第2話大魔王、転生する

 まず、現況を確認しよう。

 我輩は大魔王ネーロ。勇者セインによって倒され、神具の吸魂器に魂を封印され、数千年の時を経て復活したと思ったら、忌々しい女神に異世界に転生されてしまった。

 我輩の肉体は以前と比べて弱々しい。おそらく人間で言うところの少年期を少し過ぎたぐらいであろう。確か、勇者は十八歳だったから……まあ十六才かそこらだろう。毛髪は長くて白く、肌も人間の割に白い。姿見がないために顔立ちが分からん。


「おい。そこの老人」

「なんじゃ? 先ほどから自分の身体を眺めまわしおって。おぬしはナルシストか?」

「ナルシスト……? よく分からんが偉そうな口を利くな。姿見を寄越せ」


 老人は「おぬしも随分と偉そうじゃのう」と鼻を鳴らした。


「まあいい。鏡ならほれ、今渡す」


 老人が指を鳴らすと雑多に物が置かれた整理されていない机の上から鏡が飛び出し、我輩の目の前で浮いている。受け取って自分の顔を確認する。血のように赤い眼。口を開けると犬歯が少しだけ大きい。ふむ。第一形態の容貌を人間にしたという感じだな。


「確認は済んだか? それでは我がしもべに命ずる!」


 老人は大魔王たる我輩向かって、不遜にも命令をするようだった。


「世界に仇名す七大魔王を討伐してこい!」

「……断る」


 なんで我輩が魔王を倒さねばならんのだ。馬鹿馬鹿しい。

 すると老人はあんぐりと口を開けた。我輩が断ったことが予想外だったらしい。


「ば、馬鹿な!? おぬし、英霊ではないのか!?」

「英霊? なんだそれは? それにここはどこだ?」


 老人は「しばしここで待て!」と指を再び鳴らす――小汚い本が老人の手元に来た。


「……呼び出せたということは、理論は間違っておらんのだが」

「なんだその本は? ……『召喚術大全』?」


 我輩は背表紙に書かれていた文字を読む。それは我輩の居た世界で使われている文字だが……


「なんと! おぬし、この古代文字が読めるのか!?」

「古代文字? ……そうか、我輩が封印されて数千年経っているのを失念したぞ」


 数千年とは果てしない年月だ。使われている文字も言葉も古びれてしまう。

 老人は小汚い本をぺらぺらとめくり、それから中身を大きく開いて我輩に見せた。


「ほれ。この英霊召喚の章のとおりに呼んだのだ。おぬしをな」


 そこには足元の魔法陣と同じ図形が描かれていた。

 我輩はそれをじっくり見て、足元の魔法陣と比べる。

 ……うん?


「ちょっと待て。ここが少し違わないか?」

「えっ? どこじゃ?」

「ここだ。一つ文字が異なっている」


 老人は本と魔法陣を見比べて――真っ青になった。


「しまった! これでは英霊ではなく、悪霊を呼んでしまう!」

「…………」

「ということは、おぬし悪霊だな!?」


 いきなり警戒し出した老人。

 まあ大魔王なのだから悪に決まっているが。


「おぬし、何者だ!?」

「……クハハハ、ようやく聞いたな」


 我輩は大きく手を広げて、威嚇するように老人に言う。


「我が名はネーロ! 大魔王ネーロである! クハハハ!」


 数千年経ったと言っても、我輩の名は残っているはずだ――そう思っていたが、老人は首を傾げた。


「大魔王ネーロ? ……聞いたことが無いのう」

「なんだと!? 数千年前、この世を恐怖で支配した、大魔王ネーロの名を知らんのか!?」

「……知らんし、数千年前の名が現代まで残るわけなかろう」

「くっ! これだから寿命の短い人間は……そうか!」


 失念していたことだが、この世界は我輩が居た世界ではない。あの忌々しい女神も言っていたではないか!

 しかし、そこでまた疑問に思うことがあった。


「老人。お前も一緒に考えろ」

「……なんじゃ?」

「我輩はとある者に、異世界へ転生させられた。つまり我輩はこの世界の者ではない」

「ふむ……つまり、別の世界の大魔王、ということか」

「いかにも。であるならば、どうして我輩はその本を読めた? しかも間違いを指摘できたのだ?」


 そもそも別の世界であるならば、文字も大きく違うはずだ。なのに封印前に使われていた文字がどうして古代文字としてこの世界に伝わっている?

 老人はしばし考えて「二つ考えられることがある」と我輩に言う。


「一つはおぬしが見えている文字が、わしの見えている文字と異なる可能性じゃ」

「……ややこしいな」

「つまり、自動的に翻訳されているということじゃ」


 ううむ。あの女神が要らんことをした可能性を感じる。


「もう一つはこの世界とおぬしが居た世界が似ているという可能性じゃ」

「似ている?」

「おぬしの世界にも、わしのような人間がおるじゃろ?」


 ああ。そう考えると部屋の様子から文化も文明も生活様式も似ている気がする。


「ま、さほど難しく考える必要などないじゃろ。それより問題は英霊と間違って悪霊のおぬしを召喚してしまったことじゃ」


 溜息を吐く老人。とても疲れているようだ。


「せっかく古代の英雄、蛇殺しのジャガを召喚できたと思ったら……」

「蛇殺しだと? ふざけたことをする英雄も居たものだ」

「……蛇を触媒にして召喚したのだが、もしやおぬしも蛇と縁があるのか?」


 我輩は「蛇は我が眷属だ」と素っ気無く言う。


「何たる偶然……その、大魔王ネーロ。おぬし……魔王を倒せたりせんか?」


 ほんの少しの希望を込めて老人は問うが「我輩にそんな義理はない」と断った。


「それより間違いなのだろう? さっさと戻してくれ。召喚できたのなら返還もできるだろう?」

「それが……無理なんじゃ」

「なんだと!」


 老人は申し訳なさそうに告げる。


「この召喚術は受肉を前提としておる。つまり第二の人生を歩めるということじゃ。もちろん、英霊には召喚の際に伝わっておるが、悪霊のおぬしには、十分に伝わっておらんかったようじゃな」

「ふざけるな! 我輩は元の世界に戻らんと行かんのだ!」


 そして今度こそ人間を支配するのだ!


「そうか……しかし戻す方法は分からんのだ。そうじゃ、せっかくだから第二の人生を歩まんか?」

「そんな明るく言うでないわ! このボケ老人が!」


 老人は顔を真っ赤にして「ボケ老人とはなんじゃ!」と怒った。


「我が名はミョルニル! 世界に三人しか居らん三賢者の一人ぞ!」

「三賢者? そんなもん知るか! 我輩はここを出て行くぞ!」


 我輩はそう言って魔法陣を出て、ミョルニルを押しのけて外へと出る。


「ちょっと待て! おぬしに一つ忠告しておくぞ……」


 ミョルニルが神妙な顔で我輩に言う。


「……なんだ?」

「……裸でうろつくと憲兵に捕まるぞ?」

「……うるさい馬鹿が!」


 我輩は魔法で黒いローブを作りそれを着た。


「これで良かろう!? じゃあな!」


 我輩はミョルニルの家を飛び出した。

 くそ、なんで我輩がこんな目に遭わんといかんのだ!


 外に出ると、周りに人間が住んでいる家らしきものはなかった。というかミョルニルの家しか無く、しかも絶壁に建てられていた。ふん、偏屈なじじいだと思っていたが、それは間違いないらしいな。

 我輩は翼を出そうとするが、人の身では叶わないらしい。しかたなく人里目指して歩きだす。大魔王ネーロとあろうものが、徒歩での移動などと……情けなくなる。


 人里はミョルニルの家からかなり離れている。しかも鬱蒼とした森を抜けねばならん。だいたい歩いて三日ほどかかるだろう。何ゆえ、大魔王である我輩が人里を目指しているのは、情報が足らんからだ。ミョルニルは自分を賢者であると言っていたが、あまり信用ならない。とりあえずは人間から情報を得るとしよう。


 だが不覚にも我輩は失念をしていた。

 それは――我輩が不本意にも人間であるということだった。

 人間は聞くところによると睡眠や食事をしないと死んでしまうらしい。それは知識として知っていた。

 だが我輩は大魔王だったがゆえ、睡眠も食事もしたことがない。どのように行なえば良いのか分からなかった。それに食おうにも森の動物は我輩に近づかない。おそらく大魔王の威圧感が残っているのだろう。次第に蓄積される疲労で頭が働かなくなっていく。


「くそ……こんなことなら、封印されていたほうが、マシだったな……」


 転生させた女神と召喚したミョルニルを恨みながら歩き続ける。

 ああ、そういえばミョルニルを何故我輩は殺さなかったのだろう?

 慈悲の心を持ったということでもないのに……これもまたうっかり失念していた、というわけか?


「……召喚師を殺せば、返還させるのであれば、殺さなかったのは致命的だな」


 足が鉛のように重くなっている。

 空腹で目の焦点が合わない……


 森を抜けた……もう少しで人里だ……


 街道に出られた――が、倒れてしまった。

 起き上がる気力もない……


 このまま、我輩は死ぬのか……


「だ、大丈夫!? お母さん、人が倒れているよ!」


 誰かの声が聞こえた気がした――

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