5.採寸と秋雨

 その日は曇りだった。

 重い灰色の雲が空を覆っているせいか、いつにもまして暗く、肌寒く感じる。

 いずれ、雨が降るかもしれない。


 私立才羽学園の学園祭当日まで、残り二週間を切った。

 放課後の学園内は、いつものように生徒たちは浮ついた様子で準備を進めている。

 飾り付けも目に見えて形になってきた。

 本番当日が近付くにつれて、彼らのモチベーションも上がっているのだろう。


「今日は衣装の採寸をします」


 その日、いつものように学園へ訪れたクロガネと新倉は、美優の先導で第一家庭科室を訪れた。すでに男子生徒たちを含めた文化研究部の面々が集まっている。

 ちなみに、第一家庭科室は被服教室を専門としており、各作業台に備え付けられたミシンをはじめ、マネキン人形や更衣室まで完備されていた。

 放課後の第一家庭科室は手芸部の活動場所となっており、学園イベントなどで他の部活が発注してきたオリジナル衣装の製作も行っているという。

 やはりと言うべきか、手芸部員も全員女子生徒だった。彼女たちとの挨拶もそこそこに、まずは男子から採寸を行う。

 手芸部員たちが手際よく採寸を行う一方で、間近で女子と接する機会が少ない一部の男子はどぎまぎしていた。

 新倉も測り終え、最後にクロガネの番になったところで、

「あっ、クロガネさんは私がやります」

 美優が手を挙げて申し出た。文化研究部の三人娘がニヤニヤとしているのが気になる。

「さあさあ、脱いでください」

「近い近いっ、自分で脱ぐからっ」

 どこか積極的に迫る美優を宥めて、上着を脱いだ。

 Tシャツの袖から覗く鋼鉄の義手。それを目にした生徒たちが、一斉に息を呑む。

 いつものことだと好奇な視線を無視していると、美優が正面から抱き着いてきた。

 突然の出来事と柔らかい感触に、さしものクロガネも驚く。

『おおっ』

 と、周囲からも驚愕の声が上がった。

「ちょっ、いきなり何を?」

 周囲がざわめく中、慌てて訊ねると、クロガネの胸に顔をうずめた美優が冷静に答える。

「何って、採寸ですよ。腹囲と胸囲を測ってます」

 背中に回した美優の腕が、上に下にと移動する。

 そして涼しい顔で離れると、メモ用紙に数値を記入した。

「メジャーを使え、メジャーを」

「そんなもの使わなくても、私ならミリ単位で正確に測れますよ。

 正体がガイノイドであることを隠すためのサイボーグ設定……というより、密着した理由として都合の良い言い訳をしながら、クロガネの背後に回る。

 今度は両手の親指と人差し指を一杯に広げて、肩幅を測り始めた。

「そんな地味にスゴイ特技を今ここで披露せんでいいから、普通に測れ普通に」

「そんなことを言っている間に終わりました」

 顔を赤くして呆然としている手芸部員の一人に、美優はメモを渡す。

(わざわざ抱き着かんでも、美優なら正確な目測が出来るだろうに……)

 釈然としないまま、クロガネは上着の袖を通して周囲を見回す。

 絵里香が「やりおったよ、あの子は……」と言わんばかりな表情を浮かべていた。

 智子が「ごちそうさまでしたッ」と言わんばかりに満足そうな笑顔でサムズアップをしている。

 亜依が真剣な表情でネタ帳にペンを走らせていた。書いている内容が気になる。

 そして、男子たちは壁に手を突いてうなだれていたり、四つん這いになって涙を流していたり、何やら多大なショックを受けていた。

「……罪な男だな」

 新倉が呆れた様子でそう言った。

「えっ、何? 俺が? 俺が悪いの?」

 騒ぎの中心に居ながら事情がよく呑み込めていないクロガネは、只々困惑するだけだった。


 その後、女子の採寸をするため、男子は全員第一家庭科室から追い出された。

「男子の採寸に女子が居合わせていたのだから、その逆も問題ない筈だ」

「そうだそうだ、不公平だー」

 リーダー格の内藤新之助を筆頭に、男子たちはそう訴えていたのだが、竹田智子の「去ねッ!」の一言で退散せざるを得なかった。当然である。



 ***



 男子たちを第一家庭科室から追い出した後。

 扉を施錠し、廊下側のカーテンを閉める。すでに閉めていた窓際のカーテンも一度確認した後、文化研究部女子部員四人の採寸を行う。

 室内には手芸部を含め女子生徒しかいないため、四人は堂々と制服を脱ぎ始めた。

「いやはや、安藤さんって意外と大胆なんだね。いきなりクロガネさんに抱き着くとか」

「うん、もっとおしとやかな方だと思ってた」

 下着姿になった絵里香がそう言うと、智子も同意する。

「そんなことありませんよ。私だって、たまにはハジケたりします」

 当たり障りのないことを言って、美優も淡い緑色のショーツとブラジャーの下着姿になる。ふと、亜依が羨ましそうな視線を向けていることに気付いた。

「……安藤さん、スタイル良い……」

「だね。モデルみたいで、ホントに羨ましい」

 それは他の女子生徒も同意見だった。

 美優の身長は女子高生の平均よりやや高めで、胸は大き過ぎず小さ過ぎず、長い手足と均整の取れたプロポーションはまさに理想的だ。きめ細かい白磁の肌も合わさって、誰もが羨む綺麗な体をしている。

「ありがとうございます。でも、ほとんど作り物ですよ」

 そう言うと、三人は複雑そうな表情を浮かべて「ごめん……」と謝ってきた。

 美優は全身の六割が機械化されたサイボーグであり、その理由が大きな事故によるものという『設定』を思い出したのだろう。

「いえ、お気になさらず。例え作り物の体でも、私であることに変わりはないですから」

 正体がガイノイドである美優は、最初から生身の肉体を持ち合わせていない。

 人間化を目指しておきながら皮肉とも取れる自身の発言に気落ちしないのは、やはりクロガネの存在が大きかった。本当に、彼に救われていることは多々ある。

「安藤さんは強いんだね」

「クロガネさんのお陰ですよ。だから、好きなんです」

「ストレートにまぁ……ホントにスゴイよ」

「……うん、カッコいい……」

 何故だか服を脱いでからずっと褒められている。

 ……流石に気恥ずかしくなってきた。

「……あの、早いところ採寸を済ませませんか?」

 照れ隠しに本来の目的を促す美優。

 髪の毛に模した擬態放熱線から微量の蒸気が漏れ出し、毛先を僅かに揺らしたが、それに気付いた者は誰一人として居なかった。



 採寸を終えて制服を身に着け、衣装の図面と先日調達した材料を手芸部に預ける。

 早ければ数日後には、全員分の衣装が完成するとのことだ。

 手芸部員の一人が、窓のカーテンを開ける。

「あ、降ってきた……」


 見れば、曇天の空から秋雨が静かに降り注いでいた。


 ――雨が降っている。


 先に採寸を終えた男子一同は文化研究部の部室に戻り、思い思いに駄弁っていた。

 しとしとと、絶え間なく雨が降り続ける様子を、新倉は窓から憮然として眺めている。

「……当日は講堂を使うと聞いた。どうしてそこで練習できないんだ?」

「俺たち以外に使いたい部活の抽選が終わるまでは、講堂は借りられないんだそうだ。練習時間の割り振りや順番の調整もあるだろうしな」

 部室に置いてあったティーセットを借り、手際よくお茶の用意をしながらクロガネは新倉の問いに答えた。

 雨で中庭での練習が出来ない場合は、部室で台詞の練習をすることになっている。

 アクションがメインで台詞もほとんどない役を演じる新倉は暇を持て余し、持ち込んでいた刀の手入れを始めた。

 刀身は刃こぼれこそないものの、細かい傷が表面にびっしりと付いている。

「随分と使い込んだな。刃こぼれも時間の問題だろう、その時はどうするんだ?」

「予備も用意してある。そちらは本番まで温存だ」

「抜け目ないな」

 テーブルの上に広げた武器の数々に、興味を引かれたのか男子たちが寄って来た。

 そんな彼らに、新倉は気前よく刀を貸し与えると、柄の握り方や構え方を教える。

(もしも真剣だったら、ここまで親切にしないだろうな)

 安全面は勿論のこと、新倉は剣の心得や興味がない者には特に冷たいのだ。逆に興味がある者に対しては、意外と面倒見が良かったりする。

「はーい、ただいまでーす」

 女子たちが戻って来た。

「練習前に一息いれようか。クロガネさんがお茶の用意をしてくれてたみたいだし」

 テーブルの上に並べられた全員分のティーカップを見て、智子がさりげなく(そうでもない)提案してくる。

「ああ、少し待って――ん?」

 そこで電気ポッドのお湯が切れていることに気付いた。何故か部室の片隅に置いてある小型冷蔵庫の中を改めるも、二リットルのペットボトルにはどれも僅かしか水が残ってない。この際、自販機の飲み物を調達しようかと考えるも、すでに用意していた人数分のティーカップと茶葉が無駄になるのは勿体なかった。

「ちょっと水を汲んでくる」と言うと、

「手伝います」

 案の定、美優が颯爽と駆け付ける。

「あ、水は第二家庭科室の水道から汲んでください」と絵理香。

 第二家庭科室は調理実習を専門とした教室で、先程の第一家庭科室の隣にある。

「何でわざわざ?」

 文化研究部の部室のすぐ近くにも、水道は設置されてある筈だが。

「そこの水道、浄水器付きなんです」

「なるほど、料理教室だけあって解っているじゃないか」

(それで納得するんだ……)

 一部の生徒たちが同じことを思った。

「前々から思っていたが、主夫かお前は?」

 一同の心の声を代表して新倉が訊ねると、「いいや?」とクロガネは否定する。

「俺はただの、探偵さ」

 凛々しい表情で断言するクロガネに、新倉は人差し指を向けた。

「……両手いっぱいにペットボトルを抱えたまま言う台詞かね?」



 第二家庭科室にて、料理部の顧問と生徒たちに断りを入れて水を調達した後、クロガネと美優は揃って廊下を歩く。

 窓で遮られた雨音が、かすかに聞こえる。

 時折、遠くから運動部らしき掛け声や合唱部の歌声、吹奏楽部の演奏も聞こえてくる。

「っと」

 抱えていたペットボトルがずり落ちかけ、クロガネは咄嗟に体勢を整える。

 籠か段ボール箱でも借りれば良かった、水が入った二リットルのペットボトル六本を両手で抱えるのは少し骨だ。

「大丈夫ですか? 代わります?」

 電気ポッドを片手に提げた美優が気遣ってくる。

「大丈夫だけど、一本だけ持ってくれる?」

 華奢な体躯をしているが、単純な力比べでは美優の方が強い。合理的に考えるのであれば、荷物持ちは彼女の方が適任であるのだが、流石にそれは体裁が悪い。

 体裁といえば――

「さっきの採寸だけど、やたらにくっついて来たな。何かあったのか?」

 そう訊ねると、美優は困ったように視線を泳がせた。

「……ちょっとだけ、恋愛要素というものを試してみたくなって」

「無理があるだろ」

 美少女が抱き着いてくる分にはクロガネも満更ではない。

 だが逆の立場や状況次第では、ただのセクハラで終わる。色々な意味で終わる。

「もしかして、先日の休みに友達とガールズトークでもして興味を持ったとか?」

 そう言うと、美優が僅かに驚いた表情を作った。

「図星かよ」

 クロガネが呆れる一方で、美優は感心する。

「……流石ですね。腐っても探偵です」

「失礼だな。それならお前も腐った助手だぞ」

「BL趣味はないですよ?」

「そういう意味で言ったんじゃないし、俺にだってないよ」

「ふふっ、冗談です」

 悪戯っぽく微笑む美優。

「……少しだけ、解ったことがあります」

「何だ?」

 美優は立ち止まり、まっすぐに目を見て断言する。

「今すぐ、クロガネさんと恋仲になる必要はないんだって。別に恋急ぐことはないって」

 『恋急ぐ』とは、また新しい表現だ。

「気心知れたクロガネさんだからこそ、冗談を言い合える程度には良好な関係ですし、今でも充分私は幸せです」

 前々から美優が自分に対して好意を寄せていることは知っていたが、いざ面と向かって言われると、少し照れる。素直に嬉しいけども。

「……そうか、それは良かった」

 無難なことしか言えない。恋愛経験が皆無なだけに、気の利いた言葉も考えつかない。つい最近まで殺し屋として生きてきた自分に、ここまで好意を寄せてくれる彼女に対して不甲斐なく感じる。

「その……何だ、俺も訊きたいことがあるんだけど」

「何ですか?」

「美優がこの学園に編入してから、俺が保護者であることは既に学園中に知れ渡っていることだと思う」

 気まずさのあまり話題を変えてしまった。彼女の想いに応えられない自分が嫌になりながらも、ずっと懸念していたことを訊ねる。

「俺のせいで、俺の存在が美優の重荷になっているんじゃないかと、ずっと気掛かりだった」

 いきなり話の流れを変えられたにも拘わらず、

「……あの時、心配していたのはそのことだったんですね」

 美優は嫌な顔もせず、合点がいったとばかりに頷いた。


 ――ファーストフード店で、クロガネと文化研究部の面々が初めて顔を合わせた時のこと――


 ――部外者であるクロガネを学園に入れるため、理事長と面談を行うという話題の中で――


『形式上、クロガネさんは私の保護者ですから、そこまで心配しなくても良いのでは?』

『俺が心配しているのは、じゃない』

『では、どこを?』

『それは……いや、それよりもだ』


 クロガネという探偵=トラブルメーカーであると鋼和市では広く知れ渡っている。その不名誉なレッテルが貼られた男が保護者であるばかりに、美優は周囲からいじめを受けていないかと心配していたのだ。ましてや、文化研究部の助っ人として学園を出入りしている毎日だ。その度に、美優に対する風当たりが強くなる一方だったらと思うと、気が気でない。


「大丈夫ですよ。私も、クロガネさんも」

「俺も?」

「はい。現に私はいじめも嫌がらせも受けていません。皆さんも、クロガネさんは悪い人じゃないって、ちゃんと解っていますよ」

「そうなのか?」

 言われてみれば、ほぼ毎日足を運んでいるせいか、擦れ違う生徒たちが気さくに挨拶をしてくれるようになった。

「初日のオーディションがあった日からずっと、真剣に私達と向き合って練習して頂いてますし、手作りのお菓子だって差し入れてくれたこともあったじゃないですか。打算ではなく、クロガネさんの善意と誠意はちゃんと皆さんに伝わってますよ」

「……そうだといいな」

「クロガネさんは自分のことを過小評価し過ぎ、卑下し過ぎです」

 美優は少し怒ったような表情を作る。

「そんなことは……」

 クロガネは現実主義者だ。周囲の客観的事実を認識した上で、自身の評価に関しては妥当だと考えている。ならば改善すれば良いのだが、降り掛かる火の粉や厄介事には相応の手段で対処するため、上手くいかないのが現状だ。


「自信がないなら、クロガネさんのことを信じている私を信じてください」


 美優が探偵助手のスカウトを承諾してくれたあの時と、まったく同じ台詞を口にする。

(敵わないな……)

 素直にそう思う。本当に良い相棒に巡り逢えた。

「もしも、クロガネさんを悪く言う人がいたら、私なりのやり方で戦ってやります」

「出来れば穏便に解決して」

 ハッキングが得意な彼女がその気になれば、相手は精神的に追い込まれるどころか社会的に殺されかねない。

「クロガネさんは、いつも私のことを守ってくれています。そして、クロガネさんを守るのは私です」

「頼もしいな」

「助手ですから」

 ……余計な心配は無用だったようだ。

  美優に対し、少しばかり過保護であったとクロガネは自省するが、今更である。

「頼りにしてる、相棒」

「はいっ」

 凜然と返事をするや、美優は俯いて照れ笑いを浮かべる。

「相棒……えへへ、良い響きです」

 思えば、彼女を「相棒」と呼んだのは、これが初めてだ。

「……行くぞ、みんなが待ってる」

 美優と話すことで、少し気が楽になった。

 足取り軽く、クロガネは部室へ向かった。

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