19 アン=オットーとの対話

 ウサギ耳のフードがついた、もこもこパジャマを着て、天蓋てんがいつきメルヘンお姫様ベッドでぐっすり眠るオルアを揺さぶった。

「あえ……イチヨさん……」

「起こしてごめんな。この目が3の奴がよ、重傷なんだ。診てやっておくれよ」

「爆乳だな。吸いつきたいお乳だぜ」

「うげえ……」

 オルアは喉の詰まったような短い悲鳴をあげたが、プロはプロなのだろう。彼女の前髪で隠れた目がキリリと引き締まったように一瞬思うと、ベッドからおりて、机の引き出しから次から次へと刃物や医療用らしき専門器具を取っては並べはじめた。

「……そこの診察台に寝てください」

 拷問部屋に置いてそうな木の診察台が部屋の端にある。寝心地はすこぶる悪そうで、なんなら血液らしき染みがぽつりぽつりと付着している。

「殺されるんじゃないのか、俺様」

「大丈夫だろ、たぶん」

 無責任にいったものの、オルアの腕は信用に足る。生まれついての宿命なのか、なにかの呪いなのかは謎だが、イチヨは負傷することが異常に多く、そのほとんどでオルアに診てもらっていた。たまに「血を抜けば治ります」だのとふざけ倒したことをいうが、彼女の医療技術と理髪技術、双方の知識の深さには何度も舌を巻いてきた。それに、何度も身をもって彼女に救われてきたのだから、安心してアイスマンをさしだせた。

 オルアの家からアンの家に移動する。

 室内のともしびによる明かりは消えて、老婆はひとり片隅かたすみに置かれた椅子に腰かけていた。

 開けたドアをコンコンと二回叩くと「イチヨかい」と、ひどく疲れきった声でアンがいった。頭を伏せて、ぐったりと枯れるその姿は、夏の終わり、花がぼろりと落ちる前の白ユリのようだ。

「ばあさん、エントレーのことだが」

「カニさまの力は大きすぎるね……エントレーじゃ耐えきれないんだ」

「死ぬんじゃねぇか」

「そうならんように、いままでなんとかカニさまの力を分散させてたんだよ。すべてではなく一部だけでもエントレーにつながっておれば、神祇に対抗できるだろうよ」

「待ちな」

 玄関先から進みでて、水晶玉の置かれた机の前にイチヨは座った。椅子の背もたれ側を股ではさむようにして、笠木の上に両肘を置く。

 いろんなものを映しだしていた水晶玉は、いまやただの透明に戻り、なにかが燃え尽きてしまったような虚しさだけを残している。

「エントレーはカニになるのか。こんな病気みたいなセリフいいたかねぇんだけど、ありゃ放っておくとカニになるだろ絶対」

「カニさまがなかに入ってるわけではなくてね、カニさまの力を借りてる状態なんだよ。エントレーはいま。力という接点がある以上、肉体はカニさまのものに寄るだろうね」

「居座っちゃったら、どうするんだよ」

「あんな窮屈きゅうくつな小さい体に居座るわけないだろ。強大無比、無限のエネルギーなんだよ」

「それさ。私が気になってんのは」

「ン?」

「そんなすごいのが、どうして力を貸してくれるんだ。神だぞ、神。神を信じる奴、神を信じない奴、どれも神からすればどうでもよさそうじゃんか。それがババアの頼みをきいてくれるなんて、都合よすぎやしないか」

「もっともだね。それを説明するには、神とはなにかってのを考えなきゃいけないね」

「小難しい話はやだよ。簡単にまとめてくれ」

「うーん……そうだねぇ」

 時間がとまったように、アンは黙りこくった。

 目が慣れて、闇のなかの家具がうっすらと見えていたが、また闇に目が集中するのか、ふたたびあたりが真っ暗になったころになって。

「祈らないね、イチヨは。祈ってるところを見たことがない」

「神に祈るために両手を組むより、くわ持って畑たがやしたほうが早いからな」

「なるほど」

 アンが温柔な視線を投げかけていたことに、イチヨは気づいた。はじめてふたりの視線が合った。

 きょうでかなりやつれたように見える。アンの頬はこけて、別人のようだ。

「神はか弱いわたしたち人類にとって、だった。どんなときでもね。常に理由が求められてきた。神はその体系だったのさ」

「教会がきいたら怒るぞぉ」

「まずひとつはそこさ。我々が理由として求めたからこそ神が存在する、という考え方」

 事実と因果律いんがりつだけが、あらゆる事象を前にして思考すべきことだとイチヨは自分にいましめてきた人間である。超越的存在は頼りにすべきではない。というより、しても意味がない。

 しかしそれらの実在性に関しては、どちらかといえば彼女は信じたい側に立っている。存在したほうが面白そうだからだ。だからこそ、イチヨからしてみれば、アンのいうその論はいささか味気を欠いて耳に入った。

「ロマンがねぇな」

「ロマンが必要かい」

「ロマンチストじゃないと人間はやってらんねぇよ」

「はは。それも、もっともだね」

 イチヨは、トトトンとリズミカルに背もたれのてっぺん、笠木を叩いて、

「もうひとつは、その逆かな」

「そう。全知全能の創造主としての神。教会なんかがいってるのはコッチだね。でも、わたしたちの村はそれとは違って前者の側に立つ。ロマンがないっていうけど、そっちはそっちでロマンたっぷりだよ」

「へぇ、どんなふうに?」

「わたしたちが信じたからカニさまという神は生まれ、だからこそ、わたしたちといっしょに同じ世界を生きている。カニタマウンマイウンマイ村でのんびりと。それは友だちや家族と呼んでもいいかもしれない」

「あっはは、そういうのが好きだ」

 ほっこりと温かいものが、蒸気のように心に舞うのを感じて、イチヨは顔をほこらばせた。

 懐かしい記憶が断片的によみがえってくる。いまより目線が低いときに、父にねだって、よくきかせてもらったおとぎ話。村の少年がカニさまと会う話。バカみたいで、でも優しい話。

「カニさまには、そういう奴であってほしかったんだ。本当は」

 神であるカニさまにとっては一文の得にもならないのに、村人を救いがち。それがイチヨの知るカニさま像であった。それは、おとぎ話「カニさまのファンサービス」に印象の根をおろしている。

 ――遠い昔の厳しい時代。

 カニタマウンマイウンマイ村も当時、世界全体と同じで傷だらけの状態にあり、食料や居場所を求めてやってくる部外者相手を追いかえすのに、すり減った体力を消耗しょうもうしていた。

 そんななか、好奇心豊かな村のとある少年がカニさまの住処すみかにきてしまった。カニさまは少年を気に入り、いっしょに踊ったり歌ったり遊んだという。

 少年はカニさまといるだけで気持ちが明るくなるのを感じ、村にもその活気が必要だと考えた。それでおそれ多くも神に村の救済を乞うたのだ。

 ふたつ返事で了承したカニさまは、村に光をまとって降臨。信仰する神が現れ、驚く村人たちに「ばかやろう!」「ちゃんとやれ!」と中身ゼロの怒号を飛ばし、握手会を唐突とうとつに開いた。村人ひとりひとりに握手をほどこす慈愛じあいに満ちたファンサービスだという。

 助けを求めにきていた外の人間たちとも握手をした。つまりこれは「お前も村人だ」と神が認めたということであり「そうである以上、お前も村のために最善を尽くせ」と暗に示したのだ。元の村人たちにも「目先の利益を追ってる事態ときではない。徒党を組んででも宿命と対決せよ」と奮起ふんきをうながしたのである。

 こうして、より大きなひとつになった村人たちは立ち直り、村を再興させることに成功した。村の守護神カニさまは、カリスマならざるカニスマだったのだ! という死ぬほど面白くない一文で締めくくられて、この話は終わる。

「あの昔話をきいて育ってきたからね。なにかあったときは、カニさまはかならず力を貸してくれる。自信があったんだ、わたしは」

「バカみてぇ。それでエントレーがアレじゃあよ」

 頭に手を添えて、苦笑する。

 泡吹いて白目剥いてたぞ、カニさま加減してやれよ。その微妙にダメな感じもカニさまらしくて憎めないが。

「んで? なんでそこまで、ばあさんがするんだ。ご近所さんだからっていうには、命張りすぎてんじゃないのか」

「偶然だったんだ。星占いをしていたら偶然、神祇の影と、エントレーの周囲に渦巻くすさまじい引力を知って……」

「やはりエントレーが中心か」

「これはエントレーからはじまったことなんだよ。だからエントレーにしか終わらせられない。悪いとは思ったけど、だからこそ依代よりしろにしなければならなかったし、エントレーと村の命を守るためには仕方なかった」

 はじまりときいて、イチヨがまず浮かべたのはリヒであった。ルーチェが話していたとおり、エントレーを語るときに、リヒはもう切っては離せない。彼が渦の中心にいるとするなら、リヒの死は絶対に無関係ではないし、ふたりが出会ったときまでさかのぼっても、なんらおかしくはないように思えた。

「あの神祇どもはどこからきたんだろう。村役場できくかぎりでは、リヒの死んだ日に、リヒのいた町でいきなり発生したって感じらしいんだけど」

「なにもわからないんだ。ただただ星がおびえてる。暗黒の星が光ってる……神祇たちの背後に大きな邪悪がいるんだよ、この事件は。それは間違いない。だからカニさまを頼ったってのもある」

 嫌な汗が流れる。

 こんななにもないド田舎で、そんなすごそうな陰謀が渦巻かれても困る。アンの占星術がどこまで信用できるかは置いておくとして、キナくさい話になりつつはある。

「大きな星が動くと引力が生じて、ほかの星も動きだす。いろんなのが集まってきてるね。アンタもその一部かもね」

「勘弁してくれよ」

 事件に巻きこまれる趣味はない。スリルなんてものも求めてはいない。気楽に故郷の村で野菜を作りながら、仕事して遊んで、冬は毛布にくるまりながらマシュマロ入りのココアを飲んでいたい、ただの村の女である。

「望もうが望まないが、イチヨの星は動くのをやめないね」

「誰もがそうさ。誰でも生きてりゃ、とまれやしねぇ」

「ふふ。たしかに、そうだね」

「最後にきくが、エントレーはどうすりゃ治る」

 重要なことだ。カニさまのご厚意であっても、あのままだと問題がありすぎる。なにをどうすれば治るのか。カニさまを引き離せるのかどうかはきいておきたかった。

「カニさまから離れてくださるのが一番だが、一応、わたしから話をすれば応じてはくれると思う。だがいまはみなが思ってるよりも逼迫ひっぱくした状況でね……カニさまの力を切るべきではないし、カニさまもそれにはうなずかんと思う」

「カニさま、る気かよ」

「カニの名は。――カニさまの名は、ゴッドクラブ・ジオ」

「そのまんますぎる!」

る気満々だよ」

「神祇がエントレーに近づいてるんだな」

「かなりね。星によると、かなり間近まできてるといってる。警戒しなきゃダメだよ、いまは相当に」

「ゲエー……」

 ひと悶着きそうだ。傷んだ体がまたズキズキとしてきた。

「疲れた。私は家に戻って寝る」

「そうしな」

「朝になってから詰めようや」

 椅子から立って、ほんのり月明りの漏れた長方形の穴に立つ。

 妙な名残惜なごりおしさをふと感じて、立ちどまった。立ち去るに立ち去れない引力がうしろ髪を引いた。不思議な感覚だ。

 そんな気を察したのか、アンが「イチヨ」と呼んだ。

「どうした」

「……カニさまによろしく」

「ん」

 イチヨは反応にきゅうした。どんな心境ででてきた言葉なのだろう。おそらくはいくら考えてもわからないことであったが、ほぼ反射的に「もちろんさ」とかえした。いたずらに、イヒと笑う。アンも微笑んだ。

 意図はわからずとも、信仰熱心な占星術師の純然たる心はわかる。神を信じていたいという子ども染みた願望が、共感わかる。だから応答したのである。

「あーあ。体がベトつく……」

 腰を曲げて、ぽっくりぽっくり歩いて家に戻ったイチヨは、すぐにシャワーを浴びた。すり傷や切り傷に染みて何度も「んひい、んひい」とうめきながらではあるが、少しずつ体力が回復していくのを感じる。

「わッー!」

 合戦のときにだしそうな掛け声とともに、素っ裸のレビンが浴室に入ってきた。リネン製のタオルを振り回しながら楽しそうに。

「入ってくんじゃねー、寝てろっていったろ」

「アタシの背中を流したかろうと思ってね。アー、今日も発明しまくりで疲れたわー。はい、よろしくう」

 背中をだして、レビンが目の前で座りこんだ。

 カチンとくる態度を平然と取ってくるクソガキめが。

「バカ、私のが疲れてんだよ」

 レビンの脇腹をつかんで少女ごと持ちあげると、自分のうしろに置いた。そして今度はイチヨが前に座った。

「アタシに背中を向けるな、やすりで削るぞ」

「オメーが豆粒の赤たんだったころから、風呂に入れてやったのは誰だ。私だ。この背中に敬意を払って、ごしっごしっと心をこめて磨くんだな」

「恩着せがましくてキモすぎる」

 泡立てたタオルで背中を洗われる。傷にも遠慮なしにこすってくるので、普通に泣きたくなるほど痛いのだが、やれといった以上もうやめてとはいえなかった。「もっと強くやらねーと、私の背中さまは満足しないぜ」なんて墓穴を掘る発言すらしてしまう。血がつながっていないとはいえ、姉貴分としてのプライドがあった。

「それでさ、なにがあったの」

「そいつをききたくて乗りこんできやがったか」

「アタシの新発明、神祇レーダーがずっと反応してんだよねー。集落内に神祇の波長がずっと。エントレー兄ちゃん、もしかして神祇になってる?」

「神祇じゃねぇよ、カニではあるが」

「さっきは三つの反応があって、それは全部消えたんだけど、新しいひとつだけ集落内に現れて残りつづけてるんだよね。エントレー兄ちゃんの家だよ」

 背中をこするスピードがあがった。興奮気味になってきているみたいだ。

 三つの反応とは、アイスマンが対応した神祇たちをさすのだろうか。では、いま残っている反応とはなにか。カニさまを神祇だと、レビンの発明品が示しても変ではない。人智の超越具合でいえば、神もほぼほぼ神祇みたいなものだ。

「村全体にエネルギーが充満してるんだよね。その広範囲だと具体的な数や地点は特定できないんだけど、神祇さ、結構な範囲で広がってると思うんだ。これって村の危機っていうか、世界の危機じゃね」

 背中の危機である。痛い。背中が削られている。背骨が丸見えになるかもしれない、実に危険な状況だ。

「いででで! 背中破れる、もうよせ!」

「すべてをアタシに話すんだー、仲間外れするなー」

「ダメだ、こんな面倒事にガキを巻きこむわけには、アイダダダ!」

「ガキじゃなーい、アタシたちが村を守るんだー、さあ話せー」

「わかった、わかったから背中磨きもうやめてくれ! 死んじゃう、死んじゃう!」

 まだ幼いレビンを神祇騒動に巻きこむのだけは避けたいことだったが、こうなるということをきかないし、なにより背中が痛すぎた。

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