9-2『女医M、友との約束』




 バラーディアTK市部総合病院。

 相変わらず消毒液の匂いが鼻を通るこの施設の中で、今 日も沢山の病人が、ショーケースの商品のように並んで座り、選ばれるのを待っている。

 今日は平日だからか、子供はそこまで居ないようだ。

「へぇ…奇遇ね。ここお得意さんじゃない…」

 院内を歩きながら、歌穂ちゃんが艶のある黒髪を揺らして呟く。 

「お得意さん…?」

「たまに、オペに参加してくれって頼まれるときあるのよ。免許持ってないし、あんまり好かれてないから、あくまでも特例だけどね」

 そう言えば、さっきも主治医の助手として、医者としての活動をしてるって言ってたな。

 多くの外傷を治せる特異点というのは、こう言う場でも使えるわけか…。

 なんだか、利用されてる感はあるけど、彼女が特に気にしてないならいいか…。

「カホちゃんどころか、私達もあんまり好かれてないもんね。さっきもなんか変なヒソヒソ声聞こえたし~」

 あおいちゃんはえて大きな声でそう言うと、物陰から二人の女性の看護師がでてきて、そそくさと退散していくのが見えた。

 免許がない。

 スプリミナルである。

 たったそれだけでも、それ程の偏見や格差、そして低い信頼度がランク付けされてしまうんだな…。

「テッチャンも注意しときなさいね。あらぬ噂かけられるから」

「了解…ちょっと怖いけど…」

 苦笑を浮かべて彼女に返答する。

 やはり、まだまだスプリミナルが罪人であることへの差別とか、特殊な能力があるが故に迫害されるのはザラにあることなんだな。

 まぁ、この苦しみを消そうとするのは、罪人としてはおこがましすぎるかもだけど…。

 それでも、言葉や態度で傷つけられるのはちょっと嫌だな…。

「おぉ、深山先生!お疲れ様です」

「お疲れさまで~す」

 そんな中、たまたま通りすがった白髪の男性医師は歌穂ちゃんを見てお辞儀をし、その当人はラフに手を振って返した。

「今の、私に良くしてくれるおじいちゃん先生なの。優しく教えてくれるから好きのよね」

 廊下を歩くまま、ニコリと微笑んで僕らに彼を紹介してくれた。

 彼女がさっきまで陰口を言われていたとは思えないな……。

 僕には"注意しとけ"なんて言ってたが、彼女には何だかんだで交流してくれる人はいるようだから、なんか少しほっとした。

 もしも自分にもそう言う人がいたら、気が楽なんだろうな……。


「あ、ここが病室だよ」

 ようやく目的の場所についた僕は、部屋の引き戸を開けた。


 ガラガラ


「アヤ、来たよ」

 相変わらず、耳で感じれる返事はない。

 午前中に看護師さんが世話をしてくれたようで、今日はカーテンが開いていた。

 相変わらず、日光に照る白い肌が美しい。

「この子がアヤノちゃんなんだぁ…」

 あおいちゃんがいの一番に妹に駆け寄り、可愛いなんて呟きながら、アヤの顔を眺めていた。

 いつもオカン気質でしっかりしてるけど、こう言うところは子供らしいな…。

「アヤちゃん……」

 次に歌穂ちゃんが近づき、アヤの顔を見る。

 彼女の顔に浮かんでいたのは、改めて大切な人間が植物状態になっていることを実感、そして現実へ失望しているという感情…。

 僕が初めて被害に遇った妹を見たときと全く同じだ。

 大切な家族が死の縁に立たされた時の、心臓が水を被ったように一気に冷やされる感覚…。

「アヤ、今日は珍しく人が沢山来てくれたね…よかったね…」

 そんな嫌な感覚を少しでも緩和させようと、僕はアヤの頭をそっと撫でる。

 もしも彼女が起きていたら、エヘヘなんて照れながら、少しは笑ってくれただろうか…。

「アヤちゃん…友達とかいないの?」

 ふと、しゃがみながらアヤの顔を眺めていたあおいちゃんが聞く。

「あぁ……ちょっと…色々あって…」

 アヤに友達はいない…。

 いや…いなくなったと言うのが…早いのかもしれないな…。

「大きくなったんだね…こんなに可愛く綺麗に成長して…」

「でしょう?アヤは…いつでも可愛いくて、優しいんだよ……」

 妹を眺める歌穂ちゃんに自慢するように言葉を返す。

 シスコンとかそう言う訳じゃないけど、僕にとって、アヤはずっと可愛くて、家族としてかけがえのない存在。

 自分がどれだけ泥を被ろうが、どんなことを言われようが、妹の笑顔だけは守らないといけないんだ。

 例え…植物状態であろうと…。


「……あのさ、テツヤくん」

 ふと、あおいちゃんが口を開く。

「なに?」

「私さ、アヤちゃんと友達になりたいんだけど…良いかな?」

 アンニュイな笑顔を向けながら、彼女は僕に問う。

「って言っても…私も友達なんてユイちゃんとフミカちゃんくらいしかいないけど……。友達がいないって聞いたら…なんか、放っとけなくてさ」

 少し照れ恥ずかしそうに伝う彼女。

 あおいちゃんのオカン気質は、こう言うところでも働いているのかもしれない。

 そう言うところが、彼女が愛される理由なのだろう。

 例えこれが情けの物であっても、アヤの友達になってくれるなら…それも悪くないのかもしれないな…。


「…多分、大丈夫だと思う。アヤ…そんなに人間嫌いじゃないからさ…」

「そんなに…って?」

 いけない、つい口を滑らせてしまった…。

「まぁ…それもまた色々と言うか……」

「テッチャン」

 適当にはぐらかそうとしたのを見抜かれたかのように、歌穂ちゃんが割り込む。

「ちょっとだけ…聞かせてもらっちゃダメかな…?私達が別れた後の事…」

 悪気を感じているような彼女は、膝の上で指を組みながら僕に聞いた。

「なんとなく…気になるの。アヤちゃんって、小学生の頃から笑顔満点で、誰とも明るく接してくれたじゃない?そんなアヤちゃんに友達がいないなんて…やっぱりおかしいと思って……」

 やっぱり、探偵組織の先輩にとっては、こう言うのはお見通しってわけか…。

「こんなに聞いちゃってしつこいかもしれない…でも、私はテッチャンもアヤちゃんも大好き。だからこそ、ここまでに通ってきた事を聞きたいの。どんな事情であっても、私は絶対に軽蔑とかもしないから」

 歌穂ちゃんは真っ直ぐな目を向けているが、正直答えたくはないのが本音だ…。

 この記憶は、アヤにとって人生の最大の汚点で、僕にとっても、たらればを繰り返してしまうほどに心が締め付けられるような苦しい思い出だ。

 だから…誰であっても、あまり話したくはなかった…。

「あんまり…詳しくは話せないけど……」

 けれど…これ以上隠した所で、歌穂ちゃんに心配させるかもしれない。

 そんな結果になったりするのも…僕は正直嫌だった。

 折角、久方ぶりに友達が来てくれたんだから…少しでも話してあげた方が、二人に悩みや心配を作らずに帰せると思う…。

 だからごめん、アヤ。

 この二人にだけは…あの日の事を伝えさせてくれ。


「中学の頃…いじめられてたんだ。アヤ」


 この一言で、言葉を失わない人を見たことは、今のところいない。

 二人もそのありふれた悲痛な一言に、目を見開いていた…。

「発端は大きな意見のすれ違いからだったんだ…。アヤが反発して、それを相手は悪くとってしまった。そこから、学校全体がアヤに牙を剥いた。幸いアザとかは残ってないけど…顔を水に浸けられたりとか…殴られたりとか……後は……」

 廊下に風が通り、カーテンがふわりと靡く。

 自分の事ではないことを話すだけなのに、胸がギリギリと締め付けられる感覚がする…。

「殴られなくても、心に傷はどんどん増えていく……。そういう…なんと言うか……心が辛い目に遭い続けても…アヤはなんとか笑顔をやめなかった。けれど……あるときにそれが爆発して……そのまま不登校になったんだよね……」

 日が影を作り始め、僕は僕の妹の暗がりを、怖々と話す。

 それを聞く彼女らは、瞳に悲観を浮かべながら、口を潜めている。

「でも、僕は…不登校っていう選択であってもよかったと思ってる。そもそも単なるワガママって訳じゃないし、いじめから離れたことでアヤにも夢ができたし、やりたいこともできた…行かなかったからこそ楽しかったことも…熱くなれたこともあったらしいし……」

 あの日と同じように、大空が青く染まっている。

 僕らの時間が止まったあの日のように…。

「本当に…これからって時だった…。がんばるぞって時だった……。なのに……あの光のせいで……」

 いくら歯を食い縛って悔やんでも、拳を握って怒りを消化しようとしても、アヤが今すぐに戻ってきてくれるはずなんかない。

 あの光が憎い…。

 彼女をここまでしたあの事件が憎い。

 なんで変わってやれないんだと後悔しかできない僕が憎い。

 その憎いという感情を、彼女らに明かしてしまった事すらも、僕は憎く感じ、負い目を感じ始めていた。

「ごめん…悲しい話しちゃったね……。この事は…三人だけの内緒で…」

 まだ全ては語り終えていないけれど、半強制的に話を終える。


 ギュッ…


 その途端、急に歌穂ちゃんが僕に抱きついてきた。

「カホ…ちゃん…?」

「今まで…辛かったんだね…ずっと…辛かったんだよね……」

 柔らかい感触の中で響く優しい鼓動と、子供の頃にずっと聞いてきた涙声が、僕の耳に浸り始める。

「ごめん……私も…居てあげればよかったんだ…。両親が居なくなってから……私もずっと塞ぎこんでばっかだった……。なんで…なんでテッチャンやアヤちゃんと会わなかったのかって……今、まさに強く後悔してる…」

「そんな…カホちゃんのせいじゃ……」

 途端、歌穂ちゃんは僕の肩を掴むと、湿っぽい瞳のまま、強く熱い目線を僕に向ける。

「スプリミナルになってから、発光事件で植物状態になってから意識を取り戻した人、何人もみてきた。だから大丈夫…きっと良くなる!絶対に目覚めさせる!」

 その言葉が真実かどうかはわからないが、彼女の笑顔には確実に、硬い決意が乗っかっていた。

 その時の彼女は、僕らとの失った時間を必死に取り繕おうとしているのかもしれないし、ただ単純に、友達を守りたいって言う思いだけとも考えられる。

 だが、それでも歌穂ちゃんが、アヤをタスケルト断言してくれた事自体、僕にとっては嬉しいことだった…。

「私も、アヤノちゃんの事ちゃんと待ってる。きっと、起きてくれるよ」

 あおいちゃんが僕の隣に腰かける。

「それに、折角お友達になったんだから、ちゃんとお互いに目を見て挨拶できるようにならないとね」

 ニッカリ、元気に愛らしく笑うその姿に癒されつつ、出会ってたった数分の植物状態の女の子を慕ってくれる彼女が、本当にありがたかった。

 思えば、これがあおいちゃんなりのいじめという過去を持った子への慰めの一つだったのかもしれない…。

「そうね。私も、アヤちゃんと二人で思い出話したいものね」

 眠る妹の頭を撫でる歌穂ちゃん。

「まだまだ長いかもしれないけど、私たちもずっと待ってるから。アヤちゃんが、ちゃんと目を覚まして、私たちにまた太陽みたいな笑顔を見せてくれるのを」

 彼女は太陽と対照的、満月のように静かに綺麗な笑みを浮かべてた。

「二人とも…ありがとう…」

 僕は湿っぽく笑顔を振り撒いた。

 大人になってから、やけに涙脆くて仕方がない…。

 思えば大人になってからこれまで、助けてくれる人なんか一人もいなかった。

 仕事なんて、みんな目の前の事で精一杯だし、普通に家にいるだけで小言を言われれば、ただ歩いているだけでも、なにか笑われているような気がしてならなかった。

 けれど、今は少なくとも、妹への理解者が増えてくれた事が、なによりもありがたかった…。

 アヤ、良かったな。

 お前に出来た友達は、二人とも本当にいい人だよ。


「そうだ。カホ先生とテツヤくん兄妹の昔のお話、もっと聞きたい!」

 ふと、あおいちゃんが身を乗り出して聞いた。

「えぇ~?私、そんな面白い話ないわよ~?」

「…あ、でも学芸会の時とか覚えてない?2年生の頃の……」




  ◆




「くっそ暇」

 感動シーンで心を熱くしてたのに、突然シーン変わって冷めた?

 残念、水原でした。

 なんて、海外のクソ無責任ヒーローみたいな洒落はおいておくとして…。


 正直、暇なのには変わりない。

 カウンター前の適当な椅子に腰かけながら、頬杖をついて景色を眺める始末だ。

 あおい達が出かけてから、僕はこの客の全く来ない店の中で、如何にも暁を覚えなさそうなポカポカ陽気に、暇をもて余していた。

 今日はど平日だし、昼休みに使うとしても、商店街の方いけばここより安い惣菜買えるし、最近近くにレストランとかもできた物だから、こんな昼近い時間に客が来るわけがないんだよな…。

 それに、ライバル店もこの世に沢山あるんだから、こんな素人が経営してる土鳩どばとみたいな店には、客が皆無の日だってたまにはある。

 正直、こんなに人が来ないなら、占いをやりに外に出るか、昨日襲いかかってきた二人のヴィーガレンツ幹部に引導を明かすために、鍛練でもしたいものだ。

 悠樹くんから聞けば、高坂沙羅まで現れたらしいじゃないか。

 人間至上主義のヴィーガレンツも、リージェン至上主義のミラーマフィアも、また少しずつ少しずつ、彼らの理想とした世界を作るために、この国を牛耳ろうと爪を研いでいる…。

「クソが…」

 極めてうざったらしい。

 自分のネタヲ面白いと勘違いしてふんぞり返って偉そうにしてる芸人よりもウザったらしい。

 人間だろうがリージェンだろうが、どっちも屑な奴は屑なのに、奴らはそれを一向に知ろうとしない。

 ミラーマフィアも同じだ。

 人間を仲間にすることはあるが、それはあくまでも至上主義思想のみの場合だけだから、こいつらも対局を知ろうとしてない。

 スプリミナルも、そろそろ気を引き締めないといけない気がする。

 ……まぁとは言え、僕らがあいつらより弱い訳じゃないし、結構役に立つ特異を持った新人も入ってきたし、まだ少しは大丈夫なのかな。


「にしても……まーじで暇なんだけど……。がんばって文字数稼いでも、客が来やしない。暇すぎて別の小説サイトで上がってるスゲェ一次創作読みたくなる位に退屈だ……」

 こうもつまらない時間が続くなら、今すぐこの深緑のエプロンを脱ぎ捨てて、外へ飛び出したくなる。

 まぁ、そんなことしたらあおいだけじゃなくて叶くんにも、どやされそうだから否が応でも今日はサボれないけど。

 やる気が起きないときに無理に仕事するのは良くと思うんだが、そう言うのは通じんだろうな{。

「まぁ、しゃーない…。折角、店番頼まれたんだから、あおいが帰ってくるまで……」

 立ち上がり、やることは一つ…っ!


「大人しく太宰でも読むか。あ、でも芥川も読めてなかったな」

 サボり用の小説を、近くの棚から持ってくることだな。

 外でサボるのが駄目なら、店内で適度にサボるが一番だ。

 今日はなにを読もうかねぇ……。


 カランコロン…。


 ……まじか、客来た。

 簡単にはサボれないってことかよ。

「いらっしゃいまぁ……」

 ビジネス笑顔を浮かべて振り向いた途端、その笑みは一気に失せた。

「あぁ、なんだ警察の人か」

 一応お得意さんの斐川が、始堂を連れてやってきたのだ。

 景気良く挨拶しようとして損した。

「なんだ、って…お客ですよ私たちは…」

「はいはい。今日はなに?店長不在だから、ブルーアイは準備中だよ」

 カウンターに凭れかかりながら聞くと、始堂が少し落ち込んだのが見えた。

「なんだぁ…今日コーヒー無しっすかぁ……。なんか軽食ないっすか?」

 わがままだなお前…。

 まぁ、カフェだから当たり前だが。

「軽食ねぇ…。料理もあんま出来ないしな…」

 自分が飯なんて作っても美味しい物なんてできない。

 簡単に肉を焼くとか炒めるとかはできるけど、あおいと比べたら月とすっぽんの差がある。

 でも、一応客なんだから、なにか出してやらないと信用問題に関わるしな。

「あっ、あおいが今朝作ってたカレー位ならあるよ」

「おっ!いつものカレーはあるんすね!じゃ、それ二つ!」

 始堂の顔がパッと明るくなり、二人は近くの席に座った。

 彼の笑顔はうざったくないが、警察に奉仕するのは好きじゃない。

「はいよ…」

 まぁ、仕事だからやるけどさ。

 厨房の方に移動し、カレー用皿を取り出し、白米を盛り付ける。

 そんで、後はもう出来合いのカレーをを盛り付けるだけだから簡単だな。

 何気に、今日の客が基本カレーを頼む警察二人だけで助かったし、なによりあおいがカレーだけでも置いてくれていてよかった…。

 これで、なんちゃってインフルエンサーが来て、映える飯作れとか言われてたら、そいつのミノに肘を入れてやるところだったな…。

「はいお待ち」

 なんて物騒なことを考えつつ、僕は警察二人の机にカレーを置いた。

「ありがとうございます」

 斐川がクールに礼を言うと、先陣をきって始堂がカレーを頬張る。

「うん!美味いっすね!やっぱ!」

 それに続いて、斐川も食す。

「ふむ…。確かに…なんかいつもよりもうまく感じる」

 そりゃそうだろう。

 あおいが作ったものが不味かったなんてこと、生きてこの方一度もないんだからな。

 それとついでに、料理上手の悠樹くんがいるもんだから、さらに磨きはかかる。

 料理できないやつでもわかる簡単な掛け算だな。

「そうか。それ食ったら帰りな」

「あなた、本当に警察嫌いですね…」

 塩対応に苦い顔をする斐川と、それを無視してカレーに夢中の始堂。

 僕は警察嫌い…というより、警察が憎いだけだ。

 こっちは長い間あんたらに追われてるような生活してたんだからな…。

 なんて言ったら、まためんどくさくなりそうだから、適当にフンとそっぽを向いておいた。

「はぁ…。まぁ、それは良いとして。今日はランチに来ただけではないんですよ」

 斐川は物憂げにそう言いながら、懐から資料のつまったフラットファイルを取り出し、僕に手渡した。

「知ってますか?或マスの運用しているカジノのこと…」

「は?なにそれ…聞いてないんだけど…」

 首をかしげると、カレーを食い終えて満足気味の始堂が、改めて説明を続ける。

「現在、調査中ではありますが、ミラーマフィア或マスが、バラーディアCB地区にて、違法カジノを運営していることがわかったんス。まだ細かい特定は出来てないんですが…間もなく潜入捜査の許可が下りるかもしれないとのことなんッス」

 彼は説明を終えると、紙ナプキンを手にとって口を拭いた。


 ミラーマフィア、或マス。

 最近、僕らも追い始めているミラーマフィアの一角の一つ。

 基本的に人口と特性持ちが多い虫型のリージェンが多く集まっており、普通警察が立ち向かおうとすれば、ほぼ全員の警官が命を落とすかもしれない危険な組織だ…。

 階級は下級テッラだが、その中でも団員の数に絶大な自信を持っており、信者の数がスプリミナルよりも多いヴィーガレンツでさえも、少し距離を置く程。

 しかも、人が多いが故に小銭稼ぎも上手いから、下級テッラの中でも最高の地位を持っているらしい…。

 素人が手を出せば生きては帰れないような組織だろうが、それを粛清して均衡を保つのがスプリミナル。

 どんな組織が来ようと、世界のバランスを保つために、僕らは血を流さなければならない。

 ……って、郷仲が言ってたな。


「なるほど……ついに尻尾の毛くらいは掴めたわけね…」

 ファイルを開きながら応える。

 何故こんな表現をするかと言うと、マフィアの稼ぎ場が見つかったところで、その親玉をつかまえられるわけではないからだ。

 まぁ、逆に言えば稼ぎ場を潰せば、少々の痛みにはなる。

 だから"尻尾の毛"と言うことだ。

「近々、スプリミナルに捜査を頼むかもしれません。そのつもりでお願いしますと、郷仲社長にお伝えください」

「りょーかい…」

 なんか、また近い内に一悶着起きるって予告された感じ…。

 告知だけしといて自分達はまたランチに向かう。

 この無責任さが気に入らん。

 まるで経験無いくせに重役になった七光りみたいだな。

「後、おかわりください!」

 そんで、始堂オマエはまだ食うんかい。

「へいへい…」

 まぁ、客だし金になるから別に良いけど…。

 改めてカレーを盛り付けて(今度は少し多めに)、この食欲旺盛な客に渡した。


 さて…彼らが飯を食ってる最中、ファイルを改めてよく見てみようか。

 そこに書かれているのは、大まかな目撃情報であったり、マフィア経営と思わしき場所のマーキング、推定される規模や、実際にその店に行ったと言う者達への聞き込み情報など…。

 捜査記録には、必ず誰が捜査をしたかが書かれているが、よく見たらスプリミナル情報捜査員の名前も複数ある。

 あらゆる情報を合算して、ようやく毛をつかんだ程度となると…まだまだ或マス確保には及ばないと言うことだな…。

 スプリミナル独自の特殊捜査の方も、苦戦してるって聞いたしな。

 だが、警察的にはもう目星はつけているから、今日フェイバリットここに来たんだろう。

 情報確認を終えてファイルを閉じると、僕はSHOUK(今着てる服のブランドのこと)のショップで貰Iったコインを取りだし、それを指でピンと跳ね飛ばして、手の甲で受け止めた。

「裏か…」

 所謂、コイントスによる簡単な占いだ。

 僕の我流占いの場合は、さらにもう一度トスをする。 

「そんで表と……やっぱコインはハッキリしてるな…」

 まぁ、最終的には悪い結果にはならなそうだ。

 またタロットやらでも明確に調べてみるが…次回の或マス捜査は、一抹の波乱は起きそうだな…。

 まぁ、死なずに頑張れば良いだけか。


「「ごちそうさまでした」」

「おそまつさん(僕が作った訳じゃないけど)」




  ◆




 

「それで?その後どうなったの!?」

「その後はねぇ……そのおじいさんが…」


 ピコン♪


 ふと、歌穂ちゃんのスマホにSNS通知が届いた所で僕らは、もう景色が夕方になっていることに気づいた。

「あっ、ついつい話し込んじゃったわね。今日はこれでおしまい」

「えー…なんか残念…。借り物競争のお題で三丁目のトメ吉爺さんが出てからどうなったのか気になったのにぃ~」

 ブゥと口を尖らせるあおいちゃん。

 これまで、彼女は僕らの思い出話を目をかが痩せながら聞いてくれていて、話しているこっちも楽しかった。

 ただ、大人になってから思ったけど、知らない人にとっては結構カオスな実話だよなこれ…。

「また話してあげるわよそれくらい」

「わーい!」

 歌穂ちゃんの言葉に、あおいちゃんは手を上げて喜んだ。

 僕らの前には、夕日の光に照らされるアヤの寝顔。

 静かに眠る彼女の表情は、なんだか今日は楽しかった、と喜んでいるように見えた…。

「久しぶりに話せてよかったよ…。嬉しかった」

 僕も改めて感謝を述べると、歌穂ちゃんは僕の額を人差し指でツンと押した。

「なにこれが最後みたいに言ってんのよ。これからも沢山話せるじゃない」

「……そうだね」

 夕景が身を輝かし、にっこりと微笑む彼女。

 僕も笑みを返すと、窓の外で電線に止まっていた烏が、二匹揃って飛んでいく。

 離ればなれだった筈の僕らは、何の運命か、また一緒の場所に立つことができた。

 今日のこの楽しかった時間が、もう当たり前の日常になった事が、嬉しくて、友達と言う存在の有り難みが、これでもかと感じられた気がする。

 この感情を、いつかアヤも味わえると良いな…。

「また来るからね。アヤ」

 部屋のカーテンを閉めながら、僕は妹にまた一時の別れを告げる。

「アヤちゃん、またお話しに来るからね」

「私も、またお見舞い来るからね…」

 それに続くように、二人も眠る彼女に別れの挨拶を置いていく。

 アヤも、またね位は思ってくれていたらいいな。

 折角、本当の友達ができたんだから…。

「さ、帰りましょうか」

「うん」

 帰り支度を終え、僕らは出口の方へ向かっていく。

 と、このままフェイバリットに帰る前に、今一度アヤに別れを言おうと振り向いた。


「ハァ……ハァ……」

 また来るよ、と言おうとしたその時、彼女の呼吸が妙に荒くなっているように感じた…。

「アヤ…?」



 ピリリリリリッ!ピリリリリリッ!



 なにかおかしいと思った瞬間、彼女のとなりに設置された心電図モニターから、けたたましく緊急アラートが鳴り始めた。

「アヤッ!」

 異変に気がついた瞬間、僕とあおいちゃんが妹に駆け寄った。

 そんな…さっきまで呼吸も安定してたし…普通に眠っていた筈なのに…。

「急患!急患ですっ!」

 僕らがアヤの容態に不安を感じている最中、医療関係者の歌穂ちゃんは比較的落ち着いていた。

 病室の扉を開き、たまたま近くにいた看護師を呼び出すと、彼らを含めた数名の看護師が一気に病室に駆け込んできた。

「深山先生!来てらっしゃったんですか!?」

「挨拶は後!患者の容態が変わった!緊急措置とこの子のカルテを!」

「は…はいっ!」

 彼女の指示は鶴の一声となり、全ての看護師がすぐさま行動に移った。

「アヤ!アヤッ!」

「さわらないで!お医者様にまかせて!」

 命の危機に瀕した妹に必死に呼び掛ける僕らを、歌穂ちゃんが引き剥がした。

 アヤの息が少しずつあらくなっていく。

 医療機器を持ってきた看護師達が処置を始めた。

「先生」

 一人の看護師がアヤのカルテを持ってきて、歌穂ちゃんに渡す。

「周期は安定してる…。呼吸や排泄にも異常はないわね…。でもこんな時に急変なんて……もしや、臓器になにかしらの異常が…?」

 カルテを見ながら考察する彼女。

 只でさえ看護師さん達の仕事に緊張感が漂っているのに、ブツブツと状況整理を行う歌穂ちゃんの姿が、より恐怖と焦燥を感じさせる…。

 同じ想いなのか、あおいちゃんが僕の服の裾をキュッと握っている。

 僕はと言えば、目の前の医療関係者達の強い圧に、立ちすくんで見ていることしかできない。

「バイタル戻りません!」

「主治医の先生は!?」

旧北海道地方クルストからまだ帰ってきていません!」

 けたたましく鳴るアラートの中、事態はゆっくりゆっくりと悪い方向に向かっているような気がした…。

 もしも、妹が治らなかったら。

 もしも、このまま妹が空に上ってしまったら。

 そんな一抹の不安を表すたらればが、呼吸と共に大きく大きくなっていく。

 なんで、ここまで気づかなかったんだ。

 なんで、僕はまた気づいてやれなかったんだ。

 なんで…いつも僕のせいで…。


「テッチャン、落ち着いて」

 肩に手を置かれた感触と、歌穂ちゃんの声に我に返った。

「大丈夫だから…」

 彼女が浮かべていたその笑顔は、仕事人でありつつも、誰かの緊張を拭うような優しい笑顔だった。


「医療機器の準備をして!緊急特異行使オペの準備をします!」


 その笑顔の後に発せられたその言葉に、僕は驚いた。

「え…?でも、カホちゃんの特異って……」

「確かに、私の特異は外傷が中心。だけど、長くここで研究させてもらってたら、この鏡面発光の被害に少なからず有効であることがわかったの。パーセンテージは低いし、目覚めさせることはできないけど。発光事件の被害者を延命させることだけは必ずできる!」

「で…でも、カホちゃん大丈夫なの!?だって…君は免許を……」

「この病院だけは特別なの。特異行使だけなら、私もオペへの参加を許されてる」

 僕の彼女への心配を、彼女自信が次々に潰していく。

「ですが、それには主治医の許可が!」

 しかし、他の看護師からは彼女のオペの制止を要請される。

 確かに、本来は免許がないと言うことは、そもそも医療現場に踏み込むこと自体が無理な話だ。

 特例や誰かの特殊な許可がなければ、立ち会いが不可能ってことなんて、素人にも分かる。

 やはり…責任と言うものからは決して逃れられない…。


「責任は…私が取る!」


 だが、歌穂ちゃんはその静止要請に応じなかった。

「この子だけは助けなきゃいけないの!何があっても!責任を負われて追い出されたとしても!」

 彼女は無免許医として、人間として、看護師達に一切の紛いの無い眼を向ける。

 例え、無鉄砲でも、罵倒されるような立場でも、ましてやスプリミナルの人間であろうと、彼女はその責任と戦う覚悟を持ち合わせていたんだ…。

「お願い…オペの準備をしてください…」

 全員に頭を下げる深山女医。

 その姿に看護師達は顔を見合わせて狼狽えていた。

 どれだけ凄い特異点であっても、看護師達がその責任を負うにはさすがに大きすぎる…。

 主治医がいないまま勝手をする事は、看護師界にとってのご法度に違いない。

「……了解…しました。患者を手術室に運びますっ!」

 しかし、一人の看護師が勇気をもって声を上げ、ストレッチャーをもってくるために部屋を出た。

 彼の行動が、鶴の一声となり他の看護師も、次々にアヤのために手術の準備を始めた。

「ありがとうございます…」

 頭を下げたまま、歌穂ちゃんは礼を言うと、一人の女性看護師が、彼女の肩に手を置いて頷き、同義を表した。


「でもカホちゃん…そんなことしたら…君が…」

「テッチャン」

 君がここに居れなくなる、と言おうとしたが、歌穂ちゃんはその言葉を遮った。

 彼女は頭を上げ、背中を向けたまま話し始める。

「私…卒業式の日に言ったよね。またいつか出会うときは、もう守られてるだけの私じゃなくしたいって…」

 彼女の言葉で思い出した。

 離ればなれになるその日、彼女が泣きながら、その決意を僕だけに語ってくれた事を…。

「今日がそれ。アヤノちゃんはテッチャンにとって大切な家族。今度は私が守らなきゃ」

 そう言って、振り向いた彼女の顔は、緊張で少し歪んでいるけれど、極めて真剣な顔をしていた…。

 

「もう、弱くないよ。私」


 美しく篤実なその姿と、自信に溢れた言葉に、僕の心から心配という物が突き放された。

「うん…そうだったね……」

 もう、彼女は僕が守らないといけない程弱くない。

 僕と同じく、この世界の荒波を越え、今では命からがらの僕らを助けてくれた位成長しているのだから…。

「妹をよろしくお願いします」

 僕は深くお辞儀をすると、彼女は微かに笑みを浮かべながら、首を縦に振った。

「最善を尽くします!」

 長く美しい黒髪を結びながら、深山医師は患者を救うためにこの部屋を出ていった。

 これより…彼女だけが知る、険しく難儀な戦いが始まるのだ…。


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