第三話 革命

「ふう……」


 高く積まれた書類に目を通すと、自分の身長以上の背もたれの椅子にもたれかかる。


 その柔らかさに呑み込まれてしまいそうになるが、無理やり目を広くて己を奮い立たせる。現時点でかなり読み込んだが、それでも頭の中に入れなければならない情報は多い。普通の貴族であれば幼少期から少しずつ親から学ぶことが出来たのだろうが、私は連れ子で長い間貴族らしい風習などにも触れてこなかった。遅れを取り戻すためにも、今が踏ん張りどころなのだ。


 私はもう一度机に向かった。

 ゼルさんとの訓練に比べたら、とりあえず椅子に座って活字を眺めていればよい今の状況はぬるいとさえいえる。宝箱の開錠を誤った途端に感電したりなど、貴族の椅子に座っている今から振り返ると、縁遠い出来事だった。


「もう一か月ですか……」


 ゼルさんとメッテさんとお別れをして、もう一か月が立った。

 季節の移り変わりは早いもので、木々に少しずつつぼみが出始めていた。


 慣れない貴族の仕事を引き受けたは良いものの、兄上と一緒に右往左往しながらゆっくりと進んでいる。兄上は真面目な人間ではあるが、それこそ父上とそりが合わず、今まで屋敷から家出をしていたこともあり、貴族の勉強はしてこなかった。頭も切れる人ではないので、相変わらず領土の様々な地方に行って顔を売っている。


 公爵とはいっても、いうなれば政治力の強い地主のようなものだ。

 治めている市民たちに信頼されればされるほど、自分たちの意思が領土に反映されやすくなるし、施策の反対派も抑え込むことが出来る。その代わり、私がデスクワークや公爵間の内政を一手に引き受けているのだが、一向に手が休まる暇はない。


「ゼルさん……メッテさん……何しているのかな」


 役割分担自体に不満はないし、兄上の長所を生かせていると実感している。

 ただ、この大きな屋敷に一人だけというのは中々寂しいものだ。グランテ家の習わしということで、父上の部屋をそのまま私が使うことになったのだが、流石に私一人で使うには大きすぎた。視界が広すぎて気が散ってしまうのだ。


 今までメッテさんと狭い部屋で寝泊まりしていたからか、寝起きで誰もいないというのも寂しいし、寝返りを打った時に障害物が何もないのも寂しい。一か月経ったとは言うものの、体に染みついたこの寂しさを消すにはもう少し時間がかかりそうだ。


「マルセリーナ公爵、来客がお見えになられました」


「かしこまりました。入れてください」


 私は来客の約束が入っていたことを思い出す。

 慌てて机の上に出した書類の束を隠すように椅子の後ろに置くことにした。


「失礼いたします」


 私の執事に連れられた貴族はシワ一つないスーツを着ていた。

 これで会うのは二度目だろうか、前回会うときとは真逆の服装だ。一瞬誰かと思ったが、その体格と顔つきを見たら人を見誤るわけがないだろう。執事が扉を閉めたことを確認すると、私は挨拶する。


「お久しぶりですね……レミアンさん」


「おやおや、貴族のお嬢ちゃん。久しぶりだな。宿であった時以来か?」


 服装は変わっても口調は変わらないようだ。貴族らしからぬ、いけしゃあしゃあとした話し方は健在である。

 私としても貴族らしいふるまいを勉強中であるため、これほど砕けているほうが気が楽になる。


「ここでは、レミール・アルマデウス公爵と呼んだほうがいいですか?」


「はは、流石にお嬢ちゃんにはバレるよなあ。だって貴族なんだもんな。――俺と同じく」


 公爵家について学んでいるとき、見知った顔が書物の中にあると思ったら、レミアンさんだったときの驚きを今でも忘れていない。アルマデウス家は八つある公爵家の中で、グランテ家と並ぶほどの政治力があり、「西のグランテ、東のアルマデウス」と世間では呼ばれていた。

 代々領民からの人望が厚く、王家が仮に途絶えた場合にはアルマデウス家がその座に上り詰めるだろうと揶揄されていたほどだ。もちろん、今の社会で王家が途絶えることは考えにくいが、影響力のすさまじさは本物である。


「……あなたには助けられました。父上の裁判の時も、あなたが原告側にいなければ確実に負けていたでしょう」


 この社会の裁判で対等に訴えることが出来るのは同等の地位にあるものだけだ。


 そして、レミアンさんはその条件を満たしていた。

 レミアンさんはアルマデウス家の全ての人脈を使い、これ以上ないほど論理武装したチームを作り上げて臨んだらしい。突然訴えられ、しかも魔法契約書という決定的な証拠を握られた父上に勝てるすべはなく、まさか一度の裁判で判決が出てしまったそうだ。


「そんなこと言うなって、セリーちゃん。ゼルと君が屋敷から奪ってきた魔物との契約書がなければ、勝てなかったぜ? 流石に俺の助言を無視してやっちまったことについては今でも怒り心頭だが、まあ、それでも君たちには感謝してるからよ」


 すみませんでした、と私は咄嗟に謝ってしまう。

 ゼルさんは私から言い出すことがなければ、レミアンさんの言いつけ通り、三カ月間待っていたに違いない。自分の意思で命の恩人であるレミアンさんを裏切る行動はしないだろうし、私の身に危険が及ぶことを自ら進んでやろうとは考えなかったはずだ。


「さて、今日はワイツの今後の自治権について関してだが……」


「なぜ、あなたは公爵家にも関わらず、旅をしているのですか?」


 私はレミアンさんが本題に入る前に、会話を遮ることにした。

 彼は私に既に正体を明かしている。もう何も隠す理由はないはずだ。


「はっはっは! セリーちゃんもせっかちだなあ、昔の誰かさんによく似てるよ! ……まあ、いいか、ちょっと雑談でもしよう」


 レミアンさんは私の仕事机の前に置いてある椅子に腰かけると、背もたれにもたれかかる。

 天井を見上げて、独り言でも話すかのように呟く。


「俺はさ、自由になりたかったんだよ。行商人とかにあこがれてたんだ。大体、屋敷でよくわかんねえ書類に判子押す人生なんて、つまらなくてつまらなくてしょうがなくってな。頭のいい使用人に全部押し付けて、旅に出たんだ。どうせ判子押すぐらいなら、俺じゃなくてもいいだろって思ってな」


「そんな雑な……」


 貴族としては失格なのだろうが、レミアンさんらしい理由で安心した自分もいた。これほど陽気なおじさんが部屋で引きこもっているなど、想像すればするほど信じられない。


 実際今私がやっているのもほとんどが事務系の仕事なのは事実だ。

 私は閉じ込められることに鳴れている節もあり、飽きてはいるものの苦ではない。レミアンさんの気持ちも分からなくはないし、実際兄上は家の中にいるよりも外に出たほうが生き生きとする人だった。人によって得手不得手はあるものだ。


「はっはっは! でも旅は信じられないほど楽しかったな、色んな人にも出会えたしよ。旅に出なきゃ強くもなれなかっただろうし、ゼルや嬢ちゃんにも会えなかった。使用人には迷惑かけたが、全く後悔はしてねえよ」


 ゼルさんから聞いた話では数年単位で旅をしていたようだから、レミアンさんの仕事を請け負った使用人は貴族よりも貴族の仕事が出来るのかもしれない。可能であればいつの日か学びに行きたいほどである。


「旅をするにつれて、やっぱり自由じゃない今の社会がおかしいと思った。しかもそんなときにゼルが商人にタコ殴りにされてるところに遭遇しちまったしよ。なんか自分の中で燃え上がっちまったな」


 ここ最近のゼルさんしか知らない私からしたら、ゼルさんが大人しく商人に殴られていることが想像できなかった。

 今の彼であれば殴られる前に回避しているだろうし、下手すれば相手の関節の一つや二つ外してしまうかもしれない。ついでに財布も盗んできて、何食わぬ顔で帰宅するに違いない。


「なんか、ゼルを見てると、何かしなきゃって思うんだよな……盗賊の癖に不器用なのに、変に意思が固くてさ。大して強くねえくせに自分の正義感を貫こうとするだろ? 見てらんねえってなるんだわ」


「ええ、そうですね……」


 レミアンさんも私と同じ感情を抱いているのだと、確信した。


「私も……ゼルさんがいなければ、貴族に戻ろうなんて思わなかったでしょう。彼が常に正しいことを貫いてくれたから、何かあっても私に手を差し伸べてくれたから……貴族としての今の私があるんだと思います」


「はは! セリーちゃんもゼルの影響を受けた仲間同士ってこった!」


 私がそう言うと、レミアンさんは大きな手で私の頭をなでる。

 お父さんの記憶がほぼない私にとって、その感覚はなんだか懐かしかった。


「……とまあ、俺の昔話はこんな感じだが、今はしっかり公爵に戻ったよ。もうまがいもないレミール・アルマデウス公爵様だ。流石に権力のデカい公爵が牢屋にぶち込まれて、王家はあたふたしてるし、見捨てておけないだろ?」


 アルマデウス家の影響力が大きいのはひとえに領土が広いからだけではない。

 王家とも近しい関係にあり、王家が何か頼みごとをするときには、とりあえずアルマデウス家を呼びつけるほどだ。冒険者として色々飛び回っていたようだが、その口調から察するに王家との関係は維持してきたのだろう。中々器用に公爵業をこなしてきたようだ。


「ええ……申し訳ありません、父上せいで」


 グランテ家のものとして、王家や他の公爵家に迷惑をかけてしまったのは事実だ。

 数ある書類仕事の中には各公爵への謝罪の手紙を書き、それに返答するのも含まれている。自分を痛めつけた人間の尻を拭くのは気持ちが悪いが、感情を抑え込んで何とか各方面へ謝罪している最中なのである。


「いいんだよ、気にすんな。俺もそろそろ戻ろうかと思ってたしな」


「そうなんですか?」


「……ああ、冒険してきて、色んな不都合を見た。ゼルみたいに、苦しんでるやつもいる。それを変えられるのは、俺たちみたいに上にいるやつらだけだ。はっはっは! しかも、今はお嬢ちゃんがいるからな! ちょっとは面白くなりそうだ!」


 彼は冒険者として、地に足をつけて様々なことを見てきた。

 私も盗賊として、地べたを這いつくばりながら様々なことを経験してきた。


 ゼルさんは、ゼルさんが出来ることを全力でやるだろう。

 盗賊が社会のために出来ることを、考え、実行するだろう。


「一緒に、この社会を変えようぜ。ゼルのためにもさ」


 レミアンさんは立ち上がると、私の前に手を差し出す。

 盗賊も、商人も、貴族も、あらゆる人々が自由に生活し、差別のない社会を作り上げてみせる。

 その思いが熱い視線の先から伝わってきた。


「そうですね。ゼルさんのためにも」


 ゼルさんは私を守るために様々なことを授けてくれた。

 これからは、私が恩返しをする番だ。


 レミアンさんとともに、一貴族として。


「――全力で行きましょう」

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底辺職の盗賊だけど、ヒーローに憧れて最強になったので全力で世直ししてみようと思います もぐら @mogura_level16

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