第二首 なみだ川

 幾年いくとせの切なき時が流れました。

 秋更けて数多あまたなる都よりの使者が駆け抜けるに、そこかしこより新たな大戦おおいくさの噂が聞こえてきます。

 そんな時にございました。姫が背負われた罪を知らされたのは、謀らずもわたくしの婚姻の約定が取り交わされた、夜のことにございます。


 離れの館にて、姫さまのお側の御用をなすわたくしが、御本家ごほんけの館に足を踏み入れるなど、年に数度のこと。それも御本家が大切にする客人に、御酒をお運びたまえとの御命じあれば、誰もが気付くことにありましょう。

 御命じあるがままに、奥の間に御酒をお運びたまえば、その場には御屋形おやかたさまと額から頬に刀傷ある、まだ若き武士もののふがおられました。


 その傍らに膝を着き、盃に御酌しますれば、

「この傷、怖くはないか?」

 との問いにございます。

 わたくしはその傷を目の当たりにしますと、

「わたくしも武士の娘にございます。古き刀傷、矢傷は御奉公ごほうこうに熱き証と考えまする」

 とのたまいし

「ただ……」

「ただ、とは?」

「新たな刀傷、矢傷無きよう、願うばかりにございます」

 わたくしめの返答に、若き武士の御人は大笑にございました。

「これこそ御心厚き、重盛しげもり殿の姪御よ! それも山郷にありて、この物腰。さすがは宮姫のお付きにある」

 そしてわたくしに目を向けますれば、ただの一言。

「この娘、しかと貰い受ける」

 これが先の大戦にて、その張本人たる謀叛人むほんにんを捕らえましたる戦巧者と名高き、わたくしの夫にございました。


 夜も更け、御寝所に御案内しますと、

「我が妻になりともすれば、味見するも問題なかろうが……」

 曇りしわたくしの目に、

「今宵は何も致さぬ。これこそ我が本意と心得よ」

 そうお笑いになられました。

 その優しき御心に、不躾ぶしつけながらも疑問に思いたる問いを発しまする。

「わたくしは一度もこの郷を出たことがございません。それゆえに、宮姫さまのお付きとありまするは、美冬姫さまにござりまするか?」

「嬉しきことに、頭のいい女御おなごよ」苦き笑いに唇を歪めて「重盛殿が口を閉ざすなら、声を大に話すわけにはいかぬ。ならば、その御霊みたまにしまっておけっ」

 そうおっしゃられ、御顔を背けられました。


 帝を御退位した者を、院と申し上げます。その院が、帝を通り越して政務まつりごとを欲しいままにするのを、院政と申します。

 ある院が一人の美しき姫にお目をお止めにございました。しかれど、老いし自分に召しださせるには体裁が悪い。しかればと、一度は息子たる帝に入内させ、自分の手元に置いて、一人の親王しんのうを設けました。

 この子が御位を継いで、退位したのちに先の大戦を越した謀叛人、贈り名を崇徳すとくと申し上げます。


「実はこの頬傷、それ程の名声を帯びる傷でもない。我が院の本拠に踏み込みたるときには、もう戦は終わっていた。

 院の傍近きにあった重盛殿がすでに姫を押さえ、この姫の命惜しむらくはと声を上げておったからな。

 その姫こそが誰か……わかるな?」

 わたくしは声を無くし、顔色を失いて首肯するばかり。

 あの色白き美しき姫は、尊き血筋あるも不貞の子が設けた娘であり、大罪人たる謀叛人の娘。

 しかれど……。

「姫さまは幼き時の約束に一途にあって、ただこの恋が実ることを夢見る、一人の乙女にございます」

 早口に言い募れば、我が夫は顔をしかめて、やがて重き口を開きました。


「先の大戦は、まさに親族がその身を食らいあう骨肉の争い。

 謀叛人の崇徳院と後白河天皇が兄弟であったならば、平家の平忠正たいらのただまさ平清盛たいらのきよもりは伯父と甥。

 我が東国の棟梁とうりょうたる源氏も同じよ。

 源為義みなもとのためよし殿と源義朝みなもとのよしとも殿は親子、それも父と嫡男ちゃくなんだった。

 しかも──」眉間に深きしわを寄せし、声を落とし「朝廷はこれまで血の穢れを嫌い、謀叛にも流罪で済ませてきた。崇徳の処置はこれに倣い、島流しで済ませた。

 されど、武士には死罪をくれよったわ。

 我が棟梁、義朝殿に父御ててごを斬らしたのだ」

 そして大きく息を吐き、問いを発しまする。

「次男は先の大戦にて、すでに亡し。まだ幼子であった三男は、東国の山郷に流された。

 父御を斬って棟梁の座を得し男と流された三男、どちらが源氏の棟梁にあると思う?」

 答えは簡単にありましょう。

 父を害すはいにしえからの大罪。ましてや、その御位を継ぐなど、自然の摂理に反するものにございます。されども、わざわざ問いしは……。

「その幼子が秋人さまなのですか?」

 震えた声で訊ね申し上げれば、我が夫は沈黙を持って了承なされました。


 思わ知らず、零れ落ちた涙を止めることが出来ません。

 国に弓を引く謀叛人を討つことが武士の努めであるなら、その武士を束ねし棟梁に一点の曇りあってはならぬこと。ましてや、謀叛人の娘を側に置き、ご自身に謀叛の疑い掛かる所業などあってはならぬこと。

 運命とは、誠に非情でございます。

「このことをお二人に……」

「声高に名乗りも上げられぬで、戦場いくさばには立てぬ。いずれ近きうち、重盛殿が話されよう」

 それではお二人は──



  寄り添いし

    歩みをはばむ

        なみだ川

       早きながれに

        声もとどかず


(一緒に歩いていた二人ですが、やがては離ればなれになるのでしょう)



 わたくしは、ただ……ただ涙を落とすばかりにございました。

       

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