7.一期一会

「着替え終わったね。良かったよピッタリで。もしサイズが合わなかったら我々二人で買い直しに行く所だった」


「……本当にいいんですか?ここまでしてもらって」


 訊ねると、讃岐国相は「いいよいいよ、これぐらい。餞別と思ってくれれば」と言って首を横に振る。

「それよりも、パリッパリのスーツで少しは男前になったんじゃないかい?ねぇ楠君」

 廊下を歩きながら僕を眺め、国相は隣の軍人に話を振った。

「はっ」

「君達軍人はいつもそれだね」

 威勢よく返事をした彼を横目で見て、讃岐国相は口を尖らせた。



                  ※



 ……魑魅魍魎や悪魔と聞いても怯まなかった、と言えば嘘になる。

 しかし断った所で他の道が用意されている訳でもない。ええいままよと契約書にサインをした。


「レオン=アマースト君か」

 渡された契約書を眺めた讃岐国相は、満足気に頷いた。

「では早速移動しよう。君の居場所はここではなくなったからね」


 ──今?


 僕は自分の身体を見下ろした。

「もう動けるだろう?」

「はい。でもこの格好で大丈夫なんですか?」


「そう言うと思って用意してきたんだ。楠くーん」


 彼の呼びかけと同時に、軍人が後ろ手に持っていた紙袋を出し、僕に手渡した。

 遠目で見た時よりかなり大きい。何が入っているのかと讃岐国相の顔を見る。

「君の着替えだよ。着てみてくれないかな?」




 ……──紙袋に入っていたのは黒いスーツだった。

 白いワイシャツ、黒いジャケット、サスペンダー付きのズボン、革靴が一式。


中を覗き込んだまま絶句する。


(いくらするんだろう、コレ)


他には国相が使用していたものと同型の翻訳機。黄色の腕章、そしてショルダーバッグが一つ。


「腕章は桜都からの客人と分かるようにね。向こうとは自由に行き来できる訳じゃないから」


彼の声で、僕はようやく我に返った。


「あの、本当にこんな立派な」

「人の好意は素直に受け取るものだよ」

 もう一度訊ねると、国相はやんわりと僕の言葉を遮った。


 しかし、そうは言ってもだ。こんな高価なものをタダで貰っていいものだろうか。


 逡巡していると、彼は「それにね」と渋い顔で付け足した。

「向こうに行くと色々とうるさいからねぇ……特に上が」


 上?


「それもそうですな」

 視線をずらすと、讃岐国相だけでなく軍人もどこか遠い目で嘆息していた。

「だよねぇ。西の人達ってなんでこうどうでもいい事に口やかましく……いや、なんでもない」


 上、というのはどうやらこれから行く場所にいるお偉方の事らしい。

「西、に行くんですか?」

「あっはっは、まあ、うん」

僕の質問を躱し、なんでもないよと彼は乾いた笑いを浮かべた。


「まあともかくしっかりした服装で行くのは大事だよ。ネクタイは……つけなくてもいいか。向こうはこっちの服装にそこまで詳しくないし。君も暑苦しいのはいやだろう」


「は……いえそう言う事ではなく」

 さらに言葉を重ねようとした僕をまたも遮ったのは、国相──ではなかった。



「あの」


 三人の動きが止まる。


 いつの間にか、一人の少女が目の前、廊下の中央に立っていた。

 黒っぽいネクタイ付きの服に、プリーツの入ったスカートを履いている。

 眼鏡を掛けたおさげの少女だ。身長は僕より10㎝ほど低い。

 讃岐国相達に用があるのかと思ったが、彼女は僕の顔を穴が開くほど見つめている。


「あの、……君は?」


 すると少女は姿勢を正した。


松雲学院しょううんがくいん3年、糸野京子いとのきょうこです」


「僕はレオン=アマーストです」

 ぺこりと頭を下げた彼女につられて、僕も頭を下げる。


(知らない名前だ。初対面だよね、顔も見た事ないし)


「あの、もしかして僕をだれかと間違えて」


「彼女は君の第一発見者だよ」


 国相の顔を見た。横から言葉を差し込んだ彼はさらに説明を付け加える。


「沿岸に辿り着いた君を見つけて、駐在所まで走って人を呼んでくれたんだ」


「彼女が」

 彼女に視線を戻す。糸野京子と名乗った少女は僕の名前を繰り返し呟いていた。

「レオンアマースト。すみません、どちらで呼べばいいんでしょう。レオン……さん?アマーストさん?」


「どちらでも……えっと、君の呼びやすい方で」


 彼女はしばらく逡巡した後、「ではレオンさん」と顔を上げた。



「私、ここからずっと離れた田舎町に住んでるんですけど、一度会いに行かなきゃと思って」

 今日もう退院されると聞いて、焦りました。そう言って彼女は苦笑いを浮かべた。

「もうこの国を出ていかれるんですか?」

 彼女の問いに答えられず、言葉に詰まる。

「僕は」

 何と言えばいいのだろう。桜都からは出ていくけど『千華共栄国』からは出ていかないのだから……この場合は、


「うん。そうだね。彼はもうここから出る」

 国相が口を挟んだ。「そうなんですか」と零すと、彼女は一歩、足を前に出した。

「あの。一つだけ、伝えたい事があって」

「は、はい」

 妙に気迫のこもった一声に、思わず一歩後退する。


「生きていてくれて良かった、です。あと、会えて良かった」


「────」


「おっ、お元気で!」


 半ば叫ぶようにそう言って、勢い良く頭を下げると、彼女は一目散に駆け出した。


「……えっ」


 ……一体今のは何──待て。


 出口に向かって走っていく少女を眺める。


 彼女、もしかしてこのまま一方的に言ったきり帰るのか?


「え、あ、ちょっ、待っ」

 讃岐国相を見るとニマニマと笑って軍人の袖を引っ張っていた。

 

(待て待て待て、僕も言わなきゃいけない事があるはずだ)


「ぼ、僕も!」


 彼女に負けないくらいの大声で、僕は必死に彼女を呼び止める。

「僕も、恩人の君に会えて良かった。助けてくれて、僕を見つけてくれてありがとう!お元気で!」

 彼女に届くように精一杯に叫ぶ。廊下を歩く人たちが驚いて僕を見た。


 彼女は一度立ち止まって此方を見る。もう一度頭を下げた糸野京子は外に駆けていき、ここから見えなくなった。



                  ※



 糸野京子は息を切らせて走る。駅に辿り着いた所でようやく止まり、彼女は咳き込んだ。

 顔が熱い。

 今鏡を見たら顔が真っ赤になっているだろう。

「……お礼、言われちゃった」





 クラス内で起こったいじめを指摘したら今度は自分がターゲットになった。

 上靴を隠される、朝来たら黒板に私に向けた悪口が大きく書かれているなんていうのはまだ序の口だ。

 誰に話しかけても無視、先生は見てみぬふり。休憩時間にはリーダー格の女子に呼び出され、散々な言葉を浴びせられる。

 私の前にいじめられていた女子は、私にターゲットが移った後に転校した。


 ……もう十分だ。

 何で私がこんな目に合わなくちゃいけないの。ただいじめはいけない事だって言っただけじゃない。

 見て見ぬふりなんてできる訳がなかった。しかしそれで行動を起こした結果がこれだ。私が動いても解決なんてする訳がない。

 私なんて、意味なかったんだ。



 気が付けば、足は『飛び降り岬』に向かっていた。

 空気が湿っている。厚い灰色の雲が空を覆っており、下には黒い海が渦巻いていた。

 風が強い。最後に景色の見納めだと、松潮浜を眺めていた時だった。

 何かが浜に打ち上げられていた。

 全体的に白っぽい。魚だろうか、と曇った眼鏡を拭き、掛け直す。


「……魚じゃ、ない」


 ──人だ。

 分かった瞬間、私は一気に岬を駆け下りていた。見て見ぬふりなんて出来る訳なかった。鬱々とした気持ちは全て吹き飛び、死のうなんて考えは頭から消え去っていた。


 彼の居場所を駐在所の巡査さんから聞かされた時、会いに行こうと思った。小遣いを交通費にぶち込み、辿り着いた先にその少年はいた。

 綺麗な青い瞳が印象的な異国の少年だった。

 その整った顔を見ると、途端に言おうと思っていた事が分からなくなった。顔が火照り、心臓が忙しなく鳴りはじめ、その後についてはおぼろげにしか覚えていない。 


「僕も、恩人の君に会えて良かった。助けてくれて、僕を見つけてくれてありがとう!お元気で!」


 彼の──レオン=アマーストの言葉がまだ頭の中に反響している。


「私、意味あったんだなぁ……」

 レンガの壁際にしゃがみ込み、京子はぽつりと呟いた。


「恩人だってさ。私」

 眼鏡をはずして目元をこする。今度は目頭が熱い。


「お元気でなんて言われたら、もう生きてくしかないじゃない」


 拭っても拭っても次々に大粒の涙が零れ落ちて、止まらなかった。



                 ※



『生きていてくれて良かった、です。あと、会えて良かった。おっ、お元気で!』


 叫ばれた言葉はまだ胸の中に残っている。


「お嬢さんにお元気で、なんて言われたらね。これはもう生きていくしかないね」

 国相は「いやあいいなぁ、青春だなぁ」なんて呑気に笑っていた。


 生きていてくれて良かった。そう他人に言われたのは初めてだ。


「では行こう。人として生きていくためにも、自分の居場所は自分で勝ち取らねば」


「はい」

 ショルダーバッグのベルトを握りしめ、僕は病院を出た。

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