【35 夜明】

 ◇――――◇――――◇

「あの――ただいま、でいいんでしょうか?」


 マルボロの目論みが通るなら、LARKの希望が叶うなら、本来は要るべきではない人物が扉の前で呆然と突っ立っていた。


 荒いノイズが掛かったインターホンの向こう側には、織部わかばの当人がそこにいる。若干中身の少なくなった手荷物と、壊れた端末を手にして。


「えっと、ID置いたまま出てちゃったんですよね、私? 在宅中の表示が――」


 だとしたらごめんなさい。本当に申し訳ございません。わかばは、二人がが何一つ求めていなかった無意味な言葉を繰り返した。マルボロは呆気にとられて身動き一つ取れず、LARKが代理で解錠ボタンを押す。


 幾重にも増設された六連錠がけたたましく音を立てると、室内におずおずとわかばが現れた。錯覚でも幻覚でもない、まして魔法でもない、生身のわかばが。


「連絡、入れておけばよかったですね。 せっかく修理して貰った端末、全部現場に置いてきちゃったから、LARKさんから貰ったカードで、なんとか地上までやってきたんですが――」

 わかばの手元には、LARKが地下で渡したカードが握られていた。


「これで地元から持ってきたもの、全部なくしちゃいましたねぇ――私」


 照れかくしと苦し紛れの笑顔を振りまく様は、間違いなくあの少女だ。

「――まだ、身体が残っただけ、上等だよ」

 LARKは冷や汗を拭いながら応えた。

 本当は、心の底から嬉しかった。だが、これでなにもかもが解決したわけではない。残った懸念の一つである朝比奈の所在を問いただすと、わかばは苦笑交じりに答えた。


――あの調子だと、何かの拍子でまたノコノコ引き返しそうだったんで、鉄砲でケツひっぱたいて例の通路まで歩かせたんです」

 呆気にとられたLARKに、わかばはケラケラ笑いながら、意気揚々とうそぶく。

「あ~~んなメンドクサイおじさんと一緒に逃げろだなんて――冗談きついSpeak LARKですよ、お二人とも」


 思わずLARKも、そりゃ違いねえ、と噴き出した。釣られてわかばも腹を抱えて笑いだす。


 張りっぱなしだった緊張感が溶けたのか、底なしに笑いがこみ上げてきた。二人はしばらく腹の底から笑っていたが、芝居がかったマルボロの声が度肝を抜いた。


「お楽しみのところ失礼、お嬢ちゃん達――」

 男声特有のドスの利いた低い声で脅した直後、マルボロはいつもの営業アルカイックスマイルを浮かべた。その笑み一つでLARKとわかばの二人は一気に戦慄した。

 しかしわかばを見据えたマルボロは、一転して途方もなく優しい声色と聖母のような微笑みでわかばを迎え入れる。


Bentornatoおかえり mio わたしのfoglia nuovaかわいい わかばちやん.」


 マルボロはこれ以上なく柔らかくそう告げると、長い腕でLARKとわかばを同時に介抱した。それでも腕力はべらぼうに強く、LARKですら身動き一つ取れない。

「お勤め、ご苦労様――二人ともね」

 即座に二人は身構え、みるみる青くなる。


 LARKはとっさに思案する。

 事実がどうあれ、建前上はまだ試用期間だ。報酬金の話題を切り出して、解雇か契約破棄に持ってゆく腹積もりだろう。このままだとゴーストカードは使い物にならないが、後でどうにでも帳尻は着けられる。

 また、資材一式持ち逃げするよう示唆したのはLARK自身であり、連帯責任を問われれば自身も危うい。


「凄いわよわかばちゃん、初めてにしては好くやったじゃない!」

 冷や汗をかき思案を巡らせるLARKを余所に、魔女は二人を解放し、改めてわかばの双肩に手をかける。マルボロは濡れたわかばの肩を逃げられないようにがっちりと掴み、これ以上ない優しい微笑みで言い放つ。

「こんな怖ぁいお姉さんとお仕事任せた上に散々無理難題吹っ掛けて、本っ当ごめんなさいね~――お姉さん感激しちゃったわ。だけどね、わかばちゃん――、忘れてなぁ~い?」


 相手を威圧する、あの艶めいた声。

 臆せずわかばは面と向かい対峙するが、目には焦りの色が覗える。

「す、すみません――その、あの――」

 LARKすら心底動揺し、無意識のうちに両者の合間に割って入る。

「なあマルボロ、今回はアタシが責任持つよ――だからこのバカのことは」

「あ、いいのよわかばちゃんは堅くならなくて、堅くなって嬉しいのは男の――」

「オイ、無視すんなよテメェ!」

 しかし、事態は両者の想像をはるかに上回っていた。


「ほ、ほほ、報酬は、使!!」

 わかばは元気一杯にかぶりを下げ、全身全霊で謝った。

 マルボロとLARKは硬直した。

 硬直している間二人は、無意識のうちに脳裏のソロバンを弾いた。


 朝比奈が用意した報酬は、元をたどればガラムのフロント企業であるフジ社が、数年間内部留保にすることで貯め続けた麻薬売買ビジネス軍資金キャピタルだ。実際の規模はどうあれ、ただの個人が所有するには手に余る額と経緯だ。


 それを一夜のうちに使い果たしたのだ。裏世界のプロ二人が浮き足立つには、十分すぎる要因だった。


「ぜ――ぜぜぜ、全部って、アナタ――」

「たった一夜で、お前ぇ――」 

 わかばはかぶりを上げて、額に滴を浮かべ、恥ずかしそうに横目で頬を掻き、もったいぶって一息吐くと、決め台詞でも口にするように応えた。


「――ですかね?」


 言葉が思いつかなかった。

 長年冗談みたいな話を目の当たりにしてきた二人だが、この反応は堪えた。特にマルボロは、大事な副収入を丸ごと潰された手前もあり黙っていられなかった。逃した鯛がメガロドンサイズに見えたのか、しばらくすると血相を変えてわかばに飛びかかった。


「 こ ン の 小 娘 ぇ え え ! 一 丁 前 に 何 ほ ざ い て ん の よ ぉ お ! 」

 魔女は二回りは小柄な体躯をもみくちゃに揺さぶり、先ほどまでの余裕ぶった聖母役も台無しに、大人げなく喚き散らした。


「お、落ち着けよマルボロ! 相手はドの付く素人以下の――」

「――そのド素人の田舎モンの絶賛新卒イモ娘がァ! どォーやったら一晩であンな額使いきれんのよォウ!?」

 至上始めて見るレベルの、鬼気迫る表情だった。気圧されて流石のLARKも口をつぐんだ。正直ここまで取り乱したマルボロを見るのは初めてだった。

 現状はマルボロに百歩の理がある。庇護すべき立場だと思っていたが、流石に額が大きすぎるとLARKも庇いきれない。だが稼働中の洗濯機の中身の如くもみくちゃにされたわかばは、より一層斜め上の答えを叩きつけた。

「ば、んですよぉ、B-二〇三の管理システムを!」


 予想外のことは続いた。マルボロランドリーはオーバーヒートに陥った。

「歩きながら考えたんです!」

 呼吸を整えると、わかばは一息に、それも何故か得意気に捲し立てた。


「注水システムを止めない限り、後から後から冠水して、あの運搬路って最後まで通れそうにないじゃないですか! それじゃ本末転倒だと思ったんで、先に朝比奈さんからIDとクレジット、ペイカードも何もかも全部ごっそりもらって、入り口付近で鉄砲構えて無理矢理さよならしたあと、記者さんのIDで一筆添えて、丸ごと投資したんですよ、業務上の必要経費だと思って!!」


 再起動に時間がかかる二人をよそに、わかばは人の気も知らずこの場合投資なんですか、それとも融資なんですか、と無関係なことを問い直す。目を丸くするマルボロは、力なく手を放し、わかばが床に接地すると同時に訊ねた。

「アナタ、それを、どうやって――」

「見よう見まねです、マルボロさんの」

 自慢げに答えるわかばと、呆然とするマルボロ。オルガニスト志望も伊達ではなかったのだ。

 逃避だ逃亡だ、贈与だ何だと吹聴しては、口先で他人を騙し続けた日ごろの罰か。今回はマルボロがわかばから手痛いしっぺ返しを食らった形になる。対して、武勇伝を披露したいのか、遅すぎる面接の自己アピールか、わかばは訊いてもいないことをベラベラしゃべった。


「回線がかなり古かったんですが、それが逆に田舎のインフラと似てたんで、仕様飲みこむのは早かったですね! 地下のメガフロートユニットって、ある特定の型は区画ごとに遠隔可能な制御室が設けられてるんですけど、そこ運良く見つけられたのでなんとかなったんですよ! あんな古いシステムに対応してるトコ、今じゃ逆に珍しかったんで、管理会社探し出すのは楽でした! いやぁ、朝比奈さんが超のつく極悪人で本当助かりましたね! たんまり送金したら二つ返事で注水システムが稼働停止してくれましたよ! これであのおじさんがおっ死んでなければ万事万々歳なんですけど実際の所どうなんでしょうかね!? それにしても私って凄い!」


 マルボロはわかばから一歩退き、力なく腰を落としてうなだれる。DDos攻撃の効果範囲を地上限定にしていたのが仇となった。しかし真龍城の最下層よりも深く、何世代も古いプロトコルを持つ回線など、今更誰が活用すると思うか。

 最後にわかばは、あと一つだけ懸念材料があってですね、と怪訝そうに訊ねた。


「朝比奈さんの元の口座、何かの手続きの真っ最中だったらしくてですね。 だから一回して、限度額の都合で中身そっくりに移してから投資したんですけど、以来自分の口座も開かなくて――なんでですかね?」


「いや、それって――ロンダリングだろ?」

 わかばは一瞬宙を見つめ、一拍置いてからリアクションが出た。


 小規模企業への多額融資は、買収かロンダリングの常套手段だ。大手民警にマークされない限り、即日連鎖凍結はたいていの場合あり得ないが、事実それは起こった。早急に銀行側へ手を打たねば、経由されたマルボロの口座も芋蔓式に凍結される。


 懸念は他にもある。これの凍結がもし、アークロイヤルかキングエドワードの仕業だとしたら、わかばを見逃すはずが無い。陰りの見えたガラム商会と見切りを付けたがっている銀行屋たちは、決定打となる情報を欲して躍起になる。マルボロが下手にしようものなら、自分からリスクを被りに行くことになる。

 チェックメイトを打たれたのは、逃がし屋マルボロの方だ。


「ええ! じゃあ私、今から無一文じゃないですか!」

 わかばは今ひとつ、ことの重篤さを理解しておらず、自分のことだけで頭が一杯。LARKは天を仰いだ。だが、わかばの慌てふためく様と、横目でマルボロの絶望に満ちた表情を見て、再び声を上げて盛大に笑いだした。


「あっはっは――」


「な、そんな笑わないでくださいよ、地上戻っても電車もバスも乗れなくて、帰って来るのにどれだけ苦労したと思ってるんですか!」

「悪い悪い、いや、もー腹いてぇ、冗談だろコレェ――」 

 冗談ではない上に、問題はこれだけで終わらない。

 金融システムを掻い潜ったとしても、札付きとなった段階で【織部わかば】というゴーストの価値は跡形もなく吹き飛んだ。疑惑が生じた上に当人が元気である限り、ほとぼりが冷めるまでのあいだは、今後はAl Caponeが全力で隠蔽、つまりはしなければならないのだ。


 たった一日で済むはずだった魔女の安い小遣い稼ぎが、一晩で水の泡と化し、当面は目の上の巨大なたんこぶとなる。その癖、事態の半分も飲みこめてない当人が、今のところ一番怒っている。


まるでお笑いだSpeak LARK


 わかばにとって、事態は好転したと言ってもいい。身の安全はS-O-Wで最もヤリ手の魔女が保証してくれる。同時にAl Caponeは、あと何月か、地獄のような隠蔽工作に明け暮れる日々が確定されのだが、作業の大半はマルボロの仕事だ。


「そんなぁ! じゃ、じゃあ――これからどうやって生活すればいいんですかぁ! ペイカード無しで自販機も使えないんじゃ、私おなか空くたびに焚きだし行かなきゃじゃなないですかぁ!」

「カフェであげたチップどうしたんだよ」

「そんなのとっくに店員さん渡しちゃいましたよぉ!」

「もったいねえことするなあ、だから取っとけって言ったろ」


 笑いが止まらなかった。

 ついにわかばも、大悪党の仲間入りを果たし、当分文無し億万長者の使いとして、夜な夜なS-O-Wの闇の中を東奔西走するのだ。

 世話の焼ける妹分だ。可愛がってやろう。


 おい喜べよ、マルボロ。とんでもない新人が入った。きっとこれから楽しくなるぜ。



 窓の向こうは仄かに白み、そろそろ日が明ける頃だとわかる。


 ◇――――◇――――◇


 夜明け前が一番暗いのはなぜなんだろう。

 その昔、誰かから理屈を聞いた気もする。

 だが、今は忙しくて思い出せない。


 朝日が差し込む。灰色のSmoke-On-the-Waterへ。

 今日も相変わらず曇りだが、雨はとっくに止んでいた。


 ◇――――◇――――◇


    ――Fin――

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