第五話 海賊退治

「おまっ、もしかして、すい? なんでここに……」


 がくの第一声は、彼の左頬で炸裂した破裂するような音によって掻き消された。


「なんではこっちの台詞よ!」


 長身のがくの顔を下から睨み上げながら、すいは彼の頬をしたたかに平手打ちしたばかりの右手を再び振り上げる。


「勝手に姿を消したと思ったら、海賊に潜り込んでましたあ? 何を考えてるのよ、この!」


 大きく振りかぶったすいの右手は、その手首をがくの大きな左手につかまれて不発に終わった。


「ちょっと、放しなさいよ!」

「勘弁してくれよ。一発食らえば十分だって」


 空いた右手で真っ赤に腫れた左頬を撫でながら、がくはもうひとりの来客に顔を向ける。


「こいつはどういうこった、せん

「どうもこうも。今日お前に用があるのはすいだ。ちゃんと話を聞いてやれ」

「なんだあ?」


 右手が駄目ならと振りかぶろうとした左手も防がれて、すいは両手首をつかまれたままじたばたしている。せんの仏頂面と、怒りを溜め込んだ少女の顔を見比べてから、がくはとるものもとりあえずふたりに入室するよう促した。


 室内は天井から壁から床まで切り通しの岩壁に囲まれた、六畳一間ほどの小部屋になっていた。唯一岩をくり抜かれた窓代わりの穴から吹き込む空気の流れが、部屋の隅に据え置かれた蝋燭の明かりを揺らめかせる。床には申し訳程度のむしろが敷き詰められており、その奥に腰を下ろしたがくすいせんにも座るように薦めた。


「久々の再会を祝したいところだが、生憎と酒も何もねえ」


 自嘲気味に笑うがくを、先ほどに比べればやや落ち着いたすいが、それでもむすっとした顔で見返す。


「緊張感がないのは相変わらずね」

「そういうすいは無茶に磨きがかかったな。まさかそんな格好してまで海賊のねぐらに押し入ろうとは、たいしたもんだ」


 がくがひと目で彼女をすいと見抜けなかったのも仕方が無い。今のすいせんをひと回り縮めたような、少年水夫の如き格好に扮している。


「こんな危なっかしいところに、まさかひらひらした格好で来るわけにもいかないでしょう」

「違いねえ」


 すいの言葉に小さく笑ったがくは、次の瞬間には笑みを引っ込めて真顔になったかと思うと、おもむろに両手をむしろについて頭を下げた。


すい頭領オヤジのことは済まなかった」


 蓬髪の先を床に垂らしながら、がくは喉の奥から絞り出すようにして懺悔を口にする。


右填うてん頭領オヤジを裏切るのを、俺は止められなかった。お前に黙ってまでして賊に身をやつしたってのに、肝心要のところで役に立たなかった。面目ねえ」


 すいは頭を垂れるがくを見て、返すべき言葉が出てこない。代わりに彼に声をかけたのは、厳しい目つきで旧知の頭を見下ろしていたせんであった。


がく、その頭領オヤジから伝言を預かっている」

頭領オヤジから?」


 がばと顔を上げたがくは、滅多に開き切らない瞼を大きく持ち上げている。その眼差しにむすりとした顔を返しながら、せん飛禄ひろくの伝言を口にした。


「『今回の不始末、てめえで尻を拭けないようなら、二度とりんの土を踏めると思うな』」


 せんの言葉を聞き終えて、がくが喉をごくりと鳴らす。同時に彼の両の目に強い決意が宿るのが、すいにはよくわかった。誰よりも世話になった飛禄ひろくの厳しい檄は、がくを奮い立たせるのに十分であった。


 すいがわざわざ出向いた用を切り出すのも、ここを置いてほかにない。


「私の用件もそれよ、がく。私たちは討伐軍の遣いとしてきたの。お願い、右填うてんをなんとかして」

「――言われるまでもねえ」


 そう答えたがくが、額に垂れ落ちた髪を両手で掻き上げると、斜めに歪んだ口元にはいつの間にか不敵な笑みが浮かんでいる。


「もとよりそのつもりだ。これ以上右填うてんに好き勝手させるつもりはない」

「目算はあるのか」


 せんに問われると、がくは瞳だけで見返しながら頷いた。


右填うてんに元々人望はねえ。ただ判断は確かだから皆も従ってきたが、今回は報酬に目が眩んでとうとうその判断を誤った」

「ということは」

「今回の鞍替えはあんまりに危ない橋だって、不安がってる連中も多い。そこへあの大軍がお出ましして、実を言えばびびってる奴らが大半だ」


 がくの説明に、すいがぱっと眉根を開いて身を乗り出す。


「てことは、右填うてんさえやっつければ何とかなるのね!」

「そういうことだ。ただ俺は鞍替えに反対してから遠ざけられちまってな。あいつのそばに近づく、何かいい口実でもあればいいんだが」

「遠ざけられているというなら、詫びを兼ねての差し入れはどうだ」


 せんの提案に、がくは渋い顔で考え込む。


「そいつは俺も考えたんだがな。何しろこの状況だから、差し入れになるようなもんが手元にねえ。第一あいつの好物と言ったら――」


 そこで言葉を区切ったがくが、せんに向けられていた目をゆっくりとすいに向けた。蝋燭の明かりに揺らいで見えるその瞳に、何やらにやりとした笑みが浮かんでいる。それはかつてすいも散々目にしたことがある、悪巧みを思いついたがくが決まって閃かせる笑顔だ。


「――女だ。ちょうどいいところに来てくれたぜ、すい

「それってもしかして、私を差し出すつもり?」


 驚き、呆れた声を上げるすいの隣では、せんが少々納得しがたいという顔つきでがくに抗議する。


がく、いくら右填うてんが女好きだとしても、こんな子供相手につられるわけねえだろう」

「どういう意味よ!」


 妙な茶々を入れられて、すいせんの頭をはたいた。だががくは、むしろ口の端をひときわ高く吊り上げてみせる。


「あいつは女は女でも、ガキの方が好みって変態野郎だからな。すいぐらいの方がちょうどいい」

「ガキで悪かったわね!」


 そう言って今度はがくの頭をはたいたすいは、その勢いのままにすっくと立ち上がると、そろって頭を抑える男ふたりを見下ろした。


「わかったわよ。私が囮になってあげる。その代わりがく、絶対に右填うてんをとっちめるのよ」


 すいに言い放たれて、がくは頭をさすりながら、蓬髪の下から不敵な笑みと共に頷いた。


「仰せのままに、お嬢様」


 ***


 剃髪に落ち窪んだ眼窩、そして痩せぎすな上に妙に長い手足がさながら骸骨然とした風貌の右填うてんは、決して膂力や勇猛に優れているわけではない。その彼が内海でも最凶とされる海賊の首領にまでのし上がることが出来たのは、持ち前の狡猾さにある。


 彼は今回、りんを裏切ることに反対したがくを、早々に遠ざけていた。


 がくりんとの連絡役には重宝したし、彼個人も非常に頭が切れるので、賊の中では既に幹部級の人材だ。だが急激に存在感を増し人望も集めるがくを、右填うてんは必ずしも好意的には見ていなかった。今回を機にがくは粛正すべきと、そう考えていた矢先のことである。


首領カシラ、陣中見舞いの差し入れだ」


 海に面した岩山の頂き近くにある右填うてん専用の一室に、そのがくが現れたのだ。


「おい、誰だ。この野郎を通したのは!」


 部屋の壁際に凭れるようにして酒を呷っていた右填うてんは、がくの顔を見るなりそう怒鳴り散らした。彼はこの部屋にがくを近づけないよう、部下たちに厳命していたはずであった。


「そう叱ってやるな。この俺が用意したとっておきの差し入れを見て、みんなお前が喜ぶに違いねえって通してくれたんだよ」

「とっておきだあ?」


 疑わしげに目をすがめる右填うてんを見て、がくが背後を振り返る。すると彼の長身の陰に隠れていた若者が、ひとりの小柄な女性を連れて現れた。


 長い黒髪に、水夫の格好をしているもののその上からもわかる華奢な体つき。大きな黒い瞳が愛らしい顔には、だがところどころ幼さが残る。年の頃は十四、五といったところか。


 後ろ手に縄で縛られたままの少女が青ざめながら俯く様は、右填うてんの劣情と嗜虐心をいたく刺激した。


「討伐軍が意外に手強いからってご機嫌斜めの首領カシラには、ちょうどいい慰みだろう?」


 がくの物言いに一瞬頬をひくつかせながら、右填うてんは少女から視線を逸らそうとしない。きめの細かい肌に、色艶の良い手入れされた黒髪。水夫に扮してはいるが、おそらくはどこぞの貴人か裕福な家の娘に違いない。


「……どこで仕入れた」

「なんでもあの討伐軍の将軍の慰み者として連れられてきた、どこぞの没落貴族のお嬢様らしいぜ。逃げ出した先がちょうど俺の手下の持ち場だってんだから、運もねえな」


 がくの言葉が本当なら、近年では久しく目にかかれなかった上玉だ。右填うてんは我知らず己の薄い唇を舌先で舐める。その表情を見逃さないかのように、がくが膝をついて彼の前に顔を突き出した。


「なあ、首領カシラ。あんたが討伐軍相手に手こずるのは、俺を参加させないからだ。俺は仮にもりん人だぜ? 連中の手口はよくわかってる」

「てめえが加われば簡単に追い払える、とでも言いたげだな」


 眼窩の底から睨み返す右填うてんに、がくが挑発的な視線で応じる。


「この女は俺なりの誠意って奴さ。その代わりに俺に任せてくれれば、あの討伐軍にも目に物言わせて……」


 がくがその言葉を言い終える前に、彼の頬にぴたりと刀の刃が張りついていた。その柄を右手で握る右填うてんは、髑髏のような凶相をさらにいや増すように凶悪な笑みを浮かべている。


「馬鹿言ってんじゃねえよ。俺の方針に楯突いたてめえを、そう易々と復帰させてたまるか。てめえは連中の相手が終わるまでどこぞでおとなしくしてろ。その代わり報酬の分け前も無しだ」


 がくの頬に当てられていた刃先がゆっくりと引き戻されて、その後に鮮やかな血筋が滲み出る。


「女は置いていけ。有り難く受け取っといてやる」


 そう言って右填うてんは目の前の少女の腰に左手を回し、強引に引き寄せた。右手の刀を突き出したその先で、頬の傷を拭おうともしないがくがゆらりと立ち上がる。長身から見下ろされる視線が不快で、今一度退出を命じようとしたその瞬間、右填うてんの両眼に突然激痛が走った。


 いったい何が起こったのか。どうやら至近距離から、顔面に粉のようなものを大量に投げつけられたらしい。それもただの粉ではない。目は痛みのあまり開くことが出来ず、吸い込んだ喉にも刺激が強烈で、激しく咳き込むことしか出来ない。


 その間に右手の刀は奪われて、かと思えば左腕を取られて背中からのしかかられ、右填うてんはいつの間にか床に這いつくばらさせられていた。


「お前、どんだけ辛子をぶちまけてんだ。貴重品だってのに」


 背後から右填うてんを組み敷く男が、彼自身も少々咳き込みながら言う。その声に、やはり咳混じりに答えるのは先ほどの少女だろうか。


「仕方ないでしょう。万が一にも外すわけにはいかなかったんだし」


 どうやらたばかられたらしいと気づいた右填うてんの首筋に、冷たいものが押し当てられる。それが先ほどまで彼が手にしていた自身の刀の刃先であることは、未だ目を開けることが出来ない右填うてんにもわかった。


「呆気ないもんだなあ、右填うてん。もっともここまでたどり着けた時点で、こうなることは目に見えてたんだけどな」


 右填うてんの喉には強烈な刺激が張りついたままで、何か怒鳴り返そうにも咳き込むことしか出来ない。その都度首筋に押し当てられた刃先が食い込む感触を味わいながら、彼にはがくの言葉を遮る術は無かった。


「お前の身柄と引き替えに、俺たちは討伐軍に降る。なに、安心しろ。お前に報酬を渡した輩が誰か聞き出すまでは、連中も命までは取らねえだろう」


 がくの言うことに反論も出来ないまま、右填うてんは自身が進退窮まったことを思い知らされるのみであった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る