3 生活対策課の女

 下ウンマイ北集落には小さなカフェがある。

「サウザント・スターズ」。三ツ星や五ツ星どころではない千ツ星のカフェだぞという意気込みであろう。随分と大きくでた店名だ。

 レトロな木組みの内装はオシャレというより、シンプルにボロい。テーブルが二脚と、カウンターに四席だけのせまい空間だ。バックバーには大量のボトルが並べられているが、どれも精彩さを欠いた薬品用のようなボトルばかりで、どうにも胡散うさんくさい。

 テーブル席にはレビンが座り、勝手に持ちこんだ実験器具を使って妙な液体を作っている。

 カウンター席に座ってオレンジジュースをちびちび飲んでいるのはイチヨ。山に持っている自分の畑の手入れをした帰り、休憩のために立ち寄ったのだった。

 彼女から一席あけて、養鶏場を営むハムサが座っている。

 店主のトゥーサンは力士同然の図体を揺らして木製シェイカーを、まるで壊れたシンバルを叩くサルの人形のようにシャカシャカ振りつづけている。

 このさびれたいこいの場では、ソフトドリンクのほかに酒もだしており、彼が作っているのはお手製のカクテルだ。王都から仕入れた安いワインに、ハチミツ。「ショウガや薬草を入れてるから体にいいよ」と彼はいうが、実際にはそのへんで引き抜いた雑草を混ぜて、この村にしてはいいお値段で提供していた。

「イノシシ捕獲ですか。危ない仕事ですね、イノシシは手ごわい」

「メンバーに問題があんだよ」

「いつものメンバーでしょう」

「アイツらはダメだ。蜂の巣駆除のときだって……」

「アハー、あれはウケたぁ」

 レビンがケタケタ笑いだした。

「イチヨちゃん、全身パンパンだったね」

「あー、そんなこともありましたね。なにがどうなって、あんな悲惨きわまるみにくい姿に?」

「テメー、一言多いぜ。……あんときはさ」

 思いだしたくもない仕事だったが、しぶしぶイチヨは語りはじめた。


 ジョージが集落内の占星術師アン=オットー婆から、スズメバチの巣の駆除を頼まれたのは普段より気温の高い日の朝だった。

 アンの家の入口の上にスズメバチの巣はあった。幾何学きかがく的な模様が整然と並ぶ、職人芸の冴える円形の木の塊。そのまわりをいかにも凶暴そうな羽音を立てて、狩人たちが荒々しく飛んでいた。

 しげしげと巣を遠目に観察するジョージの隣で、アンは震えている。

「スズメバチだなぁ」

「どうにかしておくれよ、ジョージ。わたしゃもう怖くて怖くて、家から一歩もでられないんだよ」

「でてるじゃん」

 ジョージとアンが顔を見合わせた。

 ――その日の午後、村役場には四人が集結した。

 ジョージと、足を組みながら椅子に座り、片肘を立ててつくイチヨ。

 熱心にジョージの話に耳を傾け、ウンウンとうなずきながらしきりにメモを取る青年、やる気兵士。兵士の鎧を身にまとっているが、彼は兵士ではない。憧れているだけで毎年、入団試験をパスできずにいる。

 デスクに座りながら爪に赤いマニキュアを塗る女性はニフォ。恋愛マスターを自称するアラサーだが、自身の恋愛はその性格と浪費癖で破綻はたんしてばかりの女だ。

 村長を除く下ウンマイ村役場職員のそろい踏みである。

「っつーことで、よろしく」

「お前さ、そういう仕事を全部、私にまわすの人道に反してない?」

「イチヨだけにやらせないって。ほれ、コイツらも連れていっていいよ」

 やる気兵士とニフォのほうへ片目の視線を向ける。このふたりにジョージはなんの期待もしていなかったが、唯一の戦力であるイチヨを動かすためには人数の利で釣る必要があった。

「はい! 僕はやる気です!」

 新米職員のやる気兵士がガッツポーズを作って、視線にこたえた。目をキラキラと光らせ、白い歯をのぞかせる彼はやる気を主張した。ニフォは「ま、やってあげてもいいけど?」と、塗ったばかりの赤い爪にふっと息を吹きかけて、関心薄そうにいった。

 片肘を崩し、イチヨが組んだ脚の上に両手を結び置いた。

「お前もこいや。どうせ暇だろ」

 仕事を持ってきたジョージに対しての言葉だ。

 そうくるとは予想していたが、スズメバチの相手など冗談では済まされないものがある。

 彼は少年時代、山で遊んでいる最中にスズメバチに襲われ、後頭部を刺された。激痛をともなってパンパンに膨らんだ頭は、友人たちに指をさされ「エイリアン」だの「IQ五億の巨大脳みそ」だのと笑われた。痛かったのは頭だけではなく、心も大いに痛んだ。涙で枕を濡らした日々を回顧かいこして、ジョージはスズメバチ駆除の仕事だけは絶対にやらないと、部下たちに対して明確に意思表示しなければならないと思った。

「盲腸なったっぽいんで帰ります。お疲れさまでした!」

 ぴょんと住民課の机を飛び越して、ジョージはそのまま村役場からでていった。


 アンの家の前に、今度は村役場職員の三人が立っていた。

 そのなかでイチヨだけが養蜂用の防護服を身にまとっている。干したてのシーツのように真っ白な服は、顔の部分がフェイスネットになっており、意外にも視界は悪くない。

 やる気兵士はそのまま、どっかのクソみたいな雑貨屋で買ったのだろうバッタモンの鎧と兜、ニフォは透け気味のセクシーな服という出で立ちである。

「じゃあ、落とすけど……オメーらマジでなにか着ろ。蜂舐めんな、死ぬぞ」

「僕は鎧を着ています!」

「嫌よ! 私はそんな汗かきそうな服、絶対に着ないから!」

「バカじゃねぇの。私は知らねーかんな」

 イチヨが諦めていうと、おもむろにやる気兵士が足元に落ちていた石を拾いあげた。

「僕が石ころで落とします! 昔、野球部だったんで大丈夫です!」

「は? ちょっと待て――」

 制止する間もなく、やる気兵士はスズメバチの巣に石を命中させると高速で走り去った。地面に落ちた蜂の巣から、いっせいにスズメバチたちが激怒して飛びだしてきた。

 イチヨは、ニフォの死を覚悟した。もうどうしようもなかった。いままでありがとう、ニフォ。オメーのことは忘れねぇよ。

 しかしニフォは慌ててイチヨの養蜂防護服を剥ぎ取り、それを自分が着て走りだした。刹那の早業はやわざだった。

 残されたイチヨは、いつも通りのディアンドル姿に戻っていた。スズメバチたちのど真ん中でだ。

「なあにしてんだー!?」

 大量のスズメバチに突き刺されながら叫んだ。

 鋭い激痛に号泣しながら自宅に逃げ帰り、服を脱ぎ捨てる。こんなときのためにと植えておいた家庭の薬箱、アロエをもぎ取り、傷口という傷口にアロエの液をすりこむ。そして即座に患部を冷やしたが、アロエで手に負えるレベルではなく、すさまじい勢いで全身がパンパンに腫れあがってしまった。

 彼女は近所の理髪外科医にして抜歯屋を営むオルアに泣きついて、治癒局に運びこんでもらった。

 生きるか死ぬかの瀬戸際をさまよいながら、包帯でぐるぐる巻きにされすぎて巨大な豆腐の塊みたいになったイチヨは、病室のベッドの上でむせび泣きつづけた。


 わはは、と喫茶店にいるメンツが笑った。特にレビンは気色の悪い声で盛大に笑い転げている。

「笑いごとじゃねー。アイツらのせいで、死にかけたんだぞ」

「あっはっはっ。いやぁしかし、よく生きてましたね。往生際おうじょうぎわが悪いというか、なんというか。あっはっはっ」

「それじゃあイノシシ捕獲なんて無茶も無茶だねぇ」

 あいかわらず、けたたましい音でシェイカーを振りながらトゥーサンが苦笑した。

「そうなんだよ。なぁ、ハムサー。イノシシ捕獲作戦、手伝ってくれよ。アイツらよりオメーのがまだマシだろ」

「私に死ねというのですか、死ぬのはあなただけで結構」

「うら若き乙女を助けてくれ」

「アバズレの間違いじゃないの」

 ニヤけながら、レビンがチクリといった。

 無礼なお子様ランチの頬をつねり伸ばすために立ちあがろうとしたが、

「こらー、どこで覚えてきたの、そんな言葉。そんなこといっちゃダメだよ」

 トゥーサンが注意したので動くのをやめた。

「アイヨー」

 レビンはイチヨ以外のいうことは、わりと素直にきく。

「いい大人ヅラしてますがね、あなたはクソカフェのインチキ野郎ですよ。ははは」

「なんか噂になってるけど、上ウンマイや中ウンマイで神祇に襲われた人がでたんだって?」

 わざわざいう必要のないハムサの言葉に、シェイカーを振るのをやめたトゥーサンは話題を変えた。

「らしいな」

「そういえば、アンばあ様がなんか騒いでましたよ。災厄がどーたらって」

「ボケてんしょ」

「こらー、そんなこといっちゃダメだよ」と、レビンを注意しながら、トゥーサンはシェイカーから酒をコップに移して自分で飲み干した。「待って、それ私が注文したカクテルですよね」とハムサ。トゥーサンはバックバーに常温で放置されたままの牛乳をコップになみなみそそぐと彼の前に置いた。クソカフェのインチキ野郎といわれたのが、相当に気に入らないと見える。

「弐式校にいくんでしょ。さっき、テレポンしてたじゃん。エントレーに会うの?」

 レビンがイチヨの背中に話しかけた。

「学校まわりにイノシシが出現してねーか、校長にききにいくんだよ」

 イチヨがまたオレンジジュースに口をつけるのと、ほぼ同時に立てつけの悪いドアが開かれた。

「いたいた」

 なまめかしい声の方向に、ニフォが不機嫌そうに腕を組んで、片足をコツコツと鳴らしながら立っていた。

「家にテレポンしてもでないから、探しまわったわよ」

「知らねぇよ。なんか用?」

「アンばーさんが呼んでるわよ。イチヨをだせって、役場に鬼テレしてくんのよ。もう」

「イチヨさんの家にテレポンすればいいのに」

 ハムサが自分の側頭部を指さして、くるくるまわしながらいった。物腰低く、丁寧な態度を崩さない中年男だが、こういう人を食ったところがある。

 イチヨはオレンジジュースを飲み干して、コップをトゥーサンに渡すと、のっそり立ちあがった。

「あんだよ、かったりーなー」

 面倒くさそうに首に手を当てながら、カフェをでた。

 代わりにニフォがイチヨのいた席に座って、酒を注文する。組んだ脚から見えるニフォの太ももに、牛乳のはいったコップで乾杯して、ハムサは飲み干した。

 ――アンの家はカフェをでて、まっすぐ歩いた先にある。

 ワンルームのこの家は、随分と薄暗い。黒のカーテンの隙間から光が漏れている。不思議な模様の描かれたテーブルクロスが敷かれた机の上に、三日月が薄く点滅する水晶玉が乗っている。

 アンは座って、イチヨを待っていた。

「私になんか用があるんだって?」

「弐式校にいくらしいね」

「オババ、私の代わりにイノシシ捕獲、やる?」

「ひとりでやってな。わたしゃ、そんなくだらん話がしたいわけじゃないんだよ」

「そうかい。ハイレベルなお話を期待してるぜ。どうぞ」

「これを見ろ」

 オババが水晶玉の上に手をかざした。

 すると、三日月の周囲に黒い雲がもくもくとできて水晶のなかに広がった。おお~と無垢むくで好奇心旺盛な少女のころに帰って、イチヨが目を輝かせた。

 真っ黒な雲を押しのけて、いかにも無骨そうな無精ひげの男が透明度高めに浮かびあがった。エントレーだ。

「面白いな、このマジックグッズ。私もほしい、おいくら?」

「アホ。マジックじゃなくて占星術。悪いものがエントレーのまわりに近づいているんだ。どうせ学校にいくならエントレーへの言伝ことづてを頼みたい」

「めんどくせぇよ」

「イカレか」

「ほざくな」

 ポケットから折りたたまれた紙を取りだし、アンに広げて見せた。老人ホームの写真がでかでかと掲載されている。

「どうよここ。いい余生を送れんだろ」

「黙れ。エントレーに、悪に気をつけろと。きょうは不用意に行動せずに、なるはや(なるべく早く)で村に戻れ。そう伝えておくれ。でないとお前の股間にシャベル突っこむぞ」

 野蛮な恫喝どうかつよりも気になったのは、アンの震えであった。なにかにおびえて、全身をマナーモードのように振動させている。

「大丈夫か」

 ここまで怯えるのは珍しいなと、イチヨは張り詰めた。

「大丈夫ではないかもしれん。……わたしゃ、あんたを買っているんだよ。なにかあったらエントレーを助けてやれ」

「なんかありゃあな。助け合うのは当たり前だ」

 強く安堵あんどしたように、アンは薄く微笑んだ。


「災厄から、エントレーを守りたまえ……そして、イチヨに加護があらんことを……カニさま……」

 イチヨが引きあげたあと、彼女は祈りはじめた。

 一部の信心深いカニタマウンマイウンマイ村の者は、カニさまに祈るのだ。

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