7 シルバー・オートマトン

 校長室のソファにアイスマンが座っている。だされたリンゴ酒に口をつけず、瞑想めいそうするように押し黙っている。

 自分のデスクに座りながら校長が「なにがあったんです」と、体育館であったことについて質問した。

「……ラウムというカラスの姿をした神祇。ソイツが浅はかにも俺様を狙って飛びこんできた。大したことじゃない、アイツはどちらかといえば監視に特化した神祇。戦闘のエキスパートにして最強である俺様の相手じゃなかった。それだけのことだ」

「その神祇は?」

「死んだ」

 ゆらりと立ちあがってアイスマンは座る校長の真横、窓ぎわに立った。裏山のほうを見ている。

「どうしました」

 アイスマンはなにも答えなかった。


 ――森のなかを飛翔ぶ。

 陽気さを捨てた狩人の表情で、ブランドンが木々の枝を器用に伝って、ルーチェを沼に投げこんだ触手を追跡していた。

 ルーチェが足首を獲られて放り投げられる瞬間を、イチヨと遊んでいたために彼は見ていなかったのだが、雑木林のなかに消えていく触手は見えていた。

 それが追跡してきた神祇の一匹であると看破すると、彼は誰の目にも映らずして殲滅せんめつに動いた。

 もしも雑木林に向かう自分が誰かに見られたとしたら、かならずあとを追ってくる者がでてくるだろう。そうなれば、いらぬ犠牲がでるのは確実である。だからこそ、ほかにルーチェの救出を任せて、視線をかいくぐったのだった。

 密集した枝の隙間をぬって、一直線に触手が伸びてきた。速度を落とすことなく跳躍しながら、触手をかわす。

 枝にとんと天女の羽衣はごろものように着地し、また次の枝に飛ぶ。

 次から次へと触手が彼を目がけて攻撃を仕掛けてくるも、軽く避けて着実にターゲットに近づいていく。

 裏山の開けた空間に落ちた。

 曲がった膝を、静かに伸ばす。筋肉を下から上へ、全身にいき渡らせるようにブランドンは立ちあがった。

 ここは、どのへんだろう。

 脳内で村の地図を思い起こすと、ウンマイ古道の上……村の周囲を環状する外周古道の東南付近にいるのだとわかった。

 地面を軽く靴の底で叩く。硬い。力強い生命力が山に満ちている。いい村だ。屈強な山に守られている――

 触手が存在を主張するように、彼の前に叩きつけられた。

 裏山でのびのび育った木々よりも高く、太い、四対八本の触手をうねらせて、タコが「おれを無視してほうけるな」といわんばかりに強く威嚇いかくしている。表面には大量のムチンが分泌され、まるでコーティングされたように全体がぬめっている。

 そのタコのサイズは破格である。いちりにだせば、盛況して値が吊りあがるだろう。ぶつ切りにして冷蔵庫で保管するにも、量が多すぎてとても食べきれなさそうだ。

 マイナスドライバーのように横になった長方形の黒目が、ブランドンをとらえている。

「いまの身体能力、兵団か」

「そっちは神祇エンヴィー」

 成長期を満了して、たまたま陸地にあがってきた水産物などではなく、祇神なのはわかっていた。それがエンヴィーという個体であることも。

 ブランドンにわからなかったのは、なぜ神祇エンヴィーがルーチェを襲ったのかということだった。わからぬならば、きくしかない。

「なぜ、ルーチェを襲ったんだYO」

「なぜかな?」

「YOUたちのやってることの意味がわからんYO。人殺しをすると思えば、驚かせるだけのこともある。女ひとりを沼に落として、なんの意味があるんだYO」

「どうかな?」

「召喚士の命令かYO」

「そう考えるか?」

 あざけるように、エンヴィーは応対した。なにかを答えるという気はないようだ。

 ブランドンは命を受けて相棒のアイスマンと調査にやってきた兵士だが、なにかをつかんでいるというわけではなかった。神祇たちのハッキリしない動きを追いつつ、その背景に召喚士の影があるのではないかと推測するだけにとどまっていた。

 やっと対面した神祇は、貴重な情報源である。なにもききだせないとなると、あまり嬉しくない展開だ。

 だからといって「では、このへんで」というわけにもいかない。彼は民を守るために戦う兵士なのだから。

「神祇エンヴィー。刺身にしてやるYO」

「ほざけ!」

 七本の触手が躍りかかった。

 一本だけは、の字に折れ曲がって、ブランドンに照準を定めるように、先端だけ小さく動いている。

 ブランドンはドーナツ型になった鉄の刃をズボンの腰部分から引き抜くと、横一閃に腕を振って、それを投げた。

 真正面から迫った触手をかわし、押し潰そうと地面を叩く別の触手を前転して避ける。地面が衝撃で割れた。

 回転しながら飛ぶ鉄の刃――チャクラムがとまっていた触手を両断すると、エンヴィーがぎゃっと短い悲鳴をあげた。切断面から黒い液体が噴きだし、雨となって一帯に降りそそぐ。墨だ。三分の一ほどを切られた触手は、木々を押し倒しながら力なく倒れてしまった。

 チャクラムはそのまま、半円の軌道を描いて、ブランドンの手に戻った。電光石火を受けとめた反動に流されるまま、彼は一回転し、下手投げでもう一投。

 エンヴィーが口を大きく開いて、喉から咆哮ほうこうをあげた。怒りに満ち満ちた衝撃の波が走る。

 触手の一本が、チャクラムを横から弾いて吹き飛ばした。

 また一本が、ブランドンの脚にからみついた。

「あっ」

 ルーチェを投げ飛ばしたときと同じように、ブランドンはそのまま一本釣りにされ、思いきり地面に叩きつけられた。

 震動に驚いて、鳥たちが木々から飛び立つ。

 土中にめりこんだ大スター然としたアフロ男を、順に触手たちが上から叩く。そのたびに、めりこみが増して、どんどん奥底に彼を沈めていく。

 両腕をクロスさせて防御しているとはいえ、人間にとっては有害すぎる威力の猛打だ。地面に、裏山そのものを割りかねない勢いで亀裂きれつが走った。

「やれやれ……」

 打たれながら、浅く息を吐くようにブランドンはぼやいた。

 油断したつもりはなかったのだが、なにせ触手の数が多い。こういうこともある。このまま延々と叩かれるとまずいが、かならずどこかで呼吸はとまる。その一瞬の隙を突いて、たたみかけてしまえばいい。受けるも兵法、待つも兵法……

 ダメ押しといわんばかりに、一本が大きく振りかぶって打ちおろされ、ふたたび大地を激しく揺らした。

 エンヴィーの目がにゅっと笑ったが、すぐに黒目の四角が肥大化した。

 ブランドンを押し潰した触手が縦に割れてゆく。線が稲妻のように伸びて、根本からチャクラムが飛びだした。

 沈みかけの太陽を背にしたドーナツ状のチャクラムは真っ黒に塗り潰されながら空に浮くと、また半円を描いてから垂直に落ちた。落下地点は触手の下だ。まるで雷が落ちたように……三本目の触手がチャクラムによって地面に押しつけられ、千切れた。

「ぐわおおぅっ」

 激痛にエンヴィーが目元のしわを歪めた。

 墨を撒き散らしながら痙攣けいれんする触手の奥で、穴からブランドンがのそりと立ちあがった。

 出血し、星型のサングラスにもヒビが入って、ねじ曲がっている。彼の額から赤黒い太い血の筋がたらりと鼻の輪郭りんかくに沿って垂れた。鼻血もでている。

 思わず、笑みがこぼれた。ぐっちょりと血で濡れた口元が歪む。

 やってくれちゃったね、このタコめ。

 ギチギチと音を立てて、全身の筋が固まりだす。顔にも血管が走って、鉄のごとし銀色に変色してゆく。ブランドンの肉体が、鋼鉄の刃となって引き締まっていっていた。

「アニヤ・ギアエ! シルバー・オートマトン!」

 叫ぶと、ブランドンは体を丸めて回転しはじめ、ジャキと大量の刃を体から飛びださせた。巨大な丸ノコギリとなった彼は、ゆっくりと浮きあがりながら刃を高速でまわす。

 ――アニヤ・ギアエ。「身につける魔法」の意である。

 触手が走った。ブランドンもその動きに反応して、地面を弾いて飛んだ。触手の打撃は届かない。彼が空中で触手を真っ二つに裂いて、貫通したからだ。

 五本目の触手が疾走するブランドンを追尾しようと伸びる。しかしそれも、地面を切りながら真上に飛び現れたチャクラムによって、切り離された。

「ひぎい!」

 エンヴィーが苦悶してのけぞり、突きだした口から太い光の束を放った。強烈なエネルギーをブランドンは感じた。なるほど、当たればタダでは済まない。当たればだけどYO……

 ギュンとビームを楽にかわし、突撃する。

 また一本、触手が死角から飛びでたチャクラムによって刻まれた。いまやブランドンの武器は、持ち主に戻ることを忘れて、自らの意思で駆動する切り裂き魔と化していた。

「この腐れタコ、ブチくたばれYO!」

 ブランドンの鉄の刃が、エンヴィーの頭部を爆撃的にえぐり飛ばした。

 そのまま、ブランドンは着地した。煙を巻きあげながら、彼の体色がじわじわと元に戻っていく。刃も肉体のなかへと沈み消えていった。

 力なく震える残った一本の触手も、チャクラムの攻撃を許し、二股にされた。

 仕事を終えると、チャクラムは火花を散らして、ブランドンの手に帰った。

 文字通り、刺身にされたエンヴィーは真っ黒に変色すると、さらさらと灰になり、風に吹かれて消えてしまった。

「晩飯にしようと思ったんだがYO……消えられちゃあな」

 ごそとふところから、噛みタバコの小箱を取りだし、タバコ葉の詰められた袋をだすと、おもむろに口に放りこんだ。

 くちゃくちゃ噛みながら、手がかりを失ったことをうれ余韻よいんにひたって、ブランドンは夜の到来を目の当たりにしていた。


 弐式校の男女両更衣室についたシャワー室で、エントレーとイチヨとルーチェの三人は沼の汚れを落としていた。

 男子のほうは汗くさい部屋の端にシャワースペースがあるだけだが、女子のほうは小さいながら五つの個室シャワー室が設けられている。

 汗臭い部屋で、やたらと強い水圧のシャワーに打たれながら、隣室を少しだけうらやむ。ここよりはいい気分で体を流せるだろう。男子更衣室には息が詰まりそうな重々しい空気が漂いすぎている。

 部活の生徒たちはもう下校したらしく、誰も更衣室に入ってくる様子はない。人がいなくなり、暗くなっていく校舎というのは、昼間とまったく別の顔を見せる。

 怖くなって、エントレーは体を洗うのを急ぎ、早々と待ち合わせの昇降口にいった。一番乗りだ。

 十分ほどしてから、イチヨがやってきた。

「ルーチェはまだ?」

「すぐいくーって、いってたがなぁ」

 ルーチェがやってきたのは、ふたりが合流したさらに五分後だ。

「待たせやがって」

「えへへ、ごめんね」

 ふと、みずみずしくほんのり濡れた彼女の首筋に目が吸い寄せられた。

「あれ。ルーチェ、ガーゼ取ったのか」

「え? あっ、はい、そうなんです」

あとはなさそうだな」

「おかげさまで」

 私服に着替えた三人が帰路につくころには、あたりはすっかり暗くなっていた。

 民家に挟まれた道は、蝋燭ろうそく番の職人たちが立てた灯りに煌々こうこうと照らされ、しかしより強い暗闇を端に溜めている。

 人ひとりとして出歩いていない道を、エントレーとルーチェとイチヨは並んで歩きながら、大変な一日だったと語り合っていた。

「エントレーも、イチヨもありがとう。本当に……」

「飛びこんだだけで礼をいわれてもな」

「ルーチェもドジだよなぁ、足元には注意しろよな」

 落ち着きを完全に取り戻していたルーチェは、照れくさそうにはにかんだ。

 エントレーは、ふたりになにも語らなかった。カラスのことも触手のことも、なにもだ。いらぬ不安を与えても仕方ない。自分の見間違いだろうと考えて、なにもいわなかった。

「なんにせよ、生きてりゃおなぐさみだ。ツーヘッドお通夜にならんで済んだのは幸いだな」

「ツーヘッドジョーズみたいにいうなよ」

 エントレーのツッコミに女たちがクスクスと笑った。

 会話して歩くうちに、十字路に三人はでた。

「エントレー、お前は先に家に帰れ。私がルーチェを送ってく」

「え。いいよ、おれが送っていく。担任だぞ」

「オババがヒステリー起こすだろ」

「やっぱり?」

「イチヨに送ってもらうから、わたしは大丈夫です。また明日、学校で」

 と、手の平を胸の横まであげていうルーチェに、かすかな動作でこたえる。きびすをかえして、エントレーが先にまっすぐ進んでいった。

「ねぇ、イチヨ。先を歩いて。なんだかいつもより暗くて、怖い」

「しょうがねぇな」

 十字路の道には光があるが、それは夜空の闇に比べれば、あまりにも微量すぎた。 そろりとした足取りで先をいったイチヨの長い金髪が、ふわと風に揺られた。無風の夜に、一度だけ吹いたかすかな風。

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