第終首 美冬溶かさむ

 泣き濡れた夜が明けましてございます。

 昨夜からの雪もやみ、外は音が吸い込まれたかのような静かな銀世界にございました。

 美冬姫さまは「ただ穏やかに」と申されます。されども、わたくしは最後に残された秋人さまが御言葉が、どうあっても気になってございました。

 おまえだけもとあるのは、姫さまも御一緒にとあるように思えてなりません。

 一度は姫さまの十二単じゅうにひとえを用意したものの、それを仕舞いこみ、わたくしめの武士もののふが娘の装束をお持ち致しまして、お願い申し上げます。

「十二単では外に出られませぬ。これが装束にて、姫さまも御一緒致しましょう」

 美冬姫さまは、あなたに迷惑が掛かりますと渋りましたが、それも聞かずして御召し変えいたします。

「庭先の端からなら誰にも会わずして、御本家が館の御門が見えまする。

 それでもお叱りあるなら、甘んじてわたくしが受けましょう」

 わたくしが言葉に、美冬姫さまはお首を横に振られました。

「幼き頃のよう、わたくしも一緒に怒られます」

 しかして見詰め合い、大袈裟に笑い合いてございます。





 裏口よりつづく庭は、誰一人として足を踏み入れたことのない銀世界のごとく、ただ白き真綿を敷き詰めたようにあって、陽に輝いておりました。

 姫さまの手を取りて足踏み入れますれば、さくりと音を立て庭の端に近付きまする。影に沈みし坂下が向こう、御本家の館の御門が小さくなって見えてございます。

 すでに多くの郷者たちが集まりて、御門を遠巻きに囲みたるも、溢れ出した者たちが道の両脇までも埋め、その騒々しき声はこの庭にまで届いておりました。


 やがて日が高くなり、坂道を照らしだしたるときに、一の太鼓が打ち鳴らされます。

 どちらともなき、その繋がれたる手を強く握り締めて見詰めますれば、御門が開かれまする。

 まず見えたるはかちつわものにて、その列は長きにいたります。

 別れ告げる郷者たちの声が大きくなり、しばしの別れを、ある者は永遠とわの別れに哀愁を帯びて長く響きまする。


 次に二の太鼓あれば、見えたるは黒き甲冑を耀かしたる騎馬の列にて、これが御本家の武者にございます。

 この列に顔を知りたる者が多くあれば、その御武運を深く首部こうべを垂れて祈りますると、あれやこれやと幼きときの楽しき思い出が頭を駆け巡り、心穏やかにはいられません。


 終いに三の太鼓打ち鳴らされたとき、法螺貝ほらがいが近く遠くに吹き鳴らされ、郷者たちの声がなお一層のこと高くなりて、御門より三騎の騎馬武者があらわれました。

 黒く耀きたるかぶとに金の鍬形くわがたが光りたるは、御屋形さまにございます。

 その隣に並びまするが、緋威ひいの鎧に鹿角たかづのを立てた甲の緒締めます、先の大戦の戦巧者、このいくさ終わるときに我が夫になる御人にございました。

 この二人を露払いにて、現れた一騎。


 萌黄威もえぎおどしの鎧に、高く伸びし金の鍬形の甲。その眼光鋭く光りて、凛々しきお姿は絵巻物のごとく。わたくしが知りたる秋人さまが、また別人にございました。

 されども……!

 わたくしは言葉にもならぬ声を上げて、繋いだ手を強く振りますれば、美冬姫さまは息を飲んで見詰めまする。

 紅の地に金銀のにしきに耀く直垂ひたたれは、美冬姫さまが真心を込めて縫いたる品。

 秋人さまが御門の前に馬を止め、ぐるりとお顔を巡らします。その視線が坂のうえ向きたるとき、微かに微笑えまれました。

 これが最後の挨拶に変わる、別れの言葉であったのでしょう。

 強く手綱を引いて馬が後ろ足で棹立ちになると、郷者たちが驚きに声をあげますれば、素早く馬首を巡らして一気に坂を駆け下りまする。

 やがては黒き点となり、遠く消え行きました。

 美冬姫さまは涙を流し、そのお姿をいつまでも見詰めております。

 その唇から零れし御言葉は、

「どうか……どうか、ご無事でありますように」

 ただ繰り返すのみにございます。



  着背長きせなが

    のぞきし深き

       紅の

      燃えにし秋人

         美冬溶かさむ

(大鎧から秋の紅衣を見せる人よ、どうか姫さまを隠す雪を溶かしてください)



 数多あまた手柄てがら、栄達より、その身がすこやかなることを願うは、これが女の真心にございます。

 今、美冬姫さまが御心、これに至りますれば、永遠とこしえなれども秋人さまをお待ち致しましょう。なれば秋人さま、必ずやお帰りください。

 美冬姫さまと並び、その影を見送りたる初冬のことにございました。

               了

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雪を溶く熱 穂乃華 総持 @honoka-souji

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