13 騎士がきた!

 イチヨの病室のドアが開かれた。それに気づいた彼女は、ぱあっと笑って、大きな安心でもって来客を迎えた。

「おお。よかったー、助けか!?」

「いま、どういう状況? 危ないようだったら、わりーんだけど外まで連れてってくんね?」

「いやー、心細かったんだよ」

「忘れられたかと思ったー。忘却ぼうきゃくこそ真の人間の死だね。なんちて」

 舞いあがって、あれよこれよとガトリングのごとく喋るイチヨではあったが、すぐに眉をひそめた。と思われた、その男があまりに異常だったからだ。

 なんで、こんなとこにカウボーイ?

 てゆーか、なにそのトフェキ。どういう趣味?

 なんか銃で撃たれたみたいに体が穴ぼこなんですけど?

 顔半分、がい骨なんスけど? え、大丈夫?

「だ、大丈夫か……?」

「お前はイチヨか」

「目がなんかスゲーことになってんだけど」

「お前はイチヨか」

 もう一度、ショットファーザーは質問した。

「そ、そうだけど……」

 初対面のこの男がなぜ、自分の名を知っているんだろうと、いぶかしみつつイチヨは答えた。

「死ね」

 四連イヤヤナが額にトンと当てられた。

 死ね?

 イチヨの顔が、まるでなにも知らない、生まれたてのヒヨコのようになった。

 ――銃器でつながれたふたりが真っ黒な影になる。病室の白い壁ではなく、星やハートといった記号や、女児のおもちゃのような物体などが浮かぶメルヘンな壁紙に変わる。


 オルゴール調の子守唄が、きこえる。

 家があった。どこかで見た家が、優しい光度と彩度に包まれて建っている。

 不思議な感覚をイチヨは覚えた。自分の視点と空からの視点、そのふたつを自分が持っているようだ。小さな集落らしき場の全体を、彼女は見ていた。

 窓から、家のなかをのぞき見る。

 ずいぶんと端正な顔立ちの男が涙と鼻水を垂らしながら、歓喜している。その隣では金髪の女性が苦笑していた。心を落ち着かせる、ほがらかさにあふれた美人だ。赤ちゃんを抱いている。

 小さなおててをバンザイし、おしゃぶりをくわえた、無邪気でつぶらな瞳の赤ちゃん。ピンクに染まった頬と、頭頂部から生えた三本の毛がチャームポイントだった。オツムは弱そうだが愛嬌あいきょうがある。女の子だろうか。

 コーンと鐘の音が、山の向こう側から響いた。そのあとに歌声や音楽。手の平を打つ音がつづいた。

 多くの村人らしき人間たちが、その家の周囲につどっている。見知った顔が若い。おそらくは、もう会うことのないであろう記憶の片隅に眠る老人たちの顔もある。一様に、ニコニコとその家の住人たちを祝福しているのが感じられた。いい知れない懐かしさがこみあげてくる。

「おとーさーん!」

 涼しげな赤い服を着て、ゴムで金髪のツインテールを縛った少女が笑いながら、たゆたう緑の絶海を駆けていった。面白いものを見つけたら、陽が落ちても追っていきそうな快活さがある。彼女は両手をいっぱいに広げて父親らしき男に抱きついた。

「ねぇ、カニさまのおとぎ話して!」

「ははは、またかよ。しつこくて草」

「いいから早く!」

「えーっ、しゃあなしだぞー。……むかーしむかし。カニタマウンマイウンマイ村にひとりの少年がいました……」

 男の膝の上に座りながら、少女がニコニコとして耳を傾ける。

 そのおとぎ話、覚えてる……私も知ってるぞ。くだらないが好きな話だ。神と友だちになった少年の話――

 少女といっしょに話をきこうとして、意識をそちらを向けると、

「冗談じゃねぇよ、なんだってこんなことしなきゃならんのだ」

 十代なかばであろう若い女性が、家の屋根をトンカチで叩いている。穴を板で塞いでいるらしかった。

 ぶつぶつ文句を垂れながら、釘を打つ彼女は鮮やかな赤のエプロンドレス、胸元には大きなリボンが結ばれている。長い金髪はつやがあり、いかにも上品そうだが、顔は天真爛漫てんしんらんまんを絵に描いたようなエネルギーに満ちている。

「あー、重い」

 二十代前半くらいの金髪ロングヘアーの女が井戸水をくんでいるのに気づいた。ディアンドルの上にジャージを羽織って、ヤンチャそうな雰囲気をだしている。

「もうやだー。おーい、誰か手伝ってくれー」

 へにゃりと座りこみながらロープを引く姿は情けない。

 先ほどまでの顔ぶれとは少し異なった村人たちが集まって、彼女を指さして笑いつつ、水くみを手伝っている。

 ……これは、どうしようもなく――イチヨだ。私の走馬灯だ。

 生まれてから、いまに至るまでの自分の足跡を超客観的にているらしかった。死を目前にしたとき、人が見るという生きた証。記録。それをコンマにも満たない一瞬で、イチヨは視た。

「あれぇ~、これ走馬灯じゃーん。あっはは」

 淡い原風景が黒く、無に包囲されていく。イチヨの過程たちがかき消えた。

 ……これが、死か……

 死は、彼女が考えていたほど怖いものではなかった。ただ寂しいだけのものであった。まるで夕暮れから夜に移る曇り空の下で、ひとりぼっちの砂浜に座りこんでいるような清閑せいかんがある。

 イチヨは折りたたんだ膝を両手でかかえて、その場に座った。寂しい。しんみりとひとりぼっちになっていると、もうなにもなくなってしまった無限の先から、なにかが歩いてくる気がした。縮こまった彼女の意識が少しだけ上向いた。

 歩いている、走ってきているのかもしれない。それは力強い生命力に満ちている。それは、――


 現実のイチヨを横切ったものがあった。

 三角の破片のようなものが光を反射させながら回転し、いくつも浮いていた。

 イチヨはぱちくりとまばたきして、一気に現実に戻った。なにかが自身の後方から飛んできて、それが目の前の骨男に当たると爆発した。額に四連イヤヤナを突きつけてきていた骨男は、天井を見上げる形で倒れた。

 病室の窓が割れている。周囲を飛んだのはガラスの破片だったらしい。窓の外の黒の景色に銀色がおもむろに重なる。

 ガチャリと、それは華麗にイチヨの前に着地した。人の形をしている。しかし全身が銀色だ。パーツが角ばっている。細長い銃を持っている。大きな剣を背負っている。

 ――騎士だ。

 銃を腰のベルトにさし直す騎士が、イチヨの赤い瞳に映る。瞳孔どうこうがきゅうと締めつけられるように開いた。いささか間を置いて、

「プレスコット!」

「半泣きになってるんじゃないよ」

 騎士は軽い、笑いを含んだ口調でいった。

 死に迫る不安、寂しさをすべて丸のみにしてもなお、お釣りがくるような思いがけない再会に驚喜きょうきして、イチヨは肩を震わせた。

「ダサッ」

 その騎士は、彼女にとって大親友ベスカトルに並んで気の合う男だった。気がねなく互いにボロクソ言い合えたし、互いに傷を分かち合えた。仲良しこよしの言葉を投げ合う代わりに、ふたりはよく暴言を吐き合った。

「プレスコットじゃねーかよ、ひっさしぶりだなー。三年振りになるか、元気してたかよ」

「いつでも元気さ、俺はな。イチョーピーも変わりなさそうだ」

「あったりまえじゃん。ちょっといま、動けねーけどさ」

 いつもの威勢が戻ってきた。元気は気から、である。

 ふたつの赤い水たまりを揺らめかせながら笑むイチヨの背後で、ショットファーザーがむくりと立ちあがった。プレスコットがすぐ、それに気づいた。

「どけ、邪魔だ」

「動けねーんだって」

 四連イヤヤナは、イチヨの頭を狙っている。

 プレスコットはイチヨの胸倉を片手でつかむと、腕力で放り投げた。

 通常の四倍に相当する量の散弾が疾走した。ショットファーザーが先手で撃ったのだ。もしイチヨが放り投げられていなければ、彼女の頭はポップコーンのように弾けていたであろう。

 プレスコットがねじった両腕を重ねて、ピンと前に伸ばす。手の平を外側に向けている。散弾の群れ、その正中線とも呼べるごくわずかな隙間に腕をねじこんだ。

 まるで朝起きて閉じられたカーテンを両手で、左右に開くように、プレスコットはグイと両腕を大きく開いた。その一動作によって、高速で飛んでいた小さな弾丸たちがコロコロと床に散らばり落ちた。

 伸ばした両腕をフルに使って、すべての弾丸を側面から押して、払いのけたのである。

 間を置くことなく、プレスコットは腰にさした魔銃アシェアノを抜くと、肩にかけたベルトから濃い黄色の弾丸を取って、シリンダーに装填そうてんした。アシェアノの歯車が一回転し、撃鉄が落ちた。

 銃を抜いて、シリンダーをだす。弾を選んで装填し、シリンダーを閉じる。的に狙いを定めて撃つ。この一連の動作に、彼が要した時間は一秒未満である。

 撃ちだされた弾丸が電撃の帯をまとって、周囲の空間を陽炎かげろうのように歪め曲がらせながら、一点を目がけてゆく。

 二度目の小爆発は、稲妻が拡散した。

 ショットファーザーがのけぞると、その背後にある壁がベコと円形に圧縮され、ガラガラと崩れ落ちた。丸い大穴ができて、病室と廊下をつないでしまった。

 弾丸のなにかしらの作用――弾丸にこめられたギアエが、そうさせたのだろう。

「アイツ、かったいなぁ」

 だるそうにいうと、プレスコットが跳躍した。アシェアノはもう腰に戻っている。

 彼は背中にさげたロングソードの柄を握ると、持ち手の人差し指だけをピンと伸ばし、太いロングソードを振り抜いた。イチヨの髪が風圧になびいた。

 着地すると同時に右から左へ振ったロングソードを、右手の力だけで右にまた振り抜く。ギンッと量感のある金属が二度、連続で鳴った。

 片膝を突いて、しゃがんだ体勢でロングソードを片手に持つプレスコット。その目の前で、ショットファーザーの頭が最初にごろと地面に落ちた。次に胴体が倒れて、下半身だけがその場に立ったまま残った。

 異常に硬いショットファーザーが、あっさりとナマスのように斬り刻まれた。

 すくっと立って、プレスコットはロングソードを背中に戻した。

「んばはぁー」

 イチヨが芋虫のようにもがいた。

「なんでそんなところに倒れてんの?」

「オメーのせいだろ!」

 おもむろにプレスコットが無造作に、転がる頭がい骨を持って、

「お詫びにコレあげようか」

「いらねぇよ、私の頭んなかにもう立派なの入ってるからな」

「立派に豆腐を守ってるわけだ」

「私の脳が豆腐だっていいてぇのか。だったら、オメーの頭んなかに入ってんのは中華丼だな」

「なんで?」

 頭がい骨をポイと投げ捨てると、プレスコットはガントレットの手をイチヨにさしだした。

 薬の影響がまだ残っているらしい。イチヨは自分の足で立てず、へにゃりと膝が折った。さしだされた手を取るのもままならない。

「俺と逃げるぞ、治癒局がペシャンコになりそうだ」

「そりゃありがてぇ。HK(話変わるけど)局内にはまだ脱出できてねー奴がいると思うんだが、そこんとこはどうよ」

 かくいう自分が放置されている状況だ。ほかも万全とは思えなかった。

 じっくり丸焼きになりたい、瓦礫がれきの下敷きになりたいという願望が入院中の患者たちにあるのなら別だが、そうでないなら助けにいくべきだ。いってみて、みんな無事に逃げているならそれに越したことはない。見てまわる価値はあるはずだ。

 治癒局の地理には自信があったし、プレスコットのバカげた身体能力があれば誰も犠牲をださずに逃がすことができる。ふたりなら、やれる。やれるときに動かなかったなら、それは負い目になる。

 イチヨはそれが嫌だった。

「一緒にやろうぜ」

「やなこった」

「これで誰かくたばったら寝覚めわりーじゃん」

「悪くないね。助けたところで奴らからはなにもかえってこない」

 これも昔から一向に変わらないプレスコットらしさであった。ドライで、冷徹な一面がある。おそらくは、おのれ自身にもだろうが、特に自分の外のモノに対して無関心の気が強い。

「頼むよう」

 柄にもなく、体を小さくして目をうるませる。唇もすぼめてみた。

「オエー! やめてそれ、ゲロ吐きそう!」

「え、そんなに? でも協力してくれないと、このまま指までお口にくわえちゃうよ」

「想像しただけで糞尿垂れ流しそう」

「きちゃね!」

「んー……仕方のない奴だな。わかったから、その目とアヒル口やめろ」

「イヒ。そうこなくっちゃ。私もこんなツラしたかねぇ」

 イチヨの襟首をつかんで、ひきずりながらプレスコットが走りだした。

 ケツがつるつるになっちまうよと、イチヨは呆れた。やり方がいつも、どこかずれている。

「もう少しマトモに扱ってくれ」

「注文が多いな」

 プレスコットは立ちどまって、ぶんとイチヨを振り、両手に乗せた。

 突然のお姫様だっこにイチヨの頬が赤らんだ。騎士の恰好かっこうをしたバカとはいえ、男は男。乙女には刺激が強い。それでも、気丈きじょうになれるのがイチヨだ。

「変なとこ触んなよ」

「手が腐るから気をつけよ」

 抱きかかえられながら、イチヨは廊下に倒れ伏す隊員たちをチラと見た。自分のありえた可能性を重ねた。心強すぎる変人がこなければ、彼女も病室でこうなっていただろう。

「なぁ」

「なに」

「ありがと」

「うるさ!」

「なんで?」

 ふたりの調子は、どんな苦境にあってもこうだった。

 村娘を抱いた騎士が、がっちゃがっちゃとまた走りだす。炎のなかを颯爽さっそうと。

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