8 まぁ逃がさんのだけどな

 エントレーが北集落に戻ると、大木のまえで少年と少女がご近所の迷惑も気にせず、大声でいい合う光景にでくわした。

 喧嘩しているのは、レビンとイワン。ふたりは十一歳同士、壱式分校の生徒だ。

 イワン少年は下ウンマイ東集落に住んでおり、この時間までここにいるということは、よほどレビンとの会話がこじれたらしかった。

「ほれ見ろ、反応してんだろがー! 神祇のエネルギーを感知してんだ、アタシの発明品がさー!」

「不良品だろ?」

 レビンの持つヘンテコな機械が、警告音を発しながらランプを点滅させている。

「なんだテメー! 壱式の分際でわかったふうな口きくな!」

「壱式不登校の低学歴が騒いでみっともねー」

「うるせー! これは神祇のエネルギー波長だ、村の危機なんだ!」

「仮にそのポンコツが機能してたとしてさ、レビンがいりゃそりゃ反応するだろ。この妖怪女!」

「クソガキ、さっきからなんだテメー! タメでもアタシのが誕生日は先なんだぞ!」

 自称レビン=O、シニーの口の悪さは確実にイチヨの影響を受けている。普段ぼんやりとマイペースにしゃべる彼女が、ここまで声を張るということは相当に興奮しているらしい。

「レビン、イワン……また喧嘩してるのか……」

 ほとほと呆れかえりながら、ふたりに近づく。

「エントレー兄ちゃん。このイカレ、神祇エネルギーが広がりはじめてるとか新興宗教みたいなことほざいててキモいんだよ!」

「新興宗教じゃねー! コレは科学だ、迷信の話じゃないんだ!」

「わかった!」

 パンと両手を叩いて、

「ふたりの言い分はよぉ~~~くわかった! おっしゃるとおりだと思う! だからイワンはマッハで家に帰ろう、な! レビンも家に入って寝よう!」

「なにもわかってねーじゃん、世界の危機だっていってんしょー!」

 十一歳に、三十四歳が怒鳴られた。

 年上として説得をこころみるエントレーに、レビンは食ってかかる。バグったように警告音を鳴らしつづけるゴミを突きだしながら、危機をうったえている。

「やかましい!!」

 アンが家から顔をだした。一喝して、エントレーにちょいちょいと手で合図した。

「お前ら、近所迷惑だから早く帰れよ」

 そういい残して、まるで教師の呼びだしを食らった生徒のようにエントレーはアン=オットーの家に入った。

 ローブをひるがえしてどっこいせと座るアンと、水晶玉の置かれた机の前に立つ。

「イチヨからきいたよ。いったい、どうしたんだ」

「なにをしらじらしい。お前にもわかってるはずだよ、魔の力が近づいていることをね。きょう一日、いろいろあったでしょ」

 ちくりと胸を刺された。あったどころではない。

「わたしゃこれでも昔は、ウンマイの母と呼ばれるほどには敏腕の占星術師だったんだからね。話してみな」

「……神祇の噂がでまわってる。それで王都から兵士がふたり、送りこまれてきた」

「ほう、王都から。そりゃつまり、兵団長の命令ってことだね」

「おれは見たんだ。兵士を襲ったカラスみたいなのと、ルーチェ……生徒を沼に投げた変な触手みたいなのを」

「兵士を狙うのはわかる。だが、なんで生徒なんだい」

「なんでって……」

 居心地の悪い沈黙が室内に流れた。

「その生徒を襲う理由。なににせよ大事なのは理由だよ、この世を動かすすべての原動は理由。神祇の動きが、らしくないね」

 神祇というものは、あくまでも欲望のままに働くシステムである。しかし今回の祇神たちはなにかに統率されているような、闇にまぎれる動きが目立っている。

「最近……おかしな夢を見たりはしなかったかい」

「えっ。見た、見たよ。カニの夢を」

「そりゃよかった。願いが通じたねぇ」

「願い?」

「わたしがカニさまにお前の無事を願った。きっと、力を貸してくれるぞ」

 カニが力を貸す?

 まるで安心できない話だ。由来不明のカニの神さま……あんな中途半端な大きさのカニが助っ人になっても、まるで喜べない。アフロの兵士を下回る頼りのなさだ。

「朝から体が変なんだ。それと関係ない……ってことはないだろう」

「悪いようにはしないと思うよ」

 頭痛や手の変化、イチヨに指摘されてやっと気づいた無意識カニ歩き。泥のなかでの呼吸もすべてカニさまの恩恵だとするなら、悪いようにはなっている。

 最悪の気分だった。


 民家の窓から温かな家庭の明かりが、ほんのりと漏れている。煙突からもくもくと煙が立ちのぼって暗闇に同化する。おいしそうな夕飯のにおいがふっと香る。

 ありきたりな夜の民家群を抜けて、ふたりの女は時計台広場へ入った。ルーチェの家は広場の先にある。

 時計台といってもあるのは、こじんまりとした木の台の上に乗せられた小さな鳩時計だけなのだが、村人たちにとっては自慢の時計台だ。観光パンフレットにも、村に伝わるカニさまと少年のおとぎ話「カニさまのファンサービス」と並んで威勢よく紹介されている。

 イチヨはこの時計台が立派だとは思わなかったし、外の人たちに誇って見せるものでもないとは思っていたが、幼いころから休憩所として利用してきたからこそ、それなりの愛着を持っていた。

 ただ、夜になると怖い場所だという認識も彼女にはある。時計台広場はウンマイ古道ともつながっており、そこから流れでる得体の知れない夜の空気感に、広場全体が支配されるのだ。

 ここの古道は東側に抜けると弐式校並木坂前へ、西側へ抜けると中ウンマイにつづくウンマイ橋前にでる近道であり、昼はたまに利用するのだが、夜となるとどうにも近づきがたい。ルーチェといっしょとはいえ、あまり通過したくない場所であった。

「イノシシはどうなったの?」

「イノシシの利用経路をジョージにまとめてもらって、捕獲用の機関からくりをシニーに作ってもらうつもり。そのあと作戦会議かな」

「そうなんだ」

「HK(話変わるけど)恋バナしようぜ」

 恋バナ、恋の話だ。

「なにをいいだすの、いきなり」

「ほかに話題が思いつかんのだわ。同級生に好きなやつとかいないの」

「いないなぁ。イチヨは……どうせいないか。恋とかそういうの、ホント似合わないもん」

「どういう意味だ、こう見えても私の心は乙女のにしき――」

 広場に立ち尽くす影が目に入って、イチヨは口をとめた。

 ただの人間の影であったなら、また会話と歩行を再開しただろう。彼女がそうできなかったのは、その影の持つなにやら特異なオーラと、人ならざるフォルムに魅入られたからだ。

 硬直したイチヨの視線をルーチェが追う。

「人……じゃあ、ねぇな」

 人間サイズの直立したウサギが明かりの下に現れた。

「イチヨさんですね」

 イチヨの瞳よりも赤い、血に染まったような瞳でウサギが睨みつけた。

 村に出没しているらしい神祇の仲間か。

 とっさに身構えた。嫌な汗がにじむのを感じる。過去に幾度いくどか神祇の相手をしたことがあったが、ボコボコにされた記憶しかない。戦える者に助けられて、今日こんにちがある。いまにしても、襲われたらまず無事では済まないだろう。

「主が怒ってましてね。ちょいとあたしたちに付き合ってもらいますよ」

「なんの話だい」

 このウサギ、いま、っていったか。

 困惑するイチヨの横で闇が動いた。ぬうと巨大なアリが凶悪な顔を、ふたりの間に割って入るようにだして、

「こんばんは」

 ルーチェは目を見開いて硬直し、イチヨは怪物を前にして顔をひきつらせている。

 アリの胴体が暗闇のなかで黒光りしていた。とてつもない大きさだった。戦うのはもちろんのこと、走っても逃げきれるとは思えない体格差にイチヨは泣きたい気持ちだった。


 月明かりの広場でウサギが跳ねて走りだした。

「は!?」

 猛突進してきたウサギのハイキックがイチヨの顔面を強く打った。チカチカとイチヨの頭の上に光が、ふたつ、みっつと点滅した。矢継ぎ早にパンチがイチヨの腹にめりこむ。

「うぐっ」

 すばやい二連打に表情筋すらが反応せず、ツンとしてイチヨは静止していたが、それもつかの間のことで、すぐにイチヨの顔面は真っ青に染まり、脂汗を大量に噴きだした。

 ウサギが足払いをかけた。体勢を崩して、イチヨが浮いた。

 地面に後頭部が落ちる寸前でウサギの大きな足が彼女の頭を支える。ぐいと上に押す蹴りでイチヨは持ちあげられた。また元の位置に、むりやり戻される。

 ウサギは彼女の長い金髪をつかみ、乱暴に引っ張って自身のうしろに放った。ふらふらと数歩よろめいて倒れ伏しそうになる哀れな女に向かって、ウサギはドロップキックを見舞った。

 弓なりになって吹っ飛んでゆくイチヨに対して、空中で九十度回転し、華麗に片手片膝をついてウサギが着地する。

 レンガの砕ける音がした。

「はがいぎっ」

 遅れて、短い断末魔が響いた。花壇にイチヨが突っこんだのだ。

 両膝を突いたままケツを上に張り、胸から上は地面にぴったりと接着している。だらりと両腕を伸ばして、だらしなく事切れている。悲惨な、どうしようもなく情けない姿でイチヨは沈黙していた。

「イチヨーッ!」

 ルーチェが泣き叫んだ。

「あらら、死んでしまいましたか」

「こんなザコだとはな、ギシシ」

 二匹が歯を鳴らして笑った。

 膝をガクガクと震わせ、崩れ落ちそうになるルーチェの耳に、

「ルーチェさーん、今いきまーす!」

 という叫び声が飛びこんだ。

「なんだアイツ!?」

 村にそぐわない、とんでもなく豪華な衣装を身につつんだアフロヘアーの中年が広場の奥から走ってくる。それもすさまじい速度でだ。土ぼこりを舞いあげて突っこんでくる怪物に、怪物二匹が度胆抜かれたように叫んだ。

「マジでなんだアレ!?」

 彼はタックルの体勢に入ると、そのまま有無もいわせず、アリの巨体を吹き飛ばした。アリは花壇を越えて、木々を押し倒しながら闇に吸いこまれていった。

「何者だ!」

 ブレーキを効かせて、アフロがストップする。

「兵団中級隠密隊、墨笛ぼくてきのブランドンだっYO」

「同じく兵団中級隠密隊、墨笛……」

 ウサギに向かってなにかが投げられた。サッカーのゴールキーパーのようにその球体をウサギは受けとめた。

 豚の首。正確には神祇オークの首であった。

 静かに、丸メガネを光らせながら男が入場してきた。もう一匹のオークの首根っこをひっつかみ、引きずりながら。そのオークの、元から脂肪でブクブクだった体が殴られすぎたためか、よりパンパンに腫れあがっている。

「同志たちが……」

 ウサギが血管を浮きあがらせて、いった。

 ふたつのオークは、さらさらと灰になって消えた。

 めまぐるしい展開にパニックを起こしたのか、ルーチェが頭を両手でかかえた。

「アイスマンッ!」

 名乗ると、丸メガネが両拳を構えた。右足のつま先だけを立たせたファイティングポーズを取っている。

「豚どもみたいに死にたくなければ、大人しく去るんだな。まぁ逃がさんのだけどな。神祇ファイトラビット・イズ・デェーッド! わはーははは!」

 神祇ファイトラビットの大きな耳がピクリと動いたが、動く気配はない。

 めきめきと木々を折り、森のなかからアリが戻ってきた。

「遊んでやるYO、神祇グラトニー!」

 ブランドンは放心状態のルーチェを突き飛ばすと、グラトニーの前に立ってチャクラムを取りだした。

 ガシンガシンと開閉するグラトニーの鉄のアゴがブランドンをなぎ倒した。星空の下をブランドンは回転して平然と着地した。ベテランの闘牛士のように、ひらりと衝撃に乗じて舞ったふうであった。

 そんな彼の手に、もうチャクラムはない。

 猛突進するグラトニーが悲鳴をあげた。土のなかから飛びだしたチャクラムに腹を裂かれたのだ。

 黒い血をまき散らしながら、その場をもがいて回転するグラトニーに向かって、ブランドンが一足で跳ねた。飛びついたのは、漆黒の額だ。

 豪速で回転しているにも関わらず、平地に立つかのごとく振り落とされずにブランドンは両手にチャクラムを持った。一気に両腕を振りおろす。外殻がいかくに火花を散らせて、ブランドンは深々と腕をグラトニーの頭に突き入れた。ガリガリと内側を削る音がする。

 ルーチェが下唇を噛んだ。

「どっこいしょー!」

 景気よく発声し、グラトニーのクレバスのような裂け目が入った頭を蹴ってブランドンが着地した。

 飽食のアリは地響きとともに転がり倒れ、さらさらと黒い灰となって消えてしまった。

 一瞬のことであった。へこたれて座りこむルーチェにとっても、仲間がたかがひとりのアフロに始末されるのを見ていたファイトラビットにとっても、ファイティングポーズのまま機能停止していたアイスマンにとっても。

「アイエエエエエエ!」

 かつを入れるように奇声をあげて、ファイトラビットが駆けだした。

 迎え撃つは、アイスマン――

 人と獣の脚が交差した。両者が選択した初手はハイキックであった。みしり……と骨がきしむ。ファイトラビットが退がった。軋んだのは、ファイトラビットの脚だ。

 アイスマンがガードをあげたファイトラビットの間合いを詰める。

 接近されて、膝蹴りの要領でファイトラビットが跳ねた。大地を蹴る、十分に加速された膝蹴り。その一撃はアイスマンの左手のガードで不発に終わった。

 地面に残った脚をも浮かせ、宙で身をねじり、全体重を乗せた蹴りをファイトラビットが放つ。これもアイスマンは両腕でガードした。

 ファイトラビットが着地する前に、アイスマンの蹴りが放たれた。下から上へ突きあげる攻撃にファイトラビットが吹き飛ぶ。受け身を取れずに、そのまま地面に叩きつけられた。

 躊躇ちゅうちょなく間合いをどんどん詰めるアイスマンが、十分に接近したところでバッとファイトラビットが立ちあがり、正拳を打ちこんだ。

 これは入った。アイスマンの動きがとまった。

 すかさず、回し蹴りで顔面を打つファイトラビット。丸メガネが割れた。3の字がふたつ、登場した。あからさまに視力の低そうな目であった。

 チャンスとばかりにパンチの連打が、アイスマンの正中線を上から順に打った。しかしアイスマンは動じる様子もなく全弾を受けきると、ふたたびハイキックを叩きこんだ。

「うむおおう」

 二度目のダウンをられたファイトラビットが立ちあがろうとするが、すぐに崩れ落ちる。食らった蹴りの一撃一撃が重すぎたのか、下半身の統率がれていない。

「!」

 三度目の蹴り。

 ファイトラビットの顔面に入った。

 折れた前歯が、ルーチェの膝元にパラパラと砕け落ちた。わっと、ルーチェが歯を払いのける。

 ファイトラビットはもう立てないのか、ただ粘ろうとするだけだ。にも関わらず、アイスマンはにじり寄って、追撃をこころみようとしている。

 ファイトラビットが背を向けて、走ろうとした。苦痛と恐怖に打ちのめされたように闇に溶けこんで逃げだそうとした。

 アイスマンは逃亡者の頭をわしづかむと、膝で何度も叩き蹴りはじめた。

「ラッシャアアアアアアア!」

 十、二十と蹴られるうちにファイトラビットの頭は徐々に平たく潰れていき、ついには彼の手と膝の間でぺしゃんこになってしまった。そしてグラトニーと同じく灰と化して吹き消えた。

「俺様こそが最強だッ! アイアム・ア・チャーンピオォーン!」

 ――時計台広場に残ったのはルーチェとアイスマンとブランドン。ケツを天に向けて突きだしながら伏すイチヨの残骸のみである。

「いまのは……なに?」

 ルーチェが乾いた唇で、問いを立てた。

「ご存知、神祇だ」

「危ないとこだったYO~」

「って、ああ。イチヨが!」

 ルーチェがうめいた。

「少し遅れたな。豚どもが現れなけりゃ、すぐに割って入れたンだが」

 アイスマンがピクリとも動かないイチヨの腕を手に取り、首筋に指を二本あてがった。

「なんてこった……」

「そ、そんな……まさか……!」

「生きてる」

「よかった……」

「とはいえ、急いで治癒局に運ばんとな」

 ルーチェの目から涙があふれていた。

 ブランドンが噛みタバコを口に放りこみ、咀嚼そしゃくしはじめる。

「さっきの神祇はなんで、わたしとイチヨを……」

「まぁ落ち着け。説明してやるよ、ちゃんと。この姉ちゃんを治癒局に送ってから、俺様たちの本拠地でじっくり……ねっとり、ぬっぷりとな」

 気色の悪い表現でいうと、3の目のままアイスマンは虫の息のイチヨを背負って、ルーチェに「ついてこい」というふうにあごをしゃくった。額に包帯を巻き、顔中にべたべたとパップ剤を貼りつけたブランドンがあとにつづく。ペッと唾を吐いた。

 イチヨは治癒局へ、ルーチェはふたりの兵士についていく。

 長い夜は、まだはじまったばかりである。

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