第五話 映画館でデート

「あれ、あそこにいるの、学か」

「あ、ほんとだ」

 ゴールデンウィーク直前の週末。映画館に来ていた春日兄妹はそこで、学の姿を見つけていた。

 クラスメイトの陽一は言わずもがな、星奈にとっても中学時代から知った相手だ。挨拶くらいしようと歩き出した彼女だったが、陽一は咄嗟にその手を引いて止める。

「?」

 星奈もまた無言の要請に応え、口を閉ざしたまま陽一を振り返る。首を傾げる彼女は一旦視界の外に置き、陽一は慎重に目を凝らした。

 いた。人が多くてすぐには気づけなかったが、彼の隣にはもう一人見知った姿があった。同じ学年の女子。『高嶺の花園』の異名をとる少女である。

「……やっぱデートか」

 小声でぼやいた兄の顔を、星奈が弾かれたように見上げる。

「え、鎌田先輩彼女いたの?」

「言ってなかったっけ? 三年の『高嶺の花園』」

「……? 何そのあだ名」

「あー……まぁ俺の学年の男子連中には大体それで通ってるんだよ。花園……下の名前何だっけな?」

「私に聞かないでよ」

 呆れるような星奈の目つきと声。小さく咳ばらいをして、陽一はどうにか彼女の追及の視線から身を躱す。それから、身を縮めながら盗み見るように学を見やって、

「ともかく、邪魔しちゃわりぃし、わざわざ声かけなくても……」

「――陽一? そこにいるのは陽一か。星奈くんも」

「いいんじゃないかなぁって思ったのに何してんだアイツ……」

 気遣いも虚しく、無駄な目の良さで陽一たちの姿を捉えた学が、近づきながら声をかけてきた。大きく溜息を吐きながら、陽一は咎めるような細い目でそれを睨みつける。

「どうした。一緒に映画か?」

「他にねぇだろ映画館に来る用事なんて……お前らはデートだろうけど」

 げんなりしながら吐き捨てた彼は、付け加えるように告げる。学は無反応だったが、少し遅れて彼を追ってきた花園が、びくっと震えたかと思うとすぐに顔を赤くした。

「ま、学くん……彼、知って……?」

 ぐいぐいと学の腕を引きながら、慌てた様子で花園が言う。学もバツが悪そうな顔でそれに頷いた。

「むぅ、すまん。あいつには知られていてな。言いふらす奴じゃないと思うんだが……」

「あー、悪い、妹には喋っちまった」

 漏れ聞こえた声に、陽一も幾分居心地の悪そうな表情になって、隣の星奈の頭を叩きながら言う。彼女も恐縮したように、一度小さく頭を下げた。二人の仕草に、ますます花園の顔が赤みを増していく。

「~~~っ!」

「分かってる。他には言わねぇ。言わねぇから」

「わ、私も言いませんって」

 陽一は面倒そうに、星奈は気まずそうに手を振って口々に言う。加えて学が宥めると、どうにか花園も落ち着きを取り戻したようだった。まだ頬はほんのり赤いし、まるで陽一たちを警戒するように学の背に半分隠れてしまってはいたが、二人に向ける瞳に恨みはなかった。

 一段落、と肩を落としてから、改めて陽一は批難の目を学へと向けた。

「それはそうと、デートの最中に何で無関係な奴に挨拶なんてしてんだよ。ほっとけよ」

「いやしかし、気づいた以上何もしないのも失礼だろう」

「彼女放っておく方がよっぽど問題だろーが。気づかなかったふりでもしとけ。俺だってわざわざお前らの邪魔するほど馬鹿でも性悪でもねぇよ」

「……ふぅむ?」

 重ねて説教する陽一だったが、学は一体何が腑に落ちないのか、疑問の声とともに首を傾げた。いよいよ脱力しながら、陽一は同情の眼差しで花園を見た。

 他方、学はまじまじと陽一の顔色を眺めた。ふむ、ともう一度声を零した彼は、苦笑にも似た表情を浮かべて肩を竦める。

「お前から恋人の扱いについて説教を受けるとはな。色恋にはあまり興味がないように見えたんだが」

「興味は無くたってそれくらい心得てんだよ馬鹿たれ」

 イラッと目を眇め、陽一が低い声で唸る。流石に彼の機嫌の下降を察して、学が諸手を挙げた。

「すまんすまん、気遣いを無駄にした。今気づいたが、先に俺たちに気づいていたのにわざと無視してくれてたんだな?」

 答える代わりに鼻を鳴らす陽一。花園は学の後ろで彼の言葉を聞きながら、さっきまでとは打って変わって感心したように、兄妹の姿を交互に見た。

 そんな折、場内に上映時間のアナウンスが流れ始める。全員が我に返ったように、瞬きしたり天井を見上げたりした。

「おっと、お前ら時間はいいのか? 俺たちに構って映画に遅れるとかしたら、いよいよ笑えねぇぞ」

「ああ、そろそろだな。陽一たちこそ大丈夫か?」

「俺たちはまだ。あれ、猫のやつ。つーかお前たちは何見に来たんだ?」

 普段星奈がよくするように、花園が学の腕に抱きつく。彼女を伴って歩き出した学に、陽一は興味本位で尋ねてみた。

 学は肩越しに振り返り、

「『キングシャーク』をな。如何ほどのものかと期待している」

「……そうか。うん。面白いといいな」

 そのまま立ち去る二人の背中を、戦慄を包み隠した声でそう告げながら陽一は見送った。

 立ち尽くす彼の腕に柔らかい感触。星奈の手がそっと触れてきていた。見れば、彼女はほとんど無表情で――ほんの僅かに嫌な予感を覚えたように目元を歪ませて、囁く。

「陽一、それってあの、予告がだいぶ――」

「言うな。言ってやるな。そして祈れ」

 沈痛な声で遮られて、星奈も口を噤んだ。

 それから彼女は、二人が去っていった方をぼんやりと眺めつつ、ぽつりと呟く。

「可愛い人だったね」

「花園か? まぁ、そうだな。俺たちの学年じゃ一番人気あるかもな。まぁ学の彼女だってことが分かれば、その評判も変わってくるかもしれねぇけど」

 陽一が相槌を打つが、その声は明らかに投げ遣りだ。一握りの関心も感じられない彼の様子を、星奈は横目で見やったあと、一人溜息を落とした。

「……何だよ、その溜息は」

「?」

 妹の反応には目敏く、こめかみをひくつかせながら陽一が問う。が、対する星奈は自覚がなかったのか、彼の台詞に小首を傾げた。誤魔化しているようにも見えない意外な反応に、陽一が毒気を抜かれたように口を閉ざす。

 黙りこくった陽一を見上げたまま、もう一度首を傾けた星奈は、結局両手で彼の腕を握った。

「大丈夫?」

「心配されるようなことは何もねーよ」

「ならいいけど」

 言葉とは裏腹に、不服げに唇を尖らせる星奈の髪を、宥めるように軽く撫でる。普段なら大抵それで落ち着くのに、何故か今日はなかなか機嫌を直そうとしなかった。

「……行くか?」

「ん」

 再び上映時間のアナウンス。それを聞いて、二人はどちらからともなく歩き始める。

 いつもなら腕を絡めるところなのに、星奈はちょこんと陽一の腕を摘まんだまま、彼の半歩後ろを歩いていくだけだった。

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