16 外野ではいていられない

 爆発炎上する治癒局の正門は、すでに火に巻かれて崩れ落ちそうになっていた。

「ぼうやーっ」

 ざわめく群衆を押しのけて、村人のひとりが治癒局に向かって走ってきた。鬼気迫るその母らしき人物を見逃さずに村兵は、彼女を正門の前でとめた。

「ダメだ、奥さん! もう治癒局は倒壊する!」

「放して、なかにまだぼうやが! わたしのかわいいぼうやが、なかに取り残されてるのよぉっ!」

「もう無理だ! 火がまわってるし、天井も落ちはじめてる!」

「ぼうやーっぼうやーっ」

 半狂乱になりながら母親は叫びつづけた。


 炎と瓦礫がれき、黒煙が充満した廊下を三人は走っていた。正確には、走っているのは騎士ひとりだけであったが、全員が出口に向かって心を走らせていた。

 プレスコットは両手にイチヨを乗せて、少年を肩につかまらせて走っている。あまりに欲張りセットな姿である。

「プレスコットぉー、マージで急げぇ~」

「急いでらァ」

「ああーん、ママぁーママぁー」

「泣くなよ、うっとうしい。これだからゆとり世代はダメなんだ」

「ああああーん!」

「おいバッカ、なにも子ども相手に怒鳴るこたねぇだろ!」

「だって……」

「ボウズ安心しろよー、もうすぐママに会えるからな!」

「ぐすん、ほんとぉ?」

「ホントさぁ、いいから信じてろ!」

 イチヨは騎士のヘルメット越しに少年をはげました。

 一部の治癒局関係者を除いて、我先にと局員が逃げだした結果、あぶれることになった逃げ遅れの患者たち。イチヨとプレスコットが地下二階から五階、隅々まで見てまわり、発見してきた彼らの最後のひとりが、その少年であった。

「かくれんぼしてたんだ。局員に隠れてやると、スリルがあって楽しいからって……」

 二階で助けだした子どもがいった。

「ざけんな、俺はもう帰るぞ」

「とっくに逃げだした奴もいりゃあ、まだ隠れてる奴もいるかもな。見つけてやらないと、かわいそうだろ」

「イチョーピーの正気を疑う」

「騎士にゃあ、かくれんぼの鬼は無理か」

「できらァ!」

 かくれんぼの鬼になったふたりは、上を目指しながら救助をつづけ、最上階に達すると、今度は地下に向かった。そして地下二階のボイラー室で、動けずに震えていた少年を発見したのである。すでに火の手は増し、非常口や発見した患者たちを逃がすためにプレスコットが強引にあけた脱出穴が通行できない状態になっている。

「地下二階じゃあな。一階に戻らないと、外にはでられないか」

「正面玄関ならまだ出入りできるかもしれん。あそこは広いからな」

「ああああーん!」

「泣くな」

 少年のえりをプレスコットは乱暴につかみあげて、肩にしがみつかせた。これが三人が正面玄関に向かうまでの経緯である。

 治癒局は自重に耐えきれず、いまにも崩壊しかけている。


 村兵に押しかえされ、号泣しながら母親は群れのなかに戻ろうとしていた。

 しかし諦めがやはりつかなかったのであろう、村兵を突き飛ばして、ふたたび治癒局のほうへ走りだした。

「ぼうやーっぼうやーっ」

 カエルのように跳ねて、村兵が母親の足元にすがりついた。

「ダメだって、奥さん! もう治癒局は倒壊するんだって!」

「やっぱり諦めきれないわぁ、わたしのかわいいぼうやなんですものー!」

「もう無理だってば! 火がまわってるし、天井も落ちはじめてるって何回いわせんだこのバカヤロー!」

「ぼうやーっぼうやーっ」

 正面玄関が爆発して、ドアが片方ずつ吹っ飛んだ。つづいて、爆炎の向こうから少年が手足をバタつかせながら排出された。死にゆく治癒局という生物に拒否され、吐きだされたように飛んで、少年は母親の胸の上に不時着した。

「ママ!」

「ぼうや!」

 再会した親子は互いにわっと涙を流しながら、抱き締め合った。感動を分かち合ったのち、少年が燃え盛る治癒局正門玄関を指さして「あの人たちが――」といった瞬間、入口がガラガラと押し潰れてしまった。本格的な倒壊がはじまったのだ。

 村兵が親子を引っ張って、治癒局から離れた。雪山でナダレが起こるのと、近いことが起きようとしていた。


 イチヨとプレスコットは塞がれた出入口の前にいた。あと少しのところまできていたのだが、間に合わなかった。

 ゲホゴホと咳きこみ、汗だくの顔をぬぐってイチヨが座りこんだ。

 プレスコットが物を投げたあとの体勢のまま、

「正面玄関が崩れるのがわかったから小僧だけ投げた。文句あるか」

「文句だぁ?」

 息苦しく、熱い、まだいまいち体が自由に動かせない渦中かちゅうでありながらイチヨは「別にないよ」と、ひどくおおらかな口調でいった。

 元の体勢にプレスコットが戻った。

「惜しかったな」

「おう。それよかよ、完全崩壊するとして残り時間はどれくらい?」

「ん~~~。まぁ、二分か三分ほどじゃないか」

 鋼鉄の指を二本、三本と折りながらプレスコットはいった。なんの危機感もない、客観性を含んだ言い方だ。

「もう私は足手まといだ」

「いきなりどうした」

「元はといやぁ私のワガママだから……その、なんだ。まぁ……悪かった、っていうか……ごめんな」

 自分にできることは、もうなにもないという宣言であった。イチヨは本心からプレスコットを巻きこんだことを悪いと思って、照れくさそうに声量をフェードアウトさせながら詫びた。

「あのー……私、まだ動けねぇからさ……助けてもらえると嬉しいんだが、もしそれでオメーの都合が悪くなるなら――」

 時間がない今、自分を助けることでプレスコットに不利益が生じるのであれば。彼が助からなくなるのであれば、気にせず見捨ててくれ。そういった内容を伝えようとしたが、

「こんなのは俺からすれば、なんでもないんだ。勝手にセンチになるのは気持ち悪いからやめてほしいね」

「気持ち悪いとかいうなよ」

「さっきのは完全倒壊までの予想。この階全体が燃えて、上に潰されるまでの時間はもう秒読みだ」

 いいながら、フリントロック式の愛銃アシェアノに真っ黒な弾丸を詰めると、プレスコットは天井を撃った。ただでさえ崩れ落ちそうになってる天井になにてやがる。イチヨが息を呑んだ。

 弾丸は放たれてすぐにその形を失った。黒い球体に変化して、じわじわと巨大化しながら天井にぶつかった。音もなくそれは天井を削り取り、自分の形を接触したものに押しつけながら上へ上へと突き進んでいった。

「なんだあ……?」

 小型のブラックホールと形容するのが近い。

 とんでもない武器だ。こんなものを個人が所持するのを許されているとは思えないし、たやすく手に入るとも思えない。確実に闇ルートで仕入れたギアエの弾丸であろう。

 プレスコットは、肝を冷やすイチヨを担ぐと上の穴に向かって跳んだ。

「うおお!?」

 彼らがいた場所が突然の炎に巻かれた。間一髪である。

「ああ! プレスコットやべえ、上の階が落ちてきてるァ!」

「いいから暴れるな」

「治癒局にトドメさしたのオメーだろこれ!?」

「口を閉じてろ、舌噛むぞ」

 二階も三階も激しく揺れながら沈んでいく。治癒局がペシャンコに潰れるまでの時間は、プレスコットの読みどおりだろう。

 二階部分まで跳んだはいいが、二階の足場は燃え盛り、もろく崩れ去っている最中だ。とても着地はできなさそうだ。もしすれば、下の紅蓮ぐれんに転落するのは目に見えていた。

 プレスコットがアシェアノに薄緑色の弾丸をこめて、下向きに撃った。強烈な風圧でふたりが押しあげられた。下側で口を開けて獲物を待っていた炎たちがぶわと一瞬、散った。

 二階と三階の間にある天井と床に当たる部分を、イチヨを担いだままプレスコットは三角蹴りで上昇した。四階の穴に片手をかけて、腕力だけで垂直に飛ぶ。また薄緑の弾丸。また三角蹴り。

 そうして、あっという間に彼は屋上から治癒局を脱出し、裏手にある駐車広場に着地した。

 倒壊し、地中に埋もれてゆく治癒局の姿をイチヨは見ることはできなかった。逆向きに担がれていたために、彼女のケツとぶらんと垂れた両脚だけが死ぬ治癒局に向けられていた。

 喧騒けんそうが、けたたましくなりはじめている。

「おい、降ろすぞ」

「……」

 首を横向けて、プレスコットがイチヨのケツにいったが反応がかえってこない。イチヨは失神していた。

 腰のリボンをつかんで、彼はイチヨを放り投げた。バウンドしてから倒れこんだイチヨは、少し間を置いてから目を覚ました。

「ハッ」

 むくりと上体を起こす。治癒局は瓦礫がれき山となり、巨大なキャンプファイヤーのようになっている。人々が騒ぎながら周囲を走りまわっているのが、余計にそんな印象を強めた。

 炎にプレスコットの全身をおおう甲冑かっちゅうが照らされている。火の揺らめきによって、てらてらとした妙な質感を持って、甲冑が呼吸しているみたいだった。

「助かったんだな……」

「重力弾、高かったのに」

「どうかしてるぜ、あんな脱出方法」

「ありがとうは?」

「うるせーな、ありがとう」

「照れる、やめてくれ」

「病気かよ。しっかし、いいタイミングで現れたなぁ」

「久しぶりに近くまできたから遊びにきただけだったんだが……この村、どうも雲行きがよくないな。神祇どもが動いてるだろ」

「そうなんだよ、やべーよ」

 アシェアノを腰のベルトにさして、プレスコットはイチヨと視線を合わせるようにしゃがみこんだ。

「俺が見たところ、エントレー……だっけか。あの男が騒動の中心っぽいんだが、なんでお前が神祇に襲われてるんだ」

「知らんけど、やっぱあの骨野郎、神祇かよ。アイツだけじゃねぇ、そもそも私を病院送りにしてくれやがったのも神祇なんだって、あー。あーあー。思いだしたら体中がイテテだぞぉー」

「最近、変な奴に会ったりは?」

「んーと……あ。そういや、弐式校の前でクソ愛想の悪い男に会ったな。服装からして教会の奴だが、ありゃたぶん代闘士だぜ。かっこよかったなぁ」

 昼すぎの光景が鮮明によみがえる。ふしぎなことに、印象がまったく色あせない男であった。

「ふーん、それはただのイカレポンチだろ。心当たりはそれだけか」

 あっさりとプレスコットは流してしまった。興味がわかないらしい。

「ああ、私のほうの心当たりはな。それより引きつづき協力してくれねぇか、ルーチェが神祇に狙われてんだよ。私が途中で気絶しちまったから、どうなったかわかんねぇんだ」

「ルーチェって誰だ」

「エントレーの教え子だよ、なんか今日ずっと神祇に狙われてんだ」

「そんなの村兵に任せておけ」

「マックスが捜査するっていってたけどよ、かなりあぶねー状況だと思うんだ。あのオカマだけじゃ厳しいだろうし」

「その小娘よりエントレーのほうが危ないと思うがな、俺は」

「どういうこった。なにかあったのか」

「北集落に戻って確認すればいい。あの様子だと、神祇どもがどんどん送りこまれてそうだがなぁ」

「よくわかんねーが、私を村に連れてって――」

「あばよ!」

「あばよじゃねーよ!」

 プレスコットは走り去っていってしまった。

 いつもこうなのだ。あの騎士は勝手に現れて、勝手になにかして、勝手にどこかいく。そういう男だった。もっと踏みこむと、つまり彼は放浪癖のような性質を持っており、フラフラと世界をさまよってばかりなのだから、その神出鬼没ぶりは相当のものである。

 まだ村には残っていそうだが、少なくともこの駐車広場にプレスコットは戻ってこなさそうだ。それなら、痛みと痺れは残っているが時計台広場を経由、北集落に戻って、エントレーやアンと合流するのが利口だろう。

 イチヨはよろめき立って、足をひきずりながら最寄もよりのウンマイ古道に入った。

 夜に入りたくない場所だが、古道の全体図を把握している彼女なら、近道として利用できる。獣や神祇や変質者と遭遇する可能性、地形の険しさや足場の悪さ、闇に対する根源的な恐怖に耐えることができればだが。


 時計台広場にでるまで、特になにも問題は起こらず、無事にイチヨは到着した。

 広場にルーチェはいなかった。マックスもいなかった。いたのは居残り捜査の村兵たちが数人だけで、ほとんどが治癒局のほうへ向かったらしかった。

「イチヨさん、無事でしたか! 治癒局が爆発炎上ときいていたので、もしかしたらお亡くなりになられたんじゃないかと」

「勝手に殺さんでくれ。ルーチェはどうなったんだ」

「調べましたが、ここには彼女が殺されたという痕跡こんせきはありません」

「そいつは、いいニュースだね」

「ただ、家にはまだ戻っていないようです。イチヨさんを運んだ兵士といっしょに行動しているのかもしれません。マックスさんは王都兵団のふたりだろうと話していましたが」

「だろうな」

 イチヨは膝に手を乗せて、中腰の体勢になった。ぽたぽたと汗が土に落ちる。意識がまた飛びそうになっていた。ひとまずの安心に、気が抜けかけたのである。

 ルーチェが3や天然記念物といっしょに行動しているのは、なぜか。それを考えたとき、彼女が神祇に狙われているからとしか思えなかった。あのふたりといるのならそれが一番ではあるだろうが、村兵にくらい連絡を入れておいてほしいところだ。

 彼らからの連絡がない以上、ルーチェの行方は確定しない。ならば、まだ完全に安心して眠れる状況ではないと、イチヨは食いしばって意識を保った。自分がなにかの役に立つとは思えなかったが、外野気分で寝るのは耐えがたいものがある。

「マックスも治癒局にいったのか」

「はい。ここにいても手がかりはありませんし、治癒局のほうを捜査したほうが、といわれて。どうにか神祇のアジトを発見すれば……」

「アジトなんてあるのか」

「村における神祇の目撃情報は、昨日今日に入ったわけじゃないんですよ。どこかに巣を持ってるというのがマックスさんの考えです」

「そうなんだ」

「とはいえ、我々は神祇との交戦経験はほぼ皆無かいむですからね、アジトを見つけてもどうしたものか。人相手ならまだしも」

「そっちはそっちに任せたよ」

 めまいにバランスを崩しながら、イチヨが動きだす。

「大丈夫ですか、送りますよ」

「いや……いい」

 村兵の誘いを断ったのは、巻きこまないためだ。身に覚えがなかろうと、すでに彼女が神祇の標的のひとつになっているのは疑いようのない事実である。

 ウンマイ川の橋を渡り、中ウンマイを通過する。下ウンマイの畑ゾーンに入った。

 路傍ろぼうに建つわらの家を、イチヨは明かりひとつない夜道で見つけた。作りの甘い、弱そうな三角形の家は、ド素人の仕立てらしかった。

 不意に強風が吹いた。強く押されてイチヨはすてんとコケた。

「いってぇ。あっ……」

 風にあおられて、藁が吹き飛ばされてゆく。上昇気流に乗りこんで、旅立つたんぽぽの綿毛のように藁がイチヨの前で分解された。家の構成要素がすべて吹き飛ぶと、その場にタイソンだけが残されていた。ちょこんと体育座りをして、スフィンクスを彷彿ほうふつとさせる真顔で。

「たっタイソン……」

 ボロボロの流れ者だった彼に、土地を譲渡したのはイチヨだった。

 村役場にいきなり現れたこの男は土下座して、村に住まわせてほしいと懇願こんがんしてきた。事情はきかずに、煩雑はんざつな手続きを受け持って、彼の入村を迎えたのである。

 同情ではなかった。恥も外聞がいぶんもなく身ひとつを担保に勝負にでた彼が、少しは報われても悪いことではないと思っただけだった。

「イチヨサン」

 タイソンがモアイ顔でいった。

「藁トハ、ナニカ」

「哲学かい、そりゃ。作り方がまずかったな、今日はどっかに泊めてもらいな」

「中ウンマイ、イッテミル。イチヨサン、イマカラ北集落?」

「ああ、夜遊びじゃねぇんだ。誤解すんなよ」

「イチヨサン、気ヲツケル……見テナイケド、タイソンノ家ノ外、這ウ音キコエタ。不気味ナ呼吸シテタ、二匹……タブン。アレ神祇……タブン。北集落ノホウ、イッタ思ウ……」

「なに」

 イチヨは北集落のほうに目を向けた。

 真っ黒な稜線りょうせんに違和感を覚える。山が削れてはいないか。

「タイソンよう……そのことは気のせいだと思え、いいな」

「タイソン、嘘ツカナイ!」

「わかってる。いいから、とっとと中ウンマイにいけ」

 自分の家のほうへ向かう。タイソンは何度も振りかえりながら、イチヨのいく反対側、中ウンマイのほうへ歩いていった。

 内臓や皮膚の痛みよりも、じっとりとした恐怖が彼女のなかにわき起こっている。おしっこが漏れそうなほど怖い。ここでとっとと引きかえして村兵に助けを求めたかった。時計台広場で巻きこんでおけばよかったという後悔の念がつのる。

「プレスコットめ」

 なんでついてきてくれないんだと恨めしく思う。

 お前がいりゃ、こんなのわけねぇのによ。嗚呼ああ、私だって強く生まれたかったさ。

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