【第21話】吸血鬼終結


 ⁂


『何故じゃ! 何故当たらぬ』

 偽神が吠える。

「どう見ても私より遅いからではないでしょうか?」

 冷静にかつ非情な声音で爪を薙いでいく。

 緋天の爪に切り裂かれあれほどの巨大なもやがどんどん形を減らし小さくなっていく。

『この妾が、こんな異国の小童こわっぱなぞに』

 もやを差し向けるように腕を伸ばすが。

「……人を見た目で判断すると痛い目みますよ」

 それすらも強靭な爪の前では成すすべもなく霧散していく。

 賽銭箱まで後退した偽神が有り得ないと言う面持ちで緋天を見た。

『何故じゃ…どうしてじゃ、妾が、妾が……こんな陰陽師風情に!』

 陰陽師、八花が溜息を吐いた。

「陰陽師は衰退したよ。現代には祓い屋しかいない。それに他の祓い屋がどうか知らないけど、私達の祓い屋にはお札とか祝詞とかそんな面倒なことは必要ない」

「たたっ斬る。ただそれだけ簡単でしょう?」

 最後のもやを切り裂いた。

『ぎぃぃいいいいッ』

 断末魔を最後に境内に倒れ伏す小さな背中が痙攣した。

「神社を守るはずの神の使いの最期がこれでは、さぞ嘆いておられるでしょうね、本物の稲荷の神が」

『…違う!! 妾は、妾がこの三十木みときの社に祀られ讃えられた稲荷の神、倉稲魂命大神うかみたまのみことおんかみ

 口からゴボッと黒い液体を吐きながら尚も起き上がろうとする。

「無理すればその分、死期を速めま」

『うるさい!』

 地に這いつくばる偽神――バチッと目が合った。

『十夜、妾を助けてはくれまいか?』

「え…?」

 何を言ってる。

『ここで…ごぽッ、妾が、消えたら――もう誰も願いを叶えるものはいなくなる。お主の願いも誰の願いも一生叶わないと思わないか』

「……」

『願いさえ言ってくれれば、妾は…もう一度、善き神に戻ることを誓おう』

 何故か可哀相に見えてしまった。

「あの八花君、緋天さん。この子反省してるみたいだし」

「駄目だよ」

 最後まで言わせてもらえなかった。

「ここまで堕ちるともう神使には戻れない。知らないと思うけど神使といえど本質は狐、堕ちた狐は狡賢く狡猾で今も君の慈悲の心に縋って寝首を掻くつもりでいる。このまま放置すればそのうち自我もなくなるし、願いを叶えるという目的も忘れ、手の付けられないほどの悪鬼になる。そうなってからでは遅すぎる」

 

 ―― フフッ、そうだね。一つだけ言えるのは目に見えるものだけを鵜呑みにしたら真実は歪んで見えてくる ――


 ―― 見えるものは一つじゃないってことだよ ――


(確かそんなこと言われた)

「恨むなら恨めばいい、蔑みたければ蔑めばいい。これが私の仕事、妖それぞれに慈悲なんてかけていたらこちらが死ぬ。妖と人の価値観は違うんだ」

「でも…もうこれだけ痛めつけたら悪さも何も出来ないんじゃないの?」

『十夜』

 別に願いを叶えてもらいたいなんて思ってない。

(でもやり過ぎなんじゃないかな)

 十夜は指示されていた結界から飛び出した。

 緋天が制止するのも無視して傷だらけの偽神に駆け寄った。近くで見ると赤い服が口から零れたどす黒い液体で真っ黒になっていた。

(これって狐の――?)

 八花の言ったことは本当だった。神そのものではなく、神に仕えていた狐ということに。偽神の頭からは獣のような耳が生え、スカートの裾からは動物の尾が覗いていた。

 それは本来の狐のように金色をしていたのだろうか、それとも神に仕えていた証としての白色か。しかしそれを知ることは不可能だった。

 耳も尾も見る影もなく真っ黒に染まっていた。

「――もう二度と人に迷惑かけないでって誓えるなら、貴女を見逃したいけど」

『ああ、勿論だとも…――十夜』

 俯く偽神の黒い髪がさらりと落ちる。

「それなら…」

 俯せに倒れる偽神を助け起こそうとして。

『馬鹿な子』

 ぐわっと口が裂けた。

「え」

 人の顔は消え狐の顔で十夜を丸呑みにしてしまうほどの巨大な口がそこにあった。蛇がネズミを丸呑みしてしまう姿が脳裏を過った。突然の事で一切動けなかった。

 次の瞬間

 ビチャァア、と顔に飛び散るドロリとした液体。

 偽神の首は一刀両断され、奇しくも本堂の中に飛んでいった。ゴロゴロとまるでボールのように転がっていき、そして停止した。

 切断部分から黒い液体が間欠泉のように噴出し痙攣すると、力なく崩れて倒れこんできた体を十夜は抱き止めた。

 目線をゆっくり上げると緋天がいた。

「大丈夫ですか?」と心配げに見下ろしてきた。

 何も返す言葉がなかった。


(あ、ああ。アタシ今死ぬところだったんだ)


 現実味がなかった。

 また寸前で助かったから。

 放心していた十夜の腕を躊躇せず掴む手があった。

「言っただろう狡賢く狡猾だって。死ぬ間際の奴ほど何を仕出かすか分からない、君も身をもって分かっただろう」

 無理矢理立ち上がらせたのは八花だった。

「この仕事に慈悲は必要ない」

 その言葉が重く圧し掛かった。


 ⁂


 偽狐を祓ったあと、あの神社は再び朽ちた廃神社へと戻った。

 嘘みたいだけど本当の話。

 まるで狐につままれたように――



 終始無言で三人は山から下りてきた。

 その間、十夜は放心していてどうやってここまで下りてきたのか、顔や体に浴びた筈の液体がすでに消えていたことにすら気付いていなかった。

 登ってきた時と同じ順で下山した時、最初に気付いたのは緋天だった。

「あ」

 突然停止した大きな背中にダイレクトにぶつかってしまった。「ごめんなさい」と慌てて避けた先には道路の真ん中に一匹の白い狐が見えた。

「あ、ひ、緋天さん、また、また狐が!」

 狐に驚き緋天の背後に隠れた十夜に「大丈夫あの狐は害はない」と最後尾にいた八花が白い狐に進んで歩いていく。

 白い狐は逃げることもせず、八花を見上げた。

「依頼通り守ったんだからいいでしょ?」

 狐が少し不満げに見えたのは気のせいだろうか。そして白い狐は十夜を見た。

(あれ? この狐って路地で見た)

 首に色褪せたマフラーを巻いていた。

「この狐は善狐といってこっちも同じく稲荷神の眷属。善狐には神使以外にも幾つか役職があるんだけど、どうやらこの善狐は血筋を守る狐のようだ」

「血筋って」


 ― あれは脈々と続くとある血筋を絶やさないよう未来へと繋げる、守り神みたいなものなのかな ―


(あ、もしかして)

 ここまで言われてやっと気付いた。

「大抵は女系筋を守護するから君の母方の先祖に何か由来があるんじゃないかな。あ、ちなみにこの狐が依頼主で死に憑りつかれてるであろう君を守れっていう依頼をされてたわけだが、ついでに祓ってしまったよそれで文句はないだろう?」

 狐がムスッとした。

「え!? 先に言ってよ」

 次いでのように暴露された。

「ここへはどうして? 態々、視えるようになってまで……イタ!」

 狐があろうことか八花のふくらはぎに頭突きを食らわせた。

「素直じゃないな、心配だから視えるようにしたって言えばいいのに」

「八花さん茶々入れない」

 緋天が八花の首根っこを掴んだ。

「そうだ、十夜君。君がここまで付いてきたのは助けてくれたにお礼を言うことじゃなかったかい?」

「分かってるよ」

 白い狐に近づいた。

 偽神が過りビクビクしてしまうが近付く度にこの狐からは何か違う空気を感じた。

(なんだろう、懐かしいっていうか安心する)

 まるで家にいるような安心感を、体の内側から守られてる不思議な感覚だった。

 見上げる狐に目線を合わせるようにしゃがみ込んだ。

「ここでアタシを止めてくれたのも、色々危ない目にあっても軽い怪我だけですんでたのも全部あなたのお陰だったんですね」

 そういえばトラックに轢かれる寸前にも動物の鳴き声が聞こえていたのはもしかすると危険を知らせてくれていたのかもしれない。

 路地に現れた時も、忠告してくれたのはこの狐だった。

「ずっと見守ってくれていたんですね、ありがとうございました。あの偽神は消えてしまったけど結局この右足がこのあとどうなるか分からないままだけど、アタシ頑張ろうと思う。また走れるようにちょっとずつでもやっていこうと思います」

 狐はジッと金色の瞳で十夜を見つめている。

 まるで親が子を見守るかのように。

「あなたも体には気を付けてくださいね、狐さん」

 その言葉にフッと狐が笑った気がした。「それはお前の方だ」と言いたげに。

 狐が再び八花を見た。

「報酬ですか? 生憎お面は荷物になるんでお店に置いてきてますけ…――ど」

 カラン、と道路に何かが落ちた。

 お店にあった狐のお面だ。木彫りだったお面はキリリとした立派な狐の表情を浮かび上がらせていた。

「何も地面に落とさなくても」

 緋天がそれを拾い上げる。

 狐は仕事は終わったというように軽快にブロック塀に飛び乗った。そして振り向きがちにこう言った。


『気を付けろ夏目の末娘、まだ終わっていない』


「え…?」


 意味深な言葉を残し狐は塀の向こうへと姿を消した。

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