第15話大魔王、警戒する

 大魔王であれば、目的地まで転移できたのだが、人の身に落とされた我輩や、元々人間であるマルクたちには徒歩しか移動手段がない。

 したがって、件の橋の付近に到着したのは、すっかり夕方になってからである。


 プルートは帝都にいたとき、きょろきょろと辺りを見渡していた。いや、今でも警戒している。まあ、皇帝であるテオを攫ったのだ。当然と言えば当然か。

 しかし奴のささやかな悩みは杞憂となった。帝都を歩いているときも出て行くときも、咎められることはなかったのだ。


 それはプルートも疑問に思っているはずだが、我輩も訝しげに思っていた。

 そもそも、テオを攫って大騒ぎにならんのはどう考えてもおかしい。

 我輩が大魔王のとき、黙って城下町に行ったときは、側近たちが大慌てで連れ戻しに来た。


「……プルート」

「なんだ? 今度はどんな厄介事の相談があるんだよ?」


 先頭を歩くマルクとテオ、その後ろを着いているティアに聞こえないように、こっそりとプルートに耳打ちする。


「ほほう。よく分かっているではないか」

「マルクの相手をしていたら、そういう勘が鋭くなったんだよ」

「そうか。では単刀直入に言うが――おそらく我輩たちは見張られている」


 プルートは一瞬、身体を強張らせたが、挙動をおかしくさせるという愚行はしなかった。

 むしろファインプレイだったと褒めたい気分だった。

 奴は声を潜めて「考えてみれば当然だが……」と前置きをして自身の考えを述べる。


「先ほどから警戒しているが、そんな視線は感じない。だから陛下の捜索はひっそりと行なわれていると思っていた」

「違うな。テオの居場所が分かっているからこそ、下手に騒ぐことをしないのだろう」


 プルートは「いつからだ?」と短く問う。


「いつから視線に気づいた?」

「それも違うな。さっきまで視線は感じなかった……我輩に気づかせないとは、なかなかやる」

「……だったら、お前の勘違いじゃないのか?」


 我輩は素早く振り向いて、指を指した。


「あそこにいる。間違いない。今は視線を感じるぞ」

「――っ!? どうして分かる!?」


 プルートも振り返るが、先ほど感じていた視線は消え去ってしまった。

 おそらくだが、退いたと見るのが正しいな。


「貴様のおかげだ。我輩が見られていると言ったとき、貴様の挙動におかしなところがあった」

「……その違和感が監視していた奴の油断を誘ったのか?」

「逆だ。警戒を強くした――それで我輩は気づいた。視線が強くなったからな」


 プルートは「まさか、それが目的で俺に相談したのか?」と疑わしい目で問い詰める。


「それこそまさかだ。一応、貴様に相談しておこうと思った。ただそれだけだったのだが、思わぬ収穫だったな」

「……だとしたら、俺たちが捕らえられるのも時間の問題だ」


 プルートが深い溜息をつく。

 やれやれ、苦労人の思考は常にネガティブなのか?


「捕らえるつもりならば、既にそうしているだろう」

「……考えられるのは、陛下に危険が及ばないタイミングを見計らっているのか」

「もしくは捕らえる気がないということだ」

「楽観的過ぎないか?」


 プルートの指摘は分かるが、そう考えたほうが建設的ではある。


 さて。そうこうしている内に、我輩たちは橋に辿り着いた。

 石造りの立派な大橋である。河の流れは穏やかだが、船で行き来するのは時間がかかるだろう。

 夕方だが、橋を利用する者は多い。行商人や旅人、中には家族連れもいる。橋と帝都の間には宿場町もあり、そこそこだが賑わっていた。


「これが私の作った橋、か」


 テオは行き交う人間の顔を見ていた。

 奴らの中には長旅で疲れた顔をしている者もいるが、ほとんどは明るいものだった。

 橋を渡ることで、希望溢れる帝都に向かえる喜びに満ちていたように、我輩には見えた。


「どうですか、陛下。みんないい笑顔でしょう?」


 マルクがテオに話しかけた。

 その表情は馬鹿みたいに明るかった。


「……平時のときは有用だ。しかし、魔族や魔物の進攻に利用されたのも事実だ」


 頑ななテオの言葉にマルクは眉を八の字にして「あれは仕方ないですよ」と言う。


「橋ができた直後のことですし。結果的に帝都には被害出ませんでしたよ」

「だが兵士は死んだではないか。橋さえなければ……」

「でも、橋があったからこそ、被害は少なかったと思います」


 マルクは「なあ。プルート。前に教えてくれたこと、言ってくれよ」と話を振った。


「俺、馬鹿だから、きちんと説明できないと思う。だからまた言ってくれ」

「……橋が無かった当初、魔王の軍勢がどこから襲撃するか、不明でした」


 プルートは内心、それどころではないと思っているだろうが、テオが聞きたがっているので、説明をしだした。


「帝都の将軍は、兵をまばらに配置することしかできませんでした。しかし橋ができたことで、そこから攻めてくると予想できました。だからこそ、魔王軍との戦争に全戦力を投入できたのです」

「それは結果論だろう!」


 テオの怒声に、マルクが「でも、陛下もそうですよね?」と指摘した。


「なんだと……?」

「橋は人々の往来を楽にするために作られました。そして今もそのように使われています。でも、陛下は『魔王に攻められた』結果しか見てないじゃないですか」


 おお。賢くない割に核心を得ているな。


「そ、それは……」

「魔王に攻められて兵士が死んだことは悲しいですけど、でも橋のおかげで向こう岸の村々がスムーズに避難できたって聞きますし……俺も、橋のおかげで夢が見れたんですよ」


 意外な言葉に、テオは目を見開いた。

 マルクはテオと視線を合わせて言う。


「俺の村は貧しい農村で、家も貧しいところでした。でも橋ができたことで、村は徐々に活気を取り戻しました」

「貴様の村は、どこだ?」

「フルグレという小さな海辺の村です」


 テオは「聞いたことはないが、海産物が帝都の市場に仕入れられていることは知っている」と答えた。

 マルクは「それは嬉しいですね」と笑った。


「もしかすると、陛下の食卓に、フルグレ産の魚が出たりしたかもしれません」

「…………」

「だから、俺は陛下に感謝しているんですよ。橋を作ってくれた陛下に」


 マルクは人間の社会では不敬だとされる行為をした。

 テオの両手を取って握ったのだ。


「おい、マルク――」

「ありがとうございます、陛下」


 プルートの制止を無視して、マルクはテオに笑いかけた。

 その笑顔は太陽のような、人に希望を与えるようだった。


「俺は陛下のおかげで、帝都に行こうと決意しました。余裕の出た親に金もらって、帝都に言って一旗挙げようと思ったんです。俺だけじゃない、他にもそう思う人はいると思います」


 テオは顔を強張らせて、しばらく黙り込んでいたが、やがて静かに涙を流し始めた。


「そう――言ってくれるか」


 テオはおそらく、今まで罪悪感を覚えていたのだろう。以前いた世界で散々見てきた表情なので、我輩には分かる。

 だがマルクの感情を丸出しにした、馬鹿みたいに明るい言葉で、ほんの少しだが救われた気分になったのだ。


「ありがとう。そう言ってくれて――」


 マルクの手を握り返した、そのときだった。

 百か二百ぐらいの軍勢が、我輩たちに近づくのが分かった。


「プルート。ティアを守れ。兵が近づいている」

「なんだと!?」


 プルートが振り返ったので、我輩も目で確認する。

 駆け足で行進している、百単位の軍勢。

 全員鎧姿に剣や槍を携えている。


「ティア。俺の背中にいろ。離れるなよ」

「え? ええええ!? なんですか……?」


 ティアは何も分かっていなかったようだ。

 我輩はさりげなく、テオとマルクに近づいた。

 いざというとき、人質にするためだった。


 兵士たちは我輩たちを半円状に囲んだ。

 後ろには橋がある。逃げようと思えば逃げられた。


「……探しましたよ、陛下」


 軍勢の中から出てきたのは、鎧姿の宰相、レノールだった。

 そして我輩を睨みつけて「随分、手荒いやり方だな」と言う。


「陛下の考え方を変えてくれと頼みはしたものの、これは流石にやりすぎだ」

「クハハハ。ではどうすれば良かったのか、言ってみろ」

「……まさか、賢者様の言っていることが本当だとは思わなかった」


 我輩の言葉を不遜にも無視して、レノールは気になることを言った。

 そして剣を抜いて我輩に向けた。

 ぬう。これはもしかすると――


「賢者ミョルニル様に召喚された、悪霊。それが貴様の正体だ」


 その言葉に、マルク、プルート、ティア、そしてテオが我輩を一斉に見た。


「はあ? 悪霊? 宰相様、一体どういうことですか?」


 マルクは事態を飲み込めなかったのか。レノールに訊ねた。


「言ったとおりだ。この者は――」

「クハハハ。少し違うな」


 我輩は両手を広げて、ゆっくりとレノールに近づく。

 恐怖で引きつった宰相。兵士たちから緊張が伝わる。


「お、おい……ククア?」

「プルート。それは我輩の名ではない」


 アカデミには口止めされていたが、この状況では仕方あるまい。

 我輩は自身の名を告げた。


「我が名は――ネーロ。大魔王ネーロである」


 恐怖で慄く、この場にいる全員に向けて、我輩は言う。


「数千年前、異世界を恐怖で支配した大魔王だ」


 そうして、にっこりと微笑んだ。


「さて諸君、我輩と一戦交えるか?」

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