第2章 目離れせぬ雪(めかれせぬゆき)

第1話

 秋のはじめ――すなわち貞観十四年七月に、月食があった。

 まだ日の長い頃で、月は元の満月に復する途中で東山から昇り、宵の口には丸い月に戻っていた。

 ところがそれが、人々の間に大騒ぎを起こした。

 月が欠けた状態で昇るのはいかにも不吉な何かの前兆であるという意見と、太陽と違って月は満月以外では欠けた状態で昇るものであり、その欠けた状態からたちどころに満月へとふくらむのは、国威大いに上がる吉兆であるという考え方が真っ向から対立した。

 陰陽博士などは後者を支持したが、世相は明らかにその反対の前者ととらえていた。

 業平にとっても、それが吉兆とは思えなかった。その日彼は、比叡山の西麓の小野の里に行ってきたのである。

 そこには、惟喬親王がいる。あの水無瀬の狩りから四年、若い若いと思っていた親王も間もなく三十の大台に乗る。

 そんな頃の突然の、親王の出家遁世であった。

 小野への道は草深く、左右から伸びる蔦枝つたで車が進めなくなるときもある。法師となった親王の庵は道筋から離れて少し山の方へ登った所にあるので、とうとう業平は途中で車を捨てた。

 暦はいつも嘘つきで、秋七月とはいっても実際は夏本番のさなかである。蝉の声が降るようだ。額には汗がにじみ出る。草まみれになって業平は、庵へ向かうほとんど獣道といえる坂道を登った。

 親王の出家の理由は、病だと聞いている。ただ出家しただけというなら世間でもよくある話だが、何もこのような山奥に遁世しなくてもと世人は思うであろう。だが業平には、親王の気持ちが痛いほど分かる。

 形を変え、僧衣をまとって対座した親王は、少しだけ照れの苦笑を浮かべていた。

「羨ましう存じます」

 業平は、普通の人なら言わない言葉を言った。しかし、業平にしてみればそれが本心だった。すでに四十八の業平は、それでも出家できずに官僚社会の歯車になっている。しがらみも多い。

 長男の棟梁むねはるは、紀家の庇護のもとで東宮舎人として宮仕えしている。

 気がかりなのは、十歳にもなっておらず、当然加冠もまだの次男だ。舅のさきの右大臣良相の亡き今、その母子は妻の兄の常行が貢献してくれてはいる。だがその常行も同じ歳の従兄弟いとこの基経と左右の大将で並び立ってはいるが、本官は基経の大納言よりひとつ低い中納言だ。

 業平の次男にとっては母方の叔母に当たる女御多美子も、高子の出産以来帝の寵愛は遠のいているという。

 だから、今ここで自分が出家するわけにはいかないと業平は思っていた。

 もちろん、出家しなかったとて右馬頭ふぜいでは何もできないことは分かっているが、そのような物理的なことではなく、あくまで精神的な意味でいなくなるわけにはいかないのだ。だから、親王を羨ましいと言った。

「羨ましい……ですか」

 親王は杯を置いた。仏門に入ったとはいえ、酒だけはやめていないようだ。

「素覚と申します」

「は?」

 突然親王が話題を変えたので、業平は思わず聞き返してしまった。親王はまた、含み笑いを浮かべた。

「素覚でござる。わが法名ですよ」

「はあ」

 素覚法親王――いかにも仰々しい名だ。この山中の庵には似つかわしくない。

 だから業平は、やはり「宮様」で通していた。

 この日は二カ月ほど前に業平が鴻臚館こうろかんでちょうど来日していた渤海国の使者の接待にあたったことが話題にのぼったほかは多くは語らず、業平は庵を辞した。


 それからというもの、世の中はめまぐるしかった。八月には大嵐が都を襲い、多くの民屋が倒壊した。そしてその同じ月に、人間社会でも宮中で大きな人事異動があった。

 宮中全体がそのために落ちつかず、流れる時間もせわしなくて、業平は小野の里にいる親王を訪ねる時間がなかなか作れなかった。

 大きな人事異動とは、まずさきの左大臣源信亡きあと空席だった左大臣の地位に、大納言源とおるが右大臣を飛び越えて就任した。嵯峨天皇の御子の一世源氏である。

 次に常行が大納言となった。これで従兄弟の基経と並んだと思いきや、基経は同時に右大臣になったのである。まだ三十代の若さでだが、先例はあるということで、それはあまり話題にされなかった。

 この人事で業平の兄の在原行平は、参議で蔵人頭となった。さらには左衛門督も兼ねている。若い頃に業平にさんざん毒づき、出世出世と煽り立てた兄――業平に言わせれば俗物のかたまりであるこの兄も、五十五でようやく蔵人頭だ。

 順調な出世とは言い難い。業平に至っては、結局もとの右馬頭だ。ただ兄の行平にとっての強みは、その娘の文子を更衣として後宮に送り込んでいる。

 だが、たとえどんなに帝の寵愛を得られたにせよ、その父親の身分では女御は無理であろう。


 新人事に人々がようやく慣れた頃、天地を揺るがすような一大事件が起こった。

 摂政太政大臣良房が死んだのである。宮中は大騒ぎで、ちょうどその前日にあった地震を良房の死の前兆だという人も人もいたし、二ヶ月前の月食をここで再び取り沙汰する者もいた。

 業平にとっても、それは他人事ではなかった。諸衛陣兵に戒厳が敷かれたというから、まるで帝の崩御並みだ。

 業平の右馬寮もその中に入るので、上司がいないなどといっていつものように手を抜いてはいられなかった。右馬寮には武蔵介藤原房守が監護使として送り込まれてきた。

 その指示のもとで業平は動かねばならなくなったため、朝からまる一日中てんてこ舞いとなった。

 この良房の死によって固関使まで発遣されたというから、もう何をかいわんやである。良房にはこれまた帝の諡号しごうのような忠仁公というおくりなまで、しかも帝から直々に贈られた。

 監護使の派遣は三日ほどで解除され、ようやく日常に戻った。宮中ではその後、辞表騒ぎが続くことになる。

 本来なら大納言から右大臣になったばかりの基経は服解ぶくげということで一時その任を解かれるはずだが、養子ということでそれはなしになった。

 ところがその後、基経は再三右大臣を辞す表を上奏したのである。理由は自分の年齢の若さだったが、結局は許されなかった。

 そして左大臣融の辞表も却下された。さらには常行さえ辞表を出したが、これも許されなかった。


 業平はそんな宮中の駆け引きを耳にするたび、比叡山を仰いだ。あの麓に惟喬親王がいる。さっさと俗世に辞表を出して遁世した親王が、あらためて羨ましく感じる。その親王をなかなか訪ねることができないのが、業平には歯痒くもあった。

 ようやくその機会が得られたのは、年も明けて貞観十五年の正月になってからで、業平は四十九になった。

 やっと作ったその日には業平ばかりでなく、いつしか法親王のもとに集うようになった同好の輩が四、五人も集まっているという。皆、親王の人柄にひかれ、またその境遇に同感する者たちだ。業平ともすっかり顔なじみになっている。

 業平は舅の紀有常やその従兄弟いとこで同じ紀氏の本道もとみちという有常とほぼ同世代の五十代半ばの男とともに、ひとつ車で出かけた。なんと本道はその孫をも同道させていた。まだ六歳の子供で、阿古久曽あこくそと呼ばれていた。

 その日集まった名目は、法親王に対する新年の賀である。

 ところがその当日は前日から降り続いた雪が腰あたりまでも積もり、都は一面に雪の底となった。

 それでもこの日をはずしたら、次はいつ行かれるか分からない。

 ところが出発は早朝であったにもかかわらず、昼頃になってもまだ先は長かった。

 夏の草の比ではなく、家司たちは車の進む前方の雪かきのために来てもらったような形となった。歩くとなると、さらに大変である。

 雪は、あとからあとから降り続いてやみそうもない。寒さに耐えながらようやく庵に着いた頃は日もとっぷりと暮れていて、業平はくしゃみばかりしていた。

 ほかの仲間は、もうすでに集まっていた。 

 世を捨てたはずの親王なのに、業平の来訪を心から喜んでくれていることは、その満面の笑みですぐに分かった。

「よく降りますね」

 業平もあれほど道中で苦労したにもかかわらず、いつしか愛想がよくなっている。

「寒うございましたでしょう。早く、中へ」

 親王に招き入れられて中に入ったとて、炭櫃すびつ以外に体を暖めてくれるものはない。ただ、間もなく出された酒だけが、冷えきった体を暖める唯一の手段だった。

 この日集っていたのは雲林院うりんいんの別当という五十代の僧侶、中判事という役職の頬のこけたひょろっとした三十代の官人、園城寺神祀別当といういかめしい仕事をしている四十代の官人らであった。

 それにもう一人、年齢不詳の僧侶もいた。彼については何処に住んでいて何をしているのか全く分からない謎の人だ。あまり自分のことを話したがらないので、皆あえて聞かなかった。

 さらには紅一点の女性もいるが、残念ながらもうすぐ五十にもなろうかという中年女だ。だが、若い頃は絶世の美女であったらしい名残は十分にとどめていた。

 皆、法親王を慕って集まっているだけでなく、歌の道に志を同じくする者たちである。

「近詠です」

 いつしか人々から小野宮おののみやと呼ばれるようになった法親王は、一枚の紙を業平に手渡した。そこには親王の筆跡の歌があった。


  白雲に 絶えずたなびく 峰にだに

    住めば住みぬる 世にこそありけれ


 そこには親王のすべての思いが託されているようだった。

「世の中も変わりましてございます」

 業平はどう言っていいか分からず、とにかく話しはじめた。

 まず話題は、摂政太政大臣良房の死のこととなった。四カ月も前なのにやはり親王は知らなかったらしく、眉がぴくりと動いた。

 集まっている人たちは知ってるようでうなずく者もいたが、親王と同様にここで初めて聞いたというような人もいた。

 摂政太政大臣良房は、親王にとって怨んでも怨みきれない相手のはずだ。親王は、大きくため息をついた。

「もう、昔のことですから」

 あとは集っている者たちで談笑に入った。

 彼らとて慕っている親王と膝をつき合わせて杯を交わせることが嬉しくもあった反面、世の無常を嫌というほど感じているようだった。

 外の雪は、まだ降り続いている。このままこの庵は、雪の中にすっぽりと埋まってしまうのではないかと思われるくらいだ。


  思へども 身をし分けねば 目離めかれせぬ

    雪の積もるぞ 我が心なる


 業平は思わずそう吟じた。今は宮仕えの身だ。そしてその歌はそのまま、ここに集った人々の心でもあった。

 法親王のそばにいたい……だが仕事もあってそうそう休めない、自分の体を二つに分けることもできない。しかし今日は何も見えなくなるほどどんどん雪が降り続いている。こうして雪の中に閉じ込められればそれぞれの仕事の場に帰ろうにも帰れない。ずっと法親王のそばにいられるのである。

 人々の間から感嘆の声が上がった。六歳の阿古久曽だけはわけが分からず、それでも興味深そうに周りの大人たちうを見ていた。

「なんと素晴らしい」

法親王もまた、絶賛の声をあげた。そして皆の杯に自ら酒を継いでまわった。

「さあ、どんどんお飲みください。酒は小野の里から、いくらでも献上されてきますからね」

 親王は上機嫌だった。中には僧侶も二人ばかりいる。さらに法親王自身が僧形なのだから、本当は酒はだめなのである。

「まあ、正月くらいはいいにしましょう。ここで正月の宴ということで」

 今日の親王はやけに明るい。しばらくは歓談した後、業平はふとため息をついた。

「いろいろありましたよ」

 親王も目を上げた。

「それは、先程うかがいました」

 目は笑んではいても、業平は真顔だった。

「世の中ではなく、私の人生ですよ。今、私の心の中にも雪が積もっております」

 業平はもうすっかり暗い庭の方に目をやった。雪は簀子の上にまで高く積もっている。さらにその上に、新しい雪がどんどん降り積もる。

 業平はこのままいつまでも、ここにいたいという気持ちになった。できれば自分も出家して、ここで親王と共に暮らしたい。だがすぐに、現実が彼の頭をつつく。

 先ほどあのような歌を詠みはしたが、正月そうそう長く欠勤もできないので、明日はどうしても帰らねばならない。

 明日になって雪がどうなっているか、それも心配である。

 業平は親王の手を取った。

 

  忘れては 夢かとぞ思ふ 思ひきや

    雪踏み分けて 君を見むとは


 吟じながらも業平は、いつしかその目に大きな涙をためていた。

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