仕方なく甘噛みを受け続けペンと手帳を仕舞い、右手で干し肉とライ麦パンを交互に口に入れる。

 ボソボソとしたパンと肉の塩分に口内の水分を奪われ、水の湧く機能の付いた革袋で水を補給しながら食事を終える。


「……少し不便かもしれないが、こういうのは結構楽しいもんだ。案外こういう不便さを残した便利な生活の方が……喰って喰われての生存競争の世界では一番なのかもしれねぇな」


 故郷の幼馴染に野性的な生活に憧れた奴がいたな、と思い出しながらそんな風に呟いた。

 同じように魔王アルナに憧れ、魔王アルナのように強くなりたいと言って珍妙な特訓をしていた女。

 確かに強くはあったがそれゆえに力を持て余していた記憶がある。

 親に黙って街を出ては小さな魔獣と戦うそいつに別の幼馴染が「怖くないのか」と聞いたところ彼女は『初めて魔獣と戦った時、恐怖は抱いた。そして殺した時にアイツらも必死だった事に気付いて喰う喰われるの関係を常に競っていると分かったからな、一々怖がる気はすぐになくなったさ』と言っていた。

 その時はまだ街で葬式を探しては紛れ込んでいた時期だったから『命』に対しての認識が麻痺していたこともあってよく理解出来なかったが、あとになってからその意味がなんとなく分かるようにはなっていた。


 ヴァンが『命』について明確に意識したのは初めて魔獣を解剖した時。

 魔獣に関して興味を抱き始めたヴァンは、いつしか戦いを好むようになっていた少女ロエリと共に街の外に出て当時ののヴァンの掌ほどの大きさの魔獣を捕まえ、知識も経験もなかったヴァンは小型のナイフで『生きたまま』捌こうとした。

 刃が魔獣の腹に血を滲ませる程度に突き刺さった時、それまでとは比較にならないほど強い抵抗を感じ、激しく動いた影響で握っていた手以外にも飛び散った血がべっとりと付着する。

 戸惑いながらロエリのアドバイスにしだがってナイフで首を切り落とし、少ししてから身体が動かなくなったのを確認して解剖を始めた。

 首の断面から慣れない手つきで歪に腹を回って皮を切り裂き、腕や足の辺りの皮も切り裂いたことで皮が下がって、開いた腹から小さな内臓が零れ出る。

 ヌルリと手に広がる感触、そして零れ出た内臓の中には未だに小さく動き続ける心臓があった。

 ほんの僅かに手を押し返す心臓の感触、なぜだか分からないがその時恐怖を抱いたヴァン。

 手を震わせながら再び内臓に刃を突き立て、開いたのは『胃』だった。

 それまでヴァンは明確に食事を意識したことがない。

 常に調理済みの食事が用意されていたから食材の姿をいまいち想像していなかった。

 正確に言えば街で売られているからある程度知ってはいたが強いイメージがない状態だ。

 そんな状態で見たのは胃の中から溢れ出た『小動物』。

 明確に『糧』を意識したヴァンは理解出来ない吐き気を催し、ロエリにそれを止められた。

 鷲掴みにするように片手で口を塞いだロエリが発したのは『そうだ、私たちはこれを食べて生きている。命を奪った命を奪って生きている、それを忘れるな』という言葉。

 それ以来、漠然とはしているがそれ以前よりかは明確な意識で魔獣について考えるようになっていた。


 まだなにが『自然』かはヴァンには分からない。

 人類の生み出す『人工』も人類を動物という目で見れば、生命の営みなのだから『人工』も『自然』と言える。

 そして分からないなりに今の段階で導いたのが『不便な便利』だ。

 適切な距離で、『動物じんるい』として自然に影響を与え、『知性じんるい』として自然に影響を与え過ぎない距離、それが『不便な便利』なのではないか、ということだ。


「……今結論を出すのはまだ早い、か」


 いつの間にか地面に降りていたその銀毛を軽く撫で、間違った結論を出さないようにと思考を打ち切り、眠ることにした。

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