四章 無謀なる 愚人の鼻は 高々と 天を向けども 雲は穿(うが)たず   その4

 顔を上げると、誰もがじっと文字を見やり、ある者はしきりに目を擦っていた。

 美甘が口を開き、言った。


「……踊ってます。文字が……楽しそうに踊ってます」


 クジャクは彼女の言葉にゆるりと頷いた。


「ああ。三人の人間が愉快に舞い踊っているように見えるよ」

「当然だ。そういうイメージで書いたんだからな」


 足元の布上に生まれた黒き一文字を見やり、俺は語った。

「祭ってのは構造上、三つのパーツに分かれている。俺はそのパーツそれぞれに魂を吹き込み、鑑賞者に三人の人間が踊っていると思ってくれるよう、創意工夫の限りを尽くして揮毫したんだ」

「ばっ、バカなであります! それじゃあ、絵を描いたのと変わりないであります!!」

「無茶言うなよ。俺は確かにちょっと墨絵を描けるが、本職の絵師じゃない。あくまでも文字を書いたつもりだ」

「しっ、しかしっ、こんなの公式の書道で認められる文字ではないでありますッ!」

「それの何が悪い?」


 その一言に、豆鉄砲を食らったような顔になるのっぽ。

 俺は空にたゆたっているアドバルーンを指差し、続けた。


「確かに文字は伝達手段として優れている。しかし大きな弱点が一つある」

「じゃっ、弱点でありますか?」

「ああ。それは文章となった場合、全文を読まなくちゃ意味が通じないってことだ」


 首を傾げたのっぽに、根気よく説明してやる。


「お前が書いた文章は『第三十九回 スペシャル・ドリーム高等学校文化祭』だ。しかし今はどう読める?」

「ど、どうって、そりゃ……」


 窓の方を見やり、目を細めたヤツは「アッ!」と裏返った声を発した。


「風で翻っていて、文字が読めないでありますッ!?」

「そうだ。アドバルーンに吊るすなら、あれでも長文なんだ。最近は布の代わりに透明な素材を使って見やすくする工夫をしている場合もある。でもそれだって風に吹かれて動かれちゃ、落ち着いて読むことができない」

「なるほどな。その点、灯の字の書いた文字はさながら絵。ゆえに一目で雰囲気が伝わるというわけか」

「しっ、しかし、それなら最初から素直に絵を描けばいいだけの話であります! 字を書く必要なんてないでありますッ!!」


 吠えるのっぽに、クジャクが肩を竦めて問いかける。


「やれやれ。キミはまだ、この作品の真の価値が分からないのかい?」

「しっ、真の価値でありますか?」

「ああ。灯字クンが書いたのはあくまでも文字だ。つまり読むこともできるんだ」

「そっ、それがどうしたでありますか?」

「灯字クンが今回揮毫し布は実に小さい。良識ある人間なら、間違ってもアドバルーン用にこんなものを渡したりはしないだろうね」


 遠回しに非難されたのっぽの顔は怒りに紅く染まり、同時に焦りから青白くなり、混ざり合って紫色に変じていく。


「だから彼はこう考えたはずだ。文字を書くには狭すぎる。だが絵では詳しい情報を伝えることはできない。さて、副会長クンならどうする?」

「そ、そうでありますね。文字でも絵でもダメなら……」


 唸り考えるのっぽより早く、マインが答えた。


「ならば、文字と絵を合体させればいいではないか!」

「その通りだ、マインクン。灯字クンは文字と絵をこうして合体させ、情報と雰囲気を同時に表現した。バックには校章もある。これなら見た人に、ドリーム高校で祭りを開いているということを一目で伝えることができるだろうね」


「しっ、しかしっ、ドリーム高校の校章など、多くの人は知らないでありますッ!」

「やるせないがその通りさ。副会長のキミもすぐに分からなかったぐらいだし、外部の人達も大多数は知らないだろう。それを責めることはできない」


 シニカルな返しに、ヤツは鼻白んで黙り込む。

 クジャクは独壇場で続ける。


「けれども校章というのは学校のシンボル。一目で印象付けるようデザインされている。だからその紋章の意味が分からなかった人にもそれなりのインパクトを残せる。知っている人ならば正確に情報を読み取ることができる。単なる文字と違って両者の興味を引くことができるわけさ。まさに一石二鳥だと思わないかい?」


 のっぽはぐぎぎと歯ぎしりを鳴らして、そっぽを向く。

 俺の書いた布を持ち上げ、クジャクは詳説を締めた。


「つまりこの作品は、たった一字程度のスペースと黒一色しか使用していないにもかかわらず、遠目でも正確に情報が読み取れ、かつ人の心を動かすことができる。まさしく傑出した稀代の一品なのだよ!」


 誰もが驚愕に瞠目し、クジャクを見やっていた。


「……それ書いたの、灯の字であるがな」


 ぼそっと呟いたマインの声など、誰の耳にも届いていない。あまりの驚きにみんな神経が少し麻痺しているのだ。


 クジャクはのっぽを見やり、爽やかな笑顔で訊いた。


「どうだい、副会長クン。キミの書とこの作品、どちらがこの文化祭の広告として優れていると思う?」


 のっぽは窓から見えるアドバルーン広告と俺の書を見比べた後。


「おっ、覚えてるでありますよおッ、入木灯字ぃいいいいいッ!」

 と叫びつつ一目散に生徒会室を出ていった。


「やれやれ。ボクの学校の副会長なら、廊下は走らないという最低限の校則は守ってほしいものだね」

「……ボクの学校って、お前は何なんだ?」


 クジャクはきょとんとした表情で首を傾いだ。

 彼女の代わりに、マインが芝居気たっぷりに答えた。

「グハハハハハ、知らなかったのか灯の字よ。この者こそが我が校における首領、生徒会長なのである!」

「そして理事長の娘。じゃ」


 しんと場が静まる中、俺は「やっぱりか」と呟いた。


「ぬっ、あまり驚かぬのだな」

「……まあ、無駄に偉そうだったし」


 俺の言葉に久遠先輩はうんうんと頷き。


「って、えぇえええええッ!?」


 ただ一人、美甘だけが絶叫し吃驚していた。


「驚きすぎだろ……」

「だっ、だっ、だって! そんなの聞いてませんでしたし!」

「でも水香も生徒会長にブラック委員会の委員長を兼任してただろ?」

「勝手に委員会の名前を変えないでくださいっ! 治安維持委員会ですよ、治安維持委員会ッ!」

「ああ、はいはい。治安維持ね、治安維持」

「略さないでください、もう!」


 これ以上からかうと俺の耳が可哀想なので、素直に頷いておいた。

 クジャクは無駄に爽やかに笑った後、俺が揮毫した布を差し出してきた。


「ほら、これはキミの書いた作品だろう。持って帰るといい」

「いや、でも俺はアドバルーンに吊るす広告として書いたつもりなんだが」

「こんな素晴らしい名作をタダでもらうわけにはいかないよ。それにキミは大先生のお孫さんだそうじゃないか。博女ならともかく、うちで買い取れるようなものじゃない」


 渡された布を受け取りつつ、俺は訊いた。


「よくあんな瞬時に、作品の意図を読み取ったな」

「優れた作家がいるように、優れた鑑賞者もまた存在する。それだけのことさ」


 受け取った布をしばし見下ろした後、マインに言った。


「おい、マイン。手を出せ」

「むっ? こうか?」


 ちょうど手の平を上向きに突き出してきた手に、俺は布を載せた。


「やるよ」

「よっ、よいのか?」


 戸惑っているマインに俺は笑って頷いた。


「ああ。それはお前のために書いた作品だからな」

「だっ、だが、ジャックはこの作品には莫大な価値があると……」


 なお迷うマインの頭に手を置き、紺碧の瞳を覗き込んで俺は言った。


「なら、文化祭をその作品と同じぐらい価値あるものにしてくれたらいい。そうすれば俺の作品も喜んでくれるはずだ」

「……うむ、心得た!」


 布を抱きしめ、マインは自信に満ち満ちた笑みを浮かべた。

 それから彼女は背伸びして、俺に顔を近づけてきて言った。


「灯の字よ、そなたを見込んで一つ頼みがあるのだが、聞いてくれるか?」

「ん、何だ?」


 マインは部屋にいる幾人かを手で示した。


「この祭りでは顔を彩り、傾(かぶ)いている者がおるであろう?」

「シールとかペンで顔をデコレーションしてるヤツか?」

「うむ。ファンデーションなどで面白おかしくしているのだ。頼みというのはだな、そなたの手で我の顔をあのように人目を集めるよう彩ってほしいのだ!」

「まあ、それぐらいならお安い御用だが……」


 横目で美甘の様子を窺う。元の目的から外れた、こんな頼みごとを引き受けたら彼女が怒りだすと思ったのだ。まあ、今更な気もするが。


 美甘は俺に「ちょって待って」と手振りで合図してから、マインに言った。


「マインちゃん、灯字ちゃんがその頼みを受ける代わりに、お願いがあるんです」

「お願いだと? どういうことだ、灯の字」

「治安維持委員会のことで、ちょっとな」


 マインは「何だそんなことか」と一笑して肩を竦めた。


「それなら交換条件などなくとも、話を聞いてやるわ。何せ我はドリーム高校の治安維持委員会の長なのだからな」

「そうか、ありがとな」

「うむ。では、交渉成立だな。よろしく頼むぞ、灯の字」


 椅子に腰かけ、期待に満ちた眼差しをマインが送ってくる。

 ここでしくじったら、約束がご破算にならないとも限らない。気を抜くつもりは毛頭ないが、それでもこれはハードルが高いように感じる。

 たださっきの対決とは違って、今回は別に何か細工されているわけではない。だからだろう、すぐにアイディアが浮かんできた。

 胴乱から手製の手習草紙を、着物の袖から矢立を取り出し、書の準備をした。

 そして半紙に楷書体でいくつかの物品を書き、さっき書道道具を持ってきてくれた委員に言った。


「ちょっといいか?」

「何でやんすか?」

「こういうのが欲しいんだが、すぐに手に入るか?」


 委員は俺から受け取った半紙に目を通し、「大丈夫だと思うでやんす」と頷いた。


「じゃあ悪いが、持ってきてくれないか?」

「はいでやんす!」


 こういうお使いが好きなのか、委員は意気揚々と部屋を出ていった。

 彼を待っている間に胴乱から太さの異なる新しい筆を数本出し、別の人に用意してもらったぬるま湯でおろしておく。

 少しして委員がケースを抱えて駆け足で戻ってきた。


「持ってきたでやんす!」


 ケースに入っている品を見やり、必要なものが揃っていることを確認する。


「ありがとう、バッチリだ」

「どういたしましてでやんす」


 それから手早く準備を整えて、マインを見やる。


「よし、じゃあ始めるぞ」

「うむ、期待しておるぞ」


 鷹揚に頷くマインはさながら小さなお殿様って感じだった。

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