9-1『女医M、友との約束』




 花菜村よりも遥か遠く離れ、どこにあるのかすらもわかっていない農村がある。

 そこに先住民はおらず、田畑は荒れ果て、今では珍しいどころか、存在すらも幻と言われている日本古来の家々は、蔓や茨によって、その形だけを残して朽ちていた。 

 ここに住み着いているののは、知能のない生命と春の匂いくらい。

 知能があったものは、このくそったれな社会になってから、改革やらなんやらで引っ越したか、土地の奪い合いや価値観の違いで殺されたか…。

 かといって、この村が美しくなったわけではない。

 この村の外に作られた高層ビルや、育ちに育った大樹の壁が日の光を阻害している。

 ここは欲に溺れた醜いリージェン共のせいで、壊れされた悲しい村なのだ。

 この場所酷く薄ぼけている。

 夢見て上京してきた私と同じ位に。


 そんな誰からも忘れられた農村の片隅にあるのが、この廃れた教会。

 蔦に覆われたコンクリート作りの建物で、中も放置されつづけていて床も壁も天井も爛れている。

 それを取り繕うこともなく、かといって、これを芸術として消化しようなんて事も、ここは思っていない。

 こんな場所、全然ロックじゃない。

 ただ、いつも薄ぼけているこの村の中で、この建物の中央にそびえる礼拝室にだけは一筋だけ日光が射す。

 コンクリートで作られた長い石段と、ヴィンテージと言うには古ぼけすぎているグランドピアノ、壁にデカデカと造形されている男女の営みのような表現が成されている、神の銅像。

 そして、その天井に貼り付けられている、美しい強化ステンドグラスから、日の光は射す。

 そこに彩られているのは羽の生えた全裸の赤子。

 まさに、人間を崇拝するにはもってこいの場所だ。


 ~♪


 日の光に照らされながら、間克さんが自分の世界に入り込んで演奏をしていた。

 ここに置かれているグランドピアノは、ボスでさえも一音も鳴らすことができない曲者だが、何故か間克さんだけはその音を鳴らすことができるのだ。


 今日の演目は『The Wind Blows Where It Will』。

 相変わらず、間克さん独特のアレンジが美しい物だ。

「マカツさん」

 ふと、声をかけると彼女は演奏の手を止め、ワンレンショートを靡かせながら、こちらを向く。

「良い?」

 そう聞くと、彼女はにこりと微笑んで頷く。

 音楽に良識がある人がいると助かる。

 私は担いできたアコースティックギターを取り出すと、ピアノの前に立って、スポットライトのように照らされた日光を浴びる。

 整脈に包まれたこの場所で、試しにAm7をかき鳴らした。


 ジャーンッ!


 音が美しく反響する。

 ここで音楽をすると、なんかスッキリするんだ…。

 誰に聞かれるってわけでもない、そんな歌を歌える場所だ。

「なにか、歌いますか?」

 ふと、私のAm7を聞いてくれていた間克さんが、声をかけてくれた。

「季節。良いかな?」

 自分の好きな歌の略称を言うと、彼女は「大丈夫ですよ」とだけ良い、指を伸ばして演奏体制に入った。

 演奏に入る前のしんとした空間…。

 緊張と高揚が体を巡り、ひしめく。

 その感覚が私達にとって堪らない一瞬だ…。

 一通りこの感情を味わった後、間克さんのブレスがこの静寂を切り裂くように響いた…。


「おいコウサカ」

 しかし、礼拝室に来た月村が、今から始まろうとしていたセッションを止めた。

「なに…?」

 今から始めようとする曲をとめられるのが一番嫌いだ。

 過去を見れる異能のせいで、ナチュラルにこう言うことしてくるのが腹立つ。

「ほら」

 月村は石段を降りながら、私に缶コーヒーを投げ渡してきた。

「昨日のこと…ボスが誉めてた。邪魔者排除した上に、スプリミナルの新情報まで出たからな」

 舞台に上がってきた彼は、間克さん用にもうひとつコーヒーをピアノの上に置いた。

 そもそも、昨日の任務は赤城隆泉や基山彰と言った危険人物の抹殺が主だったんだ。

 結果的には殺せなかったのだから、誉められるような自覚はないが、まぁ悪い思いはしないから良いか。

「そりゃどうも…。今日はあのジジイは?」

「今日も会社だ…。ハァ……俺にばっかり雑用回してきやがる……いっそ死にてぇ…」

 またいつもの死にたがりか…。

「その口癖、そろそろ耳障りなんだけど。死にたきゃとっとと死ね」

「それができりゃ苦労しねぇ……。こっちは誰にも迷惑かけることなく楽に死にたいんだよ……」

 目を反らしながらワガママな死に方を願う月村。


 コンッ!


「痛たっ」

 その態度がなんか腹たつから、コーヒーの缶の角で軽く頭を殴ってやった。

「そんな方法があるなら、この世で安楽死拒む老害がいなくなるわよ」

 傲慢な死にたがりに皮肉を言ってやると、月村の露骨な舌打ちが響いた。

「分かってるから願ってんだろが…」

 こいつのこう言うところ嫌いだ。

 私たちの過去を見て知ったような口振りで死にたがる、そんな自分勝手さがムカつくんだ。

 あの子の事まではわかんないくせに……。

「フフ…。仲良しですね…お二人」

「「どこが」」

 互いに目を反らしたのにハモるのがさらに腹立つ。

 間克さんに悪意はないから別に良いけど、こんな死にだかりと一緒にはされたくないな…。

 

「しかし…スプリミナルも厄介になってきましたね…。まさか、同じ無効化を手に入れるなんて……」

 間克さんの言葉から、話題は人外庇いスプリミナルの話になった。

 ついに私たちの特権だった無効化を、あいつらは手に入れた。

「ただでさえ、水使いや医者が邪魔なのに……。やだやだ……ほんと、なんもウマイこといかねぇや……」

「ムカつく……ただでさえ、同胞が減ってきてるってのに…」

 お互い、思い出すだけでも苛立ちが沸き上がる。

 私らをこけにしてきた女医も、生意気な新入りも、なにもかもが腹立たしい。

 リージェンを守ったって、人類にとっては後退でしかないのに、それを知らないふりして偉そうに…。

「いつかぶっ殺す…。リージェンを守るようなやつなんてろくでなしだ……」

 啖呵切って思い出すは、今まで自分がされてきた仕打ち。

 誰もが転がる石のような存在なのに、お前は特別じゃないだとか、自惚れるなだとか、そんなこと言われて腹立った事はザラだった。

 けれど、リージェンが吐いてきた言葉や態度だけは、思い出したくなくても、脳内にこびりついている。

 私は奴らを殺さなくてはならない。

 人間よりも悪態ついたあいつらを…。

 

「……結果を急ぎすぎると、大切な過程を見逃す」


 ふと、月村がため息混じりに伝う。

「ボスから直々のお達しだ。ありがたく思え」

 彼は哀れみのような、慰めのような、何とも言えない表情を浮かべていた。

「あんたが言っても、心に響かないけどね」

 ニヒルに笑って返してやると、月村はふんと嘲笑を浮かべながら出ていった。

 あいつの事は嫌いだ。

 けれど、この呉越同舟的な互いの思いだけはまだマシだ。

 それだけが、この組織の中で月村と上手くやっていける理由なのだろうな。


「まぁまぁ…そんなに歪み合わないでください……。私達は私達に出きることをしましょう…」

 にこりと微笑みながらも、私達を心配してくれる間克さん。

 彼女は肯定も否定もしない、優しいお姉ちゃんみたいだから好きだな。

「そうだね…。マカツさん、改めて入りからやっても良い?」

「はい」

 まぁ、月村の態度は忘れてやろう。

 そんな気持ちをギターと一緒に背負い、今一度Am7を小さくならすと、間克さんは改めて鍵盤に手を添える。

 次の瞬間、彼女が息を吸うと、私たちの旋律が奏でられた…。

 スプリミナルも、武装警察も、苛立つ物をなにもかも忘れられる

 誰にも邪魔をされない、評価などない、そんな空間……。

 



 ◆




 事件の後、僕らは傷を負いながらも、救援に来てくれた深山女医のお陰で、なんとかフェイバリットに帰ってこれた。

 プリズンシールのお陰で赤城さんは一命を取り留めたが、副作用である莫大な疲労感や精神的なダメージが未だに解消されないらしく、今日は佑香ちゃんの看病の下、休暇をとって療養するとのことだ…。

 高坂沙羅に首を斬られた冴羽は、一応搬送はされたが間に合うはずもない上に身寄りもなく、人知れず処理されたとのことだ。

 彼女が何故、同種族を恨むようになってしまったのかは、結局分からず仕舞いだったな。

 一方、僕らが知らない場所でも、基山くんと水原くんがヴィーガレンツの幹部二人に襲われて、重症を負っていたらしい。

 無事に生還した二人の内、水原くんはまだ動ける程度の傷だったようで、今日もフェイバリットに顔を出しているが、基山くんも赤城さんと同じく瀕死に値するダメージを負っていたらしく…。

 僕はと言うと、確かに結構なダメージを負ってしまったが、この治療薬ってものは目覚ましく、事件翌日の昼出勤の頃にはもう万全な体制になっていた。

 そして、僕が改めて深山女医こと、歌穂ちゃんと再会したのも翌日の昼のこと…。



 ガチャン


 本日正午、晴天。

 桜が青葉に洋装を変え、数割の学生の持つ鞄が、少し大きくなる頃。

 本社エレベーター近くの勝手口の扉を開けると、僕の親友はそこにいた。

「やぁ…」

 窓から町の景色を眺めながら、ファミリー席に座る彼女に声をかけた。

「うん…」

 僕の声に気づいた彼女は、ニコリと微笑んで手をヒラリと振る。

 彼女と出会うのは実に約十一年ぶりだが、この美しく可愛らしい笑顔だけは変わっていない。

 懐かしい感傷に浸りながら、僕は彼女の目の前の席に腰を掛ける。

 昔はショートカットだった黒髪も、今や絹のように柔らかく美しい長髪に変わり、首には羽を模したネックレスを着飾っている。

 勿論、スタイルも女性らしくなっていて、彼女も大人になったんだな…なんて、密かに時代の流れを感じていた。


「えっと、ここでは…はじめまして?になるのかな…。新人の…テツヤです」

「ここで…女医をやってます。カホです」

「プッフフ…」

「フフフ…」

 互いに自己紹介を交わしただけの、当たり障りない光景に、僕らは思わず吹き出した。

「なんか、久々すぎて、固くなっちゃうね」

「そうねぇ…。もう小学校からずっとあってなかったものね…」

 二人で笑い合っているだけなのに、こんなにも尊い瞬間に感じるのは、今まで出会ってきた事を鮮明に覚えていたから。

 職場でたまたま再会なんて、ありふれた事かもしれないけれど、僕にとっては、それがとても嬉しかったんだ。


「まさか……カホ先生とテツヤくんが幼馴染みだったなんてねぇ…」

 一方、カウンターではあおいちゃんが、再会を喜ぶシチュエーションに魅了されたかのように眺め、その隣の壁に寄りかかっている水原くんは、少し意地悪に微笑んでいた。

「そだね。あのNL好きドS女医とたらればヘタレ男が友達だったなんて、天変地異級に驚…」


 キィン!


 冷やかしの途端、ちょうど水原くんの股間すれすれにメスがささった…。

「なんか言った…?」

「いえ…なにも……」

 地雷を踏まれた深山先生の悪魔のような笑みと共に、男にとって大事な部分を質に取られては、いつも生意気な水原くんも従わざるをえないよな…。

 ホント…彼女はたくましくなったんだな…。


 話を戻そう。

「えっと…元気にしてた?最後に話してから、大分時間が経っちゃったけど」

 小学校卒業から今日までについてを聞いてみると、彼女は少し苦笑いを浮かべた。

「いろいろ…大変だったかな…。高校も結局いってなかったし…なんか…変な能力目覚めちゃうし…それに正直言うと、医師免許まだ持ってないし」

「持ってなかったんだ…スプリミナルの女医なのに?」

「まぁね、そこはやっぱり特別扱いだしねぇ…」

 彼女が少しバツが悪そうな顔を浮かべるのは、きっとこの仕事場の環境のせいだろうな…。

「でも、直に手術とかはしてないからね?あくまでも主治医の助手や民間療法の範疇。私の特異の兼ね合いもあるから、緊急の場合は医師が認可をしてくれれば大丈夫ーって、サトナカがなんとかしてくれたの。まぁ、それでも特殊認可医の免許とるために勉強してるんだけどね」

 歌穂ちゃんは苦くない笑顔を浮かべて、彼女の身の周りを説明する。

 医者というのは、やはり想像以上に苦労しそうだな…。

「これまで大変だったけど…ちゃんと新しい夢は見つけられたんだ。だから私は、なんとか元気でやれたよ」

 そう伝う彼女の笑みから、もう苦味は一切なくなっていた。

 これまでに彼女の身に起きたそれを思い出すと、深山歌穂という人物は、本当に強くなっているんだな…。

「そっか…なんとかやってこれたんだね…」

 けれど、苦労していたのは、僕だけではなく、彼女も人知れず苦労をしていた…。

 きっと、僕が知らない間に、何もかもが嫌になったこともたくさんあったのかもしれない。

 それでも彼女はがむしゃらに頑張って、スプリミナルにも入って、こうやって僕らとまた再会できて…。

 彼女がここでがんばっていたんだって思うと、僕は本当に嬉しかった。

 正直、ずっと音信不通だったから、すごく心配してたし…。


「あのね…」

 それを悟ったのか、彼女はおもむろに口を開く。

「覚えてるかどうかわからないけと…。ずっと前、あの時…生きてとか、ずっと友達だよとか…玄関越しに私に言ってくれたこと…すっごく嬉しかったんだ」

 あの時のこと…。

 小学生の時から、自分は彼女の顔をみていなかったが、今日までに一度だけ、彼女に話しかけたことがあった。

 鏡面発光事件以前に、深山家に大きな不幸があり、その時に玄関越しに彼女に思いを伝えたのだ。

 その時は、なにも反応してくれなく、心配のまま家に帰った事を覚えている。

 もう忘れていると思っていたけれど、ずっと覚えていてくれたんだ…。

「私、ようやくテッチャンと会えたんだって思うと、ここまで生きててよかった。スプリミナルって、大変なことばっかりだけど、二人で一緒にやっていけるなら、辛いことも少しは忘れられるかもしれない」

 彼女はそう言うと、僕の掌を覆い被せるように握る。

「私はもう絶望したりしない。死にたいなんて思わない。あなたがここに来てくれたから。だから改めて、これからよろしくね」

 その時の声色は、子供時代、一緒に遊んでいた時から変わっていない。

「…うん!」

 僕も小さかった頃のように、笑顔を浮かべ、彼女に返事をした。

 僕は、ずっとこんな日を待っていたんだろう。

 少しでも自分の罪や憎たらしい背後霊の事を忘れられるような、こんなに嬉しい出来事を、懐かしい再会を…。


「なんか…すっごく感動…。10年近く会えなかった二人が、職場でようやく会えるなんて…」

「いやぁ…こんなの、な○うとかpi○ivとかで書かれそうなほどありきたりな展開だろうし、大体、性格ドぎつい女医がヘタレなユウキくんと身体的な意味でもやっていけるかが一番ふあ…」


 ドスッ!ドスドスドスッ!


「あんたはいちいちうっさいのよ!」

「カホちゃん、死んじゃう死んじゃう…」

 しっかり頭やら脇やら股間やら、マジで斬れたら大変な所をスレスレで正確に当てているから、見てるこっちが怖い…。

 さすがに水原くんだけじゃなく、隣にいるあおいちゃんもドン引いてる…。

「全く…。ここの組織、本当にバカが多いから疲れちゃうわ」

 ふんと鼻息を漏らす彼女。

 改めて再会した時のことを思い返してみると、なんだか昔よりもハッキリと物が言えるようになったな…。

「でも…前よりかは楽しいよ。ここに来るまでは…いろいろと大変だったし」

 また詐欺をしていたことを思いだしながら呟くと、彼女は微笑んだ。

「そうね…私もいろいろあったけど……今が一番気楽かも」

 やはり、歌穂ちゃんもそうだったのか。

 今日までの僕らが受けてきた辛みを負債として換算して考えれば、確かにここの方が楽に感じるよな。

「というか、テッチャンはどうしてここに?」

 彼女の身を何気ない言葉にドキンと胸が波打つ。

 やっぱり、そこは聞いてきちゃうよね…。

「実は……ちょっと、自分の発症した特異のせいで、前の職場で事故しちゃって…。それをミズハラくんが助けてくれて、そこからノリで…って感じかな…」

 とりあえず取り繕った事の成り行きに、歌穂ちゃんは適当にふうんと頷いた。

 嘘は言ってない。

 本音は隠してるけど。

「私も少し似てるかもなぁ…。自分の特異が暴走して、警察に捕まる寸前で、サトナカが助けてくれたのよ…」

「サトナカさんが…?」

 彼があまり公に姿を現す印象がないのだが…。

「実は私、結構ここに入ったの早いのよ。スプリミナルナンバー5番目だからね」

「そうだったんだ!じゃあ大先輩だ…」

 なるほど…それくらいだと確かにここまで組織が発達していないか…。

 ちなみに、スプリミナルナンバーは、入った順番で決まる。

 自分は11番で、水原くんは2番、あおいちゃんは10番。

 ただ、あおいちゃんは水原くんよりも先にここに居たらしいのだが…まぁ、それはまた別の話か。

「とにかく…前は本当にひどかったかも…。蟹工船って作品があるけど、スプリミナルに入った今より入る前の方が、その作品と現実が一致してるわね…」

「そっか…。君も大変だったね」

 蟹工船を引き合いに出されるとは思わなかったが、とにかく彼女も彼女で、別ベクトルの大変さがあったんだな…。

 僕の場合は、人を殺してしまったけども…。


「まぁ、ここにいて少しは楽しいと思えるようになったわ…。叶さんも優しいし、あおいちゃんは人懐っこいし。まぁ、ミズハラやスミウラは生意気だけどね」

 彼女の口角が上がると共に、僕の心に安堵が浮かんだ。

「僕も…今のところ楽しいかな。業務は色々大変だけど……前と比べたら…ずっとホワイトだよ…」

「本当?ここ、なかなか大変なのよ?この前の仕事なんかね…」

 歌穂ちゃんのその言葉から、僕らはスプリミナルに入ってからのことを互いに話し始めた。

 入社試験の時にここが大爆発した事とか、動画投稿者の裁判の事とか、陪川さんに振り回された事とか……。

 歌穂ちゃんも歌穂ちゃんで、近くの工場の爆発事件を解決した事や、殺人事件の動機が単純だった事、陪川さんには振り回された事など、僕の知らない事件を体験していたようだ。

「つか、スプリミナルに来る依頼が、変なのが多すぎるだけだけどね~」

 まぁ、水原くんの言いたいこともわからなくもないが…。

 でも、まだ1ヶ月にも満たないが、それでもここまで来た道のりはとても濃厚で、僕らが思い出話を弾ませるにも、十分な記憶だった。

 ただ……ここに居ると言うことは、お互いに罪はあるのだと思うが、僕らはあえて聞かないことにした。

 いつかはわかることだろうけども、今はただ、二人でまた出会えたことの喜びを、噛み締めていたかったから。


「てか…テッチャンの特異すごいわね…。無効化なんてなかなか見ないわよ…?」

 スプリミナルに入ってた事を色々話してるうちに、各々の特異の話になった。

「まぁ、自分は全然実感無いし、応用とかもまだできないけどね……。そう言えば…カホちゃんの特異って?」

「あぁ、テッチャンや皆に注入した薬、あれが私の特異」

 少し間の抜けた返答に僕は首をかしげる。

 たった一日で粗方の傷を治せるほどの治療薬が彼女の特異であるとは、どう言うことなのだろうか…?

「さすがに、いきなり言われてもわかんないわよね。改めて説明するわ…」

 彼女は腕捲りをしながら、白衣の内ポケットに入っている治療薬を取り出した。

「私の血液には、普通の人間には無い、特殊な欠損修復細胞が入っているの。それを他者の体内に注入することで、色んな傷を治すことができるの」

 歌穂ちゃんの特異に驚愕した。

 まさか回復薬が全部赤黒い色だったのは、彼女の血液だったからだなんて…。

 自分の身体に入れられていたものがまさか親友の、しかも女の子の物だったと思ったら……なんだかすごく申し訳ない気持ちがしてしまう…。

 というか、感染症とかは大丈夫なのだろうか。

 まぁ、それは特異そのものが何とかしてくれるって言う考えもなきにしもあらず…。

「すごいなぁ…」

 腕捲りされた白魚のような腕。

 そこに微かに浮かんでいる血管の中に、治療薬が入ってるんだと思うと、なんだか彼女の身体が医療の世界に置いて、金の泉その物に見えてきてしまうな…。

 どんな傷も治せる特異点…。

 これがよく傲慢な医者に悪用されなかった物だな…。

 ん…?どんな傷でも治す……。

「…ってことは、例え大きな怪我をしたとしても、特異でなんでも治せるってこと!?」

 気づいた僕は興奮し、思わず椅子から立ち上がると、歌穂ちゃんはそれに肩をびくりと振るわせた。

 この時の脳裏に浮かんでいるのは、勿論アヤのことだ。

 あらゆる傷を治してくれるのなら、もしかしたら彼女の血液を注入すれば、アヤが治るかもしれないから…。

「ま…まぁね。でも、粗方の血液が出きってしまっていたり、身体が殆んど形をとどめていなかったりすると、さすがに手遅れになる可能性が高いわね…。赤城の場合は本当にギリギリだった」

「そ…それは申し訳無い…」

 興奮して熱くなっていた頭を、謝意の気持ちが押さえつける。

 それと同時に、僕はしゅんとなりながら、椅子に座った…。

「それと治せるのは"なんでも"じゃない。あくまでも外傷が中心と言うだけ。だから、末期がんとか生活習慣病にはほぼ無意味なの…。それと、陰茎とか陰唇の内部や外部とかも治せても傷が残ることもあるわ」

「そ…そっか……」

 彼女は単純に自分の事について話しているだけだが、僕からしたら厳しい現実だった。

 外傷が中心であるなら…恐らく内科的な原因のアヤを治療することは無理だろう…。


「陰茎って?」

「ち◯○んのこと」


 バシィンッ!


「な…なんでやねん…」

 僕らの横で夫婦コントみたいな事が繰り広げられてるけども、一旦無視しとこう…。


「まぁでも…この特異だけは、ハイドニウムでもなかなか排除できないレアケースだから、もしもテッチャンがハイドニウムで傷つけられても、すぐに治せるのっ!だから、もしもなんかヤバい状況になったら気軽に呼んでね。すっ飛んでいくから!」

「そ…そうだね……」

 少し邪な事を考えてしまったがゆえ、歌穂ちゃんの笑みがなんだか申し訳なく感じた…。

 彼女を安易に利用するなんて、冷静に考えれば、さっき妄想したような傲慢な医者と全く同じじゃないか。

 楽を考えるのはやめよう。

 彼女との縁のために、なによりアヤのリスクのために…。

「……どうしたの?なにか…気になることでもあった?」

 僕の表情から暗然を察したのか、彼女は首をかしげる。

「いや…大丈夫だよ。うん…気にしないで……」

 愛想笑いで嘘ついて断った理由ワケは、親友にあまり心配をかけさせたくないからだ。

 せっかく再会したのに、いきなり重い話をするのも良くないだろうし…。

 それに、彼女の特異を軽々しく使おうと思ってたなんて知られたら、それこそ悪い…。


「それよりさ……」


 ギュッ


「い、痛ていひぇひぇ…」

 話を明るくすげ替えようとした瞬間、歌穂ちゃんに両頬を強く引っ張られた。

「嘘。私、一応探偵業務もしてるんだから、それくらいの嘘わかるんだからね」

 彼女はそう言うと、頬から手を離す。

「話して。今の私なら、どんなこと聞いても大丈夫だから…」

 彼女の顔は真剣で、机に乗せていた腕を仕舞い、背筋を伸ばした。

 覚悟を決めたと物言う彼女の真っ直ぐな眼が、僕の心を揺さぶった。

 別れてから10年以上たった今でも、歌穂ちゃんは、ずっと僕ら二人の事を思ってくれていたのだろう。

 そうじゃないと、ここまで僕に話してくれる理由なんてない。

 そんな事を思うと、僕は彼女ほために嘘を塗り固めるようなことをしてはいけない気がした…。

 アヤの過去のことを…彼女に話す時が来たのだ。

 僕はそう決意し、誰にも聞こえないほどに小さく深呼吸をし、あの日のことを話し始めた。

 

「……四年前の鏡面発光事件…覚えてる?」

「覚えてるわ…。目の前で妊婦さんがトラックに押し潰されて死にそうになっていた光景が…頭にこびりついてるもの…」

 苦しい顔をするが、その目は僕かられない。

 やはり、彼女の記憶にまで刷り込むほど、あの災害は大きなものだったのか…。


「その被害者なんだよ…アヤが…」


 僕の言葉を聞くと、歌穂ちゃんの表情が驚きに変わった。

「アヤちゃんが…!?そんな……」

 彼女のなかでは、きっとまだ向日葵みたいに元気なアヤの印象がついているのだろう。

 しかし、今のアヤは、笑いも泣きもできない眠り姫だ…。

「あの光を浴びたアヤは、今も病院で眠ってるんだよ…。この四年間、ずっと様々な治療をしてきたけど…未だに目覚めないんだ…」

 あの日の事は、未だに呪いのように付きまとっている。

 仕事に行こうと家を出たアヤを見送ったのが最後、再会した頃には、目も開けられない姿になっていた…。

 医者でも未だに解明ができていない症状なものだから、それを検査、治療するには莫大な医療費がかかる。

 その頃には両親はこの世に居なかったから、僕が稼ぐしか方法はない。

 その為には、詐欺でもなんでも、ところ構わず金を集めるしか無かったのだ…。

 全てはアヤのためだけ。

 僕が儲かりたいだけなんかじゃない。

 そう割りきっていた筈なのに、未だに罪悪感と言うものは、記憶や心にこびりついている…。

 自分が罪を犯していたことも勿論だが、それよりも大きいのは、アヤのこと…。

「もしも…僕がアヤを引き留めていれば…もしも、僕が…もっと早く起きれていたら…。もしも僕がアヤと変われるななら……。いっつも考えてしまうんだ…そんなたらればを……」

 自分が変わってやれなかった事への恨みや辛み、悔やみや憎しみ。

 それが重なって生まれるのは、自責を現す"たられば"ばかりだ。

「カホちゃんの特異を聞いて…これで遂に治せるのかって光を見たけど…無理だったから……。ごめんね、変なこといって……」

 謝意を込めて彼女にそう伝う。

 そもそも、他人を頼ろうとするなんておこがましかったのかもしれない。

 自分の家の事なのに、他人の良いところに漬け込むのは寄生虫と同じとも考えられる…。

 だから、結局は自分が誰かに頼ることなく、また金のために働かないと行けないんだ。

 金払いも対応も良いから、幸い蟹工船よりかはマシだしな…。

「私は」

 ふと、静かに話を聞いてくれていた歌穂ちゃんが口を開く。

「私は…家族がそういうことになってないから、テッチャンの気持ちは…わかりかねるかもだけど…。家族がいなくなって、一人になったときの怖さや不安は…痛い程わかるよ……」

 ふと彼女の顔を見ると、眉をひそめ、僕に哀れみに似た目を向けていた。

 忘れてた…、彼女も僕と同じだったんだ。

 彼女にも僕と同様に愛していたお母さんがいたけれど、僕と別れてからその人を早くに亡くし、そのまま一人ぼっちになって……。

 彼女は僕なんかよりも早く、そして長く、その苦しみを抱えていた…。

 相も変わらず、僕は馬鹿野郎だ。

 目の前に、もっと辛いことを体験してきた人間を差し置いて、なに自分だけ特別みたいになってるんだ…。

「……ごめん…。僕だけじゃないのにこんなこと……」

 僕は僕への憐れみを持ってしまったことを反省すると、彼女は首を横に振る。

「気にしてないわ。あなたはあなただから」

 優しく微笑む彼女は、昔から変わらず白鳥や天使のように美しい物だった。

 この笑みのお陰で自分が免罪されたような気がしたし、今日の再会に意味があると実感できる…。

「ありがとう…カホチャン」

 感謝を込めて笑みを浮かべると、彼女も僕に笑みを返した。

 できるのならば、これからも彼女との縁を大切にしていたい。

 寄生虫的な感じではなく、ちゃんとまた友達としてやっていけるように。

 ずっと僕やアヤの事を覚えてくれていてくれ、暗くなった僕らを元気付けてくれる彼女と…。

「まぁ、いつもはサバサバしたドS女だけどね」

「ほっとけ、クソガキ」

 まぁ…ちょっと口は悪くなったけど…オーライオーライ…。


「あっ、そうだ!ねぇ、今からアヤちゃんの病院に行っても良い?私、改めてアヤちゃんに会いたいの」

 髪を揺らしながら立ち上がる歌穂ちゃん。

 そう言えば彼女は、まだ大人になったアヤに会ったことがなかったな…。

「…そうだね、行こっか。僕もお見舞い行こうとしてたし」

 基本、アヤを人には会わせたくないが、歌穂ちゃんなら大歓迎だ。

 アヤも面会してくれる人もほとんどいないし、きっと喜ぶだろう。

「でも、今から?大丈夫?お仕事もあるだろうに…」

「大丈夫よ。パトロールだって言っときゃ何してても大丈夫だし、ここらの病院には、私の顔が通ってるから、なにしてたかのアリバイにもなるしね」

「そ…そんなもんなの?」

「そんなもんそんなもん」

 なんて適当な職場だ……。

 まぁ、いつでも気軽にサボる水原くんとか、いつ仕事してるのかわからない住浦さんもいるし…わからなくもないな…。 

「あ!んじゃ、私も行きたい!」

 カウンターに乗り出すほどの挙手をするあおいちゃん。

「丁度、今日はお客さんも少ないみたいだし、テツヤくんの妹さん見てみたいもん!」

「いいよ。多い方が、きっとアヤも喜ぶだろうし…」

 それに、妹に興味を持ってくれた事が、なによりありがたい物だ。


「んじゃ、アオイがいくなら僕も…」

 ふぅとため息をついて立ち上がろうとする水原くん。

 あおいちゃんが彼の前に掌を向けてその動きを止めた。

「ダメ。カドヤは昨日無理した罰!今日一日店番してなさい」

 店長からのストップに水原くんは鳩が豆鉄砲撃たれたような顔から、瞬時に臍まげて、半月状に拗ねた目に変わる。

「えー…コーヒーどうすんの?」

「ブルーアイ品切れって言っときゃ、大丈夫。普通のコーヒーの淹れ方は教えたでしょ?そっち淹れれば良いから」

「はぁ…へいへい……。なーんで今日は僕ばっかり…」

 水原くんは口を尖らせ、近くの椅子に腰を落とした。

 スプリミナルで一番の面倒くさがりを、ここまで粛清できるあおいちゃんのお母さん感というか…。


「さっ、水原は放っておいてそろそろ行きましょうか」

「あ、うん」

「はーいっ!」

 すでに準備万端だった歌穂ちゃんの後を追うように、僕とあおいちゃんも店を出た。

 こんな世の中だけど、今日はちょっとは楽しい日になりそうだな…。

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