5 Bさんの体験談・その二

「全体的にあの家は霊的な力が強まるんです。おかげでよかったと思えることも、ひとつだけありました。そのひとつだけですけどね」

 その日、息子のCくんは友だちの家に遊びにいって、家にいなかった。Bさんひとりきりである。

 夕方になって、家に寄りつかず、家族とも接点が薄くなりつつあった夫のAさんが珍しく帰宅してきた。ただいまときこえたので、Bさんはキッチンから玄関にいった。どういう風の吹きまわしか知らないが、どうせ機嫌が悪いんだろうと彼女は思ったが、予想外にAさんの機嫌はよかった。Bさんを見るなり、ニコニコと満面の笑みでまた「ただいま!」というのだ。

 これ以上はないというくらいに嬉しそうに、というよりも幸福のきわみのような温かいエネルギーがAさんから放出されている。とてもいいことがあったというのとは違う、もっと人間的な美学を夫から感じる。

 食事の準備をしている間も、AさんはBさんのうしろに立って、ずっと微笑んでいる。BさんはなぜだかいろんなことをAさんに話したくなって、苦労話や子どもの成長のこと、家の怖いことなどを話した。ウンウンとAさんはうなずく。一方的な会話であったが、彼の相槌あいづちのたびにAさんは胸が詰まるような想いになった。きゅっと締めつけられる、だが決して不快ではなく、むしろ切なさと多幸感が同居した不思議な感覚に涙がこぼれそうになるのだ。

「本当に温かかった……あ、すみません」

 Bさんが目をハンカチでぬぐった。

「あの日だけ、家が怖くなかったんです。守られている、というか……いえ、依然として彼らはわたしたちの周囲にいたんだと思うんですが、あの日だけは手出しできないという感じで。わたしたちに近寄ってこれなかったんじゃないですかね」

 食事中もAさんは、Bさんの話をききながら、ニコニコとうなずく。そうかそうか、えらいな。頑張ってるな。いい子だ……と。

 食後になると、いよいよAさんの様子は変わって、Bさんに「こっちへおいで」と優しく手招きする。なんだろうと近寄ると「膝枕してあげよう」という。もう若くはないBさんは照れて「いいよいいよ」というのだが「いいから、おいで」と笑いかえしてくる。根負けして膝枕をされてみると、頭を少し不器用に、わしわしとでられた。

 これにまたBさんは涙をポロポロとこぼした。なにかとても懐かしくて、そしてもう二度とこの包みこむような優しさに触れることができないのだと、なぜか理解してしまって寂しくなったのだ。

 寝る前になると、今度は「おんぶしてあげよう」とAさんがいう。またも恥ずかしがったが、やはり根負けしておんぶしてもらった。

 大きくなった、かわいい子だ。頑張るんだぞ。見守っているよ。ずっと見守っているよ。

 そういって、Bさんを背負いながらAさんは寝室を歩く。果たして夫の背中はこんな大きく、懐かしく、優しく、温かっただろうかとBさんは思いながら、しかしそんなことがどうでもよくなるような愛情に甘えて、そして泣いた。

 おやすみ。おやすみ。

 この家ではじめて深い安心感でもって、BさんはAさんといっしょに眠った。

 明け方、テレポンが鳴った。目をこすりながら、何事かとテレポンを取るとリク大陸の故郷に住む兄からで「父さんが亡くなった」という。昨夜に危篤きとく状態になり、夜明け前に亡くなったのだ。すべてを解して、Bさんはその場に泣き崩れた。

「わたし、父親っ子だったんです」

 厳格で、無口で、曲がったことが大嫌いな昔ながらの父。怖いところもあったが根っこの部分では優しく、Bさんにとっては誇らしい父だった。

 Aさんのもとにとつぐからと故郷をでるとき、寂しそうにしていたのを思いだす。そしてあとになって夫から「君のお父さんに頼み事をされたんだ」という話をきいた。「なにがあっても、わたしの娘を叩くようなことはしないでくれ。くれぐれもそれだけは頼む」と念押されたらしい。

 そういった父の面影が一気に流れこんできて、Bさんは号泣した。最後に会いにきてくれたんだという嬉しさ。わたしから会いにいかなかったという自身の不甲斐なさ。想いが爆発して、延々泣きつづけた。

「夫はあの日のこと、なにも覚えてませんでしたね。……あれくらいです、あの家でよかったことは。あとは怖いことばかり。父さんでも抑えつけられなかったんです」


 Bさんは体調を崩していることのほうが多くなり、仕事もマトモにできなくなっていった。精神的にも参っていく。一度だけピークを迎えたことがあった。

「これですね」

 腕をめくって、Bさんがひとつの傷を見せてくれた。左腕の手首に丸いあとが残っている。もうふさがってはいるが、それなりに大きな穴がそこにあいていたらしい。貫通はしていない。

「自分でやったそうですよ。記憶にはないんですけどね、わたし。夫と息子からきかされた話で、詳細もよくわからないんですが」

 二階の真ん中、次男が使っていた部屋は、Aさんの書斎になった。

 ある日の深夜、Bさんはその部屋でみずからの左腕に鉛筆を突き刺した。顔をぐしゃぐしゃにして泣きはらしながら、何度も腕に鉛筆を突き立てた。必死にAさんがとめていたが、彼の手を振り払ってでも刺しつづけたというのだから、ただ事ではない。

 これはCくんからもきいている話である。

 隣の部屋からBさんの怒号がきこえ、泣き声やAさんの「やめろ!」という声が立てつづけにしたらしく、目を覚ましたCくんはおびえながら、こっそりと部屋をのぞいた。

 Aさんいわく突然のことだったそうだ。突然、なにかに怒りだして鉛筆を手に取った。ふたりの話は合致している。

「たしかにノイローゼ気味ではありましたけど。家のなかで変なことは起こるし、夫は家族をないがしろにしています。兄弟たちとわたしもいろいろと揉めましたし、仕事もうまくいかない。体調は悪くなる一方で、死ぬんじゃないかって。でも、だからって……ねぇ。腕に鉛筆は……ないですよね」

 翌日にはまったく記憶がなく、えぐれた傷だけ残っていたのが不気味だった。

 その話をきかされた際、Bさんは自分がなんていっていたのかをAさんにきいた。なにもわからないというのは気持ち悪すぎる。が……きいたら余計に気持ちが悪かった。

「でていけ。でていけ。そう叫んでたらしいですよ、ずっと」


 カニタマウンマイウンマイ村の市場で仲良くなった女性がいた。仮にGさんとするが、彼女はBさんと同じで人であった。どういう経緯で互いのそんな特性を話し合うに至ったかは定かではないが「あら、あなたも?」と意気投合した。見える者同士だからこそ、共有できるものがあった。

 Gさんは教会に所属しているわけではないが、祓魔師ふつましの真似事のようなことをして、それを副業としていた。霊的なアドバイスが中心だが、除霊に近いこともやっているという。

 村のなかで女衆から何気なくGさんの話をきいてみると、評判はよくない。ほぼほぼ「どうせペテン師」という位置づけに落ち着いていた。

 正規的な仕事ではないし、どうしてもそういった活動は教会に結びつけられがちなために、仕方ない側面もある。大体どこの村でも独自の信仰があり、カニタマウンマイウンマイ村もご多分に漏れず、カニさまなる神を信仰しているのだから、教会に対していい印象を持ってるかといえば、そうではないのだ。

「どうなんだろう、とは思いましたけど……自分ではどうにもできないですし、お金もないので、その人に家のことを頼んでみようって考えたんですよね」

 Bさんは、Gさんに家について相談した。

 起こったこと、いまもつづいていること、家族に生じた距離感、自分が持つ家の印象。そのすべてを話して、協力してほしいと頼みこんだ。

 意外にもGさんは考えこむこともなく、お金を請求するでもなく「やってみるわ」とすんなり了承した。

「話をして一週間後くらいですか。Gさんがきてくださったんです」

 玄関で挨拶あいさつすると、早速、Gさんは庭からじっくりと見てまわりはじめた。彼女が注目したのは草木で、庭の草木が軒並み枯れ気味な点を指摘してきた。命が死んでいる、といわれた。

 敷地内、家の外回りも一周いっしょに歩いた。人ひとりがギリギリで通れる狭い道をまわり終わると、Gさんは風の通りの話をした。家の前の通りを除いて、ほかの三方が民家によって閉じられ、空気が抜けていない。同時に、陽の当たりが弱い。隣の家との隙間が狭すぎる。気がたまりやすい。といった内容であった。

 家のなかに入ると、Gさんは「うっ」と顔を歪めた。とりあえず、一階の窓をすべて開けてほしいと頼まれ、そのとおりにした。開けたことをBさんがGさんに伝えると、彼女は三度、深呼吸をして、リビング・寝室・浴室という順で見ていった。

「一階では寝室が道になっているといっていましたね。まず寝室の下のほうから彼らが入ってきて、二階へあがっていく。リビングや浴室で視線を感じることが多いと思うけど、それは道の途中で覗いているから……って」

 そのまま階段をあがっていく。

 二階で、Gさんが注目したのは右端の部屋。Cくんの部屋だった。

 特に押し入れのなかと、ウォークインクローゼット。この二か所がおかしい。そういうのだ。前者は屋根裏に気が集中しており、そこを覗く勇気はでないと冷や汗混じりにGさんはいった。後者は寝室の真上だから、モロに影響を受けて寝室と同じくらいの密度になっているらしい。

 BさんとGさんの見解は一致しており、やはり彼らは集団の塊であり、全体を統率するリーダーに当たる一個体はいない。それだけに厄介であるともなった。彼らの根がなんなのか、それを突きとめないと除霊しても効果がないと考えるべきなのだ。

「それでもやるだけやってみよう、っていってくれて」

 準備期間を設けて、五日後に除霊をすることになった。無料で引き受けてくれるとのことであった。

 なぜかときいてみると、嫌われ者のわたしと仲良くしてくれたからとGさんは少し寂しそうに笑っていったのが印象的だった。

「夫に除霊の話をしたら、まったく関心はなさそうで。ああ、この人はもうどうでもいいんだなと思いました。当日、息子は近所の方のところに預けさせていただいて……」

 しかし、約束の日にGさんは現れなかった。連絡を取ろうとしても、つながらない。

 後日、家にいってみたら空き家になっていた。近所の人いわく、夜中に引っ越したのか、いつの間にかもぬけの殻になっていたのだという。

「そのあとですかね、夫に叩かれたのは」

 八つ当たりのようにBさんに当たってくるAさんにいいかえしたら、頬を叩かれた。父の顔が浮かんだ。どうしてこんなことになってしまったのだろうと、彼女は泣くしかなかった。

 すさんだ日々がしばらくつづき、ついにAさんは失踪。BさんとCくんも原因不明の病で倒れた。精神も不安定になり、もはや日常生活を送れないレベルに達した。

「夢を見ます。いまもずっと、毎晩……あの家の夢なんですけれどね。息子の部屋にたくさんの人たちが正座しているんです。ぎゅうぎゅう詰めですよ。不気味なことに、全員が背中をこちらに向けて……彼らがなにを見ているかというと、たぶん箱なんでしょうね。わたしの目に見えるわけではないのですが、全員が箱を凝視していると感じるんですよ。なんなんでしょうね、箱って」

 Bさんは天井の片隅を見詰めながら、そう話した。

 体験談を語る最中、彼女はずっとその一点を見ていたが、一体なにをていたのだろうか。――箱……なんだろうか。


 次は、Cくんの体験談をいくつかご紹介したい。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る