第二話 耀の祭殿

 すいにとって二度目となる耀ようは、幼い頃に訪れた記憶に比べてますます厳かな空気に満ちていた。


 かつて七歳の祝いに参詣した際には、まだこの国が積み重ねてきた歴史や、この世界にとっての意義を理解していなかったからだろう。あれから少しばかり歳を重ねて改めて目にする耀ようは、神聖かつ厳粛な雰囲気を当然のように醸し出して、今なお世界の中心であることを無言で主張しているように思えた。


 山間に流れる紅河のほとり、そこだけ切り取られたような平地に広がる耀ようの地の背後に聳える峻険な山々は、すいも朧気ながら覚えている。以前は確か年も明けたばかりの真冬のことだったから、あの山の連なりは真っ白な雪化粧に覆われていた。今はもう夏も盛りだが、見上げれば山頂にはまだ白いものが残っている。耀ようを見守る山に積もるのは万年雪なのだと、そういえばがくに教えてもらったことを思い出す。


「真冬に比べればまだましだけど、それでも結構冷えるからな。ちゃんと暖かくしておけよ」


 せんがそう言いながら、すいとキムにはおりを手渡した。既に辺りの空気はひんやりと肌寒く、うわぎだけでは心許ないのは彼の言う通りだ。言われるままにはおりに袖を通しながら、すいせんに告げたのは耀ように到着して以降のことであった。


「向こうに着いたらキムと私の護衛役、よろしく頼むよ、せん

「お前の護衛とかいつものことだろう。任せとけって」


 何を今さらといった顔で、せんが力強く頷く。


 彼もまた耀ように同行させるよう上紐恕じょうちゅうじょに願い出たのは、ほかならぬすいであった。すいとしては耀よう琅藍ろうらんを出し抜くために、彼という心強い味方がどうしても必要だったのだ。どのみちりょうに残っても兵士ではないせんには仕事もないため、上紐恕じょうちゅうじょは彼女の頼みを聞き入れたのである。


 すいたち三人も含めて総勢十名余りの上紐恕じょうちゅうじょ一行は、やがて耀ようの川港で船を下りるなり、真っ直ぐに祭殿へ向かった。


「ともかく太上だじょう神官猊下げいかにお目通りがかなわねば話にならん」


 祭殿までの道すがら、苦々しげに呟く上紐恕じょうちゅうじょの横顔には、いささか余裕が乏しかった。これまで人を食った表情ばかりを目にしてきたすいには、彼のそんな顔は見慣れない。無論、上紐恕じょうちゅうじょがそんな顔を見せるには理由があった。


 耀ようを訪れる今日まで、彼は太上神官との謁見の約束が取りつけられなかったのである。


 耀ようを治めるのは神獣を祀る祭殿の神官たちであり、その最上位にあるのが太上神官だ。変翔へんしょうの引き渡しを求めるならば、太上神官と交渉するのがもっとも確実で手っ取り早い。だから上紐恕じょうちゅうじょりょうを発つ前から耀ように急使を放ち、交渉の場を持てるよう要望を出しているのだが、その返事が芳しくないのである。


「端から交渉するつもり無しってことですか」


 すいの問いに対して、上紐恕じょうちゅうじょの無言は即ち肯定を意味していた。そもそも耀よう人の変翔が失脚させられて、耀ようが快く思うはずがない。今回の交渉が海賊討伐よりもりょうの制圧よりも難題であろうことは、上紐恕じょうちゅうじょも予想していたはずだ。


 だが謁見もかなわないとあって、不貞不貞しさこそ似合うはずの大きな口の端にも、さすがに焦りが覗く。


「こうなったら直接祭殿に乗り込んで、多少強引にでも直談判するしかないか」


 そんな台詞まで口から飛び出すこと自体が、彼にも打つ手が無いことの表れだ。


 案の定というべきか、祭殿にたどり着いた一行はその門を挟んで、神官たちに行く手を阻まれることとなった。


「猊下はどなたとも面会なさいません。お引き取り下さい」


 頑なな態度を崩さない神官たちを前に、上紐恕じょうちゅうじょもだからといって簡単に引き下がるわけにはいかない。


「ことは耀ようびんの在り方にも差し障る、一大事である。猊下にお目通りかなうまではこの上紐恕じょうちゅうじょ、ここより一歩も動くわけには参らぬ」


 祭殿は一般の参拝客にも広く開放されている。その正面玄関である巨大な門の下で、押し入ろうとする上紐恕じょうちゅうじょ一行十数名を、これまた阻止しようとする神官たち。最初は五、六人だった彼らは、上紐恕じょうちゅうじょたちの圧力に屈すまいとして仲間を呼び、果ては二十名以上にまで膨れあがっていた。


 大勢の押し合いへし合いに、彼らを取り巻くようにして遠目に見物客も集う。その中にいつの間にかすい、頭巾姿のキム、そしてせんの三人が紛れ込んでいる。


「あれじゃいつまで経っても中に入れないわ」


 三人はすいの提案で、押し問答に熱くなる上紐恕じょうちゅうじょたち一行から早々に離れて、一般客のふりをして堂々と祭殿に踏み込むことにしたのである。


「でも、島主様たちをほったらかしにしていいのかしら」


 キムが心配そうに振り返るが、すいにとってはむしろ好都合であった。


「島主様たちが騒いでいるから、その隙に私たちは本殿まで怪しまれずに入れるんでしょう。後で話せばわかってくれるって」


 そう言ってすいは迷わずに祭殿の敷地内を突き進む。目指すは敷地の最奥にある、祭殿の中核を成すともいうべき本殿だ。


変翔へんしょう様は、本殿にいるのよね?」

「うん。本殿の地下の書庫の中。そこにこもっているはず」


 すいの問いに対し、キムが頷く。ふたりのやり取りを見て、せんは要領を得ないままにその後を追いかける。


「なあ、おい。俺たちだけで中に入って、いったい何するつもりなんだよ?」


 すると振り返ったすいの顔を見て、せんが驚き、怯む。


「宰師も琅藍ろうらんも出し抜いて、神獣の真名が記された書物を手に入れるのよ」


 そう告げる少女の顔には、まるで敵陣に乗り込むかのような覚悟が漲っていた。

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