第3話大魔王、助けられる

 意識を失った瞬間、我輩は奇妙な空間に居た。

 木製の椅子と机が多く並べられている。数は……四十程度。横五列に縦八列で整然と置かれて、我輩はその中心近くに座っていた。

 目の前には緑色の横に長い大きな板。見たことがない材質でできているようだ。その板の前には木の天板に鉄の土台が接いだ、何の用途に使うのか分からん四脚の長方形があった。

 左側は窓で外の風景が見られる。晴天のようだが外には誰も居らん。ただ広いだけで草木が生えてない運動場がそこにはあった。右側の前方と後方には引き戸が付けられておる。おそらく出入り口だろう――


「……よく分からんが、迂闊には動けんな」


 勇者セインに油断と慎重さに欠けた行動で負けた我輩だ。用心深くなるのは当然だった。

 どこのどいつか知らんが、これは人智を超えた者が作った空間であろう――


「ご明察です。流石は大魔王ですね」


 いつの間にか、前方の奇妙な長方形の前に女が立っていた。

 女も奇妙な格好をしている。ぴちっとした見たことのない黒い服。内側には白い服を着ている。顔には丸いガラスのようなものを二枚つなげたものを付けていた。

 顔は人間の中でも美しい部類。茶色の髪を短く切ってある。向かって右の口元にはほくろがあった。


 いろいろ観察してみたものの、驚くべきは現れるときに気配を一切感じなかったこと。そして我輩の心中を読み取ったこと――


「お前は……何者だ?」

「私は……そうですね、アカデミと名乗っておきましょう」

「名乗っておく? まるで今思いついたみたいだな」


 そう指摘すると女――アカデミは溜息を吐いた。


「まさかすぐに瀕死になるとは思わなかったんですよ。あなたならもう少ししぶといと思ったのですが」

「無礼な物言いだが、不問にしよう。事実だしな」


 不本意だがアカデミの言うことももっともだ。先ほど油断と慎重さに欠けていると言ったが、まだまだ自覚が足りていないようだ。


「というわけで、女神様の依頼で私があなたに現世で生きるための教育を施します」

「女神だと? ……忌々しい。というよりあいつが直接教えれば良いではないか」


 別にあいつと会いたいわけではないが、聞かねばならんことが山ほどある。文句も不満も言いたいのだ。

 するとアカデミは再び溜息を吐いた。


「ええ。これに関してはあなたのおっしゃるとおりです。しかし女神様曰く、あなたに合わせる顔がないとのことです」

「……勝手に異世界へ転生させておいて、しかもその態度か」


 怒りを通り越して呆れてしまう。

 アカデミは「さて。時間は無限ですが教えることは山ほどありますので」と話を進める。


「まずは食事と睡眠の仕方です。それが原因で死に掛けていますから」

「待て。我輩は死んでおらんのか?」

「死んでしまったら教育も何もありませんよ」


 まあ筋は通っている。

 我輩はアカデミに習って目の前に出てきた料理を食す。

 ……舌で味わうというのは初めてだが、ちと塩味が利き過ぎているな。

 次に睡眠。これは横になって目を閉じれば良かった。

 なんだ。簡単ではないか。クハハハ!


「その簡単なことができなくて、あなたは死に掛けたんですけどね」

「いちいちうるさいな。これで教育とやらは終わりか?」


 我輩がアカデミに訊ねると「現世の情報を知りたくありませんか?」と聞き返された。


「いや。それは良い。現世の人間に聞くとしよう」

「では、現世の人間に訊ねるときは、記憶を失っていると嘘を吐いてください。それなら不自然ではありません」

「おいおい。女神に近しい者が嘘を吐いても良いと薦めるのか?」

「私は神ではありませんから。それとさりげなく探ろうとしないでください」


 ……心を見透かされるのは厄介だな。


「それから、あなたは自分の名を名乗らないでください」

「は? どうしてだ?」

「記憶喪失なのに、名前だけ覚えているのは不自然ですから」

「……道理だが、それでは不便だろう。まさか大魔王とでも名乗るのか?」


 するとアカデミは「安心してください」とにこりともせず言う。


「あなたはすぐに、新しい名を授けられますよ」


 ……意味深なことをさらりと言いよって。これでこいつの正体は神が創りし天使であることが分かった。未来を予測できるのはそいつらだけだし、心を見通せたのは、我輩が不愉快なことに人間だからだろう。

 ま、こういう考えも分かっているのだろうが。


「ふん。まあいい。じゃさっそく現世に戻せよ」

「教室の扉から出れば戻りますよ」


 これで終わりとばかりに、アカデミは前の扉まで歩いて、そのまま外へ行ってしまった。

 まったく、愛想のない奴だ……


「ま、不愉快極まりないが、従うしかあるまい」


 我輩は後ろの扉を開けて、外へ出た。

 全身が光に包まれる――




 目が覚めると、ふかふかの寝台に寝かされていた。

 白い天井に白い壁。扉だけが茶色い。

 なんとか上体は起こせたが、空腹と渇きで歩けそうにない。

 とりあえず、誰を呼ぶとしよう。ここに運んできた者がいるはずだ。


「おーい。誰かいないのか?」


 体調が優れないため、あまり大きな声は出なかったが、それでも耳に届いたらしく木製の扉が開いた。

 少女だった。我輩の肉体よりも年若い。十二か十三くらいか。


「あ! 良かった! 先生、白い人が目を覚ましたよ!」


 白い人? ……ああ、我輩のことか。

 少女は我輩に近づいて、元気よく喋り出した。


「良かったよ! 街の前で行き倒れてたから、びっくりしちゃった! でも生きてて良かったね!」


 にっこりと微笑む少女。赤毛で目が緑色。なんてことのない平凡な顔立ち。魔力もそう感じられない。


「あ、ああ。お前が助けてくれたのか?」

「この診療所にあなたを運んだのは街の人だよ。それから治療してくれたのは先生!」


 答えになっていないが、別に恩に着せるつもりはないらしい。

 少女の後ろの扉が開く。そこには中年の男が居た。


「シルベ先生! この人起きたよ!」

「みたいだね。いやあ、良かった。一時は危ないところだったからね」


 男はシルベというらしい。丸坊主で目つきが危うい。それに背が高く威圧的だ。


「すまなかったな。シルベとやら、感謝いたす」

「ふふ。まるで王族みたいな喋り方だね」


 さほど気分を害した様子はない。このシルベも少女と同じ善人なのだろう。


「私、ルーネっていうの! あなたの名前は?」


 少女はルーネというらしい。我輩は名乗ろうとしたが、アカデミが言っていたことを思い出す。


「その、我輩は、思い出せんのだ……名前も、以前何をしていたのかも……」

「ええええ!? それって……」


 驚くルーネ。その横でシルベが「記憶喪失かな」と首を捻った。


「最後に覚えていることは?」

「……森の中を彷徨っていた。そこまでは覚えている」


 シルベは難しい顔をした。


「三賢者の一人、ミョルニルの森で彷徨っていた、か……」


 なんだ。あの偏屈な老人、本当のことを言っていたのか。


「しかしよく五体満足で居られたね。あの森には凶暴な魔物が居るはずなのに」


 シルベが不思議そうな顔をする。

 これは推測だが我輩が大魔王の時分に持っていた『畏怖の蛇眼』を無意識に発動させていたのかもしれない。だがそれを説明するのは不味いだろう。


「我輩にも分からん」

「……そっか。あなたは名前も分からないんだね」


 まるで己のように落胆するルーネ。しかしすぐに「じゃあ仮の名前を名乗ってみれば?」と提案してきた。


「仮の名前だと?」

「うん! そうだね……ククアはどうかな? 死んだおじいちゃんの名前だけど」


 ククア……まあ、悪くないな。


「ああ、それでいい」

「本当!? 言葉遣いの割りに素直だね!」

「お前は率直に物を申すのだな」


 ルーネは「いつもそれでお母さんに叱られちゃうんだあ」と天真爛漫に笑った。


「ああ。ルーネちゃん。そろそろ手習いの時間じゃないかな?」

「あ! そうだった! それじゃあまたね! 先生! それからククアくん!」


 まるで嵐のように去っていくルーネ。騒がしいことだ。


「手習いってなんだ?」

「うん? 教会で文字を習っているんだよ……本当に記憶喪失なんだね」


 シルベは寝台の傍にあった椅子に腰掛ける。


「困ったな。君の身元が分からないのは」

「まあな。それよりもシルベ。何か食べるものはないか?」


 先ほどから腹の虫が鳴り止まぬ。


「……結構、豪胆なんだね。普通、記憶を無くしたなら、誰でもパニックになるところだけど」

「騒いでもしかたあるまい。なるようになるさ」


 我輩は怪しむシルベから目を逸らした。

 さてと、どうしたものか……

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