第11話  私の記憶(10歳まで)

フラッシュバックの嵐は突然来る。


私は、目を閉じる。


それは、時には、スーパーの通路であったり、キッチンで洗い物をしている時だったり、寝入り端だったり。

一日に、5〜6回くる。

わずかな、糸口から。一瞬にして。

何かに掴まっていないと、自分を失いそうになる。


目を閉じると、いま感じたフラッシュバックが、目の前に映画のスクリーンのワンシーンのように広がる。

酷いときには、その場面に放り込まれ、同じ体験をもう一度する、苦しい。

忘れていたと思っていた記憶までもが、心に痛みを伴いながらやってくる。

時には涙を流し、時には憤りで顔を赤くして…私は、過去に生きている。


疲れる。


どうしたらいいかわからない。

ドクターOの本には、勝手に融合するのは危険と書いてあった。



でも、…やってみた。

やり方なんてわからないし、正しいかとかも、わからないけど。意識して出来るものではないが、独自のやり方で。



フラッシュバックのストーリーの終盤に、心を鎮めて集中すると、私の目の前に、キラキラ輝く光の帯?柱?が見える。その帯に向かって、左側に聡子が居る。右側にヨウコが居る。


映像の中で泣いている聡子に、私は、話しかけた。


「いままでありがとうね。でもね。この記憶はもう昔の事だから、もう大丈夫なんだよ。いままでありがとう。さあ、私とひとつになろう。私の中に入って。」


すると、真ん中の光の帯の中に、スーッと入って消えていく。


あとには、その時のぼんやりとした記憶だけが残り、もう痛みはない。


次回の診察日まで、丁寧に丁寧に、内在性解離していた聡子を融合していった。


 

………



私の記憶がまだ残っているうちに、過去の記憶を語ろうと思う。



私は、東北の山奥にある農村で三人兄弟の真ん中として生まれた。

昭和の高度経済成長期の真っ只中、大人は皆、頑張った分が報われるような勢いを感じていたと思う。

我が家も、大きく商売をしていた。住み込みの人たちもたくさん居た。

父は、六人兄弟の長男だった。一番下の妹(私の叔母)とは、20歳も離れていた。そのことで私とは、6歳しか離れていない叔母さんである。曽祖母、祖父、祖母、父、母、叔父、叔母たちと姉、弟。住み込みの若い弟子たち。


昭和にもかかわらず、まるで時代錯誤な生活だった。

曽祖母は、髪を結い、着物を着ていた。明治の初めに生を受けたとはいえ、東北地方では、まだまだ江戸時代の色が濃い時代背景が、そうさせたのだろう。

ひとりだけお膳に向かい、正座をして食事をしていた。

トイレは、木の板を敷いた簡素なもので、下を見れば、数千、数万のウジ虫が泳ぎ回っている。まるで、エサを落とすような排便。

風呂は、薪を割って焚いていた。

台所は、カマドだったが、後に、ガスコンロとなる。


薄れる記憶には、父母はほとんど居ない。

生涯、私は、父母から本当の愛情を受けた感覚がない。


誰も頼れない。

助けてはくれる人はいない。


姉に対する記憶はあまりない。姉は、何故か、いつも仏壇の下の引き戸の中に閉じ込められていた。

その後も、姉は、押し入れの中で生活し、いつも本を読んでいた。


弟は、祖父からの酷い虐待を受けていた。

時には、コタツでうたた寝をしていた5歳の弟を、祖父は、急に持ち上げ、弟の頭をつかむと、コタツのフチの金属の部分めがけて、何度も何度も、何度も何度も打ち付けた。

死んだと思った。

頭が、デコボコになっている。いや、へこんでいたのだ。

糸の切れた操り人形みたいに、だらんとし、ぐったりして意識もない。


私は、あまりの恐怖に、止めることが出来なかった。その時の後悔が涙となって、心に刻まれた。

私も、祖父の相撲取りの様な風ぼうの、あの大きな手で、意識が飛ぶような平手打ちをいつも受けていた。

暴力に震えるしかなかった7歳の私。


その時の出来事を、母が口にし、状況を私に聞いたのは、弟が50歳を過ぎ、祖父が亡くなってから20年も経過してからだ。


母も、己を守ることで、精一杯だったのかと、今は思う。


でも、私は、違う。自分の子供たちは、命がけで守る。

母のことは分かるが、生涯、理解は出来ないだろう。


幼い私は、家事労働を命じられていた。

薪割りと風呂の焚きつけ。夕飯の支度。

家中の拭き掃除。庭の掃き掃除。

小さな身体で、味噌汁、おかずを作る。味見をしていたところを、6歳上の叔母に見つかり、摘み食いをしていると怒られた。

私以外は、誰も掃除、炊事をしていた記憶がない。

90歳を超えた曽祖母だけが、傍にいてくれた。

おやつと言って、梅干しを竹の子の皮で三角に包んでくれたものを、すする。


お風呂は、2日に一度。シャンプーの存在も知らなかった。月に二度ほど、頭にお湯をかける。

何日も、同じ服を着て、学校の先生から注意を受ける。

きっと、私は汚かったと思う。

ぼーっとしていて、不器用で、成績も良くなかった。

小学校でも、階段から突き落とされたり、下足を隠されたりすることが多かった。

給食当番をしていた私に、同級生が言った。

「聡子を見てると、私、優越感を感じる。」

私は、優越感の意味を知らず、優しい気持ちになるのかと思っていた。

あとで、辞典をひいて、愕然とした。



ひとりになると、私はいつも思っていた。



いつになったら、私は、「人間」になれるのだろう。早く、「人間」になりたい。と。



………

余談ではあるが、何故、大家族の中で、一番弱い子供である私たち三人が、これほどまでに執拗な虐待を受け続け、父母さえ、誰一人として助けてはくれなかったのか。


それは、父が祖父の子ではなかったからである。

祖父は、結婚式当日に嫁となる祖母と初めて会い、契りを交わしたという。

祖母を連れてきたのは、曽祖父である。

まもなく、祖父は、修行のために北海道に渡る。三年後、戻ってくると祖母には、子供が居た。

誰もが知っていても口にはしない事実。

父は、曽祖父の子である。

祖父は、父を我が子として戸籍にいれている。

後に、祖父の妹にあたる人から、聞いた話である。


だから私たちに対する愛情はなかったのだった。



しかし、死ぬ間際になると、あの鬼の様な祖父も仏様のようになっていたことが、唯一の救いと思う。

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