【第20話】黒蛇

 

『……そぉかそぉか、妾の邪魔立てする気なら貴様らにうなってもらおうか』

 黒いが偽神の体から放出された。それはみるみるうちに蛇の姿へと変貌していった。気付けば御神木ほどの巨大な蛇が空中を這いずっていた。

 スッと小さな腕を空に上げると巨大な蛇がその腕に甘えるように頬を摺りつける。その様子を愛おしげにでては蛇の背を撫でていく。

『これはなここに願いに来た者らの負の感情、願いの塊じゃ。何の因果かここに来る子らは皆、誰かが憎いだの、嫌いだの、不幸になれ、死んでしまえ。そんな事ばかり願っていくものだから妾がそれに応えていくうちに、妾もこやつもこのような姿になってしもうての』

 腕から離れた黒い蛇がその巨大な体躯からは想像もつかないほど俊敏な動きで緋天に襲い掛かった。

「危ない!」

 緋天が素早く避け巨大な蛇が轟音を立てながら地面にのたうち回った。

 そのあとも二度、三度攻撃を仕掛ける黒い蛇をことごとく避けていく緋天を捕まえられないことに黒い蛇が苛立ち何度も地面を尾で叩いていた。

「凄い……緋天さん全部避けれてる」

「まああれくらい出来なきゃ、この仕事出来ないよ。緋天にはそれだけの能力もあるからアタシは今日はお休みかな」

 持っていた棒を支えに顎を乗せ一休みしている八花に慌てた。

「ちょ、貴方は加勢しないの?」

「しないよ。本当にどうしようもない時以外は――まあそれにあっちも何か思惑があるみたいだし」

 不意に偽神の方を見た。

(笑ってる?)

 賽銭箱を背に余裕の笑みを浮かべていた。

 苛立つ黒い蛇と同じように偽神も苛立っていると思われていたが薄く笑っているのが不気味だった。

(緋天さん…)

 巨大な蛇から避け続けている緋天が何度目かの攻撃を避けた時、神が何かを呟いたのを見た。

 次の瞬間、巨大な蛇の体から分身ともいえる別の個体が次々と現れ、攻撃の矛先を変え八花や十夜の方へ襲い掛かってきた。

「きゃああああああああ」

 あまりの恐怖に思わず叫んだ。

 反射的に目を瞑っていたけど、いつまでも想像するような衝撃は来なかった。

 その代わりに――

「ほおら、捕まえた」

 耳を疑うような言葉が十夜の耳に飛び込んできた。顔を上げると十夜の目の前で首や腕、足に幾つもの蛇に締め付けられる緋天の姿があった。

『鬼遊びはもういいのかえ、なんて、アハハハハハ! その程度か童子よ、もっと楽しめるものと思ったがなあ』

 ギシギシと嫌な音を立てていく。

「ぐっ…」

 黒い蛇から抜け出そうとが余計に皮膚に食い込んでいき、蛇を掴もうにも両腕を拘束され身動きが出来ず、くぐもった声しか出せないでいた。

『無駄無駄。その蛇達は人間如きに触れはしない。それに妾と繋がっておるゆえ手足のように形さえ自由に動かせ変えられる。童子の細い首なぞ簡単に潰せようぞ』

 さらに力を入れていく蛇に緋天の首の骨が折られようとしていた。

「緋天さん!!」

『それでは祝詞のりとも唱えられまい。観念するといい』

 さらに強くなる締め付けに緋天の呻き声にとうとう見ていられなかった。

「大丈夫だから目を開けてて」

 八花の声がすぐそばで聞こえた。

『ぎゃああああああああーーーーーーーーー!!!!』

 老婆のしわがれた断末魔に十夜が目を開けた時には黒い戒めから解き放たれた緋天が地面に膝を付いていた。

(い、一体何が起きた?)

 いつの間にか八花が二人を庇うように偽神と対峙していた。

『お前達!!』

 今起きたことを理解するよりも前に慌てて黒い蛇達を手繰り寄せた偽神が『あ、あぁ…』と切り裂かれた我が子を小さな掌に乗せガタガタと震えていた。

「ゴホッ、ゴホ…す、ま…せん、はっかさ…」

 咳き込む緋天を呆れたように見下ろしていた。

「あの結界があればあの子は安全って分かってるだろう。それともそれで私を庇ったつもり?」

「ゴホッ…いえ、まさか。久しぶりなので少々油断していただけです」

「手は必要かな?」

 その眼差しに見覚えがあって緋天が少し睨んだのは気のせいだろうか。は瞬く間に消え去り普段通りの張り付けたような表情で土の付いた膝を叩きながら立ち上がった

「いえ、私一人だけで十分です」

 八花の援助を断り、着ていたボロボロになった上着を地面に投げ捨てた。

「お……私はもう、守られるだけの子供じゃない」

 その言葉に八花はフッと笑って「そうか」と踵を返した。

 八花と代わるように緋天が再び巨大な蛇を従える偽神と対峙した。


 ⁂


 何事もなかったように十夜のそばに近づいてくる。

「あのまま助けなくていいの? あんなに大きいし、なんか沢山いっぱいいる蛇に緋天さんだけじゃ敵いっこないって。君一応店主で緋天さんの相棒なんでしょ。なんかないのこう…なんかお札とか呪文とか?」

 仲間が死にそうになったのにすごすごと帰ってきた八花が薄情な気がしてつい口を挟んでいた。当の本人は持っていた長い棒のようなものに布を被せのんびりと紐を巻き直していた。

(あれ? その布のやつ、いつ紐解けてたんだろう)

 いつこの場から離れたんだろう。

 目を閉じる前はのに。

「そんなにピーピー泣かなくても大丈夫だよ。ああ見えて私の相棒は結構強いし、頑丈だから」

 まあ私の次くらいにね、と結界から出そうだった十夜の足を布に包まれた棒で突いた。

「心配もいいけど君の役目はそこから出ないこと」

 翡翠色の目を細められる。

「で、でも緋天さんが」

 向こうでブツブツと唱えている偽神に呼応する黒い蛇。

 ズズズ、ズズズと這いずる音がしたと思ったら何事もなかったように切り裂かれた部分から再び蛇が生え、再生してしまった。

『ええい、小癪な童子が! そこを退け、妾が用があるのはそこの童子じゃ!』

 ヒステリーじみたしゃがれた声に今にも飛びかかかってきそう気迫。怒りのあまりすでに化けの皮が剥がれているのも気付いてもいない。

「断る」

 しかし緋天は怯むことなく微笑み返す。

 一向に退く気配のない緋天に苛立ちを募らせてギリッと歯を軋ませる。以前見た時の可憐な少女の面影はすでになく興奮した瞳孔はまん丸く見開いた瞳は蛇と同様黒く染められていた。ゴゴゴゴゴゴゴと周囲から地響きがなり始めた。立っていられないほどの揺れに十夜は地面に膝を付く。

『童子共覚悟しろ!』

 背後の巨大な蛇が鋭く尖った槍へと変貌しだした。

『これで串刺しにしてやろう、もう逃げることは出来ぬ』

 目で追えない速さで緋天目掛けて飛んでいく。十夜は声すら出なかった。


 それは全て一瞬のことだった。


 貫くかと思われた瞬間、再び緋天が反応した。自身の身を捩じり槍と化した蛇を瞬時に避け、その勢いを殺さぬままその長い足で横へと蹴り飛ばした。ズゥゥゥゥン、と槍は御神木にぶつかり山中に響き渡った。

『な!』

 何が起きたか分からないのは十夜も同じだった。唖然としている十夜の視線の上で大きな溜息がこぼれた。あの揺れでも立っていた八花だ。

「この山に結界を張ってるとはいえもう少し静かに出来ないかな? 感づかれたら面倒になるのはこっちなんだよ」

「無茶言わないでくださいよ、私がそんな高度なこと出来るわけないじゃないですか」

 二人の余裕のある会話に完全に置いていかれた。

 その時。

『――何故触れられる?』

 それは誰に対して言った言葉か。

 地に伏して元の姿に戻った黒蛇を有り得ないという面持ちで呆然と眺めていた。

 偽神の言う通り本来なら触れられるはずがない。

 幾ら長身の緋天といえど神社よりも巨大化した黒蛇が変化した槍を避け、そして蹴り飛ばす脚力は普通ではなかった。

「ッ」

 緋天が突然目を覆った。

「緋天さんもしかして怪我を?」

 身を案じて駆けつけてしまいそうだった十夜を緋天が手で制した。

「大丈夫です。コンタクトがずれてしまったようで、ちょっと……目が痛いだけです」

「え、コンタクト??」

 こんな時に?

「もうそれ取れば?」

 事情を知ってる八花にそう言われ、間髪入れずに手を目に入れた。

 緊迫した場面でポカンとしてしまう。

 目に入れていた二つのコンタクトを外し、律儀にもそれをポケットに捻じ込み代わりに目薬を両目に垂らしていた。

「ふう~、楽になりました」

 再びポケットに仕舞いこむと偽神の瞳が驚愕に満ちていた。

『おかしいと思ったわ、人の身でありながらその力。その――貴様妖か!?』

(朱色? ――……アヤカシ? 緋天さんが??)

 後ろ姿しか見えない今は彼の表情を窺い知れない。そんな周囲からの視線を物ともせず、くすっと小さく笑った。

「私はまだ妖になったつもりはありません、よ!」

 緋天が強く地を蹴った。

 目にも留まらぬ速さで直接偽神を狙ったが、すぐさま黒蛇が姿を解き、煙となったもやが緋天に襲い掛かかる。

『ぎゃああああああああああああ』

 何故か偽神の方が悲鳴を上げ、倒れ込むように地面に手を付いた。

 もやがように霧散していた。何かが、そう獣か何かに切り裂かれたように。

『き、さ……ま…』

 鋭く尖った爪でもやを握り潰した。

 断末魔と何かが千切れる音が交錯する。

『なんだ、すぐ切れてしまうんですね』

 ブチブチブチ、ともやを掴んでは引き千切っていく。神社には似つかわしくない異様な光景だった。

 緋天の十の指全ての爪が刃物のように尖り、さらにもやを切り裂いていった。

「どうなってるの、緋天さんは一体……?」

「彼は3年前、吸血鬼同士のいざこざに巻き込まれた。そして今は――生きる屍、になった男だ」

「吸血鬼って」

 凍り付いたまま動けない十夜をソッと盗み見た。

「まあ、半分だけどね。あれも望んでああなった訳じゃない。だからこれっきりだと思うけど、どうかあの子を怖がらないで欲しい」

 そういう八花はどこか我が子を見守るような目をしていたのが印象的だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る