第3話

 常行の葬儀が行われる一方で、帝には吉事があった。

 業平にとっても吉事であるが、それは帝の第八皇子の誕生だった。母の更衣は兄の行平の娘で、業平にとっては姪である。

 だが、業平は兄の行平と交際を断って久しい。行平は今では参議と大宰権帥だざいごんのそちを兼ねているが、大宰府には行っていない。そんな兄が珍しく新生の皇子の三日目の産養うぶやしないの祝いに業平を招いたが、長く音沙汰もなかった兄からのとってつけたような招待状が気に食わず、業平は出向かずに歌だけを送っておいた。


  我がかどに 千尋ある影を 植ゑつれば

    夏冬たれか 隠れざるべき


 千尋ある影……新生皇子が皇位につけばの話だ。だが、今や右大臣の妹の高子所産の東宮が、厳として存在している。

 宰相の娘の更衣ふぜいの生んだ子が将来皇位に就くなど、誰が本気で考えよう。業平は十分それを承知の上、皮肉をこめて詠んだのである。

 それが兄にとっても痛い所を突かれたことになるのも分かっている。これで種と姓のみを同じくする兄とは、永遠の決別のつもりでいた。


 今頃は宴が行われているであろう頃に、業平は一人自邸で月明かりに照らされた庭を見ていた。

 昔から共に同じ道を歩んできたものたちが、最近ではどんどんいなくなる。前右大臣良相もその子の常行も今は亡く、惟喬親王とて形を変えた。あの山科の禅師の皇子も、もうこの世にいない。

 一人、二人と皆自分をおいて、いなくなっていく。気がつくと周りに誰もいない。

 幼い頃、紀家の妻も含めて近隣の童たちと遊んでいた時、夕闇が迫り、周りは紅一色に染め上げられた中で、気がつくと自分のほかは誰もいなくなっていたという寂しさの記憶が彼の中で蘇えった。

 老いとはこういうものなのかと思う。そして自分自身がいなくなる日も、いつか必ず来るのである。


  おほかたは 月をもでじ これぞこの

    積れば人の 老となる物


 そのようなことばかり考えてこんな歌を詠んでいると気が滅入るので、業平は直子を自邸に迎える算段の方へと頭を切り換えた。

 常行の喪があけてからの方がよさそうである。この屋敷の調度までもが墨染めになったりしたら、余計に気が滅入る。兄の喪なら、三ヶ月であけるはずだ。

 その三ヶ月を待つ間、またもや地震が多発した。それぞれはさほど大きくはないが、こう数が重なると気味のいいものではない。

 気味が悪いといえば夏になってから、明け方に比叡山の上あたりに巨大な彗星が見えるようになった。白く長く尾を引く彗星は五日間ぐらい連続で、朝の光に他の星が溶けても有明の月よろしく青くなった朝の空にいつまでも輝いて見えた。

 また、業平がようやく直子を自邸に迎えることになった頃のある夜、今度は大流星が現れた。ほとんど火球といってもいいくらいのそれは白く燃えながら、東南の空へと飛んで落ちた。

 世の中、どうも不吉なことが多い。何かの悪い前兆のようにも思える。まさしくそのような風潮の中、源左大臣とおるは自分が右大臣よりも上位にあることを誇張するかのように、六条あたりに壮大な屋敷を完成させた。四町にわたるその邸宅は河原院と呼ばれ、それ以来融は河原左大臣と呼ばれるようになる。

 その河原院の落成の宴に、業平も招かれた。これが不吉なことが続く毎日の中で、業平にとって唯一の心の慰めとなった。

 また、源左大臣の方も、業平には一目おいていた。左大臣は恐らく常行も招きたかったであろう。だから業平は、常行の名代のつもりで宴に臨んだ。

 この源左大臣は七年前に亡くなった同じく左大臣であった源まことの弟で、やはり同じく嵯峨の帝の一世源氏だ。三年前に左大臣となって、現在五十四歳である。

 この兄弟にはもう十二年前に亡くなった四条大納言のさだむもいた。

 その河原左大臣融の邸宅のすごさには、業平は舌を巻いた。亡き前摂政太政大臣の屋敷の染殿とて、ここまでは贅をこらしてはいなかった。

 敷地が四町もあれば、十分に技巧が凝らせる。築山も池も面白く、木立にさえ風情があった。しかも鴨川の川音がすぐ近くから耳に入り、その向こうの東山の中腹の清水の伽藍も間近に認められた。

 左大臣は業平より三つばかり年長の、同じ世代に属する老人である。だが、片や最高位の左大臣、片や一介の権中将である。

 しかも左大臣は皇親源氏であるのに対して業平は皇孫であるし、業平の祖父はこの左大臣融の父帝に対して反旗を翻し、悲惨な末路を迎えたのであった。

 だからこの境遇の違いは仕方がないし、またそれでいいと業平は今や盛りの庭の菊を見ながらそう思っていた。


 その夜は、引き続き酒宴となった。思い思いに乱れて、ほとんどその場で寝てしまい、翌朝は誰もがうつろな目つきで目覚めた。その中にいた業平は頭を振って目をこすり、格子が上がった窓から庭を見た。そして霧の中に、池とその向こうの島の庭石が業平の目に入った。


  塩釜に いつか来にけむ 朝なぎに

    釣する舟は ここに寄らなむ


 歌の心は衰えてはいない。業平がふと目にした庭の景色に、遠い昔の東国の光景が重なってしまったのである。なぜそのような昔のことを、今さら思い出したのか業平にも分からなかった。ただ、近頃はやけにそのようなことが多かった。


 その年、春日大原野神斎には、中納言右大将良世の娘の意佳子が任ぜられた。その大原野神社に業平が詣でることになったのは、約一年後の貞観十八年十一月であった。

 その年の大原野祭に二条の后高子の行啓が予定され、その供奉に業平が中将として任ぜられたのである。

 その人事を行った良世は、自分の配下ということで何も考えずに業平を任じたのであろう。どうも良世は五十五歳という年齢の割には業平と高子の過去を知らないらしい。

 本来は藤氏の氏神の春日大社の分霊である大原野神社のみ祭りの供奉は藤家一門でなければならないはずだが、今回は業平が前右大臣良相の家の婿ということで特別に認められたようである。

 この知らせを聞いたときも、そして祭りの当日も、業平が複雑な思いにならないはずがない。馬上、行列に付き添う業平の目の前の輿の中に、彼の過去の象徴のような女性がいる。

 初めて彼女を見た五節の舞のときから、すでに十八年の歳月が流れている。そして一度だけ、彼は馬上で彼女を抱きしめた。布の上からではあったが、体のぬくもりもそして香りも伝わってきた。

 ――あれは、なあに?

 まだ十代だった少女は、初めて見る草の上の露を訝しがっていた。それから彼女は手の届かない存在となり、業平ももう五十二歳の翁である。三十代になっているはずの彼女も今や帝の后であり、そして皇太子の生母でもある。一時は天と地ほども離れた二人だが、今はこんなにも近くにいる。

 しかし空間的には近くても、二人の距離はそれでもやはり遠かった。

 小塩山が見えてきた。都の南西で、ほとんど長岡京古都に近いあたりの小塩山の麓に大原野神社はある。

 その小塩山を仰ぎ見て、業平はどうしようもない感情が湧きあがってくるのを感じた。そして視線を目の前の輿に移して、背後の御簾を凝視する。すると、うっすらと人影が見えるような気がする。

 その人影を、業平は十八年前の五節の舞姫と重ねていた。昔は昔だということは分かってはいる。だが冥土の土産に、一度くらいは昔の夢に酔ってもいいのではないか。

 もっとも高子との接点は、これまで全くなかったわけではなかった。

 高子が紅葉の色鮮やかな屏風を東宮御息所のために新調したので、ぜひそれに歌をという依頼があったことがある。ほんの二、三年前のことだ。

 その時も、それを業平に依頼してきた人は業平の過去のことなど知らず、ただ歌人としての名声だけで無邪気に頼んできたのであろう。この時もまた、業平は自分が歌人であったことを喜ばしく思ったものだった。

 高子の屏風の歌を書くからといって、高子と面会できるわけではない、しかし、自分が作った歌を高子が目にすると考えただけで胸が熱くなった。恐らく高子は、その歌の作者があの芥川に自分を突然連れ出したあの夜の男だとは思いもしないに違いない。

 それでも業平は一生一首の意気込みで、人生最高の歌を詠み上げようとした。


  ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川

    韓紅からくれないに 水くくるとは


 歌自体はかつて惟喬法親王とともに竜田川のほとりで狩りをした時、紅葉があまりにも鮮やかだったのを思い出して詠んだものである。

 祭礼が執り行われている間、境内で待ちながら、業平はそんなことを思い出しつつ紙に筆を走らせた。


  大原や 小塩の山も 今日こそは

    神代のことも 思ひ出づらめ


 この紙に、彼女の手が触れる。彼女の目がこの文字を見る。それを思った時に、またもや業平の胸は高鳴った。過去が目の前に、現実となって蘇えるのだ。

 そしてまた業平は、年甲斐もなくと苦笑した。

 祭礼が終わって、輿の行列の出発となった。その時に女御から、供奉の人々に禄が贈られる。一人一人前に進み出て、その肩に女物のきぬを掛けてもらうのである。

 業平は供奉の総元締めとして、順番は最後となった。しかも、特別に女御直々に掛けてもらえることになった。

 輿の前まで歩み出て、業平はかがんだ。その肩にずっしりと衣がかけられる。業平の胸ははちきれんばかりに波打っていた。まさか顔を見上げるわけにもいかず、ただ視線を落としたまま業平は先ほど詠んだ歌の書いた紙を手渡した。

 それがすんなりと相手の手に渡ると、今度は頭の中が真っ白となった。あとは自分がどうやって立ちあがり、どうやって馬のところまで戻ったのかさえ覚えていない。

 やがて行列はゆっくりと進みはじめ、帰途についた。

 馬上の業平は何も考えられなかった。しかしそれは能動的にはという意味で、思考は勝手に頭の中に湧き上がる。

 彼女は自分のことを、あの芥川のときの男だと気づいただろうか……あの歌の「神代」が、二人の間の過去のことだということが分かっただろうか……

 気づいていなくてもいい、分かっていなくてもいい……自分の肩に彼女の手によって衣がかけられたことが、唯一の過去と現在の接点である。それだけで十分だ……業平の思考はとどめもない。

 そしてこれで、自分の人生に一応の区切りがついたと思うと、今度は目頭が熱くなってきた。


 ……自分の人生は、これで終わった……

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