17 腕を切るか、切らないか

 北集落の入口で、イチヨはコソコソと木陰に隠れながら様子をうかがっていた。

 彼女の体内時計は深夜帯をさしており、それらしく村はしんと眠っているのだが、アンの家とエントレーの家だけには明かりがついている。

 ほっとイチヨは胸をなでおろして、泥棒猫のようにトトトとアンの家に寄った。近くまでいってはじめて、イチヨは不自然な壁のめりこみに気がついた。大の字になった人型のめりこみが、アンの家の壁にできているのだ。

流行はやりのハウスデザインってわけじゃないよな」

 ほのかに光が漏れた窓を覗きこむ。見つかっても構わないのだが、緊張して目までを窓の縁からだした。

 水晶玉に手をかざして、なにやら呪文らしきものを唱えつづけるアンの姿がそこにあった。目をきつく結び、顔中から汗をしたたり落としている。透明なはずの水晶玉のなかには、宇宙らしきものが広がっていた。ペンキをぶちまけたような一色の黒に星が点在し、高速で動いている。

「話しかけたくねぇ……」

 必死の占星術に気圧けおされて、イチヨはそろりとエントレーの家へと近づいた。こちらの明かりは強い。さっきからチラチラと人影らしきものも窓から見えていた。

 窓に張りついてなかを覗く。ベッドにくくりつけられて猛烈な勢いで泡を吹くエントレーと、それを体育館で見かけた兵士が押さえつけていた。目が3だ。

「おいおい、なにごと……?」

 イチヨはふたりの尋常ではない様子と、彼らの背後にぽっかりあいた壁の穴を見て、ごくりと生唾を飲んだ。

 コンコンと窓を叩く。戦慄した、気迫ある表情でアイスマンが振り向いたが、一呼吸置いてから「なんだ」と構えを解いた。神祇だと思ったのだろう。

 イチヨが家のなかに入った。

「3……なにしてんだ」

 アイスマンという兵士の名は覚えていたが、3で十分のように思えた。

「なにしてんだだと。ふざけるなよ、このメスが。俺様が村にきた神祇どもをブッ倒してやったんだぞ、快勝だった」

「快勝? 辛勝の間違いだろ」

 全身真っ赤のゾンビみたいな姿でいうアイスマンの言葉はあまりにも嘘くさいが、彼が村を守ったというのは真実だろう。

 神祇出現の噂を受けて学校が村兵に要請をだすと、王都から彼と天然記念物の兵士コンビが派遣されてきたと、弐式校の教師は話していた。王都の兵団庁は、村兵では手に負えないと早くから判断していたということになる。実に聡明そうめいだが、もう少し数がいてもよかったのではないか。

 目の前にいる、3の姿は悲惨すぎる。……いや、悲惨なのはむしろエントレーか。

「エントレーどうしちまったんだよ」

「ババアいわく神が降りてきてるらしいがな」

「あ?」

「だからだな、ババアがな。村の神、カニさまを呼んだらしい。エントレーの体に入りこもうとしている」

「それでこれか」

「カニカニ……カニカニ……あぶぶぶ」

 ベッドを小刻みに揺らしながら、白目を剥いたままのエントレーが太い泡の筋を垂らしている。

 これが神だと? 笑えねぇぞ。そんなわけねぇだろ。

 それが、最初に去来した想いであった。

 プレスコットが、この騒動の軸はエントレーにあると話していた。アンが彼の身を案じて、彼を守るために神を降ろした……というところなのだろうが――

「それよりなんだ、入局してたはずだ。局員にしっかりあとを頼んだのによォー、ひどい恰好かっこうだ」

 打撲傷と軽い火傷やけどがイチヨの顔に残り、服もところどころが破れ、焦げていた。ボロボロだ。

「運んでくれたのオメーだったんだな。あの神祇も倒してくれたのか」

「俺様がすべて倒した」

「マジかよ、ありがたすぎる。じゃあ、ルーチェは?」

「あのガキは俺様たちが保護した。いまはブランドンのバカタレがついてるから安全だろう」

 アイスマンは椅子に座って、割れたメガネを手でいじりはじめた。

「ルーチェは無事なのか。そうか、よかった……」

「治癒局でなにがあった」

「神祇が治癒局に乗りこんできてよ。ひでぇことに倒壊しちまった。どうすんだよ、あれ……」

「治癒局が? ヘボの癖によく無事だったな」

「プレスコットが助けてくれたんだ」

「……騎士の、プレスコットか? ロングソードとアシェアノの、あのプレスコットのことをいってるのか?」

「そうだ」

「たまげたぜェー」

 アイスマンはさーっとメガネの残骸を机から落とすと、ジャケットを開いた。内側に大量の予備メガネが整然と取りつけられている。彼はそのうちのひとつを手に取って、レンズを几帳面きちょうめんな手つきで拭きはじめた。

「3。オメー、プレスコットのこと知ってんのか」

「戦場を知る奴のなかじゃポピュラーな男だ。俺様ほどではないにせよ強いからな」

「会ったことあるんだ?」

「いや、ない」

「ないのかよ、まぎらわしいんだよ」

「……どちらにせよ、奴がお前を助けたってことは敵じゃない。敵じゃないがアテにもできん」

「同感だな、あいつマジですぐどっかいくし」

「あの気分屋がなんでお前のような小娘を?」

「気分屋だからだろ」

「ケッ」

 アイスマンの語る世界は、まるで彼女の知らない世界であり、知りたくもない血と暴力の世界である。その裏側ともいうべき闇社会で、プレスコットは盛名をせているのだ。

 アイスマンが、新しくかけたメガネをクイと指であげて、

「カニの力をエントレー先生が得ようとしたから、神祇どもが襲いかかってきた……と見るのが自然だ。奴らの目的はもともとエントレー先生を殺すことじゃない」

「ルーチェや私を襲うほうが大元か。治癒局にまでわざわざ神祇が私を殺しにきたんだからな。ったく……」

「朝を待って、ブランドンやルーチェと合流するのがいい。そろそろ勝負にでねぇとめられるばかりだ」

「だな」

 全身の筋肉を激しく収縮させるエントレーに、イチヨはハンカチを取りだしながら寄ると、口の泡を拭いた。それでも泡は、とめどなくあふれてくる。

「そいつの介護なんざしても意味ねぇ。とっとと自分の体でも拭いて寝てろ」

 憎まれ口だが、アイスマンにしては珍しい、真心が感じられる言葉だ。案外、悪い奴ではないのかもなと、イチヨは微笑した。

 ベッドのふちを支えにして立ちあがる。

「わかった、ちょっと自分の家で休む。オメーこそ休むべきだ、エントレーの様子はたまに私が見にくるからよ」

「最強の俺様が休むだと? 兵士が休むのは死んだあとでいいんだ」

「死なれちゃ困るんでね」

「口の減らん女だな、キスするぞ」

「オメーにキスなんかされた日には、即で切腹だよ」

「あばぶー! カニカニぃー!」

 エントレーが弓なりに体をしならせて叫んだ。背骨を折りそうなくらいに反っている。彼の腹に掌底を乗せて、アイスマンが押しかえした。むりやりベッドに圧迫して「なにが神だ、悪魔の間違いだろ! 祓魔師ふつましを呼べ、大教会の祓魔師を!」と騒いだ。反動を利用して、エントレーがベッドの上でバウンドする。アイスマンもいっしょに浮きあがるほどなのだから、かなりの力だ。悪魔に憑依されているというのは、言い得て妙だろう。

「ぐわ!?」

 イチヨが素っ頓狂な声をあげた。

 エントレーの右手が赤く変色し、五指の真ん中がぱっくりと割れてハサミのような形になっている。

「3! 見ろ、エントレーの手がカニになってんぞ!」

「え? ぬわー!」

 アイスマンが驚いて、エントレーの体からさっと離れた。

「カニさまに乗っ取られてるな、これはよォー」

「どっどうするよ、どうにかしてくれよ」

「切り離すか? 包丁、包丁どこだ」

「それはかわいそうだろ!」

「カニになるのが先生の幸せとは思えん。片腕一本で済むなら安いモンだろう」

「片腕……じゃねぇ、左手もハサミになってんぞ!」

「うわ、マジだ! 先生、終わったな!」

「どどどどうしよう……」

「包丁持ってこい! カニ化が進んでる!」

 早くも肘あたりまで、ほんのりと赤みが迫っている。イチヨはパニックになりかけの頭のまま、台所から包丁を持ってくるとアイスマンに手渡した。

「やるならオメーがやれ、3!」

「俺様が!?」

「私は無理だ。人の手ェ切るなんて……うっ、オエー」

 切断のイメージが浮かんで、胃から酸っぱいものがこみあげてきた。イチヨは口を両手で押えながら、台所の流しに走っていった。

「俺様にやれっていうのか、そんな残酷なことを!」

「カニカニカニィー!」

「うるせー! おい、イチヨ、俺様にやらせる気か!」

 カニカニ叫ぶエントレーを殴り飛ばして、アイスマンが台所に大声を張った。吐いてはいないが、すこぶる体調が悪そうにイチヨは「お願いします……」とだけ、ぽつりとつぶやいた。

「俺様にはできませんッ」

 アイスマンは包丁を地面に投げ捨てた。代わりに、泡を吹きながら暴れるエントレーを担ぎあげて玄関前まで運ぶと、投げるようにどさとおろした。

 イチヨが青白い顔で玄関のほうを向いた。

「なにする気だよぅ」

 内開きの玄関ドアを全開にして、エントレーのハサミだけを家の外にだしている。なおも暴れるエントレーの体を踏みつけ固定して、アイスマンはドアをゆらゆらと揺らした。

「おい、なにする気だよ!」

「包丁で人の手を切るなんてのはできない。だからドアを閉める勢いを利用して、こいつの腕を切断する。それなら俺様はできる!」

「なんでそれならできるんだよ!? やったことあんのか!?」

「ない‼」

「じゃあできねーじゃねーか! 人体は豆腐じゃねぇんだ、人力で閉めるドアに切断する力なんかあるもんかよ!」

「俺様にはこれしかない!」

「なんでそこまで思い詰めちゃったんだよ!」

「カニカニカニィーッ!」

「うるせー! オメーの進退がかかってんだ、静かにしてろ!」

「どしたどしたー!?」

 窓をバチィーンと開けて、レビンが顔をだした。突然の第三者出現にイチヨもアイスマンもぎょっと驚いて、言葉を失った。

「チビ、オメーまだ起きてたのか。夜ふかしはダメだって散々いってんだろ」

「おっイチヨねーちゃん、おかえりー。なにその残飯みたいな姿、ボロボロじゃん」

「やかましいわ、寝てろ」

「寝てたんだっちゅーの、よっこいせ」

 窓からレビンがエントレーの家のなかに入ってきた。このチビは、なんにでも首を突っこみたがる。面倒なことになってきたぞ。

「誰、このメガネ」

「チビガキは消えな、それどころじゃないんだ今は」

「チビってゆーな。お?」

 目の上に手をかざして、レビンは振動しながら泡吹きカニカニぼやくエントレーを見た。両手のハサミにもすぐに気づいたのか「カニ人間!」と叫んだ。

 本格的に面倒なことになった。こうなると、日々お世話になっているご近所のエントレーだとしても、レビンは人体実験をはじめかねないし、解剖だっていとわないだろう。

「おい、チビ。違うんだ、オメーは夢を見てるんだ」

「そーゆーことか! なんで玄関ドアの隙間にハサミだけだしてるんだと思ったけど、ドアの勢いを利用して切断しようとしてるんだなー!?」

「なんでわかったの!?」

 レビンは歳相応のまぶしさで目を輝かせた。邪悪に口角を歪めながらではあるが。

「ほしいなー、そのカニの手。切断賛成、アタシに任せて!」

 ピンクの生地に、人の歯が模様のようにプリントされた意味のわからないパジャマからレビンはチェーンソーを取りだした。本体から伸びるロープを彼女が強く引っ張ると、クランクシャフトが回転をはじめた。ツーストロークエンジンのエンジン音がパワフルに響きだす。

「ちょちょっと待てや、チビガキ。それでコイツの腕を切断する気か? どんな教育を受けてきたんだ、やめろ。ドア切断のほうが原始的で残酷さが薄れる、そんなものをだすな」

「なにいってんだ、3。ドアの勢いを使う切断も、別にマイルドではねーからな」

「そうだよ、どいて。義手くらいあとで作ってあげるから、カニの手ほしい!」

「カニカニカニィー!」

「うるせー! オメーの命に関わる話してんだぞ今! 黙ってろ!」

「だいたいなんだそのパジャマ。どこで売ってるんだ、そんなもの」

「アタシのパジャマがなんだよー」

「悪趣味なんだよ、気持ち悪い」

「イチヨねーちゃんはそんなこといわないもん」

「いや、超悪趣味だぜ。そのパジャマは」

「クソが!」

 チェーンソーを振り回しながら、レビンがエントレーに近づいていく。なんとか抑えようとイチヨがレビンに近寄ろうとするが、チェーンソーが空を切るたびに「うおぉ」と一歩さがる。アイスマンが避難しはじめた。幼い少女を蹴り飛ばすという気にはなれなかったのだろう。

 高速で回転する刃が、エントレーの腕に触れそうになる。

「ああ、よせ」

 両手で顔をおおいながら、イチヨが叫んだ。見たくない場面だ。アイスマンもメガネを手でおおった。

「やめてえ!」

 闇のなかからルーチェが走ってきて、レビンを押し飛ばした。チェーンソーが彼女の手を離れ、避難していたアイスマンの肩をガリガリと削った。

「ぎゃああああなんで俺様が」

 わーっと後退してきたレビンをイチヨが受けとめ、彼女が入りこんできた窓に向かって放り投げた。キャッチ&リリースである。

 ルーチェがエントレーを抱き寄せる。

「先生、しっかりしてください。先生」

「ルーチェ、どうしてここに……」

「ああああああ」

 耳障りな駆動音が停止した。床でバタつきながらアイスマンが、チェーンソーのエンジンをとめていた。

「ブランドンさんが話してくれたんだけど……先生とリヒの間になにかがあるって……それで、その……神祇たちは、先生のまわりにいる女性を襲ってるんじゃないかって……」

「リヒ……」

 覚えている。エントレーの元教え子で、よくこの北集落に出入りしていた女性。イチヨはリヒのことは決して嫌いではなかったし、いい奴だとすら思っていた。死のしらせをきいたときも、率直に残念だと思った。しかしそれとは別に、彼女に対して直感的になにか危ない香りを感じていた。リヒという個人が持つ性質と、エントレーやルーチェの持つ性質が厄介な化学反応を起こすという予感があった――

「先生になにか起こるふうなことを、そこのアイスマンさんもいってたから……どうしても心配になって……それできちゃった……」

「きちゃった、じゃあねぇんだ」

 アイスマンが血の流れる肩を押さえながら、あぐらをかいて座った。いよいよ全身の赤さに磨きがかかってきた。

 イチヨは自分の服のそでの部分を破り、アイスマンの肩にきつく縛って巻いた。止血代わりである。気恥ずかしくはあったが、村と仲間を守るために戦った王都兵士に対するささやかな礼だった。それに、見るにえない傷でもある。

「……お前……おれのことが好きだったのか……?」

「出血多量でとっととくたばってくれ」

 ルーチェの腕に抱かれてから、エントレーは静かになった。まだ痙攣けいれんはつづいているが、浅くなってはいる。泡の量も減った。

「ブランドンはどうした」

「家まで送ってもらって……それからは家の外で護衛するっていってくれてたんですけど……わたしが先生のところにいこうと、でたときにはどこにもいなくて……」

「アフロめ、どういうことだ。治癒局に向かったか」

「私から話をきくために? だとすれば入れ違いだな、跡形もねぇ」

「……朝だな、とにかく朝にならなきゃはじまらん。ルーチェ、朝までここにいてもらうぜ、もう勝手に動くな」

 釘を刺すようにアイスマンがいった。

「もちろん。先生の様子はわたしが見ます。……でも、どうしちゃったんですか、先生……手もまるでカニみたい」

「そこんとこ、オババにきいてくる。そのあと寝るよ、私は」

 できれば毎日八時間は確実に寝たい主義だが、きょうばかりは仕方ない。日の出まであと四時間といったところだ。話をきいて、風呂入ってとしていたら三時間ほどの睡眠しか取れないだろう。

 はあ、と疲れた息を吐いてイチヨは、

「3、ついてこい。オルアに一応、診てもらえ」

「それは女か」

「女ではあるけどよ、性別は今どうでもいいだろ。村の理髪外科医だ」

「フン。俺様のムスコのほうも見てほしいもんだな」

「いい機会だから、ちょん切ってもらえよ」

「すでに排尿機能しかついてないんだな、これが」

「うるせえ、知らねーよ」

 喋りながら、イチヨとアイスマンがでていった。

 小康状態に落ち着きつつあるエントレーが、ルーチェに支えられながらベッドに戻った。

「カニになっちゃったらいやですよ、先生」

「あ……ああ……る、ルーチェ……?」

 かすかに瞳が戻り、ヨダレをつーっと垂らしながらエントレーがつぶやいた。まるで廃人のようであったが、自分の教え子のことは認識できているらしい。

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