第16話大魔王、任命される

 華々しく正体を明かした我輩だったが、失念していたことがあった。

 それは大魔王ネーロという存在を、この場にいる誰も知らんということだ。

 以前の世界では誰もが畏怖と畏敬を込めて、我が名を呼んでいたのだが、数千年経った異世界では通じないらしい。


「……ミョルニル様がおっしゃっていた。悪霊は錯乱していると」


 レノールは人間にしては聡明な顔を歪ませて、無礼にも我輩に指差し兵士たちに命じた。


「自身を大魔王と称し、世界を混乱に陥れようとしている悪霊だ! 現に陛下を誘拐し帝国を瓦解させようとしていた! 皆の者、こやつを捕らえよ!」


 兵士たちはじりじりと我輩に寄ってくる。

 魔物や魔族相手ではなく、人間の集団など我輩の相手にならん。

 イレディアでは二百の魔物を相手にしている。


「クハハハ。良い度胸だ」


 我輩は臆することなく軍勢に向かう。

 兵士たちの間に動揺が見られた。ま、怯まない我輩の勇姿に驚いたのだろう。

 一人一人が勇者ならばともかく、ただ鍛えただけの平凡な男共の集まりなど、我輩にとっては蟻も同然である――


「ま、待て! レノール、兵士たちよ!」


 しかし、意外にも待ったをかけたのは、皇帝のテオであった。

 兵士たちはぴたりと止まった。

 レノールは怪訝な顔をする。


「いかがなさいましたか? 陛下」

「この者たちは、悪人ではない! い、いや、私を誘拐したのは、悪いことだが……」


 思わぬ展開に我輩も足を止めた。

 テオは「この者たちのおかげで、私は現実を見られた」と韜晦している。


「我輩は、自分の施策のせいで、兵が死んだと思っていた。しかしそれ以上に民の暮らしの一助になっていたことに気づかされた」

「…………」


 テオの言葉に目を細める宰相レノール。


「もちろん、失策もあった。それは打開せねばならぬ。新たな政策を講じなければならぬ」

「……陛下。その者たちに何を吹き込まれたのですか?」


 レノールはどうやら、よからぬことを我輩が吹き込んだと思いこんでいるようだ。

 まったく、不遜かつ無礼である。


「そうではない。私はこの橋を見て、気づいたのだ」


 テオは自身の背にある大橋を指差した。

 夕陽に照らされている橋は、何事にも揺るがない強さを備えていた。


「私は神ではない。人間だ。僅か十六歳の世間知らずの子供だ。間違うこともある。しかし、一番の過ちは、間違えることを恐れて何もしないことだと思う」


 テオは我輩の近くまで来て、なんと我輩の肩を叩いた。


「この者――ククアがきっかけとなり、そしてマルクが教えてくれた。だからその天啓の礼として誘拐の罪は不問とする」

「ですが、この者が悪霊であることには間違いありません」

「……賢者が本当にそう言ったのか?」


 テオの問いに「ああ。間違いない」と兵士たちの中から出てきたのは――我輩をこの世界に召喚した、あのミョルニルだった。


「ミョルニル……! 貴様が要らんことを吹き込んだのか!」


 怒りを込めてミョルニルを睨むと「あれから少し考えてな」と神妙な顔で言う。


「おぬしが悪行をすれば、召喚したわしのせいにならんか?」

「ほほう。その程度の浅知恵がようやく浮かんだのか?」

「じゃから、今日、帝国の宰相に仔細を話したのじゃが……」


 ミョルニルは不思議そうな顔で「おぬし、魔王を倒すらしいな」と言う。


「何の気まぐれなんじゃ?」

「ふん。ただムカついただけだ」


 我輩の脳裏にイレディアの娘、ルーネとその母親のサラが浮かんだ。

 ミョルニルは驚いた顔で「なんと! 人のためか!?」と喚いた。

 こやつ、心を覗いたのか?


「まさか、悪霊が善行を働くとは……わしが間違っていたのかもしれんな」

「知った口を利くな。我輩は魔王とやらがムカつくだけだ!」


 ミョルニルは「じゃが、わしには好都合かもな」と軽く笑った。


「おぬしが魔王を倒してくれれば、わしとしては結果オーライじゃ」

「なんだ貴様。随分俗な賢者だな」

「おぬしの旅をバックアップしても良い」


 世界に三人しかおらんらしい賢者の一人、ミョルニルが我輩を支援すると宣言したことで、兵士だけではなく、レノールも動揺した。


「ば、馬鹿な!? ミョルニル様、悪霊ですよ!? あなた自身おっしゃっていたではありませんか!」

「うん。じゃあ、わしの勘違いじゃったな。こやつは悪霊ではなく、英霊じゃ」

「そんないい加減な――」


 狼狽するレノールにミョルニルは近づいて、こっそり耳打ちした。口元を隠されたので、何を言ったのか不明だが、レノールの顔色が悪くなったのだから、ろくでもないことだろう。


「ミョルニル様……」

「どうじゃ? こやつと……そこの者たちを勇者にしてみては?」


 その言葉にそれまで蚊帳の外だったマルクが「本当か!? じっちゃん!」とはしゃいだ。


「俺たちを勇者にしてくれるのか!?」

「まあな。あくまでも……ククアじゃったか? そやつのおまけじゃがな」

「やったあ! プルート、ティア! それからククア! 俺たち勇者になれたぞ!」


 のうてんきに喜ぶマルク。しかし抑え役のプルートが「ちょっと待て、マルク!」と待ったとかけた。


「これはどう考えても俺たちの手に余るだろ!」

「はあ? どこがだよ?」

「ククアは悪霊なんだぞ! 俺たちに制御できるか!?」

「じっちゃんが英霊って言ったじゃないか。格好いいじゃん。英霊」

「都合のいいところだけ聞くなよ!」


 文句を言うプルート。

 ティアも「私も危ないと思います……」と我輩を見ながら言う。


「ククアさんは、その、危険だと、思います……」

「でも仲間にしたじゃん。プルートも認めていただろう?」

「ぐっ……それは……」

「それにさ。俺たちになにかしたわけじゃないだろう?」


 マルクの言葉に「でも、陛下を誘拐しましたし……」とか細い声で反論した。


「それも陛下が不問にしてくれたじゃんか」

「あっ……」

「結果論だろ。ティアも納得するな」


 ふむ。仲良し三人が揉めているのは見ていて微笑ましいが、これでは話が進まん。


「そうだな……では、こうしよう。我輩とお前たち三人にそれぞれ勇者の資格を与えるというのは」


 我輩の提案はプルートやティアにとっては魅力的だろう。

 我輩から離れられて、しかも勇者と認定される。

 二人がホッとした顔になったのが良い証拠だ。


「それは嫌だ!」


 我輩の素晴らしい提案に、マルクが待ったをかけた。

 何が気に入らんのだ?


「俺は、ククアと一緒に魔王を倒したいんだよ!」


 論理的ではない、ただのわがままに、流石の我輩も開いた口が塞がらない。


「お前、正気か!?」

「じゃあプルート。お前はそれで良いのか?」


 マルクがやけに真剣な顔でプルートに言う。


「ククアのおかげで勇者になれた。でも仲間から外す。理由は怖いから。そんなのおかしくないか?」


 プルートはぐっと言葉に詰まった。

 ま、そう言われてしまったら立つ瀬はないな。


「俺は、そんな情けないこと、したくない」


 マルクの真っ直ぐな言葉。

 まるで勇者セインを思い出す。

 それは不愉快ではなく、むしろ愉快であった。


「マルク。貴様は――純粋なんだな」


 テオが我輩から離れてマルクの元に歩を進めた。

 そして向かい合う。


「さっきの言葉といい、貴様の言葉は人の心を動かす」

「そうですか? 嬉しいです」

「……ここに、宣言する」


 テオはこの場にいる者全てに聞こえる大声で言った。


「マルク、プルート、ティア、そしてククアの四名を、皇帝テオタキオス・カエサル八世の名において――勇者として任命する!」


 マルクは、テオの顔をじっと見つめて、自分が勇者になれたことに気づき――


「やったあああああ!」


 喝采を叫んだ。


「クハハハ。よく分からんが、勇者に認定されたのか?」


 呆然としていたレノールだったが、我輩の問いを聞くと、軽く苦笑して言う。


「陛下が自身の名で任命したのだ。臣下たる私は従うしかない」

「潔いではないか」

「……これで、帝国も安泰だ」


 レノールは困ったように笑って我輩に告げた。


「そう考えたら、悪霊を勇者に任命するのも、悪くない」


 悪霊ではなく、大魔王だがな。

 そう言おうとしたが、水を差すのも悪いと思い、我輩は口をつぐんだ。

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