終章

 終章 頬伝う 冷たきものを 拭う指 震え止まらぬ 声も体も   エピローグ

 どれだけ時間が経っただろうか。

 彼女はそっと胸から顔を離し、着物の袖で目端の涙を拭った。


「もう大丈夫か?」

「はい。ご心配をおかけしました」


 すっきりした顔で笑う水香。泣き腫らしたせいで目は赤いが、表情にはいつも通りの余裕が戻っているように見えた。

 内心で安堵を覚え、俺は言った。


「なあ、水香。お前が書いてほしい詩ってのは、さっきのじゃないだろ?」


 俯いて胸に手をやり、彼女は沈んだ声で答えた。


「……そうですね。せっかく灯字さまに書いていただくのだから、もっと胸を張って詠える詩を書いていただきたいです」

「そうか。じゃあ、その詩を二人で書こう」

「……ふ、二人で?」


 顔を上げた水香は目を見開き、首を傾いだ。


「ああ。二人で筆を握って、詩を書くんだ。さっきのだって、俺だけで書いたわけじゃないんだぞ」

「でっ、でも……」

「別に変なことじゃないだろ。ピアノには連弾があるし、絵画にも合作があるんだから」


 なおも惑い気に、彼女は言う。


「わたくしなんかでは、灯字さまの実力に釣り合いませんわ」

「大丈夫だ。俺は十数匹の猫とだって合作したんだぞ?」

「……十数匹の、猫」


 そう呟き、水香は周囲の墓石を見回した。それ等はただ静かに鎮座し、亡き者が安らかに眠っていることを暗に語っていた。

 やがて彼女はちょっと寂しそうに笑った。あるいは別の感情だったのかもしれないが、俺には分からなかった。


「……灯字さまは、本当にお人よしですね」

「さあ、どうだろうな。俺は俺のやりたいことをやって、言いたいことを言ってるだけだ」


 水香は溜めていた息を吐きだしきり、道端の花を見るような目をこちらに向けてきた。


「それが真実ならば、性善説、性悪説というのもあながち勘違いじゃないのかもしれません」

「どういうことだ?」

「いいえ、忘れてください。……こちらの話です」


 袖から扇子を取り出した彼女は、それを閉じたまましばし眺めた後、唐突に静かに詠い始めた。


「『嘘をつき 溜息吐くの 飽きたけど 繰り返したら まだ上手くなる』」

「おいおい、また俺を謀るつもりか?」


 ちょっとうんざりして言うと、水香は扇子で口元を隠し、目で笑って言った。


「いいえ。そんなつもりは毛頭ありませんわ」

「どうにも信用できないんだが……」

「それより、もう一つ新しい詩ができましたの。聞いてくださる?」

「いい出来の詩なのか?」

「もちろん」

「なら聞きたいな」


 水香は兎の影が浮かんでいる円い月を見上げて、広げた扇子をそっと口から離し、よく通る声でその詩を詠んだ。




 天使の子 純粋無垢で 可愛い子 白くてきれい 身も心根も

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俺の異能力はこのソウルと筆に宿ってる! 蝶知 アワセ @kakerachumugi

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