9-3『女医M、友との約束』




 この瞬間がいつも緊張する。

 エタノールと薬の匂いが自分の弱さを煽り、幼稚園児のスモックのような肌触りがする手術服が、頑張れなんて余計なプレッシャーを送ってくる気がした。

 二重になっている手術室の扉を潜って、指紋を認証すると、とたんに微細な霧状の消毒液が吹き出して全身に浴びる。

 リージェン社会になってから、未知の疫病から身を守るために、十分に滅菌された手術服のさらに上に消毒液を吹き掛けないといけないようになった。

 いちいち面倒には感じるが、医療機関なのだから仕方がない。

 まぁ、専門知識もない馬鹿な役人が決めたことだろうから、本当に効果があるのかわかんないけど…。


 改めてカルテに描かれていたことを思い返す。

 悠樹綾乃、19歳。

 患者は4年前に事故に遭ってから目覚めることなく、ひたすらに眠っていた。

 主治医の先生は彼女を目覚めさせるためにいろんな処置を施してきたが、一度も目覚めたことはないし、かといって病状が悪化したようなことも一切ない。

 そのため、今まで彼女に出会わなかったのは、私の特異が必要が無かったからだ。

 延命をしたところで、目覚めるわけがないのだから、私が彼女の病室に居たところで意味がなかったのだろう。


「深山先生、お願いします」

 でも、今は違う。

 何人もの看護師が、私の大好きな人を救うために、私のわがままを聞いてくれた。

 私は、また罪を重ねる。

 それが、アヤちゃんを救うためなら、一つも惜しくはない…。

「ふぅ…」

 大きく息を吸い、緊張と共に息を吐く。

 大丈夫、もう皮膚の解剖方法はわかっている…。

 習ったことは全部頭の中にある。

 絶対に失敗しない。

 大丈夫だ……。

 大きく波打つ心臓を押さえて言い聞かせた。

「これより……」


「少々お待ち下さい」


 意を決して執刀を始ようとしたその瞬間、出入り口が開く音が響く。

 振り向くと、そこには中年の少し小柄なベテラン医師が、万全の格好で立っていた。

「申し訳ございません。先ほど到着しました」

「ヒメモリ先生!よかった!」

 彼の姿を確認した看護師達が次々に安堵の表情を浮かべる。

 彼の名は姫森丈。

 この患者の主治医であり、日本医師の五本の指にも入るのではないか?とも言われるほどの名医。

 本来、彼女についていた主治医は別の人間だったらしいが、4年も植物状態で生きれている身体に興味を持ったらしく、無理を言ってアヤちゃんの治療に就くようになったらしい。

 笑みを見せることも少なく、性格的には少しサイコな気もしなくはないが、人情に熱く、基本的に人を怒ることもない。

 その性格から多くの人間に信頼を寄せられており、なにより彼は私の師匠でもある…。

「看護師の方から、事の成り行きは大体聞いてます。ミヤマ先生、良いですか?」

 彼の目を見て、私はすぐさま主の位置から退き、軽く頭を下げた。

「勝手をして申し訳ありません、ヒメモリ先生…。よろしくお願いします」

 彼は何も言わずに優しく頷くと、私と立ち位置を変えた。

 彼は私と違い、オペを同行する医師に弱気な部分を見せようともせず、すぐに仕事人の目に変化する。


「これより、ミヤマ女医参加認可、鏡面発光事件被害、回復手術を開始します」


 彼の宣言により、ついにオペが開始された。

「先生、Lt細胞を」

「はい」

 Lt細胞と言うのは、私の中にある欠損修復細胞の正式名称。

 姫森先生の指示で、私は予め採取しておいた血液を彼に手渡すと、彼はアヤちゃんの腕に回復薬をそっと注入する。

 Lt細胞は白血球の遊送に似た行動が可能なため、何処に入れても効果は即座に発揮されるため、 大概はここで一命を取り留める筈だ。


 しかし残念ながら、この悪状況から変化はない…。

「やはり…これだけでは無理ですか……」

 と言うことは、彼女が危険な状態に陥った理由は、他にあるということになる。

「切開します。メスを」

「はい」

 別の看護師が、姫森先生にメスを手渡すと、彼女の滅菌された白く柔い肌に、そっとその刃物が突きつけられた。


 鏡面発光事件によって身体が植物状態になる原因は、"光を受けた人間の臓器が睡眠状態に入る"というのが、まず根本だ。

 あの光の中には、人間の臓器の壁を内側から食い破って破裂させる、非化学物質が混じっている。

 植物状態に陥った人間は、穴という穴から入ってきた非化学物質が臓器の内側に付着し、そのままゆっくりゆっくりと内蔵を破壊していった。

 それはまるで、核の被害者のように…。

 その上、非化学物質は細胞のように身体の養分も吸収して、少しずつ分裂や肥大もする。

 その成長段階を食い止めることができるのが、私の特異だ。

 非化学物質は細菌ではないため、普通の怪我と同様に治すことはできないが、非化学物質の動きだけなら止めることができる。

 長い投与を繰り返すことで、患者そのものの中にある免疫細胞に非化学物質を殺してもらい、目覚めさせる。

 それが、このケースでの特異の使い方だ。


 私を含めた医療関係者の人々は、約4年の長い研究を経て、それら全てを解明した。

 しかし、その4年の歳月はあまりにも遅すぎた。

 体内に入ってきた非化学物質が少なかったが故に、植物状態から目覚めたというケースもあったが、それはほんの一握り。

 あの被害を受けて植物状態になった多くの人間が、帰らぬ人となった。

 未だに目覚めていない人間も勿論いるが、全医療機関とその関係組織は"これ以上の混乱や不安を煽る事をしない方がいい"と判断したため、市民には未だにその真実が告げられていない……。


「綺麗なものね…ほとんどの内蔵が……」

 姫森医師の執刀によって開かれたその身体は、病人にしてはとても美しく健康的な物だった。

 普通、光によって命を落とした物の臓器は、非化学物質によって灰色に変色させられるのだが、彼女の身体は朱や紅等、素人でも想像できる臓器の色そのものだ。

「しかし…少々危険な状態ではあります。ここを見てください…」

 姫森先生の指示通り心臓を見てみる。

「心臓が弱ってきてますね…」

 通常、ドクンドクンと波打つ心臓の鼓動が、明らかにゆっくりなのだ。

 心臓自体の色も、よく見たら、灰色と赤の斑になりつつある…。

 一見、綺麗な内蔵であっても、非化学物質は、心臓にまでその範囲を広げているということだ。

「彼女は、4年も非化学物質と戦っている…。その負担が、心臓に少しずつ蓄積されていたのかもしれません…」

 いつもは優しく冷静な姫森先生だが、言動が少々恐々としている気がする。


 ここが彼女の容態に置いて一番の謎だ。

 術前に見たカルテでは、悠樹綾乃という人間の臓器はこの4年において内蔵内部の侵食率が0.n%にも達していなかった。

 害を被ってから半年よりも早く命を落とすほど、大量の光を浴びていた筈なのにこんなに少ないのはおかしい…。

 この状況を少し簡単に説明してみると、彼女の内蔵は"非化学物質が単純にくっついているだけの状態"のため、一切身体を壊されずに植物状態が保たれているようだ。

 言い方を変えれば、彼女は今まさに"身体の中の細胞が長い年月をかけて非化学物質と互角の戦争をしている"という状態になる。


 では、何故彼女の身体にLt細胞が効かないのか。

 まず一つ考えられるのは、"心臓が傷ついていない"ということ。

 私の特異はあくまでも『傷があった場合』と『体に傷をつける細菌を減らす』と言うのが効能。

 顔で例を現すと、ニキビ等の肌を傷つける物に有効で肌も整うが、寿命や加齢によるシミには一つも効かない。

 この心臓の弱り方は傷がつけられているわけではなく"疲労、または老化している"と判断され、私の特異は効果を発揮することが出来ないと考えられる。


 しかし、それでは変化が一つも現れないのはおかしい。

 心臓内にある疲労の原因である非化学物質が少しでも消えてくれれば、そこに休みが生まれ、心臓も一時的に回復してくれる筈だ。

 なのに、周期が安定しないとなると、もう一つ考えられるのは、私の血液内の特殊細胞が心臓に至るまでに無くなってしまう、ということ。

 血液の中に細胞があるとは言っても、非化学物質を完全に削除することはまだできない。

 あまりにも物質が多かったり、患者の免疫細胞達が弱まっていれば、心臓までに到達することは困難だ。

 ただ、これはあくまでも仮定だし、まだまだ気になるところは沢山あるのだが…。


「先生、どうしますか…?」

 考察している間、看護師から次の指示要請が来るが、姫森先生はなにも言わずに私の方を見ていた。

 恐らく、私自信が次に何の指示を出すのかを試しているのだろう…。

「一度…心臓に直接血液を送った方がいいのかも知れません…」

 私の中での最適解はこれしかなかった。

 このまま何もしないで死なしてしまうよりはマシだし、何処に刺しても一緒なら、やれることはこれしかないと思ったからだ。

 しかし、看護師は私に驚きの表情を向けている。

「でも、どうやって…!?この弱りきった心臓を一度切開したり針を突き刺したりするのは、あまりにも危険ですよ!」

 彼の言うとおり、確かに心臓は極めてデリケートな部分。

 ただでさえ非化学物質で弱ってきてるのに、むやみやたらに心臓に針を刺して注入するだなんて、さすがに無茶な考えか…。

 しかし、かといって心臓マッサージや電気ショック等の初歩的な処置も、非化学物質の前には無意味。

 じゃあ、どうすれば良い?

 ありったけのLt細胞を彼女に注ぐ?

 いっそ心臓を人工物に交換する?

 ダメだ、あまりにも時間がかかりすぎるし、第一効果が期待されない。

 この子を救う手は、もうないの…?


「深山先生」


 命を左右する困難な状況の中、私たちの動向を見ていた姫森先生がついに口を開いた…。

「最新医療機器は…使えませんか?」

「最新医療機器…?」

 確かに…リージェン社会になってから、便利な医療機器が沢山増えた。

 眼球の網膜を簡単に張り替えられる物や、血管の剥離した壁の修復や不純物を取り除ける薬剤、リージェン特有のいびつな内蔵でも代用出来る人工臓器。

 心臓治療の最新機器と言えば……。

「……っ!そっか…LCSなら…!」

 そうだ、未だに実装場所が少ないから忘れていた。


 LifeCureSniper1116、略称LCS。

 臓器の切開や縫合をしなくても良くなる医療器具だ。

 リージェンの内蔵は、歪な形であったり、人間よりも強固なものであったりと、人間よりも手術が厄介なものが多いため、執刀する医師も匙を投げたくなるほど難儀な場合もある。

 そんな難儀な手術を格段に楽にするために、この機器が作られた。

 LCSは主に、心臓によく使われており、人工弁等のパーツを安全に嵌めるための物で、Lt細胞の注入は二の次だ。

 ただ、これを扱うためには、かなりの技術がないと、臓器の破裂や大量出血で患者を死なせてしまう可能性があるため、LCSを使用するには免許が必要となっている。

 楽にするための機械であっても、裏を返せばそれを巧みに操れないと、患者を大きく傷つけてしまうのだ。


 幸い、ここら一帯の病院を漁っても、この免許を持っているのは、目の前にいる姫森先生だけ。

 彼が、彼女の主治医であってよかったと、今、心の底から先生を感謝している…。

「すぐに準備をお願いします!そこから私の血液を注入する…できますか?」

「お任せください」

 姫森先生が頷くと、手術室奥の壁に取り付けられた棚から、銀色の細長いジェラルミンケースが取り出された。

 その重々しい箱を開くと、そこから顔を出したのは、銀色の猟銃形状の機器。

 それは、医療器具と呼ぶにはあまりにも大きく、命を狩りとるには物騒さが足りない。

 戦闘軍人が持っていそうな形をしているが、これで助けられた生命体が何百人もいる優秀な品であり、姫森先生にとっては鬼に金棒、虎に翼等の言葉が似合うレベルだ…。


「Lt細胞の準備はできてます」

「逆流防止処置も出来ました」

 私たちが報告すると、姫森先生は受け取った回復薬の入ったカートリッジをLCSにセットし、大きく深呼吸をした。

 例え、どれだけの凄腕を持っていても、免許を要するような心臓の手術には緊張はするようだ…。

「いきます…。カミキさん!支えて!」

 彼の合図で医療機器が持ち上げられ、指名された看護師がそれを支えた。

 心臓に銃口が直接当てられると、そのままそれが水溜まりのような波紋を出しながら、ズブズブと臓器内に入る。

「血液注入します!」

 合図と共に引き金が引かれると、カートリッジから血液が患者の体内へと流れ出した。

 これがLCSの醍醐味。

 LCSは微量の空間移動能力を持つ異能者の異能と私の特異が合わさって完成された物。

 空間移動異能で機器を体内に挿入し、その際に傷ついた体内を微量の回復特異で修復するのが特徴。

 しかし、異能と特異を同時にコントロールさせるための素材(アーツとほぼ同等)や、Lt細胞血液を安全に体内に運ぶための医療部品等の諸々のテクノロジーが必要となってしまったため、このように巨大な機材になってしまったのだとか。

 一応、小型化するための改良は進められているらしいが、それでもLCSの照準が狂うと、ここに入っている二つの能力がぶつかり合って暴走し、LCSに入ってる量の回復薬では治療出来ない程、身体を大きく傷つけてしまうことになるため、免許は絶対に必要だと提言されている。

 ちなみに、一般人にもわかるように言えば、河豚ふぐを捌くのと同じ。

 それ程にデリケートかつ難しいと言うことだ…。


「血液注入完了しました!!ゆっくり抜きます!」

 血液が全て注入された頃、先生の指示で、LCSが一気に引き抜かれた。

 パッと見、心臓に傷は付いていない…。

「どうだ……」

 ここでLCSを当てた場所が心臓の正しい位置でなかったり、回復薬が適切な量入っていなかったりすれば、患者の身体は大変なことになる。

 例に上げれば、体内の穴という穴から血が吹き出したり、心臓の壁が避けて大出血を起こしたりする可能性も…。

 それほどこの医療機器はデリケート且つ、この中に搭載された異形能力が強力であるということだ。

「……」

 私たちは息を飲み、しばらく観察をしたが、心臓からは未だ傷が開いているようには見えない……。

「大丈夫……な、ようです」

「すぐさま縫合!」

「はいっ!」

 医師達が主治医の指示に動いた頃、私は一度肩を撫で下ろせた。

 よかった…一応、効果はあったようだ。

 バイタルも安定してるし、とりあえずは一命を取り留めたようだ。


 ちなみに、何故、縫合で回復薬を使わないのか?と思う人もいるだろう。

 逆に聞くけど、そもそも傷とはなんだと思う?

 皮膚を裂かれている状態か?値が吹き出している状態か?

 それは勿論合っているだろうが、私の特異自体はそれを否定している。

 この能力が示す傷とは、体内に細菌が入って、始めて『傷』と言うらしい。

 そのため、完全に滅菌されているこの空間に置いて、細菌が体内に入っていない限り、私の特異を打ち込んでも無意味。

 だからこそ縫合が必要であり、医者と言う職業が未だに求められ続けているのだ…。


「縫合、完了しました」

 先生の言葉と共に、ようやくこの緊張しかない部屋の中で、医師達は全員息を付けた。

 手術は一応、成功と…見た。

「これでまたしばらく様子を見ます。しかし…」

 主治医が言いたいことはもうわかっている。

「彼女の寿命が…危ういんですね」

 私の言葉に、姫森先生は頷いた。

 私の特異は延命処置はできるが、寿命を伸ばすことはできない。

 心臓があそこまで疲労していたら、普通死んでもおかしくはない状態だったのを、私達が無理やり延命処置をさせたのだから、身体自体に大きな負担が入っていない筈がない。

 このまま生きれても…恐らく、余命半年か…それ以下は覚悟した方がいい。

 この半年までに、この非化学物質の正体がわかれば処置は出きるし、恐らくそれさえ消えてしまえば、彼女は半年以上楽に生きられる元気な身体になれるのだが…。

「しかし、これで非化学物質が体内に長く定着していることで、心臓を疲労させる作用もあると言うことが解りました。彼女はどうなるかは予想もできませんが、彼女以外の、まだ目覚めていない人々を目覚めさせるために、LCSとあなたの血液は、これからも必要となるのかもしれませんね」

「はい…」

 彼の言葉を心身に受け止めた。

 先生のお陰でなんとか事なきを得たが、目の前で眠るこの子の戦いは、まだ始まったばかりだ。




  ◆




 ようやく手術が終わった…。

 これでようやく肩の荷を下ろせるのだが、手術室から出るのも、また緊張する案件だ。

「カホチャン!」

 何故なら、患者の無事を必死に祈っている家族の前に立たなければならないから。

 家族が不安な顔で成功という文字を懇願しているのが、私にとって結構なプレッシャーになる。

 もし失敗だったらどうするのかって考えてしまい、正直、私の口から結果を言うのが億劫に似た思いが涌き出る。

「手術成功」

 そんな感情を噛み殺し、駆け寄ってきた彼を不安にさせないように、笑顔とピースを添えて応えた。

 ほとんど姫森先生のお陰ではあるけど、アヤちゃんが無事に帰ってこれて本当によかった…。

「それで……うぉっ!」

 今後の話をしようとした時、突然テッチャンが私に抱きついてきた。

「よかった……よかった……」

 彼の表情は、自分の胸で隠れて見えないが、彼の涙声と感謝の声色でその思いはしっかり伝わった。

 結果を告げるのは好きはなれないが、この瞬間のために医者をやってるようなものではあるな…。

「まだ余談は許さないけど。きっと良くなるから…安心して……」

 未だギュっと抱き締め続ける彼の頭を撫でながら、わたしは少しの嘘をついた。

 このまま行けば半年までに死ぬなんて、自分の口からは言えないし、彼をまた不安の海に突き落とすような事もしたくない。

 彼はまだ、私にとっては光でなければならないのだ…。


「ミヤマ先生」

 そんな中、手術室から、LCSの片付けを終えた姫森先生が出てきた。

 それに気づいた私は、一度テッチャンを引き剥がし、彼に頭を下げる。

「ヒメモリ先生、申し訳ございませんでした。患者の危篤に耐えきれず、無免許医である上で勝手をしてしまいました。無免許医が執刀するのは違法と言うことは承知の上でしたが、それでも彼女は救わなければならない命でした。勝手に判断をしたこと、極めて危険な行いをしたこと、全て自覚しております。どんな処罰を受けることになっても構いません。どうぞ、私に処罰を」

 謝罪する私を見て、スプリミナルの二人はまごついていた。

 本当は離れたくはないが、元々の規約を破ったことには違いない。

 それに、私がいなくてもここには先生がいるし、スプリミナルにいる限り、テッチャンの口からアヤちゃんの事を聞ける。

 全ての病院に出入り禁止になったとしても、私はこの行動に後悔はしていない……。


「あなたが責任を取る必要はありません」


 しかし、先生からの返答は、全く予想していなかった言葉だった…。

「確かに、あなたが本当に執刀したのであれば、それは違法となりますし、あなたの行動は然るべきだ。しかし、実際に執刀したのは私。それは違法でしょうか?」

「あっ……」

 確かに、オペを指示したのは私だけど、結果的に執刀をしたのは姫森先生だった。

「ユウキ アヤノさんは、この病院に置いて発光事件被害者、最後の一人…。多くの人が亡くなったが、逆に目覚めた人もいた…。どちらの囲いに彼女をいれるかと聞かれれば、私は必ず後者を選びます。だから、あれは私が執刀するための準備を整えてくれただけ」

 そう言って、彼は私の肩に手を置く。

「……と、警視庁の方にも許可を入れさせていただきましたよ」

 ふっと頭を上げると、普段、同職の人間にあまり笑みを見せない姫森先生が、私に優しい笑みを見せてくれていた。

 それは彼から、真に信頼を得た証…。

「ありがとうございます…先生…」

 自分のために、ここまでしてくれていた先生の行動に、感謝の意味でまた頭を下げた。

「命をすくうためです。これ位はさせてください。絶体に…この子を生かしてあげましょうね…」

「わかっております…」

「あと、まだ目覚めていない人もいますから、また出張も頼むことになります。能力と関係なく、私の仕事を助けてくれるのは、あなたしかいないですからね」

「はい…」

 頭が上がらない。

 姫森先生の寛大な心と、優れた判断力に、圧倒されているから。

 私は男という生物を基本的に信用していない。

 今まで出会ってきた人間の多くが、私の身体目当てしかいなかったからだ。

 けれど、こんなにも私を人間として必要としてくれる人間に出会えたのは、同じ職場の人間を差し引いて初めてだ。

 年甲斐もなく、今にも泣きそうになる。

 誰かに信頼されることが、こんなにも嬉しくなる事だなんて思ってもみなかった……。


「おっと…。すみません、今日は娘と久方ぶりに食事ですので…これで」

 そう言うと、姫森先生は私達から背を向けた歩きだす。

「ありがとうございました!」

 小さくも大きなその背中に向けて、私は大声で感謝を述べた。

 医者という存在は、私たちが思っているよりも偉大だ。

 人とリージェン、それぞれの悪意が蔓延る世界だが、姫森先生だけはどうか、この優れた技術と判断力を無くさないでいて欲しい…。


 トンッ


「さすが、スプリミナルの頼れるお医者さんだね~♪」

 ふと、あおいちゃんが私の足にお尻をぶつけながら誉めてくれた。

「そう?私は仕事しただけだけどね」

 いつも通りすかして見せると、彼女はニッと微笑む。

「でも、カホ先生のそういうとこ、私は好きだよ」

「ありがと」

 彼女は、いつもまっすぐに感情をぶつけてくれるから、接するこっちもなんだか清々しくなれる。

 スプリミナルに入ってから、この子は、ちょっとした癒しでもあるな。

 まぁ、水原との関係もちょっと尊いから好きだし…。

「カホチャン」

 なんていつもの悪いNL妄想癖が出た所で、テッチャンが私に声をかけてきた。

「妹を助けてくれて、本当にありが…」

 彼が言葉を言い終える前に、私はその口を手でそっと塞いだ。

「感謝はまだ早い。ちゃんとアヤちゃんが目覚めてからね」

 私がそう微笑むと、彼は私に真剣な目を見せながら、こくりと頷いた。

 

 またすかして見せた私だが、彼に感謝をされたくないというのが本音かもしれない。

 嘘を着いた代償として、彼からの眩しい信頼を裏切ってはいけない訳だし、なによりアヤちゃんの生死はこれからなのだから、ここで彼の感謝を聞くのは早すぎる。

 彼からのありがとうを聞くのは、彼女が目覚めてから。

 人知れず、私は心の中で、そう決意した…。




     ◆




 あの後、私は術後の後片付けやカルテとレポートの作成等の作業があった為、二人を先にスプリミナル本社へと帰した。

 無免許の私にとって、そういう面倒事が沢山あって大変ではあるが、自分は普通の看護師よりも数段も遅れているのだから仕方ない。

 術後の疲労を踏みしめ、ようやく全ての作業が終わって外に出た頃には、真っ黒い空に乙女座が輝いていた。


「ふぅ…」

 病院を出て一つ息を吐くと、街路樹の葉が夜に照らされ、患者の眠る病室から、そっと明かりが消えた。

 日陰者の私にとって、陽の側に出た時はとても緊張するのだが、今日ほどに強い緊張をした日はなかった。

 大好きな人間の妹と再会したその日に、その子を手術するだなんて…。

 正直、メスを投げて逃げ出してしまいたかった。

 流れていった星のように、ふっと消え去ってしまいたかった。

 けれど、逃げて助かる命があるなら、医者なんて職業の存在意義がない。

 親友を助けられるようになりたいって、私は彼に初めて出会ってから、ずっとずっと思っていたんだ。

 その信念から逃げたら、まさに卑怯者じゃないか…。

「今日の選択は正しかったわよね…」

 未だ、自信が持てない事を吐露しながら、私は自販機で缶コーヒーを買い、その場で飲んだ。

 不味くないが、やっぱりフェイバリット職場の方が美味い。

 できる事ならば、私がどんな選択をしても、結果的にはまだマシな道を選べるようになりたい物だ。

 それが、あと半年か、それよりも短い間に来る、大切な患者の危機のために。

 その運命の瞬間までには、全てが解決できるように……。

「がんばらなきゃな」

 缶の隙間から覗くコーヒーを眺めながら呟いた。

 スプリミナルとして、藪医者として、友達として。

 やると決めたことから逃げないように。

 なにより、アヤちゃんを救い出すために、頑張らないといけないのだ……。




「随分、人助けが好きなんですね。結婚詐欺師で人殺しの癖に」

 ふと、突然の声に顔を上げると、いつの間にか外灯の下に立っていた純人類を見つけた。

「……あんた誰?」

 首をかしげた途端、スーツを着た純人類の女が、外灯からこちらへ歩いてくる。

「ミラーマフィア、或マスが一人。カリュウ」

 そう名乗る女は、ギリギリ剣がとどかない位の場所で止まり、恐らくハイドニウムが込められているであろう拳銃を構えた。

 なるほど…上の命令で、わたしを殺しに来たわけか。

「人間の癖に、ミラーマフィアに荷担するのね。他種迫害主義のヴィーガレンツとは違うわ」

「黙れ。その人間を守るお前を…私は殺されなばならない。我々、或マスのために」

 洒落は通じなさそうだ。

「面白いわね。私が人殺しってのは、なんでわかったの?」

「スプリミナルのあなただからこそ分かるはずです。あの人のことを……」

「なるほど、あいつのせいか……」

 あの人…と言われれば、なんとなく目星はつく。

 裏切りついでに私の過去まで話しやがって…。

「そんで…?そんな物騒なもん向けて、あんたは何をしたいの?」

「殺すだけ。全てはリージェンのために…」

「私を殺してどうなるの?」

「答える義理はない。殺せばすべて無意味になるのだから」

 うーわ…威勢よく銃構えてるけど、これ多分、私が嫌いなタイプだ…。

「あわた、話が通じない子なのね…。そんなんじゃモテないわよ?強くもなれないし」

 少々、油断させるために私はおどけて見せた。

 水原だったら、少女向けアニメに出てくる3~5話くらいで死ぬ噛ませ幹部キャラみたいだ、なんて言いそうだけど。


「黙れ!」


 ダァン!


 私のからかいが余程の地雷だったのか、彼女は不意に銃弾を放った。

 全く…やっぱりマフィアはヴィーガレンツより嫌いだ。

肉体換装トランス&特具武装アーツアンフォールド

 ここまでの間、着弾する0.数秒前。

 ネックレスを握って生体認証をすると、私の肉体は換装され、白ラインの入ったトランススーツへと変わった。

 そして、それと共にレイピア型に具現化されたアーツで、目の前に接近していた弾丸を、病院とは逆方向に跳ね返した。

「なっ…!」

 思わぬ早さに敵が狼狽えている瞬間、私は即座に彼女の背後を取り、首に手を回す。

「病院周辺地ではお静かに……」


 グサッ!


「ぐっ!」

 耳元で囁いた後に、レイピアの刃を彼女の背中に突き刺した。

「あなたは痛い目見ないと分からない…こんな単身で乗り込んで…私に喧嘩売るなんて…上等ね」

 彼女の背中から血液が一筋流れ、上等そうな黒いスーツを赤い血で濡らした。

「バカな…お前の特異は割れている…っ!たかだか回復術だけで私に対抗するなん…っ!」

 虚勢を張って反論しようとしたその瞬間、彼女の身体から少しずつ力が抜けていくのが腕伝いにわかった。

「あ…あぁぁ…ああっ…」

 驚きと、私の特異の真の効果で、もう喉から言葉すらも出ないようだ…。

「浅はかね…。私の特異は血液を媒体として回復するだけじゃないの…。その回復させる細胞を作るためには、他者の体内にある生体エネルギーを吸いとらないといけない。そして、それを吸いとられたものは……」

「あぁぁぁぁぁぁ……あぁあ……」

 少しずつ少しずつ、彼女からシワが目立つようになってきた。


 私の特異の真骨頂は『人間から摂取できる特殊な生体エネルギー(以降、Lt栄養素)を、万能細胞の栄養素とし、その入った血液であらゆる外傷を治す』と言う物。

 勿論、自分の身体からもLt栄養素は生成されるのだが、栄養素の数が多ければ多いほど、私のLt細胞は増殖し、多くの人間を助けられる。

 そして、Lt栄養素を吸いとられた者は老化したような姿へと変わり、それを吸い尽くせば、一気に骨となり、絶命する。 

「まぁ…あなたは初回だから、こんくらいで許してあげるわよ」

 汚物を捨てるように手を離すと、女は老婆のような姿になって地面に倒れた。

「まぁ、生体エネルギーは細菌みたいに体温で日々増えていくから、せいぜい数ヶ月位でその外見も治るわ。安心しなさい」

 そうは言ってやるが、一つも返事がない。

「って…聞こえてないかしらね……」

 ちょっと吸いすぎてしまったか…。

 まぁ、Lt栄養素は時間が立てば回復するから、すぐに立ち上がるだろう。

 ただでさえちょっとナーバスなのに、ミラーマフィアもヴィーガレンツも飽きないものね。

 私達を殺したところで、お互いが絶滅するはずがないのに…。


 ふと風がそよぎ、長くなった黒髪がひらりと靡いた。

 もう帰れと言っているわけか、それとも自分の罪について煽っているのかはわからない。

 地面に転がっている彼女を肩で抱えてやり、適当な物陰にそっと置き、世界の言う通りに、帰路を歩み始めた。

「今夜は、月が綺麗ね……」

 その衛星を眺めながら、今日、嬉しかった事を思い出す。

「テッチャン……」

 正直、もう会えないと思っていた。

 金のために身を売って、多くの男を騙し続けた私が会えるわけがない、自分の罪を数えれば何度死んだって再会なんて夢のまた夢なのだと信じていた。

 けれど、あの日から凍りついた楽しかった時間は、ようやく解凍されて動き出した。

 私はまだ、少しは罪を償えるくらいの猶予を貰えるんだ。

 なんて思ってしまうと、こんな世界も悪くないと思える…。


「絶対に守るからね。あなたの大切なもの…」


 満月映える、五月になったばかりの夜に私は誓う。

 自分はもう弱かった自分とは違う、身売りし続けた私とは違うんだ。


 そう言い聞かせながら歩く街路は、何故かいつもより明るく感じた…。



To be continue…

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