第三首 我が身けし去む

 あまりの残酷な現実に、美冬姫さまの御心は如何いかばかりにございましょう。

 されども目を赤くし涙に曇りたるも、針動かしたる手をお止めになられることはございません。

 目の前に広げられしは、くれないの絹織物。秋人さまが大鎧おおよろいのしたにまといまする着物、直垂ひたたれにございます。

 秋の人だからと選びだしたる紅色に、見る者すべからくに笑われることなきよう、金糸、銀糸の華やかなる抜い取りある一枚は、美冬姫のお持ちになられる着物より一番に豪奢なるものを選び出し、一度ほどいた物を縫い直しておりまする。

 一針ごとに、流れ矢に当たることなきよう、刀傷受けぬよう祈りを込めて。

 それは明日に出陣が迫りし今ごろは、郷の女のすべてが愛する男に向けし願いにございました。されども、此度の出陣は戦うまえにして、今にも雪舞い落ちそうな今日の天気のように、暗雲立ち込めてございます。

 我が夫が申しました不安、源氏の棟梁が義朝殿にあるか秋人さまにあるかで、強者つわものと呼ばれし東国の武士がまるで迷い子のごとき様子見にあって、その意気が上がりません。

 秋人さまが御出陣なされますれば、その流れも変わるはずとは申しますが、如何いかがでございましょう。


「あとはわたくしが仕上げまして、御本家にお持ち致します。お身体に障り無きよう、姫さまはお休みください」

 幾度となくのわたくしの忠言、しかれど姫さまに届きませぬ。

 頑なにそのお首をお振りになって「あの方に出来ること、こればかりなり」と、その手を急がしまする。

 午後も遅くになりて、仕上がりました物を持ちて御本家の館に出向きますと、誰もがせわしくあって、秋人さまにお目通り叶いません。

 館の主計方そろばんがたにしつこく「美冬姫さま、真心を込められし品」と言い置きましたが、はなはだ怪しくあって、筆を借り受けて覚え書きを一緒に置くより手立てがありませんでした。

 重きため息が吐き、御本家の館を出ますれば、真綿のごとき雪が舞落ちてございます。

 天はどこまで、美冬姫に無情なのでしょう。





 その夜にございます。

 御本家の館での一件をお聞きになりました姫さまの、無理に微笑まれて「仕方ありません」と寂しげに囁かれたお声が耳に残り、わたくしは眠れぬ夜を過ごしておりました。

 すると庭に向かう表戸がコトリと音を立てます。

 不審にあって行灯あんどんに火入れて、「誰ぞ、ある?」と誰何すいかいたしますれば、幼き時のままの笑い声にございます。

 いそぎ戸を開けますれば、着流しに薄物をはおった秋人さまにございました。

 色失いて、呆然と見詰めますれば、

「御本家の館も、この雪に見張りが手薄。見咎められることなき、抜け出してきた」

 そうお笑いになられます。

 そのお姿の背後を見やれば、白き雪に点々とつづく足跡があるのみ。

 舞落ちし雪に、わたくしは久しくなき天に感謝いたしました。


 奥の間にいそぎ足を向けますれば、姫さまもお休みになれなかったのでしょう。わたくしめの足音に、半身をしとねに起こしていらっしゃいました。

 そのお耳に秋人さまが来ていることを告げますれば、涙が溢れて袖を濡らします。

 しかれども、そうゆるりともできず。

 白きひとえの着物の細き肩を打掛うちかけで覆い、長き髪を手早く整えまして、最後に──

「この忠言はお付きの者にございません、年長き女のもの。

 その御心にお覚悟さえあれば、どうだって生きて行けまする!」

 美冬姫は微かにうなずかれました。


 わたくしの私室にてお待ち頂きました秋人さまをご案内致します。

 幾年振りの御対面になるのでしょう。秋人さまは姫さまの美しさに、驚かれたようです。

 わたくしは口元を弛めまして、そっとこの場を外そうとしますと、背後より姫さまの冷たき声に呼び止められました。

「秋人殿、長きここにあらず。構いなくてよい! (秋人さまは長居しません。そこで待ってなさい)」

 呆然とし振り返りますれば、秋人さまも姫さまの前に座を取り、「ただの一言、聞くのみ。そこ元で待たれよ」とあり、わたくしは狼狽ろうばいを隠し、入り口の前に腰を降ろしました。


 しばしの間をあけまして、秋人さまが姫さまに問い掛けます。

われは源氏の棟梁に成りたくて、出陣するにあらず。兄上さまが上げたる狼煙のろし、その手となりて働くために出陣いたす。

 姫の御心に幼きうちの約束、今もそのままにあるのなら、この地にて我の帰還を待たれよ」


 美冬姫さまの瞳が微かに揺れました。それを隠すように御顔をしたに向けますれば、再度、御顔を上げます。その瞳は、すでに揺れることはありません。

「誰ぞ物言う。わたくしは宮姫にあって、武士もののふごときが求婚、受けるにあたわず。

 たかが物心無き幼子おさなごをたぶらかした約束など、今はもう無きに等しい。この身が欲しくあらば、日の本一に成りてあらためよ」


 わたくしは目を見張り、二人を見詰めました。

 やがて苦き笑いを浮かべました秋人さまが、静かに座を立ちます。後ろを振り返ること無き、残しお言葉。

「その御心、確かに受け取った」

 秋人さまが背後、わたくしは足早に追いまする。しかして届かず。

 色白き染めたわる庭に降りた秋人さまが再度、振り返ってわたくしめに申しました。

「明日の出陣、おまえだけも見送って欲しい。その目に写ったものを、姫に伝えてくれ」

 後は立ち去りゆく、秋人さまの後ろ姿を眺めるばかりにございました。


 いそぎ奥の間に戻りまする。

 姫さまは、何故にあのようなことを!

 苛ただしさに足早よう戻りますれば、姫さまは声も無く、泣いておられました。

 わたくしが傍に寄りますると、幼き時のようにこの胸に飛び込み、声を上げて泣きまする。

 そのお耳にそっと訳を聞きますれば、

「わたくしなんかのために、諦めて欲しくないの。秋人さまには、わたくしなど捨て置いても日の本一の武士に成っていただきたい。

 今宵、訪れてくれたこと、そのお言葉だけで、わたくしは生きて行けます」


  あしひきの

     山辺の郷を

        出立いだつきみ

       雪よ積もりて

        我が身けし去む


(山辺の郷を旅立つ、あなたよ。雪よ、もっと降り積もって、わたしを消してください)


 美冬姫さまの御心に、わたくしはただただ姫さまの小さきお身体を、言葉なく抱きしめるばかりにございました。

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