第2話

 業平が右馬頭はそのままに、ひとつ高いくらいである従四位下じゅしいのげ右近衛権中将このえごんのちゅうじょうの職を拝命したのは二年後の貞観十七年だった。業平は五十一歳となっていよいよ翁の仲間入りとなった。

 新しい職場には同じ中将の正官として、四十六歳の源すなおがいた。源左大臣とおるの甥だが、それを源中将と呼ぶのに対し、それと区別するために業平は在五中将と呼ばれるのが普通となった。業平は阿保親王の五男だったからである。

 さらには同じ右近衛府の長官の大将はほかならぬ常行で、本官は按察使あぜち大納言である。常行はずいぶん出世したようにも見えるが、彼が一番対抗意識を燃やしていた従兄弟いとこの基経は、すでにかつての常行の父のポストだった右大臣になっている。

 それぞれの父はもうこの世におらず、世代は着実に交代している。

 業平はこの小舅であり親友である常行に、一度だけ小野宮法親王のことを話した。めったに来ない右近衛府に、常行が大将として珍しく顔を出したときである。

 業平が暇日のたびにいそいそと出かけていくという噂を聞き、老いてますます盛んと勘違いした常行は、軽い気持ちでからかいに来たようだ。業平はそのような色めいた話ではないと、小野宮のことを説明した。それを聞いて、常行もため息をついた。

「あの宮様が、世間から忘れ去られようとしているとは、お気の毒な……」

 そして、

「今度、同行させてください」

 と、まで言った。業平は、少し後ろめたい気分になった。常行の申し出を断る理由は見つからないまでも、出世競争の俗社会の権化のような常行を、完全に世を捨てた親王に会わせていいものかどうかと思ったのだ。そのうち常行は、またため息をついた。

「宮様のお心内は、拝せられて余りある」

 業平はその悲惨な表情を見て、自分の先入観が誤っていたことを瞬時に悟った。この男とて孤独なのだと、業平は再認識したのである。

 父亡き今は何の後見うしろみもなく、大納言にまでなったものの上に基経がいてはこれ以上の出世は望めない。基経は帝のご生母の染殿の后明子とは義理の姉弟であり、東宮の実の外伯父でもある。これでは常行には到底勝ち目はなく、すでに出世の見込みのない世捨て人同様の心持ちに常行はいるのだ。


 常行を小野に同行するという話は、話が出た直後に冷然院が全焼するという火災があって、それどころではなくなってしまった。

 近衛府は帝の身辺警護が任務だから火災とは直接関係ないにしろ、なにしろ大内裏に隣接する冷然院の火災である。いつ大内裏に飛び火するか分からない。風向きによっては、内裏さえ危ないのである。

 そこで右近衛府の役人は、内裏に召集させられた。指揮は源中将がとっているから、業平は補佐だ。常行は大納言として、帝の御座所の仁寿殿に詰めている。

 幸いにも火は大内裏の内側に飛ぶことはなかったが、冷然院の近隣の五十四もの邸宅に延焼して、それらをことごとく灰にした。翌朝になってもまだ、火はくすぶっている始末だった。

 それからというもの常行は仗座にかかりきりで、業平が宮中でその顔を見ることはほとんどなくなった。仗座の議の内容は火災の後始末のことである。後始末とは寺社への読経奉幣のことなどであった。


 業平が久々に常行を見たのは約半月後で、すでに桜が咲く頃となっていた。その頃、右大臣基経の四十賀が、冷然院の火災で宮中がごたごたしていたにもかかわらず、予定通りに都の南のはずれに近い八条東洞院の基経の九条邸で執り行われ、常行も業平も不本意ながら参列した。

 その時に二人は久々に顔を合わせたのである。業平の席は常行より一段低い簀子であったが、始まる前に二言、三言二人は話をした。

 そのとき、春になればぜひ小野にということが再度決定した。ところがそれは実現せず、その日は業平が常行を見た最後の日となってしまったのである。宴の時には元気だった常行が、そのたった三日後に呆気なく逝ってしまった。

 知らせを聞いても業平は、しばらくは信じられなかった。

 基経邸の桜の花の下で輝いていた常行の顔を見たのは、ついこの間なのだ。秋には常行の四十の賀をという話もあったが、それが実現する前に本人が逝ってしまったのである。

「早すぎるよ」

 自邸で、業平は泣いた。自分は五十を過ぎてもこうして生きている。しかし、常行は四十になったばかりだ。やはり早すぎると、彼は思った。

 そう思うと、涙が止まらない。だが、悲しんでいるのは自分だけではないはずだと業平は立ち上がって車を出させ、西三条邸へと向かった。

 邸内の調度は黒一色になっており、出棺までのもがりの間として常行の遺体は寝殿に安置されていた。

 彼の父の遺体がこの同じ場所に安置されてから八年、その長子があとを追った。業平はいたたまれなくなって、西ノ対に渡った。

「お帰りなさいませ」

 一斉にひれ伏す女房たちの背子からぎぬも上衣も、一様に墨染めであった。そして妻の直子も同じ色の袖を目頭に当てていた。

「先日の右大臣殿の御賀で、私は歌を詠んだんだよ。――桜花 散り交ひ曇れ おいらくの 来むと言ふなる 道紛がふがに……老いよ来るなというこの歌は、右大臣殿ではなく自分の老いに対して詠んだつもりだった。しかし、大納言殿の方に老いが先に回って来ようとは」

 業平の声は涙につまっていた。妻は黙って身を震わせている。その体を、上衣の上から業平は抱きしめた。震えが直に伝わってきた。妻は必死に業平にしがみついてくる。

 唯一の後見の兄を失い、この女は業平だけを頼っている。業平は自分だけを頼っている女を心底哀れと思った。自分の肩にこの女の人生のすべてが、ずしりとのしかかってくる感じだ。

 もはや業平は何も言葉を発することなく、黙って老妻の体を覆うように抱いた。そして、ある決意が彼の中で芽生えていた。落ちついたらこの妻とその所産の次男を、自分の屋敷に引きとろうと思ったのである。

 次男の加冠もそろそろ考えねばならない。この屋敷は女御多美子の里邸として残しておけばよい。

 そうしようと、業平はその決意をもう一度心の中で繰り返していた。


 数日後、帝のお召しということで業平は蔵人を通して弘徽殿に呼ばれた。昨今、帝は御座所を弘徽殿に移されていたからである。

 右大臣基経は、その父とは違ってまだ摂政ではない。だいいち、かつて幼帝であらせられた帝も今では御年二十七で、もはや摂政は必要ない。だから、その場に右大臣の姿はなかった。

 代わりに昼御座ひのおましの脇には、源左大臣融がいた。右大臣への対抗意識からか、この老人は常に常行に目をかけてくれていた。業平が常行の身内であることも知っている。

 帝からはまず、正三位で逝ってしまった常行に従二位を贈ることになったことが告げられ、その勅使を業平にという御下命があった。業平にとって、この上ない光栄であった。すべてが源左大臣の計らいであるようだ。

 拝命しながらも帝の御前であるにもかかわらず、業平は簀子に座したまま額をたれて目に涙を浮かべていた。

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