第四話 兄妹と父と

「星奈、お前さ」

 その日の帰り道、前日と同じように星奈を伴って歩きながら、陽一はふと呼びかけていた。朝、将也と話したときに感じた違和感、或いは不快感のようなものをどうにかできないかと、漠然と思ってのことだった。

 不思議そうに円らな瞳を瞬かせる妹を見下ろし、彼は口を開きかけ――

「…………」

「…………?」

 しかしそう思ったところで、そのための問いが上手く言葉にできないことに気づく。

 口を薄く開いたまま固まった彼を、星奈は怪訝そうに見つめていた。彼女の視線に返すべき言葉を見つけられないまま、次第に陽一の表情が居心地悪そうに曇っていく。

 結局、彼は時間をかけて声を絞り出す。

「その……俺のこと、何か言われたりするか?」

「私のこと、何か言われたんでしょ」

 質問に質問で返され、陽一はまた口を噤んだ。言葉にするより雄弁な回答だ。より渋さを増した表情で正面を睨む彼を見上げ、星奈がクスリと零す。

「私は特に何も。陽一は何言われたの?」

「普通の兄妹は、俺たちほど仲良くないってよ」

 隠し通せる気もせず、正直に答えて肩を落とす陽一。

 とはいえ彼自身、何がそこまで引っ掛かるのかも理解し切れていない。自分に対する困惑も垣間見える彼の顔を、星奈は穴が開くほどじっくり見つめる。

 そして、気を惹くように彼の腕を一度強く引いて、

「陽一。今日は何食べたい?」

「は? どうした急に?」

 唐突な問いかけに、陽一が訳も分からず問い返す。彼の目を真っ直ぐに見つめ返して、星奈は淡い微笑を浮かべて見せた。

「落ち込んでるから、元気づけてあげようかなって」

 そんな風に言われて、陽一は寝耳に水という顔で星奈を見た。少し遅れ、彼はやや呆けた声で呟く。

「落ち込んでたか、俺」

「ふふふふ」

 どういうわけか、星奈は意味深に笑ってVサインするだけだ。

 正直、困惑は深まるばかりではあった。それでも陽一は、得意げな笑みを浮かべる妹の姿に、色々と吹っ切れたようだった。

 ぽん、と彼女の髪を一度撫でて、言う。

「魚食いてぇ」

「えっ、雑」

「んじゃ、ソテーがいいな」

「ん。分かった」

 頷いた星奈を腕に引っ付けたまま、陽一は穏やかな気持ちで歩く。

 いつも通りの、自分たちにとっての自然体。将也や、他の同級生たちの目にどう映るかはまた別なのだろう。それでも陽一は、今まで通りの仲の良い兄妹であり続けたかった。そうであることに違和感を持ちたくなかった。

「悩まなくていいよ、陽一」

 不意に、小さな声で星奈が囁く。驚く彼が目を向ける中、星奈は柔らかく腕を絡め直して続けた。

「私たちは私たちだもん。他の人の言うこと気にしたって仕方ないよ」

「……そうだな」

 甘えてくる彼女の頭を、陽一は微かな苦笑とともに何度も撫でる。わしわしと髪を掻き回されても星奈は上機嫌だった。

 それでも――どれだけ意識から追いやろうとしても、ささやかな不快感は頭の片隅に残り続けていた。


『そろそろ新学期だよな。いつだっけ?』

「昨日からだよ間抜け」

 その日の夜。父から電話がかかってきた。

 以前は頻繁に家を空けながらも一応一緒に暮らしていた両親だが、星奈が高校に進学するのと同時に父は転勤、母もそれについていった。今では二週間に一度程度、電話を寄越してくる程度だ。

 応対する陽一の口調はぶっきらぼうだが、決して嫌っているわけではない。父も彼の暴言を咎めるわけでもなく、変わらない調子で語り続けた。

『そうだったか、悪い悪い、すっかり忘れてた。で、どうだ新しいクラスは』

「別に何もねぇよ。まだ変わったばっかだし」

『可愛い子とかいるか?』

「あ? まぁいないわけじゃねぇけど。それが何だよ」

『……ハァ、察し悪いなお前。写真の一つも送れってんだよ。できればローアングルで』

「察してたまるかそんな要求。絶対やらねぇ」

 毒づく陽一だが、実質軽口を叩き合ってるだけだ。父は忍び笑いを漏らしたあと、軽い口調で、

『まあ冗談は置いといて。お前も今年は受験生だしな。進路相談とか、そこそこであるだろ』

「ああ、うん、そのはず」

『どういう方向に進むにせよ、基本止める気はないから。決めたこととか、相談したいことがあったら早めに言えよ』

 世間話のような気安さでかけられた言葉に、陽一はしばし口ごもってしまった。

 高校を出たあとの進路の話をするのは初めてだ。決して親との仲が悪いわけではない。それでも、あまり関心を持たれていないだろうという思いが、陽一にはあった。

 だから、「止めない」と言われたことは意外ではない。けれど、それは言わば「勝手にしろ」と同義だと思っていた。「早めに相談しろ」と言われたことには、少なからず驚きを覚えてしまったのだ。

「……ありがとう。助かる」

 結局、少し遅れて彼はそう礼を告げた。再び楽しそうな笑い声が漏れ聞こえてくる。

『そうだ、あとお前、彼女とかできたか?』

 かと思えば、今度は急にそんなことを言ってきた。

「はぁ? 何だよいきなり。いねえよ」

『そうかー? そっちも別に、どんな子と付き合ってようが文句言わねえからな。できたら紹介しろよ?』

「だからいねぇってのに」

 会話のフットワークのあまりの軽さに、軽く眩暈を覚えながら陽一が突き放す。電話口の向こうでは、父が唸り声をあげているようだったが、その意図までは分からない。

 こっそりと嘆息して待つと、やがて父は心なしかテンションの下がった声で、

『ぁ~、まあいいや。ところで、星奈は代われるか?』

「……今風呂入ってる。多分そろそろ出てくると思うけど」

 彼の反応に腑に落ちないものは感じつつも、陽一も気を取り直して答える。と、その途中で足音が近づいてきた。続けて、

「陽一、お風呂上がっ……あ、電話?」

 姿を見せた星奈が言いかけ、慌てて声を落とす。それに陽一は受話器を離して手招きした。

「親父から。ちょうど代われって言われたとこ」

「あ、そうなんだ」

 告げて受話器を差し出すと、星奈はそれを受け取った。陽一はそのまま無言で風呂場の方向を指さし、星奈はそれに頷く。

「もしもしお父さん? ……うん、元気。そっちは? ……ふふ、そう」

 話し始めた星奈の楽しそうな声が聞こえる。陽一はそれに背を向けて、部屋に着替えを取りにいった。

 父が嫌いなわけでは勿論ないが、陽一が父と話すときには、無意識にぶっきらぼうな態度をとってしまう。それと比べると、星奈ははっきりと明るい調子で話していた。

 ふと、どんなことを話しているのか気になった。

「……いやまぁ、聞き耳立てたりなんかしねぇけどな。星奈に悪いし」

 湧き上がった衝動を、陽一は自分に言い聞かせるような独り言で振り払った。そして、なおも漏れ聞こえる星奈の声に極力意識を傾けないようにしながら、浴室へ向かった。

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