4.背水

 金色に輝く目玉が、じっとこちらを見つめている。


『鬼』。

 金の瞳と額に角を持つ種族。そう讃岐国相は語っていた。桁外れの身体能力と再生能力を有するという。


 『中央政府』は『技術者』相手同様に迫害を行っているらしい。『中央政府』だけでなく、他国や『技術者』たちからも畏怖や嫌悪を向けられているようだ。その為千華共栄国は鬼族を千古に匿い、千古は地図上から姿を隠したとされている。


 ここは千古に続く桜都の地下水路。正面奥に立つ大男は間違いなく人ではない、鬼だ。しかし。


「何で……桜都に鬼がいるんだ……?」


 (迷い込んだ?)

 千古から逃れ、ここで身を隠していたのか?

 

 「……引き返そう」

 何はともあれ、この事を讃岐国相たちに伝えなくては。こちらに対して好意的ではないと凶悪な気配で分かるし、話が通じるとも思えない。通れそうもないのは一目瞭然だ。


 そんな事を考えながら片足を後ろに下げる。大丈夫。この距離なら、隙を見て来た道を一目散に走っていけば撒けるだろう。

 そう思っていた時、奥の鬼が口を開いた。


「……、あ、ひぃ、どぉお、り?」


 がさついた声が通路内に響き渡る。ようやく動いた身体が再び硬直した。

 ひとり?……「一人」と言ったのか?

 

「君は」

「め、がぁあお。ぃ。カト、にぃ、あら、ず?あ、あぁ」


 呻き声に混じった言葉が口から吐き出される。

 目が青い。カトにあらず。──「カト」ってなんだ?


「……君。一体何を言って」

 

 突然、鬼が咆哮した。


 全身の肌が粟立つ。地が揺れ、空気が震えている。気を抜くとあっという間に飛ばされそうで、踏ん張っているのが精一杯だった。

 叫び終えた後、鬼は片足を上げた。


「じゃ、あああし、じ、ね」


 足が振り下ろされる。轟音とともに地面が砕け、粉塵となって舞い上がる。その巨躯が一瞬で姿を消し──


 直後、衝撃とともに僕の身体が吹き飛んだ。


 紙きれのように飛んだ僕は横の壁に衝突する。全身に激痛が走り、呻き声が洩れた。

 視界が霞む。衝撃で脳が混乱している。生暖かい液体が口から溢れ、鉄の匂いが鼻をついた。


(一体……何が、起こって)

 顔を上げる。目の前に青い巨漢が立ってこちらを見下ろしていた。

 最初の踏み抜きで、──あれだけの動作で、瞬く間に移動した?

 

 嘘だろう?


「ぅうっ……げほっ」

 血を吐く僕を見て、金の目がにぃと細められる。


 駄目だ──駄目だ。動かないと。


(動け。動け──動け動け動け動け!)


 身体は激痛で全く反応しない。必死で念じても、指が僅かに動いただけだった。


 げたげたと笑い声を上げ、鬼は僕の頭を掴んだ。

 そのまま彼は軽々と僕を持ち上げ、壁に叩きつける。

 声にならない悲鳴が上がる。壁に大きなヒビが入り、血の付いた破片が宙を飛んだ。


「やめ、放、せっ」

 激痛が何度も何度も全身を駆け抜け、最早いま叩きつけられているのが自分の身体なのかすらわからなかった。


 ようやく。ようやく千古に──自分の居場所が見つかるかもしれない。そんな時に。


「何、なんだ、誰っ、なんだお前は!」


 震える手を持ち上げ、頭を鷲掴みにしている青い手を掴む。

 しかしそれで鬼が手を離す訳もなく、みしみしと自分の頭蓋が悲鳴を上げた。


「おで?おでぇ、かぁ?」

 にたにたと口角を上げて、化物が嬉しそうに笑う。手の隙間から、黄ばんだ歯が見えた。


「おでぇ……はぁ……あでぇ?なん、だっだ、げ?」


 細められていた目が宙を泳いだ。手の力が僅かに緩められる。

 その隙をついて、僕は掌から逃れ地面を転がった。




「ぐ、げほっ」

 薄れゆく意識をかき集め、掌を不思議そうに見つめる鬼を睨み付ける。


 駄目だ。讃岐国相に伝えるなんて無理だ。

 ましてやこいつから一瞬でも目を離す事すら出来そうにもないというのに。


(なんとか、こいつの隙をついて、地下水路を、抜けられれば……)

 こんなまともに動けない身体で?


 ──無理に決まっている。

 戦おうにも武器がない。

 鞄の中には封筒しか入っていないし、身に着けているものは服と翻訳機くらい。


 そもそも戦う力なんて、まったく持ち合わせていないのだから。



 『……貴様ら『技術者』は人類の──歴史の、そして未来の敵である』


 『とまぁそんな訳だ。『技術者』のレオン君。君が何の『技術』を得ているのかは分からないけどね』


 頭に声が浮かんでは消える。


『技術者』。ああそうだ。僕は『技術者』。世界創造の技を持っている者の一人。


 だがそれも駆使できなければ意味が無い。使った事も、何の『技術』なのかも分からないのでは一般人同然である。


 つまり──詰み。

 僕は此処でこいつに潰されて死ぬしかない。


(死ぬ。──死ぬ?ここで?)

 こんな誰も通らないような、地下水路で、惨めに一人で、



「僕は……死ぬのか?」



「あ、ぁあああぞうだ。ぞうだっだ」

 角を弄っていた鬼はぱっと顔を上げた。


「おばえで、ごじゅうにん」

 そして僕を指差して言う。

「おうど、の、ふぬげだ、れんぢゅうを、ひぃどおり、ずづ、おで、がごろじで」

 一歩ずつ、鬼がこちらに近づいて来た。

「とりもどざねば。おでが、カト、をお、どりもどぜ。オウトのぉざぎじ、などではづどまらんん」


 おうとのざぎじ。桜都の、詐欺師?

「……それ、って」

 待て。少しずつではあるが、……言葉が流暢になっているような。

「カトに、ほまれぇだがぎ、ぐんにぃい。不忠なる、者のぉぢ、じ、し、死を、ささげぇぇえ」


 『──二十五年前、桜都で革命が起こってね。ここは、その時の旧政府──軍事政権が利用していた最後の砦だった』


 国相の言葉が頭をよぎった。


「あああぁああ、われぇ、ごこくのぉ、鬼となりで、カトに尽ぐじい、──いざぁ!内部に巣食う敵を討たん!」

 鬼が僕の右腕を掴んで持ち上げた。肩が軋んだ音を立てる。

 もう一方の手を構えた鬼は、僕の顔を覗き込み高らかな笑い声を上げた。


(……これは駄目だ)


 もう何をしたって死ぬ。

 これが運の尽きというやつだ。僕の運は、ここまで流れ着いて良い服を貰った所で尽きたのだ。


 水音がする。

 僕はゆっくりと、鬼から道の隅へ視線をずらす。


 鼠の死骸が転がっていた。

 随分時間が経ったのだろう、目は腐り落ち、裂けた腹には蠅がたかっていた。


 僕も。死んだらああなるのだろうか。


 人間としてではなく、あの鼠として、ここで腐り落ちていくのだろうか。


 地下水路に巣食う鼠。内部に巣食う、敵。


 ……敵だと、この鬼は言った。

 僕は何もしていない。


 ……こいつが一方的に痛めつけているだけだ。

 なのに、敵?敵だって?




 ふざけるな。




 それ、は。


「……嫌、だ」

 このまま死んでたまるか。


「どけ、よ」

 意識に火が灯る。痛覚が戻って来る。右腕がとんでもなく痛い。


「放せ、よ」

 精一杯睨み付ける。

「僕、は……千古、に、行かなきゃ」

 喋った瞬間、口から血が溢れた。

「僕の、居場所は、ここじゃ、ない」

 国相の言っていた「向こう」はこんな鬼どもが巣食うおぞましい国なのかもしれない。

 しかし、彼は「僕の住む場所」として千古を薦めて、ここまで連れてきてくれたのだ。


 だから、後は自分の足でその地に立たねば。

 人間として──自分の居場所を、獲得しなければ。

 少なくとも、ここで、こんな場所で、死ぬわけにはいかない。


「お前、なんかに……殺されて、たまるか」

 痛みに耐え、息を吐きだした。鬼の笑い声に負けじと声を張り上げる。


「僕は、まだこんな所で死ねない!放せ、僕には行かなきゃいけない場所があるんだ!」


 鬼が腕を振りかぶった。


 視界が暗転する。意識が途切れ、僕はそのまま暗闇に落ちた。






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