第43話 ログ

 皇女様が僕の生活から消えた。

 早朝訓練から戻っても、授業が終わって戻っても、夜になっても、皇女様の姿は部屋になかった。きれいさっぱりいなくなった。翌日も、翌々日もいないままだった。

 皇女殿下のいなくなった部屋は静かで寂しい。

 なぜいなくなったのか、よく分からない。あるいは正体を暴いたら一緒にいられなくなるかもしれないと、そう思わないでもなかった。が、ぶっちゃけ僕はいまだに皇女様がなんなのか理解できていない。なぜいなくなった。

 なんともモヤモヤした気持ちのまま、かといってどうにかできることもない。ただただ僕は疑問を抱えたまま、忙しい学兵生活を過ごすよりなかった。

 ようやく僕のチグリスのメンテナンスが終わった。という知らせと一緒に技術上官から呼び出しが掛かって、僕の気分はさらに落ち込む。きっとあの嫌なテストだ。僕の貴重な休息日が潰される。行かないわけにはいかないので行くが。



 格納庫は一時の忙しさも幾分か落ち着いたようだ。うろうろ探すまでもなく上官はすぐ見つかった。僕に気づいた上官は口許に笑みを浮かべて手招きしてくる。この人と顔を会わせるのは遠足で出機したとき以来だ。でも僕は全然嬉しくない。

「ともかく無事でなによりです」

 手元の板を見ながらそんなことを言う。一応僕の帰還を喜んでくれているのだろう。

「ありがとうございます」

「その後、薬の後遺症はないですか?」

 薬? 後遺症?

「いえ、別に。頭痛薬ならそんなに飲んでないです」

 万が一に備えてたくさんもらったけれど、言われた通り本当に痛くて我慢できないときしか飲まないようにしている。まだ半分以上残っていると思う。

 上官が顔を上げて僕を見た。

「頭痛薬ではなくて鎮静剤の方です」

 なんのことか分からず、僕は上官を見つめ返す。

「入院中の記録でかなりの量を投与されてますけど、……覚えてないですか?」

 そんなのは知らない。全然記憶にない。

「覚えていないなら、それはそれで構わないです」

 軽い口調でそう言われても背筋がなんだかぞわぞわする。なんで自分のことなのに。なにも知らないのか。

「え、なんで、鎮静剤とか」

「どうやらTGrSチグリスを降りるとき、神経接続を外部から強制的に切断してますね。これ、本来は緊急措置で、やると搭乗者は混乱状態になりやすいんです」

 のんびりした口調だけど、結構恐いこと言ってますよね。

「その状態だと、ローダーを動かす感覚で人間の体を動かそうとするので、怪我をしたり暴れたりすることが、かなりよくあります」

 僕は特に怪我とかはしていない。ということは。

「もしかして、暴れたんですか、僕」

 上官は手元の板を読んで「まぁ」と頷く。

「そういうことですね。降機の命令を拒否して勝手に行動、やむなく外部から強制停止処置を行ったところ錯乱し暴れたため鎮静剤投与、だそうですよ」

 だそうですか。ビックリするぐらい覚えてないです。

 そりゃ皇女様も僕に近づいたら危ない、なんて止められるわけだと思う。落ち込む。

「初めての出陣で初めての戦闘を経験したんですから、むしろよくやったと思いますよ」

 一応慰めてくれているのだろう。僕は小さな声で礼を返す。

「だいたいよく初めての戦場で尿道カテーテル挿しましたね。すごく偉いですよ」

 よりによってそこを褒めるか。確かに先輩の最後のアドバイスはある意味ものすごい役に立ったが。

「大事でしょう。パイロットのした粗相をいつも誰が後片付けしてると思ってるんですか」

 まったくをもってその通りなのでなにも言えない。

「ところで。出機中のログが一部不自然に消えているんですが」

 上官の目が僕を見据える。なんか恐い。

「なにかしましたか?」

 もしかして、それはあれだろうか。僕がうっかり衛星とかいうのに接続してしまって、回線ぶち抜いて絶叫をばらまいてしまったとき。急いで証拠隠滅したやつ。

「……なにもしてないですけど」

 あれはバレたら絶対怒られる。一生懸命平静を装って分からないフリをするが。

「嘘をつくのが下手過ぎますね」

 呆れ顔で言われた。

「いいから早く正直に吐きなさい」

 上官がシャーペンの先でぶしぶし刺してくる。地味に痛い。

「これはちょうど軍で大規模な通信障害が起きた時刻でしょう。……なにしたんです?」

 これは分かっていて問い詰められているんじゃないだろうか。僕はペン先から逃げながら仕方なく白状する。

「……手違いで僕が基地や他の隊の回線へノイズをばらまきました。ごめんなさい」

 上官は大きなため息をついた。

「まったく。あののせいでワタシは無意味な原因調査に駆り出されたんですが?」

「本当にすみません。反省してます」

「ただ、ログを消したのは良い判断でした。基本的にログをチェックするのは直属技術者ワタシだけですが、上の人間がいつ不意に覗くか分からないですからね」

 ……これは、もしかして、上へは報告しないでいてくれる、ということだろうか。僕は怒られずに済む?

「ええ、内緒にしておいてあげますよ。通信障害は原因不明で片付いてますし。ただし、ワタシへの隠し事は以後絶対になしです。いいですか?」

 僕はこくこくと頷く。

「あと、ログの消し方が杜撰すぎます。次はもう少し上手に消しなさい」

 僕はさらに頷く。次はもっとうまくやる。

「まぁ、普通はログへのアクセスも改竄もできないはずなんですが。広域通信といい 、規格外ですねぇ」

 怒られているのか褒められているのかよく分からないが、どうやら責められてはいないと思う。僕は神妙に大人しくしておく。

「さて。では少しテストさせてもらいますかね」

 その一言に僕はぎゅっと体を固くした。これさえなければ僕はこの上官のこともそんなに嫌いではないのだけども。

「大丈夫。今日は前より短く済みますよ」

 そう言いながら、上官は操作パネルでチグリスを呼び出す。短くったって嫌なものは嫌だ。

 格納庫から出てくるチグリス。戦場で降ろされて以来の僕のローダーだ。が。

 僕は絶句する。チグリスがなんか、赤い。

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