5.讃岐、楠、樫

「……消えた?」

 讃岐国相は眼鏡のつるをいじる手を止めた。眉間に皺を寄せた彼はレンズの内側を注視している。

「『偽鬼ぎき』の前から、一瞬で?」

 そこには、レオンの『力試し』の様子が映像として映っていた。

「目にも止まらぬ速さで抜け出した……訳ではないか。となると彼の『技術』は……」

 蔓から手を離してぶつぶつと呟く彼に、楠少将が声を掛けた。

「あの……国相」

 彼からの返事はない。

 楠少将は背後に目をやり、もう一度声を掛けた。

「国相、あの、聞こえていますか。国相」


 反応はない。


                 ※



 千古との通話を終えたらしく、受話器を壁にしまい込んだ彼は大きな溜息を吐いた。


「あの人には嘘が通じない所が厄介だよねぇ。こっちの思惑全部看破されるんだ」


 国相は「はぁやだやだ」と言わんばかりに肩を竦めた。

「あの人」とは先程の通話相手の事だろう。千古のトップ2、国相との交渉役ともなれば一筋縄ではいかないのも当然である。

「しかし国相。『力試し』とは?あの少年……レオン=アマーストに何を?」

 彼はさらりと答えを返した。



「簡単だよ。彼に『偽鬼ぎき』をぶつける」



「……は?」


 素っ頓狂な声がトンネル内に反響した。讃岐国相は鼻歌を歌いながら丸眼鏡の蔓を触った。

「ここに来る前に連絡して地下で実験中の一体を解放させた。今頃遭遇してる所かね……おっと大正解」

 レンズの内側を眺め、彼はうげぇと口を歪める。

「うわ、あれはヨシダくんか。またまた趣味の悪い」

 そのあんまりな態度に我慢できず、楠は彼に詰め寄った。

「あの少年には千古に居場所を提供すると約束した筈では?あれでは死んでしまいますが」


「もちろん約束したとも。彼が生きて千古に辿り着けたらね」


「……」


「生きるも死ぬも彼次第。まぁ『技術』を使えば乗り切れるだろう、その為の『力試し』なんだから」


「……あの少年は今まで『技術』を駆使した事がないと言っておりましたが。自分が何の『技術者』であるのか分からないままでは、一般人も同然です」


「そうだね。『技術』が使えなかったら彼は終わりだ」


 彼は平然とした様子で頷いた。


「だけどここで何の『技術』なのか、こちらとしては何としても把握しておかなければならない。あの少年は切り札と同時に爆弾でもある。もしもの時処理してもらうにも、どういった類のものか分からないと対処のしようがないだろう?」


「それは……そう、ですが」

「食い下がるね」


 歯切れの悪い彼を見て、讃岐国相は微笑んだ。

「心配かい?少将ともあろう君が」

「うら若き少年がその、何も知らず殺されるという事が本官には」

 楠は僅かに顎を引いて俯いた。

「旧軍がしようとした事よりは遥かにマシだけどね。……つまり君は『技術』を使えず彼が殺されると?」

「……はっ。今まで駆使した事がないのであっては」


「使った事はあるよ、レオン君」


 彼の言葉に、楠は耳を疑った。顔を上げると、「何だ気付いてなかったのか」と讃岐国相が呆れた声を上げた。


「あのね。『白い病棟』からここまで9000㎞も離れているんだ。どう考えても少年一人が泳いで渡れる距離じゃないだろう」




                   ※




「国相」

 何度目かの呼びかけで、讃岐はようやく我に返った。

「何だね、今考えているんだ。どうなったのかはまた後で話すから」

「いえそうではなく」

 楠は何故か慌てたように後ろを振り向いた。その態度を不審に思った彼は訝しげに楠の背後を見遣る。

「あの、樫沢かしざわ総司令官が……」

 彼が言い終える前に、トンネル内を揺らす怒号が轟いた。



「──ク、ソ、ダァヌゥキィイ!!」



「ひっ」

 途端、讃岐国相の表情が固まった。額から冷や汗が一筋流れ落ちる。


 一瞬で迫った殺気を肌で感じ、楠少将が右に避ける。


 その横を人影が疾風の如く駆け抜け、あっという間に讃岐の襟首を掴んで持ち上げた。

 その間およそ三秒。


「かっ、樫沢君」


 讃岐がその名を呼んだ。



 彼を持ち上げたのは軍服に身を包んだ女性だった。白髪交じりのショートヘアが揺れ、怒気をはらんだ切れ長の目が讃岐を見据えている。細身でありながらも引き締まった体躯が軍人らしさを際立たせていた。

「第四特殊部隊、総員突入!」

 彼女の号令で、背後に控えていた軍人が一斉に駆けだした。隊員達はそのまま讃岐達を通り過ぎ、トンネルの先の角を曲がっていった。


 その場に残ったのは慌てふためく楠少将、「樫沢」と呼ばれた女性軍人、そして彼女に吊るし上げられた讃岐国相の三人のみ。



「──流れ着いた『技術者』の横流し」

 掴んだ襟を握りしめ、彼女は静かに切り出した。

「千古への地下通路の開放、あげくの果てには地下施設からの『偽鬼』実験体解放。……私が何を言いたいか分かるか?タヌキ」

「まぁ大体は……痛ぁっ!」

 更に首を締めあげられた讃岐は悲鳴を上げた。


「それら全て、あろうことかお前は!軍部を、通さず、独断で!行ったんだぞ!せめて私に話を通してからにしろこの馬鹿!」


「君に話すとまたうるさそうで仕方なく……いぃっだぁ!」

 樫沢は讃岐を壁に叩きつけた。背中を擦って呻く彼から目を逸らし、怒りの矛先を楠へと向ける。


「貴様も貴様だ楠少将!」


 正面から怒声を浴びせられ、楠は反射的に直立不動の体勢を取った。

「貴様が付いていながらこの体たらく。その階級は飾りか、えぇ?楠次郎少将!」

「面目次第もございませんっ!」


 直立したまま叫ぶ彼を、樫沢は鋭利な双眸で睨み上げる。

 人を殺す勢いの眼差しに射抜かれ、楠は生きている心地がしなかった。


「……楠君を、責めるのは止めてくれるかい、樫沢君」

 樫沢が振り返った。フォローを入れた讃岐がタイを締め直して彼女に向かい合う。

「いったた……僕が無理言って連れ出したんだ。弱みに付け込んで脅したようなものだよ。君が言う通り、全部僕の独断だ」


「ほう」


 樫沢も讃岐を正面から見据える。彼女の周りに漂っていた殺気が消えた。


「将官クラスを連れ出したと聞いた辺りでロクな事にならんと思っていたが」

「まぁ国家機密レベルを扱うからね。口の堅い古株が必要だったんだよ」

 そこで讃岐が楠に目を遣った。


「レオン君を『中央政府』に引き渡すつもりなんて毛頭なかった。切り札として取っておくつもりで千古に送った訳さ。じきに『中央政府』から捜索の手が回るだろうから、僕も急ぐ必要があった」


 確かに、例の少年が流れ着いてから今まで数日と経っていない。小さく鼻を鳴らした彼女は先を促した。

「もちろん千古には連絡を入れた。『左方さのかた』殿に伝えておけば後は何とか取り成してくれるだろう」

「どうせ事後報告だろうが」

「うん」

 悪びれずに頷いた讃岐の脳天に拳骨が落ちた。



「……──だけどレオン君、自分が何の『技術』を所持しているのかすら分かっていなかったから困ったよ。こちらも千古側も相応のリスクを背負う訳だし、ここははっきりさせないといけないと思って」


「それで身体強化薬『キカ』の実験体を使った訳か。所詮元人間、作られた偽物だが少年には『鬼』が出たで誤魔化せる」

「そうそう」

「しかし千古側に知られれば『左方さのかた』も『右方うのかた』も黙ってないぞ。分かってるのかお前は」

「覚悟の上だよ」


 苦虫を噛み潰したような表情で彼を睨む事数秒。樫沢は大きく息を吐いた。

「全くお前はこういう所で大胆が過ぎる。だから私を通せと言ったんだ」

「悪かったって」


「で。使用された実験体は」


「恐らく『偽鬼』実験体55号『ヨシダ』だねぇ。ほら、七年前の連続殺人事件の犯人だった」


 讃岐の言葉に、彼女は顔をしかめた。


「よりによって何故そんな猟奇殺人犯を選ぶ。あの少年を本気で殺す気かお前は」


「だから僕が選んだんじゃないって」

 それに、と讃岐は続けた。


「少年は生きてるよ。土壇場で『技術』が使えたようだ」


 その言葉に、樫沢と楠から「おお」と声が上がった。ほっと息を吐く彼の横で、樫沢が顎で続きを促した。

「その『技術』はなんだ。どうせ見ていたんだろう」

「それなんだけどねぇ」

 眉尻を下げて答えにどもる彼に、樫沢が食ってかかる。

「はっきり言え。分析と言いくるめはお前の領分だろうが」

 いやぁだから、と讃岐は諸手を上げた。


「ぱっと消えていなくなったんだよ。『偽鬼』の目の前から。おそらく、瞬間移動……ワープに関する何かだと思うんだけど」

「は」

 樫沢が脱力した。離れた場所へ一瞬で移動する。確かに人間には実現不可能な技術ではある。


「……なんだそれは」


「やっぱりその反応だよね。人間を超越した技術だけど世界創造の技、と言われると。正直納得いかなくて」

 考えてるんだ、と讃岐が頭を掻いた。

 彼らのやり取りを耳にし、先程独り言を呟いていたのはそれだったかと楠は妙な所で納得する。


「──やはり無駄骨だったではないかこのド阿呆!」

「いぃ痛痛痛いよ止めて、ヘッドロックは止めてくれない、かっ、樫沢君、かしざわぐん!ちょっと楠君も見てないで止め」



「樫沢総司令官!よろしいでしょうか!」



 その時掛かった声に、もみくちゃになっていた二人の動きが止まった。

「何だ。実験体『ヨシダ』は見つかったか」

 何事もなかったかのように、樫沢が讃岐を放り捨てる。


「ハッ」


 偵察に行った『第四特殊部隊』が報告に戻ったらしい。一人の小柄な軍人がいつの間にか脇に立っていた。彼は一度楠少将に敬礼をすると、樫沢に向けて話し始める。


「指定場所に向かった所、水路中央に倒れていた実験体55号『ヨシダ』を発見いたしました。辺りには多量の血痕が残っており、壁にも複数の亀裂を確認。血痕は某『技術者』、亀裂は全て『ヨシダ』によるものと見受けられます」


「……倒れていた?」


 一緒になって報告を聞いていた讃岐が眉を寄せた。

「立っていた、ではなく」

 軍人が頷いた。

「ええ。しかも人間の状態──『ヨシダ』が、連続殺人事件の犯人として逮捕された時のままの状態で」


「なんだと?」


 次に反応したのは樫沢だった。

「人間に戻ったというのか」

「ええ。鬼化が解かれたと考えられます」


「薬の、『キカ』の効能切れという事は?」

 楠の問いに対して、軍人は首を横に振った。

「研究員によれば、身体強化薬『キカ』の投与は地下施設から解放される直前に行われていますから、それだけはあり得ないと。更に『ヨシダ』の『偽鬼』への変度は随分進んでおりました。効能が切れても完全な人間に戻るには数日かかると思われます」


「……で、その『ヨシダ』は?どうなった」

 樫沢が彼に訊ねる。


「七年前の逮捕時に負った瀕死の重傷に加え、さらに『キカ』服用の多大な負荷が身体に掛かったらしく、既に死亡しておりました」


 その返答は予想していたらしい。樫沢はひと言「御苦労」と部下に告げ、更に命令を下した。

「『第四特殊部隊』は続けて『ヨシダ』の処理及び現場の調査を続けろ。僅かな異変も見逃すな」


「はっ」


 敬礼した軍人が走り去ると、樫沢は先程から黙り込んでいる讃岐を振り返った。

「どうだ。何か分かったか、タヌキ」


「ちょっと待って」


 顎に手を当てていた彼はふと思い立ったようにポケットを漁る。

 中から取り出したのは、レオンが漂着時身に着けていた金属製のタグだった。

「おい待て。何故押収物を私物化している」

「De■■■■。恐らくこの後に入るのは四文字。Wが『御業みわざ(the Works)』──『技術』の略称だとすれば、前の六文字が表すのは何の『技術』かだけど。瞬間移動、……Deから始まる六文字の単語、かぁ」


 もし。


 もしもだ。


「……『ヨシダ』の鬼化を解いたのがあの少年の『技術』なのだとしたら?」



 一つの可能性に思い至った彼は、タグをポケットに戻した。


「……まさか」

「まさかではないだろうが、さも当然のように仕舞うな阿呆」


 タグを奪おうと迫る樫沢の手を躱し、讃岐は嘆息した。

「ちょっとまずいよ樫沢君」

「何がまずい」

「もしかしたら僕、とんでもないもの引いちゃったかもしれない」

「とんでもない……と言いますと」


「世界を滅ぼすスイッチ、とか」




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技術者 草壁葛 @Tsutsura

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