5 王都から派遣されてきた兵士

 木造校舎にしては荘厳そうごんな鐘が鳴った。

 右手はすっかり元に戻り、何事もなかったかのように動く。頭痛は一過性のもので、手は夢だったということにしておこう。よくわからない一日だが、とにかく自分は元どおりになったと思いながら、エントレーはカニ歩きで教壇に立った。

「カニカニ……」

 午後の授業に入る前に、兵団から派遣されてきた兵士を生徒たちに紹介しなければならない。さらに、その兵士が授業を視察するといっているのだから、いまいち気が進まなかった。

 散っていた生徒たちが席につき、外にでていた生徒も駆けこみで帰ってくる。

 授業に使う教科書を用意して、エントレーが教室を見渡すと、人の目を引くご近所さんがルーチェの机の上に座ってるのが見えた。なぜ教室にいるのか理解できない人材だが、どちらにせよ机の上に座るのは感心できない。

「おーい、机の上に座るなーイチヨー」

「よう、先生さん」

「生徒じゃないのにえらい態度だな。なにしにきた」

「村役場の仕事でよ」

「おれの授業、受けてくか」

「教会で説教きくよりゃマシだが、どっちゃにせよ命に関わる」

 イチヨが机から軽やかにおりて教壇にのぼると、エントレーに耳打ちした。

「オババから伝言。悪いのがつきまとってるから気をつけろって。きょうは寄り道せずに、とっとと村に戻ったほうがいいともいってたよ」

「アンばあさんが?」

 ふと、教室の窓の外にある中庭の大木が目に入った。こずえにカラスが一羽とまって、じっとエントレーを見ている。さあ……と血の気が引いた。朝のカラスと同じ個体かどうかは別にして、まるで見張られているかのようだ。占星術師の忠告で、妙な信憑性しんぴょうせいを持った神祇の不吉を後押しする気持ち悪さが、そのカラスの凝視にはあった。

 青くなるエントレーの顔を見てか、イチヨは舌をぺろとだし自分の指をちょんとつけて、その指で眉をなぞった。そして、ウィンクして見せた。本人は片目を閉じたつもりだろうが両方閉じていた。不器用なおちゃめさにこわばった不安がやわらぐ。

「なんの話だ、デキてんのか」

「先生とイチヨが? ウケる」

 距離の近いふたりを生徒たちが茶化した。

 ルーチェがぶうと不貞腐ふてくされる。

「そういうの好きだよなぁ、お前の生徒って」

 ポンとエントレーの肩を叩き、イチヨはうしろ側のドアに向かった。前からでないのは、そこに視察の兵士がひかえているのを知っているからだろう。どうせ職員室で話をきいたに違いないのだ。

 うしろのドアががらりと開いた。開けたのはイチヨではない。村の大規模不良グループ「火煮堕魔かにたま」のメンバーたちが、遅れて教室に戻ってきたのだ。

 全員、よれよれの白いシャツと腰まであげた黒いズボン、村の学生らしからぬ金ピカの装飾品、総じて治安の悪そうな顔。一見してお近づきにはなりたくない見た目をしている。

 学校ではすぐ暴力問題を起こし、授業は放棄。夜になればマキナ・モトを駆って爆音で暴走する札付きのワルども。学内生徒の誰ひとりとして逆らえず、教師陣ですらも関わることを諦めた彼らと、エントレーはできるかぎり対等に接しようと努めていたが、一向に実を結ぶ気配はない。

 そんな不良たちのひとりが、向かい合ったイチヨに啖呵たんかを切った。

「おい、メスブタ。なにしてんだ、あ?」

「だーれがメスブタだぁ。テメー家に火ィつけんぞ」

 教室がざわと凍りついた。

 いいかえされた五人はキョトンとして、ついに耐えきれずというふうに、どっと大笑いしはじめた。

「わはは、村役場職員がいうこっちゃねぇ!」

「放課後おれたちとデートしようぜぇ」

「笑えないギャグはやめて、おめーらは二十四時間三百六十五日ここで勉強してろ。じゃあな」

 廊下に消えるイチヨを目で追って不良たちは笑うと、ひとりがオープンロッカーの上に座り、ふたりがその横に立つ。あとのふたりは床に座りこんだ。

 いまのイチヨと五人組の会話は一触即発、殴り合いになりかねないものだった。少なくともイチヨではなく、ほかの生徒や大人であれば即座に殴られていただろう。

 カニタマウンマイウンマイ村の問題児たちは、非行対策にときおり駆りだされる村役場職員たちと犬猿の仲で、双方総出の抗争になだれこんだりすることは何年も昔からつづく村の慣例だった。

 一方、若い力にあふれる彼らにとって村役場職員は真っ向勝負を仕掛けてくる手強い大人たちであり、歴代の先輩たちから酒のさかなに逸話をきかされる好敵手でもあった。

 目の上のタンコブでもありながら、一定以上の信頼が置ける対等の相手。だからそう簡単に手出しはしないということを、この教室内でエントレーだけが知っている。

「じゃあ、まぁ……早速だが、王都からお越しくださった兵団の方を紹介する」

 エントレーの切りだした話題に、場の空気がまた日常の昼下がりに戻った。

 半分は期待をにじませて、半分は部外者の介入をうとましく思いつつ教室がざわついた。珍獣を見るのと近い感覚なのだろう、エンターテイメントではあるが距離感というおりをおのおのが作って見る、という前提がある。

「入ってください、王都兵団のブランドンさん」

 引き戸を開けて、スタンバイしていた兵士がゆっくり妙なステップを踏みながら登壇した。

 生徒たちは閉口した。本当に珍獣が立っていたからだろう。

「ブランドンだっYO!」

 アフロを揺らして、青ヒゲとほうれい線の目立つオッサンが叫んだ。

 なんだこいつは。お前たち、そう思っているな。校長に紹介されて対面したとき、おれもそう思ったさ。

「きょうからおれはみんなの相棒さ、ハイディーホー!」

 アフロは噛みタバコを教壇に吐き捨てた。

 点になった視線が一点、アフロ男にそそがれていた。豪気な不良たちも呆然自失に彼を見ている。人とは自身の理解の枠を超えた未知に、恐怖する生き物である。

「よろしくだYO、SAY HO!」

「んー……まぁ、そうだね……ブランドンさんは、ただ見るだけではなく授業に参加したいとおっしゃってる。ルーチェの横があいてるな、あちらへ」

 指さすと、星型のサングラスが指し示す方向を追った。

 ルーチェがぽかんと口を開けていた。


 終礼を終えて、放課後になった。

 部活に向かう男女たちはすぐにでも異世界からの来訪者について語りたいようで、急ぎ足で教室をでていった。

 授業中にさんざんブランドンに話しかけられたルーチェは疲れきっていたが、多少は慣れ親しんだのか、ほっとした様子で教卓のエントレーのもとに会話をしにきていた。

「兵団ってすっごい怖いイメージでしたけど、なんだか拍子抜けしたかもです」

「そんなこと、いうもんじゃないよ」

「はぁい。……でも、視察ってなんなんでしょう」

「さぁね。おれにもわからないよ。それより放課後は演劇部だろ。早くいかないと先輩にどやされるぞ」

「わたし、きょうは生徒会で裏山にある沼の清掃なんですよね」

「ああ……あの沼。あそこ、落ちたら助からないらしいから気をつけたほうがいいぞ」

「なんでそんな怖いこというかなぁ。先生のいじわる」

「そうだYO、ルーチェが可哀想だYO!」

「えっ、あ、はい……すみません……」

 ぬっとアフロを突きだしてブランドンが、ふたりの会話のなかに入った。

「先生はどうするんだYO」

「おれはバスケ部の顧問なんで、そっちにいきますが……」

「HO、がんばれYO!」

「ブランドンさんは、これからどうされるんです」

「んー、もう少し学校を楽しみたいYO。通ったことないから新鮮でワクワクするんだYO」

 兵学校の卒業生ではなく、叩き上げの兵士か。彼は幼いころから兵団に所属していたのかもしれない。

「でしたら、生徒会の活動を視察されていきませんか」

 手を叩いてルーチェが提案した。

「こら。沼の清掃を手伝わせる気だろ」

「えへへ」

「いいYO、沼におれもいくYO!」

「えっ」

 ルーチェが驚愕きょうがくした。ほんの冗談のつもりだったらしい。

「品行方正な活動、素晴らしいことだYO。いっしょに沼を更地に戻してやるんだYO!」

「更地に戻すのは、やりすぎでしょう」

 エントレーが笑っていうと、ルーチェもつられて笑った。

 話してみると愛着がわく愉快な人物だが、村の環境にあてられて、すっかり平和ボケした村兵よりも頼りなさそうだ。有事のさい、本当に神祇じんぎと戦えるのだろうか……

 エントレーは、ルーチェとブランドンとわかれて、体育館に向かった。

 体育館へは、いったん校舎をでて、敷地内の端寄りに作られた長い渡り廊下を歩かなければならなかった。真横に広がる深い森を視界に収めながら、エントレーはなぜかカニ歩きで渡り廊下を渡っている。

「カニカニ……」

 二十代の後半になって、いきなり体の節々が痛むことが増え、集中力が落ちたのを実感するようになった。三十代を超えて、気力が低下していること、疲れが一向に消えないのを思うようになった。少し、涙もろくなったかもしれない。

 そうなってもなお、この長い廊下を歩くのがエントレーは嫌いではなかった。一日最後のお楽しみとして体育館に向かう静かな時間が好きだった。

 彼がまだ生徒だったころ、部活に走るこの瞬間がもっとも輝いていた。ほどほどに勉強して、恋に悩み、部活を楽しみつつも一定の倦怠感けんたいかんと将来への不安を持っていた日々。

 歳を取って、そのときのことを思いだしながら歩くのも一興というものだ。耳をすませば、あの優しげな時間のささやきが――

「なあにしてんだあー!」

 渡り廊下をイチヨが走ってきた。まさか焼却炉にいく用事はあるまい、体育館からきたらしい。自由に歩きまわりすぎである。

「バスケやるんじゃねーのか、なあにカニのモノマネしとんだ」

 バスケットボールのユニフォームを着て、ボールを脇にかかえたイチヨは、動きやすいように髪をポニーテールにして結んでいた。

「カニのモノマネってなんだ。っていうか、まだいたのか」

「せっかくだからバスケしてくに決まってんだろ。『女子バスケ部の拡散波動砲』と呼ばれた私の血が騒ぐんだよなー」

 元ウンマイ弐式校女子バスケットボール部主将。彼女と、副主将にして彼女の大親友だったベスカトルをトップとした女子バスケ部は当時、弐式校前代未聞の隆盛りゅうせいを誇った。たいして強くはなかったが、血が騒ぐのも無理はないのかもしれない。

「校長との話は?」

「もう済んだ。なぁ、HK(話変わるけど)なんなんだあのアフロ兵士。私も見たけどさ、頭おかしいんじゃねぇのか。気ィ狂ってんぞ」

「こら。そんなこというなよ。口悪すぎ、直しなさい」

「余計なお世話だ」

「きかれたらどうする、怖いぞ」

じかでいったよ、もう」

「え、うそ。マジ?」

「マジ。『HKどこ住み』とかかえしてきてさ。こっちは気が狂ってんのかどうかをきいてんのによ。どうかしてる」

「HK、ブランドン発信かよ。影響されてんじゃないか」

「HKバスケやろうぜ、エントレー」

 話の変え方が雑すぎる。

「無理だよ、おれはもう若くないんでね」

「よくいうな~。まだバリバリのシャキシャキだろ」

「バリバリのシャキシャキ? なにその言い回し」

「いいから、顧問の力ってモンを部員たちに見せてやってくださいよ」

 イチヨがエントレーの腕を取って、体育館に向かって走りだした。こんな積極性は彼女にしては珍しいことだ。久しぶりの母校に舞いあがっているのだろう。

 そう思いながら、沈みがちな心が少しだけ賑わってゆくのも感じて、昔のように彼は長い渡り廊下を走った。カニ歩きで。

「だからなんなんだよ、そのカニのモノマネ!?」

「なんの話だ、カニのモノマネなんかしないぞ」

「してるじゃねーか、前向けよ」

「カニカニ……」

 カラスの鳴き声がする。校舎の上空を飛んでいるらしい。

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