15 最強である俺様の大活躍

 とっさに窓に向かって飛びこんだ。腕や膝に鋭い痛みが走る。山の足元にエントレーはガラスの破片とともに転がり落ちた。土を握りながら、全身に力をこめようと踏ん張るが、打ち身の衝撃でうまく立ちあがれない。

 家の壁に十字の亀裂きれつが走った。割れた窓いっぱいに、大きな一つ目が、こちらに強いまなざしを向けている。神祇たちが力任せに、壁を押し破ろうとしていた。

 ……殺される!

 またしても彼の遁走とんそうがはじまった。夜の山を息を切らして走るという事態が、日に二度とはどうかしている。生きた心地のしない思いで、彼は我武者羅がむしゃらに奥地へ走った。

 その一心不乱が、突然の視界の変化によってかき乱された。夜の山の景色が三百六十度の円になって見えるのだ。あまりにも走りづらく、何度もつまずきかける。

「どうなってる。おれの目はいま、どうなっているんだ!」

 景色に酔って、吐きそうになる。ぐるぐると世界がまわっていた。

「金色一斗缶からは、あんたを殺すなっていわれてるんだけどね」

 どこからともなく声が森に木霊こだました。湿った、やけにしっとりとした女の声であった。

「それって絶対にまずいのよね」

「そのとおり!」

 野太い合いの手が混ざりこむ。

「神降ろしをおこなう占星術師を始末しても、もう遅いのよ」

「そのとおり!」

依代よりしろを叩かないといけないの」

「そのとおり!」

「だからね、あたしたちは命令違反。あんたを殺すわ」

「まったくそのとおり!」

 アンが助勢を求めたことで、村の土着神であるカニさまがエントレーのなかに入った。依代よりしろとはそういうことだろう。神祇たちは神を恐れ、危ないと判断したため、主の命令を無視して襲撃してきた……

 乱れた息を吸っては吐きながら、エントレーは女神祇のいうことを噛み砕いた。ここまでまとめてみて、主という存在の意図が、喉に刺さった魚の骨のように気にかかった。命令違反ということは「エントレーは襲うな」と、神祇たちに主が命じていたということになる。それは、なぜだ。

 そして「そのとおり」「そのとおり」と、合いの手を挟んでいた神祇の主体性のなさはなんなのだろうか。そちらもつい気になってしまった。

「お待ちッ」

「!」

 蛇の胴がむちのようにしなって、エントレーの体に巻きついた。振りほどこうと生温かくからみつく円柱をつかむのだが、ぬるぬるとすべって力を入れられない。圧迫感が強くなるにつれて、エントレーの体をおおうが段数を増した。

「ぐがあっ」

 内臓や骨が押し潰されそうになる。身動きが取れずに、頭だけを振っていたエントレーが血を吐いた。

「神の力はあなどれないわ。動かないでちょうだい」

 折り重なった木の葉をかきわけて、ジプシーを彷彿ほうふつとさせる身なりの女が薄笑いを浮かべながら現れた。美しいが人間ではない。漆黒の眼に、真っ赤な円輪が炭火のように鈍重な光を放出している。胴から下が蛇のそれとなり、エントレーの体に巻きついている。

「全身の骨を折ってあげるわ。あとで食べやすくていいわ、うふ。うふふ」

 窮屈きゅうくつさは限界を超えている。内側に押された自分の腕が、肺を潰しはじめていた。エントレーは歯を食いしばって、痛みに耐えることしかできない。

「お死に!」

「死ぬのはお前だ」

 蛇女のうしろに巨大な爬虫類が落ちてきた。爆弾が落ちてきたかのような衝撃が、山全体に走った。

「オメガドラゴン!?」

「久しいな、ラミア」

「あんた、生きてたの?」

 ラミアの声色には驚きと喜びが混ざっている。拘束こうそくがゆるんだ隙を突いて、エントレーは蛇の胴体に嚙みついた。腐った鉄のにおいと味が、脳にまで響てきた。

「ぎゃあっ、この人間めがッ」

 痛みに反応して、振り向こうとしたラミアの長い緑髪を、オメガドラゴンがわしとつかんだ。ぐいと引き寄せる。ラミアの眼前に緑の拳が迫った。

 オメガドラゴンのストレートがラミアの顔面を真心で、強烈に打った。エントレーを完全に解き放ち、ラミアが悲鳴をあげながら吹き飛んだ。

「がはっ、オメガドラゴン……」

 血を数滴垂らして、フラつきながらエントレーは、先ほどまで敵であったオメガドラゴンを見た。

「神と喧嘩はできん、助太刀する」

「いいのか。奴らは仲間だろ」

「仲間? 腹の足しにもなりゃしない」

 ううう……という、ごちゃ混ぜになった感情のうめきがきこえた。怒りや悲しみ、失望や恥といった愛憎に満ちている。ラミアのものだろう。

 人は心が傷ついたときにこそ怒るが、神祇もそうなのかもしれない――


 アイスマンがカニタマウンマイウンマイ村北集落に入ったのは、窓ガラスの割れたあとであった。

 村人たちが床に就くのは早いらしく、集落全体が墓標の群れに見えるほど、静まりかえっている。月による明かり以外はなにもない。

 集落の背後にある、縮尺のブレーキが壊れた山々の一点に起こった一瞬のざわめきを、アイスマンは逃さなかった。

 山を二匹……いや、三匹のなにかが乱暴に突き進んでいる。動物ではない、人間でもない。では神祇しかないだろう。ということは、なにかを二匹の神祇が追っているのだ。奴らがここで追うとすれば、エントレーのほかに誰がいる。

「チッ、しばし遅れたか」

 タイプライターを脳内で叩いて、チンと導きだした自身の推察に彼は酔った。計算高く、論理的な俺様は美しい……興奮気味にアイスマンがメガネを直すと、民家のひとつから苦しげな息遣いでアンがでてきた。手に鎌を持っている。

「誰だい。変な奴だね、神祇の仲間なら容赦しないよ」

 というやアンはエントレーの家と山を見て、あっしまったと小さく叫んだ。

「バーバーアーッ!」

 アイスマンは激怒した。老婆が最強である自分に鎌を突きつけ、上から目線で発言してきたということに我を忘れた。

 旋風のハイキックがアン=オットーの鎌を持つ手を打った。彼女の手首がぐにゃりと曲がるわけのない方向に曲がった。

「グアア、なにをする!」

「二度と口がきけねぇようにしてやるッ!」

 アンの首の骨を叩き折ろうと放たれた二発目のハイキックは不発に終わった。折れていないほうの手に鎌を持ち替え、防御するように彼女が鎌を振りあげたために、アイスマンがみずからの加速でもって、脚を鎌に突き刺したからである。

 痛みが脳に届くまでの数瞬、アイスマンが固まった。

「ああああああッッッ」

 絶叫した。激痛に身をそらし、メガネが地面に落ちる。3の目があらわになった。

 アンは彼の胴に足をかけて蹴ることで、深々と突き刺さった鎌を抜いた。出血しながらアイスマンが倒れた。

「だから誰なんだい、アンタは!」

「バーバーアーッッッ!」

 もう我慢ならなかった。

 負傷したほうの脚をアイスマンは振った。当てるためではない、血による目潰しを狙ったものだ。血液がアンの顔にかかった。

「うっ」

 アンがよろめいた。

 土を蹴ってアイスマンが跳躍ちょうやくする。アンを蹴り飛ばすつもりで、空中サバットを放った。

 目が見えず、アンが苦しまぎれに鎌を振り回した。運よく、タイミングよく直線に伸びたアイスマンの脚に鎌が突き刺さった。

「うげえええええ」

 サバットはそのままアンを打ち抜いたが、威力はかなり落ちている。彼女をドンとうしろに倒したのみで終わった。それでも効き目はあるのか、アンは苦しそうに丸まってうめき声をあげている。

 また脚に鎌が刺さったアイスマンは、汗だくになって鎌を引き抜いた。

「なぜだっ」

 憤怒ふんぬの形相で鎌を叩き捨てた。威力が冴えたのか、鎌は刃を上にして土にめりこんだ。

 アンが目を、しわがれた手でこすりながら立とうとする一方で、どくどくと血液が流れる両脚をひきずりながら、アイスマンはアンに接近しようとしていた。

「ババア……俺様にここまでの傷を負わせたこと……名誉だと思っていいぜェ……でも……やりすぎたな、俺様はキレちまった……もう自分でも抑えがきかねぇ……やっちまうね。もう人の所業を超えた圧倒的破壊……やっちまうね……やっちまうね!」

「誰なんだい、名乗りな!」

 アンは落ちている小石をつかむと、アイスマンに向かって投げた。

「あうち」

 コツンとアイスマンの頭に小石が当たった。

 普段ならなんのダメージもなかったであろう投石攻撃は、両脚の負傷ゆえに彼のバランスを崩させた。落ちる彼の尻の先には、上向きに固定された鎌が!

 アイスマンのかわいらしい肛門に鎌が突き刺さった。

「ぬぐわああああああああああ」

 顔面全体を梅干しのようにぐしゃりと潰しながら、アイスマンは震えながら鎌を抜いた。血溜めのダムが放流、いや決壊して彼のケツから流れでた。

 荒く息をしながら辛うじて立ったアンだったが、山のほうから発生した突然の強い揺れに足元をすくわれて「あうち」と、また倒れた。

 アイスマンも前のめりに倒れる。鎌を持ったまま倒れたために、胸に鎌が突き刺さった。

「ぬぐわああああああああああ」

 串刺しになった。

 生まれながらに最強である俺様は、最終的に神祇どもを滅ぼし、ミキやキドーすらも打倒して人類の頂点に立つ予定だった。食物連鎖の頂点に立つのも時間の問題だったはずだ。それがこんな、どこの馬の骨ともわからん死にかけのババアによって、打ち砕かれんとしている。ゆゆしき事態だッ……

 青ざめながらアンが勝手に自爆したアイスマンにい寄って、

「アンタは誰なんだい」

「王都中級兵士、墨笛ぼくてき……アイスマン」

「それをさっさといいな、にしても弱いねアンタ」

「なにぃ? バーバーアーッ!」

 起きあがろうとするアイスマンの、胸に突き刺さった鎌をアンが抜いた。

「ぐええ」

 またアイスマンが地面に伏してしまった。

「どこまで調べてんのか知らないけどねえ、神祇がきてることくらいはわかってんだろう。手ェ貸してもらうよ」

「ババアが邪魔してこなけりゃ追跡できたんだ、クソがよ」

 神祇を追わなければならない、それは一刻も早くなすべきことだ。エントレーが神祇に殺害された場合、事件の先行きが不透明になりすぎ、調査に支障をきたすのは明らかである。ババアの相手をしている場合ではなかった。

 アイスマンは倒立すると反動をつけて一回転した。ハンドスプリングによる起きあがり方だ。

 真っ赤に染まった体をパンパンと払って、アイスマンは走る準備に入った。

「エントレーを助けてやってくれい」

「神祇どもを始末したら、次はババア! テメーだぁッ」

 雑草の切れ端が付着した彼のメガネをアンは拾いあげて、息を吹きかけると、投げて寄越した。メガネを受け取り、ふたつの3をレンズの下に隠す。血まみれのまま、アイスマンは走りだした。

 山の道なき道に入る手前、彼は壁が破られた家を横目に見た。パワータイプの神祇が一匹混ざっているらしい。走るというよりはスキップするように、大股の跳躍を繰りかえしながら悪路をのぼる。胸と両脚と肛門から血が垂れ流れているが、この分なら目印になって迷わずに帰れるなと、アイスマンはのんきに考えながら進んだ。

 標的は思ったよりも早く発見できた。

 一つ目の紫マッチョがエントレーに、アイアンクローを決めている現場に遭遇した。神祇サイクロプス、力だけが取り柄の低能神祇である。

「誰だ」

「アイスマン!」

 ドロップキックを巨体の側頸部そくけいぶに叩きこんだ。サイクロプスは「ううむ」と唸って、エントレーをぶん投げると、アイスマンに向かってアッパーを繰りだした。

 隙の多いテレフォンパンチであったが、速い。防御を間に合わせたが、アイスマンは虚空こくうに投げだされた。

 鈍い衝撃が、アイスマンの背中に走る。サイクロプスが吹き飛んだアイスマンより上空に先回りして、上から握り拳を打ちおろしたのだ。

 落下するリンゴのように、アイスマンは墜落した。クレーターを作って彼は埋まった。

「デカブツの分際で、いいスピードしてやが――」

 いい終わる前に、拳を前に突きだしたサイクロプスが、アイスマン目がけて落ちてきた。直撃の直前、地面を転がってアイスマンは拳をかわした。サイクロプスの剛腕が山にぶっすりと突き刺さった。

 なんてだらしねェ姿だ、この俺様が。だがよぅ、もっとだらしねェのはオメェさ……隙が多いんだよなぁ。

「それがよくねェ」

 サイクロプスが地面から腕を引き抜く。

 半壊した体をねじって、アイスマンが体勢を巻きかえした。伸びきった紫の片腕に、全身でツタのようにからみつく。両脚でサイクロプスの一つ目だけの頭を挟みこんだ。アイスマンが反りかえって、腕ひしぎ三角固めをめている。戦闘の主導権は移――

「そいやァァァァッ」

 ……らなかった。

 しがみついたアイスマンごと、気合いの掛け声とともにサイクロプスは片腕を振りあげた。信じられないパワーであった。アイスマンはサイクロプスの頭上まで持ちあげられた。

っけェ……」

「そォォォーいッ」

 環境がいいのか、でっぷりと成長した木の幹に、サイクロプスはアイスマンつきのラリアットをかました。幹が砕け散って、大木が一本、情けなく倒れた。血管を脈動させて振りきったサイクロプスの腕に、アイスマンの姿はもうない。

 ふんッーと大きな一つ目の瞳から息を吹きだすと、サイクロプスはエントレーのほうを向いた。割れた額、鼻や口から血を流すエントレーがうつろな目をして、浅い呼吸を繰りかえしながら座りこんでいる。拳のボックスを作ってサイクロプスが殴りかかろうとした瞬間、複数の音がいっせいに鳴った。

「ひぎいいいいいいいいいい」

 ひとつ、ラミアの凄惨せいさんたる悲鳴。

 ひとつ、山の木々が連鎖的に砕ける音。

 ひとつ、ブオンブオンという重たい風切り音。

 密な木々がなぎ倒されて、サイクロプスの前に夜空が雄大に広がった。カニタマウンマイウンマイ村の夜景は美しい。星が手でつかめそうな距離で輝き、集結する小宇宙である。

 光量が増したのを感じて、アイスマンが蒸気を口から吐きながら起きあがった。サイクロプスは一つ目を丸くさせて立ちほうけている。アイスマンとエントレーは、三つの音が響きつづける丸裸にされた山の斜面を見た。

 オメガドラゴンが更地の中心で、なにかを高速で振り回しているではないか。ハンマー投げを連想させる力強い回転が、地上に不意に現出した巨大プロペラと化していた。周囲の木々を打ち壊したのは、あの回転だ。

「ラミア!」

 サイクロプスが愕然がくぜんとして叫んだ。

 オメガドラゴンはラミアの尾をつかみ、渾身の遠心力で彼女をまわしていた。先端は速すぎて、アイスマンの目でも追えなかったが、悲痛な悲鳴が鳴りやんでいるところを見るに息絶えたのだろう。

「なぜだ……おっオメガドラゴン、なぜ……おっオラたちは友だちだろ……なぜ、らっラミアを……」

 動揺する単眼には恐怖の色が灯っている。仔細しさいをききだそうと躍起やっきになっている。いや、対話で戦闘を避けようとしている……アイスマンの目にはサイクロプスの態度がそういうふうに映った。

「問答無用!」

「ファック!」

 ラミアだったものが、亜光速でサイクロプスの顔面を打った。炸裂して弾ける。オメガドラゴンの手に残ったのは、蛇のぬけがらよりも質感のある、ウロコに守られた彼女の胴体だけであった。

「うぬう」

 サイクロプスがひるんだ。

 アイスマンが跳んだ。絶好のチャンスだと、痛みも人体解剖学の常識も置き忘れて攻勢に打ってでた。

「でっかいお目目でガンくれやがって、野郎!」

 飽きずにサバットを放った。目当ては打つことではない、突くこと。サイクロプスの明らかな弱点をえぐり突くことであった。露出した単眼を潰すための蹴りであった。

 ドブに足を突っこんだような、不快な感触が下半身から上半身へと伝った。

「サイクロプスのなかはあったかいナァ」

 破れたサイクロプスの水晶体から炎が吹きあがった。赤が青くなり、青は黒に変色してアイスマンを包みこんだ。熱くはない、断末魔のイマジネーションにすぎないのだから。

 背中から倒れて、サイクロプスはガラスのように割れた。ラミアの亡骸もサラサラと灰塵かいじんと散り、目に映らないほど細分化していっていた。オメガドラゴンもどこへ消えたのか、もういない。盛大に暴れた跡だけを残して。

「血を流しすぎたぜ」

 ぶばっと、アイスマンの肛門から血がしぶきでた。力が抜けて、膝を突いた。

 最強である俺様により、エントレー先生を余裕を持って助けることができた……という満足感があった。俺様でなければできなかった仕事だった、会心の戦争だった……と、彼は悟ったような顔で微笑した。

 エントレーは白目を剥いて、ぶくぶくと口から泡を吹いている。ぶるぶる震え、まるで粉を入れすぎた洗濯機のように泡を吹きあげていた。

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