8 家の下見

 一家を離散に追いこみ、テレビギルドをひとつ崩壊させた呪われし家に、イチヨたちは到着した。夕方前である。

 カミナリ号のボンネットの上に腰かけながら、家の全景を見る。先入観のせいかもしれないが、たしかにここだけ空気が違うような気がするし、なにか家に威嚇いかくされているような気もする。

 そして既視感がある。どこかで見たなぁ、とイチヨはずっと考えている。かなり直近に何気なくこの家を見たのだ。それがなんなのか――

「フヘヘ。まずは家のなかを調べて、戦い方を決めなくては」

 じゅるりと垂れたヨダレをすすってレビンがいった。まるでお預けを食らった野生動物である。

「あ」

 落雷に打たれたかのごとく記憶が脳に落ちてきた。この家は、上ウンマイの市場から帰る途中の昼前にチラシで見たのだ。あの不愛想な青年の手のなかにあった物件チラシは、この家のものだった。間違いない。

 どういうこった? 偶然なんかじゃねー、なにか噛んでるとしか思えないぞ……怪しーな、あのピーナッツ野郎。村の人間じゃねーのはたしかだ。いったい何者なんだ……?

「イチヨねーちゃんってば!」

「え? おお、なんだシニー」

「なか入るよって! もー耳遠いんじゃないの!」

 ずっと声をかけられていたらしい。無視されたと思ったのだろう、ぷくっと頬を膨らませてレビンが怒りを強調している。

「はん! 緊張感のない小娘だね! それで生活対策課なんて呆れるよ!」

「すんません……」

 レビンの隣に立つ肥満気味の中年女性にも怒られた。

 この女、ストレートなまでのセレブな身なりである。ヒョウ柄や金色といった主張の激しい服が目を引く。首にはなんのために巻いているかわからないモフモフした毛のマフラーみたいなもの。装飾も激しく、指にはダイヤやルビーの指輪がじゃらじゃらとついており、首にもやたらとネックレスがキラキラと光ってぶらさがっている。やけにデカいサングラスも含めて、只者ではない覇気オーラに満ちたおばさんであった。

「って、誰だこのババア!?」

「誰がババアだい! アンタ、地獄にちるよ!」

 女はつかつかときつめの歩調でイチヨに接近すると、思いきりビンタを見舞った。ぶべらッとボンネットにイチヨが倒れた。

「コノヤロー、いてーな!」

祓魔師ふつまし太木洋子ふときようこ先生だよー。アタシが助っ人として呼んだの」

「どういうツテがあったら呼べるの、こんな奴!?」

 祓魔師ということは、教会に所属するモンク階級の聖職者である。それだけで見れば珍しくもないが、太木洋子という名前が珍しい。書物でしか読んだことのない、リク大陸の一部の国で見られる名前だ。

 レビンにリク大陸の知り合いがいるとは思えないので、連絡自体は教会に入れたはずである。そこからリク大陸の祓魔師が、我らがウミ大陸に招集されてきたのかもしれないが変な人選ではある。

 もしかすると、ポンコツをつかまされたんじゃないかという懸念けねんが頭をよぎった。

「アンタ、イチヨっていうんだって? 天中殺に入ってるよ、いま。死ぬわよ!」

「あ? うるせーよ」

「改名しないとズバリ死ぬわよ。そうね、アンタはこれから『オチンチン』だね」

「オチンチンなの!?」

「わかったら返事しな、オチンチン!」

「やるかババア!」

 腰を落とし、拳を構える。

 よいよいとイチヨと太木の間に、レビンが縦にした片手を上下に切りながら割りこんできた。

「落ち着きなさーい。はあい、深呼吸してー。吸って~?」

「す~……」

 唐突に初対面のババアにオチンチン呼ばわりされて動転気味ではあった。これから危ない家に入るのだから、冷静さは重要だ。イチヨはレビンの提案どおり深く息を吸った。

「吸って~……」「す~……」

「吸って~……」「す~……」

「では、先生! なかに入りましょう!」

「ズバリ入るわよ!」

 玄関のカギを開けて、ふたりが家のなかへ入っていった。

「ぶはあーッ! 吐かせろよ!」

 真っ青になって叫ぶとイチヨもあとを追い、各部屋と階段に連結する一階廊下に立つ太木とレビンのうしろについた。

 太木が舐めるように屋内を見まわす。

「どーです、先生。なにか感じますか?」

「なにも感じないわね」

「なにも感じないならそれで調査終了だろー? 帰ろうよ~」

 レビンのうしろにコソコソ隠れながら、イチヨがいった。

「アタシが思うに、プラズマなんだよね。この世に霊魂とかないから。プラズマって事はだよ、発生周期だとか原因があるはずなんだ。それを探し当てないと……」

「はぁ~……」

 イチヨと太木が同時にため息をついた。

 前者はまだやるのかよ怖いなぁという自分の思い通りにならなかったがゆえのため息で、後者は霊魂は実在するしプラズマとかいってんじゃねぇぞクソがという呆れた感情のため息らしかった。

 リビングに太木とレビンが臆することなく入っていく。口頭でしか話をきいていないであろう太木はまだしも、あれだけの映像を見ておいて突撃していけるレビンはどんな頭をしているのか、神経を疑わざるをえない。

「っかしーんだよなー。全然プラズマ感知しないなぁ」

 アンテナの先っぽに丸いボンボンがついた妙な装置を手に持ちながら、レビンが首をかしげた。太木も「霊の気配、ゼロよ」と両腕を組んでいる。

「一家も単純に家庭内不和で、番組もヤラセだったってことじゃない? いーじゃーん、ハッピーエンド。村役場に報告して、任務完了~っと」

 リビングのドアまで戻って、チラと振りかえる。

 完全無視である。ふたりはイチヨの話などなにもきかずに話し合っていた。

「先生、夜のほうがいいかもしれませんよ。プラズマの発生は夜が多いですから」

「プラズマではなく霊ね。そうだわね、夜に改めてきてみないとわからないわね」

 夜もこの家にくるなんてごめんだ。それだけはなんとか阻止したい。

「勝手に私の仕事を増やすなって! 一応、この件の主任は私なんだかんな!」

「うるせー、この怠慢職員! 指でもしゃぶってろ!」

「オチンチンは黙ってな!」

 唾の飛沫ひまつを引っかけられた。

 意気込むふたりが家の下見をつづけたが、ついていく気にはならなかった。とめることも自分だけ家からでることもできずに、イチヨはリビングでおとなしくしていた。

「上もズバリ異常なしよ」

「コッチも。やっぱ夜なのかなー」

 レビンと太木が一階の廊下で合流している。やっと戻ってきたか……と、イチヨもリビングからでた。

「夜は私、こないよ」

「まだそんなこといってんの? イチヨねーちゃんは他人がどうなってもいいんだ?」

「ズバリ心が汚いわよ」

「あのな? オバケが映ってた映像は昼間に撮られたモンだったじゃねーかよ。それがいま、なんにもねーんだ」

 全員が一階に集まってるときも二階から音はしなかったし、物が勝手に動いたりもしない。オバケもでてこない。ウォークインクローゼットの染みもないというではないか。不気味なだけのただの家だ。これ以上の調査は無駄としか思えなかった。

「過去は関係ない! 大事なのはいまでしょ!」

「昼夜両方を調べて、結果報告とすべきよ。ていうか、アンタ泊まりなさいよ」

「やだよ!」

 ダンッ!

 三人がいっせいに天井を見あげた。

 レビンの装置がピピピと鳴りはじめ、太木も「目を覚ましたわね」とつぶやいた。夕方の赤みが家のなかに広がり、影を落としつつある。

「帰ろう……」

 歯をカチカチ鳴らしながらいうと、イチヨは家を飛びだした。今度はそのあとに太木とレビンがつづく。

「もう一度、殺してやるから待ってろよォ~」

 宣戦布告して、レビンは力いっぱいに玄関のドアを閉めた。


 カミナリ号を下ウンマイ北集落村役場に向けて走らせる。

 太木は「今夜にズバリるわよ!」とやる気満々で準備をしに教会に戻っていったが、まったく乗り気にはなれない。

 助手席に座るレビンは完全に科学モードに入って、さっきからうひゃうひゃと笑っている。どうにかここで調査を中断できないだろうか。

「イチヨサン!」

 遠くに山門が見えてきて、右折するころだなと思っていると、タイソンが声をかけてきた。

 徐行スピードだったカミナリ号を完全に停止させた。運転席の窓枠に足をかけ、車体の上に座る。

 タイソンは腰に手を当てて、胸を張っている。自信満々の顔だ。なにが彼にこんな明るい顔をさせているかといえば、それはおそらく彼のうしろにある家であろう。

 茅葺かやぶきの家が完成している。前のわらの家から順当にパワーアップさせて、念願のマイハウスを手に入れたのだ。

「茅葺ノ家ツクッタ! ドウ?」

「ああ、いい出来だよ。茅はいいぞ、適度に油分を含んでるから雨を弾く。だけどパッと見、組みが甘いところもある。風に気ぃつけな」

 嬉しそうに大柄のタイソンが無邪気にうなずいた。

 彼のこの屈託のない純粋なところが、イチヨは気に入っていた。

「イチヨサン、モウ家帰ル? 家ノコト、モット教エテ」

「タイソンねー、悪いんだけどさー。ウチのイチヨねーちゃん、いまから仕事なんだよねー。オ・バ・ケ退治」

 助手席の窓を開けて、レビンがニシシと笑った。

「あのなー、私はジョージに調査終了で話進めてもらうからな」

「タイソンノ故郷ニモイタヨ、オバケ!」

「おー、いいねー。これから決死の対決に向かうイチヨねーちゃんにアドバイスよろしくー」

「ンー……気持チデ負ケナイコト。怖ガッタラ、ツケコマレル」

「ンなるほど!」

 ピシャンと膝を叩いて、レビンがいった。

「ビトルだしてー。ジョージに報告しなきゃでしょー」

「ホントにやりたくねーんだってば」

 蛇のように体を曲げながら、運転席に戻る。タイソンに手を軽く振って、カミナリ号を発進させた。

 山門の前で右折し、坂をのぼってゆくと森のなかにある村役場が夕日に焼かれながら姿を現した。愛車を適当にとめて、イチヨとレビンがなかに入る。

 受付にジョージの姿はない。ほかの職員の姿もない。

 木の壁や机や椅子、すべてが窓から入る病的なオレンジに染められて、哀愁らしきものを感じさせる。人がいないのも手伝って、必要以上に寂しい気持ちになった。

「休憩室じゃない?」

「アイツいつも休憩してんな」

 みしりみしりと床鳴りする廊下を進み、休憩室に入るとジョージがいた。世界の命運を握る仕事はどうしたのか、くつろいで座っている。

「下見してきたのか。どうだった?」

「どうだったじゃ――」

「なんかあるのは間違いない! 今夜、突撃しマッシュ!」

 ぴょんと跳ねて、レビンがジョージの前の席に座った。テンションの高い少女に対して、裏稼業でもやってそうないかつい中年男は控え目な態度である。

「イチヨ。お前はいってみてどう思った?」

「もう二度といきたくねぇ」

 椅子を引いて座る。

「オバケだとかプラズマだとかいう気はねーが、不気味なモンは不気味だ。取り壊しちまえ」

「待ち待ち! 太木先生は今夜、除霊するっていってから!」

「私抜きでやらせろよ、もう。私はいかないよ」

「シニーになにかあったらなぁ……」

「そうだよ! アタシになにかあったらどうすんの!」

「自分で死ににいく奴のことなんか知るかよ、勝手にどうにかなってろ」

「立ち会うだけ。イチヨは立ち会うでいいから」

「マジで勘弁してくれよ、冗談抜きで嫌なんだって!」

「太木洋子先生がいる、大丈夫だろ。お前は立ち会うだけ。な?」

「も~~~!!」

 ぺたんと机に伏すしかない。

 貧乏くじばっかである。


 ――夜がやってきて、問題の家の周囲には霧が漂いはじめている。妖気が顕現しているようだ。

 そんな魔窟の前に、青年は立っている。

「……」

 物件チラシとナッツの入った皮袋を持って、彼は家を見あげた。

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