最終章 誰何創主

最終話 果てしなき妄創

 正午というにはまだ早い頃合いのりんの港には、今日も数多くの船が出入りしている。


 無骨だが重厚な雰囲気を漂わせる、鷹揚とも鈍重とも取れるゆったりとした動きの巨船はげんの船。対照的に機能的な中型船が複数で一糸乱れぬ動きを見せるのは、いつの船団だろう。四角帆から船体まで金や朱、黄と煌びやかに飾り立てられている船は、遠く南のさんからやってきたに違いない。


 一望するだけでも色とりどりの船たちに負けず劣らず、埠頭に行き交う人々の姿もまた千差万別だ。


 長身。短躯。白い肌かと思えば日に焼けた褐色の肌。丁寧に編み込まれた黒々とした長髪もあれば、頭を倍にするほどに巻きつけた頭巾の端から縮れ毛をはみ出す者もいる。瞳の色も明るい茶色から闇のような黒まで、この世界中の人間が揃っているといっても大袈裟ではない。


 だがそんな多様な人間が集まるりんの埠頭にあっても、キムの金髪碧眼はやはりひときわ目立つ。


「なんか、まだ慣れないなあ」


 一歩足を進めるごとに物珍しげな視線に晒されて、キムの顔からは居心地の悪さが拭えない。その隣を歩くすいがなだめるように言う。


「しばらくは仕方ないね。でも島主様も言ってたじゃない。いつまでも頭巾を被ったままでは息苦しいだろうから、そろそろ素顔を晒すことに慣れろって」

「それはわかってるんだけど、なかなかねえ」


 落ち着かなさそうに周囲を見回して、たまに目が合う通行人には思わず微笑を返す。すると相手は滅法喜んで相好を崩すものだから、キムとしてはかえって恐縮してしまう。


「まあ島主様のことだから、りんには天女がいるんだってこと、世界中に知らしめるためってのが本音だろうけど」


 上紐恕じょうちゅうじょの意図を推し量るすいの言葉に、キムも小さくため息をつきながら頷いた。


「本当に抜け目がないよねえ、あのお方は」


 やがてふたりがたどり着いた先には、三本の朱塗りの帆柱が堂々と聳える、りんの大型船が停泊していた。船尾に掲げられた旗に大きく『飛』の字が描かれているその船の前では、積荷を運び込む大勢の人夫たちと、彼らを指揮する若い男が背を向けている。


せん!」


 すいに呼ばれて振り返ったのは、すっかり怪我も癒えて回復したせんであった。


「よう、すいに、それにキムも来てくれたのか」

せんがちゃんとお父様の代役を務めてるか、たまには見張りに来ないとね」

「勘弁してくれよ。それでなくても初の大役で緊張してるってのに」


 未だ療養中の飛禄ひろくは己の穴を埋めるため、飛家でも三人しかいなかった番頭にせんを任命したのである。まだまだ若いせんではあるが、今日まで飛禄ひろくに付き従ってきた働きぶりを認められての抜擢であった。


 そして今日、せんは初めて船長として航海に出るのだ。行き先は南の国、さん。そんな彼の記念すべき出立を見送るために、すいとキムは埠頭まで見送りに来たのである。


「情けないこと言わないでよ。お父様はせんを信頼してるってことなんだから、しっかりお務め果たしてきてよね」


 すいの下にはふたりの弟がいるが、如何せん幼すぎる。飛禄ひろくはやがてせんに弟たちの後見人役も任せるつもりで、今回の抜擢となったのだろう。そのことをせん自身もわきまえているから、彼も番頭に任命されることを断らなかったのである。


「当たり前だろう。頭領オヤジが戻るまでは穴を開けないよう、死ぬ気で頑張るさ」


 言われるまでもないというせんの頬には、祭殿の書庫で負った傷跡がうっすらと残る。彼の気合いのこもった返事を受けて、すいは満足げに頷いた。船仕事に限らずとも、海賊退治や耀ようの祭殿での彼の活躍を、すいはずっと目の当たりにしてきた。彼女にとって、せんが番頭に引き立てられてことは意外でもなんでもない。


 だがそんな風にせんを頼もしく思うすいの思いは、彼に向かってがなり声が浴びせかけられた瞬間に吹き飛んでしまった。


「おい、新米船長! お喋りしてる暇があったら、こっちに来て指示してくれよ!」

「ああ、はい、ただいま!」


 古株の船員に呼びつけられて、せんすいたちをほっぽり出して駆け出していってしまう。その後ろ姿に呆気にとられながら、やがてすいは不安いっぱいの顔で額に指を当てた。


「本当に大丈夫かなあ」


 一転して心配一色のすいを、今度はキムがなだめる番であった。


「初めての船長だから色々勝手が違うんでしょう。すぐに慣れるわよ」

「だったらいいんだけど」


 ふたりが見守る間にも積荷は次々と積み込まれて、船の上では準備に慌ただしい。その様子をしばらく眺めながら、すいの口から思わず言葉が零れ出た。


「こうやって世界が無事に回ってるのを見ると、なんかほっとするよね」


 そう呟く彼女の胸の内に、キムが天から落っこちて――もとい舞い降りて以来の一連の騒動の記憶が去来する。


 上紐恕じょうちゅうじょに召し上げられたキムに伴って島主の屋形に仕えることになったかと思えば、りょうびん王陛下の御前に上がり、しかもその晩には王宮から逃げ出す羽目になり。その後は海賊退治に同行してがくとまさかの再会を果たし、挙げ句には耀ようの祭殿で『創世始記』を巡る変翔へんしょう琅藍ろうらんとの丁々発止。


 いかにすいが未知の世界への冒険心に富むといっても、しばらくはお腹一杯な経験をしたと思う。


「あいつも少しは頭を冷やしくれればいいんだけど」


 ふとすいが口にしたその呟きを、傍らのキムが聞き咎めた。


「あいつって、ローランのこと?」


 そう尋ねられてすいが振り返れば、キムの瑠璃色の瞳は穏やかながらも、少女の顔をしっかりと正面から見据えていた。


「ねえ、スイ。もしかしてローランは生きてるって、あなたは知ってるんじゃない?」


 真っ直ぐな目で問いかけてくるキムに、すいは一瞬だけきょとんした顔を見せて後、すぐににっと白い歯を覗かせた。


「知ってるよ。だってびょうに帰れって、私が願ったもの」

「……やっぱりそうなのね」


 あっけらかんと認めるすい。だがキムはそれで話を終わらせるつもりはないようだった。すいよりも背の高いキムは、彼女の屈託のない笑顔をことさら覗き込むように身を屈める。


「私ね、リンに戻ってからずっと考えてたの。この世界を創ったのが私だとして、私がいた天を創ったのはローラン、そしてローランの故郷のビョウを創ったのはあなた、スイよね」

「創ったっていうか、掻き集めた知識をひとまとめに書き殴ったっていうか」


 すいは照れ隠しのように頭を掻くが、逆にキムの顔は神妙さを増していく。


「だとしたらスイ。もしかしたらあなたは、あらゆる世界の創造主なのかもしれない」


 その言葉を口にしたキムの瞳にゆらめくのは、もしかしたら世界の真理を目の当たりにしているのかもしれないという興奮と、そして少しばかりの畏れ。


 さざめく海原のような瑠璃色の瞳に見つめられて、すいは大きな黒い瞳を何度かしばたたかせる。


 キムの言葉の意味を咀嚼するかのような少女の素振りは、やがて破顔に取って代わられた。


「私が世界の創造主とか、そんなこと考えたことなかったなあ」


 そしてすいは掻いていた頭から下ろした手を、今度は真っ直ぐに突き出した。


「でもそんなわけないよ。だってこの世界には、まだ私の知らないことばかりだもの」


 そう言って少女の手が指し示す先、目の前の飛家の船やその向こうで行き来する船影の合間のさらに奥には、青い空と水平線を境にしてまた異なる青に染まった海が広がっている。


 その手の動きにつられて、空と海の境界にまで遠く目を向けていたキムに、すいが言う。


びょうだって『びょう遊紀』に書いたこと以上は知らないし、『天覧記』を読まなきゃ天のことなんて知りもしなかった。創造主がこんなに知らないことだらけって、ありえないでしょう」


 自分が世界の創造主であるはずがない。すいがそう言い切っても、キムの横顔は納得し切ってはいない。そして再び少女に視線を戻したその目には、未だ釈然としないものが残る。


「じゃあ、スイはいったい何者なの?」


 思わずキムの口を突いて出たその問いには、飾るつもりも繕いもない。彼女の直截な疑問に対して、すいの答えもまた極めて明瞭であった。


「私が登場する物語が、きっとどこかの世界にあるんだよ」

「どこかの世界……」


 その回答はキムにとって完全に虚を突かれるものだったらしい。


 この世界でも天でもびょうでもない、もっと別の世界があるという発想は、キムには露ほどもなかったのだろう。呆気にとられる彼女に対して、すいは自信満々に語り出す。 


「だってこの世にどれほどの人がいると思う? たとえ紙に書き出したりしなくても、誰だって一度は物語を妄想することはあるでしょう」


 すいの言う妄想がどの程度を指すのか、それは彼女自身にもわからない。だがすいほどではないにしろ、一瞬でも頭の中に未知の世界を思い浮かべない者は確かに少ないだろう。


「するとその途端に新しい世界がひとつ出来上がるわけ。そして新しい世界の住人が、またそれぞれ妄想する物語がある。その先にもまたって考えたら、これはもう凄い勢いで数え切れないほどの世界が、今もまさに創り出されているんじゃないかな」


 この世には無数の人がいて、同じ数だけ無数の物語が生まれて、そこから先に生じた世界でまた同じように物語世界が創り出されていく。膨大な数の物語が織り成す無限の連鎖は、どこでどう繫がっているのか想像もつかない。ただ数多の物語世界が満ち溢れているという事実に圧倒されるのみ。


「その中にはひとつぐらい、私が出てくる物語もあっていいと思わない?」


 誰かが誰かの物語の登場人物であっても、少しも不思議なことはない。


 すいが言うことは、つまりそういうことだ。


 真実を確信する表情に満ちたその黒い瞳に見つめ返されたら、キムはもう彼女の言葉に頷くしかない。


「――よくそんなこと考えつくわね」


 感心半分、呆れ半分といったキムに、すいが再び白い歯を覗かせながら「いつもそんなことばっかり考えてるよ」と笑う。


 すいの笑顔につられて、キムも笑う。


 そしてふたりが見守る中、準備を終えた飛家の大型船は三枚の四角帆を掲げて、いよいよりんの港を出港する頃合いとなった。


 埠頭を離れた船の船尾に立つせんが、大きく手を振っている。彼の姿を認めて、すいもキムも力の限り振って応える。


 間もなく中天に差し掛かろうとする陽の光の下で、湾内には数々の船たちが所狭しと行き交い、りんの港はますますの賑わいを見せつつある。その奥に果てしのない広がりを見せる大海原は、燦々と注ぐ強烈な陽射しを静かに照り返している。


 やがてせんが指揮する船が大海原に漕ぎ出して、その姿が水平線の向こうに見えなくなってしまうまで、ふたりはいつまでも埠頭の先でその船影を見送り続けていた。


(『天地妄創 ~天女が綴る異世界奇譚~』了)

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