第13話 セピアの想い

 一千万クレジット。

 これだけあれば、借金の返済はほぼ終わる。

 この借金はセリーヌ自身が作ったものではない。

 あの詐欺師が父――とセリーヌ――を欺して、全財産を巻き上げてしまったのだ。

 風呂から上がり、タオルで身体を拭きながらドレッサーの椅子に掛ける。

 このドレッサーは母が使っていたもので、家財を差し押さえられた時にもどうにかして守り抜いた物だ。

 ヨーゼフに給料を現物支給した、という形にして預かってもらったのだ。

 角には大きな傷がある。

 子供の頃、イタズラで付けてしまった傷だ。

 レオンシオに頼んで修復してもらったのだが、母はすぐに見抜いた。

 しかし、レオンシオは自分がやったと言って、セリーヌを庇ってくれたのだ。

 化粧水を塗り、髪をブラシでとかすが――。


「おふっ!」


 ブラシが枝毛に引っかかった。痛い。


「あーもうやめやめ! もう寝よ」


 スプリングのへたったベッドにもぐり込む。

 この依頼を達成すれば、少しは良いベッドで眠れる事だろう。

 サイドテーブルの写真立てを手に取る。

 生まれ育った屋敷の前、両親と笑うセリーヌの写真は、すでに色あせていた。


「おやすみなさい、パパ。ママ」


 写真立てに口づけすると、明かりを消す。

 中古で買った事務用ランプだが、本当はもっと洒落たデザインが欲しかった。

 だが、この依頼を達成すればナウくてオシャンティなランプが買える。

 タローを見つけたのは僥倖だった。

 何度あの一千万クレジットをネコババしたい欲に捕らわれた事だろう。

 酒場でタローを見つけた時、セリーヌの頭脳は全速で回転した。

 あのスケベそうな少年を大人の色気で丸め込んだのだ。

 全ては一千万クレジットのため。

 布団をかぶり、程なくしてセリーヌはまどろむ。


「ケン……。……あれ? なんでアタシ、ケンを好きになったんだっけ?」


 果たしてそうだろうか。

 タローにケンの面影を見なかったと言えば嘘になる。

 夢の中で、セリーヌは十三歳の少女になっていた。

 ケンとの思い出は、それほど多くはない。

 あれは第三層、公園エリアにある池でのこと。

 休日の両親に連れられてハイキングに行った時、初めて彼らに出会った。

 公園の花畑で花を愛でていたのは、目を見張るような美少女だった。

 お人形のような服を着て、しかもそれがよく似合っていたのを覚えている。

 彼女は少し変わっていたが、セリーヌはすぐに仲良くなった。

 やがていかにもモテなさそうなさえない男が近付いて、声を掛けてきた。

 最初は誘拐犯かと思っていたが……。

 じつにさえない男だった。

 服装はやぼったく、髪型も適当に切っている感じだ。

 変態のロリコンの人さらいの強姦魔。

 それが、ケンに対するセリーヌの第一印象だった。

 ケンは少女がアンドロイドだと、衝撃の事実を告げた。


「……なんでだっけ。いやほんと」


 明かりを点け、書類棚――グレーの金属製でいかにも事務用だが、せめてファンシーにと思いかわいい包装紙を張っている――を開く。

 書類を綴じたファイルに並んで、一冊の革装丁の大型本――アルバムを取り出す。

 母に抱かれた赤ん坊の頃。

 ピアノを習い始めた頃。

 初めての発表会。

 毎年新年に屋敷の前で撮った写真。

 時折ヨーゼフも写り込んでいる。

 写真はほとんどレオンシオが撮影、現像したものだ。

 後ろのほうのページに、ケンの写真が一枚だけあった。


「……これ、アタシが撮ったやつだ。ひどいピンボケだわ」


 十三歳の少女には、レオンシオのように上手くは行かない。

 取り扱いの難しい機械式の二眼レフ。

 大きな箱にレンズが縦に二つ並び、上から覗き込んで構図を決める七面倒くさいしろものだ。

 カメラなどボタン一つで写る物だと思っていたし、実際そうだ。

 普通は内蔵された電子頭脳がピントや露出の補正だけでなく、笑った瞬間にシャッターを押してくれたりもする。

 だが、レオンシオは機械式にこだわっていた。

 大人になった今でも、セリーヌにはあのカメラを使いこなす事はできないだろう。

 だからだろうか。

 記憶の中でケンの姿を現実以上に美化していたのかもしれない。

 冷静になって考えてみれば、美少女アンドロイドを買うような男だ。

 かなりこじらせていたのだろう。

 おそらく、ケンはタローとほとんど同じ顔をしている。

 不細工というほどではないが、決してイケメンというわけではない。


「ま、どっちにしろ今さらよねぇ……」


 いくつもの意味で手遅れだ。

 元々セリーヌには親が決めた婚約者がいたし、いかなる経過をたどったのかは不明だがケンはハナコと結ばれ、そして死んだらしい。

 セリーヌ自身、その婚約者によって財産を失い、それどころか両親の命までも失った。

 もう、あの幸せだった日々は永遠に失われ、二度と戻る事はない。

 そして十五年前の異変。燃えさかる炎の中、ヨーゼフとレオンシオが助け出してくれなければ、今頃どうなっていたかわからない。


「それにしても不思議なのは、あの子だよ」


 先ほど酒場に入ろうとした時、子汚いホームレスの子供がセリーヌの裾を引っ張ったのを思い出す。

 最初は物乞いかと思っていたが、気になる事を言ったのだ。

 お姉さんを救ってくれる人が、もうすぐ来るよ、と。


「タローが? ……まさか。ただのガキじゃないか」


 タローの一千万クレジットを手に入れれば、セリーヌは自由の身となる。

 ものは考えようだ。

 アルバムを閉じ、書類棚のにしまうと同時に足下で爆発音が起こった。


「今度は何だい、まったく!」


 ネグリジェ姿のまま上着をひっつかむと、階段を飛び降りるようにしてガレージへ向かう。

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