6 Cくんの体験談

 壱式校の新一回生になったばかりのCくんは、学校生活に馴染む前に入局となった。友だちも増えていた矢先のことで、ショックは大きい。

 彼は血管系の病気で倒れ、いまは治療中だというのだが、お金のない親子には厳しいものがある。加えて、治癒局自体が先の事件で倒壊したために設備も不足しているのだから心もとない。

 Cくんは、自分がこうなってしまった原因はあの家にあると考えている。母親のBさんと同じく家の解決を求めて、なかば家に対する行き場のない怒りを含みながら、体験を語ってくれた。

「決まり事があるんだよ。みんなが一階にいて二階に誰もいないときと、みんなが二階にいて一階に誰もいないとき」

 ドンッ!

 誰もいない階から音がする。一階から音がするときというのは、Cくんがひとりのときが多かった。両親が働きにでて、兄たちが弐式校にいっている夕方、彼が自分の部屋にいるとたまにきこえてきた。二階からの音は夜、おもにAさん以外の家族がリビングに集まっているときに鳴った。

 一発、足踏みするような音。そのたび、CくんあるいはBさんや兄たちは無表情で固まる。なにもそれ以上、起こらないと判断したら何事もなかったかのように振る舞いながら、それまでやっていたことに戻ったり、会話に戻ったりする。誰も音に言及はしない。

 全員が一階に集結しているときに限り、レアなケースがある。二階から鳴る音の種類が異なることがまれにあった。

 トコトコトコ……トコトコトコ……

 走りまわるような足音がする。大人ではもちろんなく、では子どもかといえばそれとも違う足音。いていうならば、木製の人形が自走すれば鳴りそうな音である。

 は二階の三部屋と廊下をしばし走ると、ぱたと消え失せる。

 何者かは誰も知らない。家族間で足音について話したりもしない。Cくんも母や兄たちのそんな態度を見て、自分もそうでないといけないのだと思い、なんの音かなどはきかなかった。


 Cくん自体が彼らの姿を目撃したことは少ない。しかし、あるにはある。合計二回、最初の一回目はリビングで見た。

「兄ちゃんたちとリビングでテレビ観てたんだけど」

 リビングはキッチンとつながっている。せっせと料理するBさんのうしろ姿を見ながら、夕飯をまだかまだかと待ってばかりのリビングであるが、その日はそもそも母の帰りを三人で待っていた。

 明かりがついていない、母のいないキッチンをふと見詰めて、寂しさを感じた。何気なく、母に想いをせた。

 すると、キッチンの横長な窓をなにかが横切った。

「服だったよ」

 村の女衆が着ているような、実になんでもない女物の服が右から左へ浮遊していった。服がただ飛んでいったのとは少し違う。服にはたしかな厚みがあり、すなわち誰かが着ているような質量があった。だが手も顔もない。まるで服を着た透明人間を見た、という感じであった。

 兄たちにあわてて話したが、まるで信用してもらえず、Cくんは悔しい思いで一日を終えた。

 翌日、服が通過した場所を見てみた。庭から入れる外回りなのだが、かなり狭い。通るなら横になって、壁と塀に張りつきながら移動するほかない。

 となると、昨晩の服はおかしい。顔や手がただ見えなかっただけで、誰か女性の不審者が外回りを通ったとしても、進行方向の正面を向いて、あんな軽やかに動けるはずがないのだ。服だけが浮いていたとしか考えられない。

 またあとになって、Cくんはあることに気づいた。ゾッとすることに思い至ってしまった。それは、なぜ窓を通過した服らしきものを、自分が認識できたかである。

 明かりのないキッチン。外は夜。窓は真っ暗だ。なにかが通ったとしても、それがなにかわかるはずがないのだ。

 そして。キッチンの窓は曇りガラスなのである。


 ……彼らを目撃したのは二回。残りの一回は屋根裏で見た。

 最悪なことに、屋根裏はCくんの部屋の押し入れとつながっており、それを見たせいで自分の部屋にいるのが怖くて仕方なくなってしまった。

「あれは学校帰りだからお昼くらい。家帰っても、兄ちゃんたちも母ちゃんもいなかった」

 階段をあがって自分の部屋に向かおうとすると、なにやら模様の入った赤い布のようなものが、ふわりと押し入れのなかに消えていったのが見えた。

 押し入れは全開になっている。彼は開いた押し入れが怖かったらしく、神経質に閉めるようにしていたので開いているというのは変である。自分が学校にいったあとに誰か開けて、そのままにしたのかと勘繰かんぐった。

 恐る恐る部屋に入り、カバンをおろして押し入れのなかをのぞき見る。あるのは布団くらいもので、あんなに目立つ赤色の布は見当たらない。

 屋根裏の入り口が目に入った。無性に屋根裏に引きつけられる。呼ばれているような気がした。

 押し入れのなかに入り、足場を確認しつつ薄っぺらな板を押した。そのまま板を持ちあげて、屋根裏の領域に侵入する。はじめてのことではないのに、妙な緊張感を覚えた。

 屋根裏にはひんやりした空気と、独特の材木臭が立ちこめている。足場は剥きだしになった木の骨組みしかなく、慎重に歩かねば床を抜いて、自室に転落しそうな場所である。

「また赤い布が見えて……奥のほうにある柱のうしろに隠れたんだ」

 その動きを見て、Cくんは確信した。あの赤い布は服のすそだ。独特な異国の服を着た少女が、屋根裏で遊んでいる。わかりえぬことまで突如わかった。

 子どもながらに現実的でない考えだともわかっている。音もなく屋根裏に入るのは不可能だし、第一、仕切りの板が動かされた形跡はなかった。柱のかげに隠れるといっても、たいして大きくもない木である。それが子どもであれなんであれ、体ははみだすだろう。すっぽり隠れることなど不可能なのだ。

 Cくんはこれ以上、関わるのはやめたほうがいいと思い、屋根裏にだした顔を引っこめようとした。すると耳元でダァンと、大きな足音が鳴った。見ようとしたわけではなく、むしろ見てはいけないと思っていたにも関わらず、彼は顔を横に向けてしまった。

 病的に白い二本の細い足が真横に立っていた。少女の足だ。足の上のほうに、さっき見た華やかな模様の入った赤い布が見えた。やはり服だったのだ。

 ダン! ダン! ダン!

 足が激しく足踏みを、その場で繰りかえしはじめた。

 これには度肝を抜かれて、Cくんは押し入れから転げ落ちた。したたかに体を打ったが、頭から落ちなかったのはさいわいだった。痛みにうなるだけで済んだ。

 彼が立ちあがれずにいるころには、屋根裏はぽっかりと真っ黒の四角い穴を開けているだけで、足踏みの音も、それどころかなにかがいるという気配すらもこつ然と消えていた。


 家では結局、最後までなんだったのかわからないことばかりであったが、そのなかでもなにもわからなさすぎたことがある。いまも気になって仕方がないのだが、当事者である兄たちは口を開くことなく、家をでていってしまった。

「たしか母ちゃんは気分が悪いっていって、寝こんでた。あの夜は」

 一階のリビングで絵を描いていたら、長男が深刻そうな顔をしながらドアを開けて入ってきた。同じくリビングでくつろいでいた次男に、なにかしら声をかけた。長男と次男は二言三言、言葉を交わしてふたりで二階へ駆けていった。

 その様子を見送ったCくんは、なんとなく自分だけ除け者にされたような気がして「どうしたの」とあとを追った。

 暗い階段をのぼると、ふたりは長男の部屋の前でたたずんでいた。長男の部屋は明かりひとつついていない。真っ暗だ。

 ふたりは魂でも抜かれたというふうに、部屋の一点を見詰めていた。Cくんも部屋を見てみたが、なにもない。長男と次男の視線を追ってみると、どうやらベランダにつづく窓を見ているらしいとわかった。だがCくんがいくら目を凝らしても、窓は開け放たれて闇夜を映しているだけだ。

 空気の悪い沈黙を破って、長男が部屋にずかずかと入っていき、ピシャッと窓を閉めた。肩で息をしている。次男も部屋に入っていって、長男となにやら話しはじめた。ぼそぼそと小声で、なにをいっているのかはわからない。

 わけがわからないが、どうも尋常ではない雰囲気に圧倒され、しかし好奇心を抑えきれずにCくんは兄ふたりになにがあったのか、何度も何度もしつこくきいた。ふたりはCくんを軽くあしらい、まったく相手にしない。

 結局、兄ふたりはあの晩、なにを見たのか。なにがあったのか、語ることはなかった。翌日にはけろりとしていた。

「兄ちゃんたち、変だった。すごい驚いてたし、焦ってた。怖がってたと思うし、青くなってた」

 なんだったのだろう。


 家が霊的なパワーを増幅させるという話をCくんも話してくれた。いわく、あの家に触れるだけで霊を呼びこみやすい体質になるのでは、と語る。

「母ちゃんと散歩してたんだ、夜。中ウンマイを話しながら歩いて。楽しく話してたんだけど、お墓の前を通ったあたりから、なんか母ちゃんもぼくも黙っちゃった」

 中ウンマイにある墓地の前に伸びる道を、ふたりは無言で歩く。暗黒のなか、重苦しい空気を感じながら、Cくんは早歩きになったBさんのあとを必死に追っていた。

 なぜいきなり会話がなくなってしまったのか、このときはCくんは理解していなかったが、墓地の道から通りへでたころになってわかってきた。

 うしろをけられている。

 不気味だな、気持ち悪いな、という墓場から感じていた雰囲気が背後の何者かの存在に変化していた。当然、うしろを何度振り向いても誰もいない。ただの夜道だ。だが、前を向くとヒタヒタと足音がする。背後になにかが現れる。

 耐えかねて、小さな声でCくんはBさんに「うしろに誰かいる」といった。Cさんはそれに対し「うん。いる。ついてきてる」とだけかえしてきた。

 自分と母親がまったく同じものを感じて、意識していることに肝が冷えた。示し合わせたわけでもないのだから、これは勘違いではなく、現実に起きていることだと納得せざるをえないのが怖かった。

「家に入ったら、気配が消えた」

 スッと背後にあったむずがゆい空気感、肩の重さが取れた。

「墓場からついてきたなにかが家には入れなかった……ということではないと思うんですよ」

 横からBさんがいった。

「家の一部になったんじゃないかって思うんです。ああやって、あの家は霊を溜めこんでるのかもしれません。外にいけば、なにかしらついてくるものですから。往々にして……」


 Cくんが自室で体験した、もっとも怖かったこと。

 これも深夜の二時をまわったころのことだった。ベッドに入って彼が眠っていると、金縛りにあった。全身がまったく動かない。Bさんの金縛り体験と同じく、目だけははっきり見えて、動かせたという。

 足元に邪悪な気配を感じた。首が動かないのだから見るに見られないのだが、目を下に向けて確認しようとする。なにかが接近してきている。

 布団から飛びでた両足の先だけが、異常に闇が濃いような気がする。これも見えてはいない。感じることである。

 急いで逃げないと危ないとも感じた。悪意や邪気を放って、ベッドの足元に潜むなにかがいまにも飛びだしてきそうだった。しかし逃れようにも体が動かない。声もでない。パクパクとこいのように口を開閉することしかできない。

 ガッと両足首がつかまれた。針金のように細い青みがかった白い両手、マニキュアを塗った真っ赤な爪。そんなイメージが頭にわいた。

「怖くて、目つぶって、母ちゃんが教えてくれた教会の呪文みたいなの唱えた。間違ってたかもしれないし、最初のほうしか覚えてなかったら、そこだけ繰りかえしただけなんだけど効いたっぽい」

 両手は消えて、金縛りも解けた。

 半泣きになりながら、一階の母が寝ている寝室に飛びこんだそうだ。


 中ウンマイの壱式校本学に入学して半年。Cくんはリビングで倒れた。

 ゴトンという物音がしたため、Bさんがキッチンから覗くと、ノイズを走らせるテレビの前でCくんが気を失っていた。体には紫斑ができていた。

 治癒局に緊急搬送して診てもらったところ血管性紫斑病、ヘノッホ・シェーンライン紫斑病やアナフィラクトイド紫斑病と呼ばれる男の子どもに見られやすい原因不明の血液病を発症していた。

 容体は安定しない。

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