兌換狂祭 L-S-D

【01 経緯】

 ◇――――◇――――◇――――◇

 ドミノを作るのは得意だ。均衡を保つには、力をかけずにゆっくりやればいい。

 床が見えれば、掃除機さえ通れば活路は開ける。ゴミの仕分け進めば効率はもっと上がる。

 やや寝不足気味のまぶたをかきながら、織部おりべわかばはノイローゼ気味にそう繰り返した。


「ふざけんな! やってられるかってんだこんな仕事ビズ!」

 突然の怒号にわかばの肩が小さく跳ねる。青ざめた頬で恐る恐る振り向くと、怒髪天いた先輩用務員がこっちを向いたままものすごい剣幕で罵りだした。わかばの細い喉から素頓狂すとんきょーな奇声が飛び出るが、先輩用務員はお構いなしにゴミ屋敷のリビングを突き進む。


「何でアタシだけリスキーな橋渡んなきゃなんねーんだよ! 銀行破りなら他に使えるコマはいくらでもあっただろうが! いつものとやらはどうした!?」


 用務員の進撃とその衝撃に、今し方仕分けを終えて壁際に積み上げられたわかばの成果であるゴミの山が、次々と元の平野へなだれ落ちていく。最後の波と共にわかばの足下へ滑り込んだ偽物ブランド品を、用務員の厳ついブーツが勢いよく蹴り上げた。

 一直線に飛んでいったテニスボール大のミニポーチは、ラケット代わりに振り払われたレコード盤に弾かれて明後日の方向へと飛んで行く。


「――前にも言ったでしょう?」

 オークションで原価割れしたのが相当気に食わないのか、二人の雇用主は気だるげに嫌みったらしく間延びした口調で返した。

「アタシらみたいな与太者がカタギ相手の商売して、ワビ入れる手前に支払うモノが無い場合は、信用を取り戻すために行動ハタラキで示すしかないの、それも全くの無償でね」


「それがどうして、中央区でもトップクラスセキュリティのアークロイヤル本社に丸腰同然でカチコミする話に繋がるんだよ!」

 わかばより、頭二つは上空で繰り返される喧噪は、果てしなく延々と続く。


 応酬の二回に一回はモノが飛び、ナニかが壊れる音がする。こんな光景は生まれ故郷には無かった。良くも悪くも、静寂と安定で埋め尽くされた生地でのケンカなどは、保って二、三分の出来事でしか無いのだ。これが都会の空気や常識なのかと目を疑いたくもなったが、とりあえず個人弁護士事務所【AlCapone】は、ここ一週間ずっとこんな調子だった。

 昔が懐かしい。それは遙か過去のようにも思える。だが事実状況から考えて、ほんの一月も経っていないことに、わかばは幾度となく気の遠くなるような思いがして、億劫さだけでめまいがした。

 織部わかばは成人を迎えた。そして鬱屈するほど閉塞した地方を抜けて、〝一度足を踏み入れたら二度と帰ることは出来ない〟と言われた情報都市、S-O-Wへの上京を決心する。それは殆ど賭けに等しい冒険だったのだが、幾多の試練を乗り越えて、運良くわかばは賭けに勝ち、職と住処を手に入れた。

 そうやって命がけで得た今日の糧が、目の前に広がるゴミ溜めと喧噪の積層ミックスパイだ。


「そうは行ってもねぇ、帳尻合わせだって楽じゃないわ。 理由も無しにデカい金が消えて無くなるには、聴衆にとって納得のいくってのが必要になるのよ」

「模造銃で連中の警備隊を相手にするとか死にに行くようなもんだ、税関抜けんのとはワケが違うんだぞ! 第一やるなら最初にテメェから動けって、マルボロ!」

「――Speak LARK冗談おっしゃい、アタシは頭脳労働担当よ?」

「だったらアタシの担当はエスコートだ! 無茶な荒事ならヨソに当たれ!」

「アラぁ~? 先週あちこちでゲンナマときったない指紋ばら撒いて泣きついたMammonaママっ娘はどこの誰だったかしらぁ?」

「――Putain de Merde!クソが


 サイケデリックな髪色と病的なほどに生っ白い肌、冗長に長い手足と腹の立つようなオーバーリアクションで必要以上に相手を煽る、雇用主マルボロ。黒々と渦巻く長髪と逞しい四肢をなびかせ、チョコレート色の肌と緩急豊かな体幹が声に併せて震え弾み踊る、用務員LARK。罵声と嘲笑が入り混じる言葉の応酬が、ディスりハモりデュエットする。

 あきらかに、場違いに線の細い織部わかばが、こんな地獄にも等しい労働環境へ文句も言えず黙々と働き続けているのにはワケがある。この状況を作り出した原因が、わかば自身の行動にあったのだ。


 就労初日、マルボロから裏稼業である【逃がし屋】の仕事を紹介され、息も絶え絶え職務を遂行したわかばは、同時にとんでもない爆弾を持ち込んでしまった。小賢しくもレッドカードが付いた個人口座へ浸入し、専門家が診れば直ぐわかるような手際の始末で足跡を刻みながら、よかれと思って事務所の口座にそっくり入金せんと試みたのだ。書類上、わかばはお尋ね者の身になり、芋蔓式に事務所自体もマークされる事となった。罪状が資金洗浄ロンダリングに関与した疑いであるため、必然的に事務所の口座も凍結処置を受ける事となった。

 悪いことは重なる。凍結手続きの妨害工作を画策する横から、ローンや借金の明細文章、不動産の差し押さえが狙ったように押し寄せた。日頃から使ってきた踏み倒し、勧告無視等のカードは今や使える訳もなく、泣きっ面に蜂と言わんばかりにAl Caponeへ多くのハイエナが群がり始めていた。

 生きて二度と帰れぬ都市にて、【逃がし屋】の仕事には大量のコネが居る。その根本に在るという目に見えない力学要因を魔女マルボロは『負債者と債務者の関係』とも称した。もしこの出来レースに勝ち目が無いと見なされれば、当然債務者達はそれまでの売り上げリザルトを請求する。わかばも、そしてLARKでさえも、


「――あのぅ――お掃除をしたいのですが?」

 わかばは身の丈ほどありそうな掃除機を持ち出してずと訊ねた。

「あら失礼? なんか言ったかしら?」

「いえ、その――お掃除を」

「この状況見て判断できねぇ? お取り込み中だよ」

「――ス ミ マ セ ン デ シ タ」

 蝋燭の炎すら消えないようなか細い息でわかばは答えた。


 当初わかばは、電算機技師オルガニストを夢見て上京した。都市に足を踏み入れて間もなく、悲惨な現実の厳しさを知った。資格、キャリア、センス――何もかもがわかばには足りていなかった。ある種の覚悟はしていたのだが、状況に甘んじても夢への道のりが遠のくばかり。日がな一日秘密基地の掃除に没頭しながら、一向に希望が抱けない日々が延々と続く予感がしていた。


 わかばは、就労初日から頑張って整理整頓したリビングが、再び混沌を取り戻した現実に心から沈んでいた。業務用冷蔵庫に備蓄していた食料その他では健啖家二人の胃袋を満たすことは叶わず数日の間に全て残骸と成り果て、ラックに列挙されていた大量のボトルも殆どが床に転がる始末。部屋のいたる所に隠れていた拡張機器類は全て引っ張り出され、用が済めばその辺に投げ捨てられる。そうやって賽の河原をくり返し積み上げては崩しをしている横へ、マルボロやLARKが何処から持ち込んだ新たな物資で部屋の中が地獄絵図と化すのである。


「カズペックはどうしたんだよ、助けてくれるんじゃなかったのか?」

 逃がし屋の用務員、ラッキー・A・ストライク、通称LARK。

 褐色の肌、黒目がちの瞳、長い縮れ髪、引き締まりつつも出るべきモノは出た美貌。

「こういう時のロシア人は信用ならないわ、所詮商売関係ビズよ。 義理もへったくれもありゃしない」

 逃がし屋の経営者、マルコ・ロレンツォ・ボレロ、通称マルボロ。

 煽情的な透き通る肌、偽物の碧眼、偽物のブロンド、男女の垣根を超越した魔女アンドロギュノス

「確かに警戒心は強いが、アンタの得体の知れ無さを考慮すりゃ当然の選択だと思うね。 わざわざ仲南会の庭先に隠れてるからこうなるんだよ、近場まできちんとツラ出して活動してりゃ、ここまで拗れやしなかった筈だ」

「嫌よ、あんな貧乏臭い連中と同じ還元酸素吸うなんて」

 そう魔女は吐き捨てるが、市内の酸素管は全て循環している。華僑黒社会の総本山も、北区の飢えた穴熊も、悪徳弁護士事務所も、同じ成分の空気を吸って生きていることに変わりは無い。


 けれど、そんな野暮なツッコミすら許されないような負い目が、わかばの口をもごもごとさせる。そうやって同じ轍を踏みながら悶々と抱え続けるわかばに、LARKが唐突な横やりを入れてきた。


「――わかばです」

わかばはなるべく即答を心がけた。


「電子錠、また現場でピッキングできないか? 例の解錠カードは足着いちまったんだ」

「またですかぁ?」

 マジックカード。都市の至る所に接地された電子錠を強引に開ける禁断のアイテム。この一週間の乱用の末、手持ちの札は底が開けてしまったのだ。


「――あの、そろそろ空き巣は止めにしませんか? 一昨日みたいに、また警備ロボットドラム缶に囲まれるのは流石にちょっと」

「バカ言え、元はこのクソ女の詰めが甘かった所為だ――際限なくバカスカ借金作りやがって、持ち主の入れない部屋のどこがセーフハウスって言えるんだよ」

 LARKが魔女を一瞥するが、振り向きもせずにマルボロは応えた。


「――担保に出したのは物件だけよ? まだ中身の所有権が生きている。 不動産屋の手が回る前に回収しきれば勝機はあるわよ、生きて帰って来ればの話だけどね」

 端末を注視しながらマルボロが言い終えると、LARKは勝ち誇ったようにわかばへにじり寄った。

「とのお達しだ、なあ~頼むよ~、盗難車アシの手配はアタシがなんとかするからサァ?」


「ええと、そのぉ――」

 掃除機を持つ手が冷や汗で滑る。お構いなしにLARKはずいずいと詰める。助けを求めて雇用主へと視線を投げれば、マルボロはそっぽを向いて端末とにらめっこ。壁を背に限界まで後退ずさると、眼前にはLARKの汗ばんだ胸元が迫った。かわいた汗と、地下世界のえた匂い。首を上げると屈託のない笑みがあったが、目元だけは笑っていなかった。


「な、いいだろ?」

「で、でも――」

 引きつった愛想笑いを浮かべながら、わかばは思案した。それは懸念でもあった。

 このままずっと、オルガニストの夢も叶えられぬまま、唯々諾々とこんな程度の低い犯罪に加担し続けるのだろうか。

 わかばが再び落胆を胸に抱いたとき、突如法律事務所Al Caponeのチャイムが鳴り響いた。


「来たわね」

僅かにマルボロが呟くのを、わかばは偶然耳にした。


 ◇――――◇――――◇――――◇

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未来都市:S-O-W 時茄雨子(しぐなれす) @signaless

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