第42話 ぱんつ

 今この国に皇族はいない。あるのは軍事政権とそれを取り巻く金持ち名士の連中だけだ。歴史のなかには皇帝がこの地を治めていた時代もあるらしいが。いなくなって久しいと聞く。

 でもじゃあ。

 国を牛耳るこの軍で、皇女として崇められているこの少女は、一体なんなのだろう。

 初めての戦場から無事に戻り、ようやく落ち着いてきた今、僕は改めてこの疑問について考える。

 だいたい、妙な出入り口を使って消えたり、早朝にどこかへ行っていたり、監視カメラの映像を自在に見たり、どう考えてもおかしい。皇女だからで説明できることじゃないし、そもそも皇女ってなんなんだという話だ。

 いい加減、皇女殿下も僕に教えてくれたっていいと思う。

 だから僕は聞いてみよう、と思ったのだ。



 静かな夜だった。日課が終わり、部屋に戻って緩やかに過ごす時間。いつも皇女様はおやつを食べていたり、気が向けば二人でおしゃべりしたり、僕は借りてきた本を読んでいたり、宿題をしたりしている、そんな時間。

 いつもと違うことといえば、僕が心の内でそっと決意を固めていることと、それと後もう一つ。

 僕の視界の隅でぷらーんぷらーん、と白い素足が揺れる。

 一体全体なにを考えてるんだか知らないが、なぜか今日の皇女殿下はベッドの柵の隙間から御御足おみあしを繰り出してぶらぶら宙で遊ばしているのである。

 いつも通りベッドの上でゆるゆるポテチでも食べていればいいものを。なぜアンニュイな顔で柵に頬杖つきながら足をぶらぶらなんぞやっている。激しく目の毒だ。

 しかも。今日のお召し物はふわふわ生地の頭からすっぽり被るワンピースみたいな寝間着でいらっしゃる。そんなものでそんな格好をしてるんだから。僕が話しかけようとベッドの前に立ったら…………パンツ見えるんじゃなかろうか。

 いや、実際に見えるかどうかなんて立ってみなくちゃ分からない。そう、こういうのは案外見えないものだ。どうせあれだ。ここで僕が覗くか覗かないかむんむん悩んで、最後の最後でなんやかんや言い訳つけて立って見たら結局見えてませんでした、みたいなオチになるやつだ。

 僕は知ってる。僕は騙されない。

 だいたいなんで僕が皇女殿下に遠慮しなければならない。あっちが居候である。僕は彼女の我が儘に親切に付き合ってやっているに過ぎない。それなのに僕が先回りして気を遣うというのもおかしな話だ。

 僕は皇女様に話し掛けるべく立った。

「殿下」

「なんだ?」

「……」

 皇女様のパンツ、めっちゃ見えてた。僕は頭を抱える。

「だから、どうした?」

「殿下、パンツ見えてる」

「……」

「……」

 痛いほどの沈黙。僕は恐る恐る顔を上げて殿下の反応を見る。皇女殿下は蔑みの目で僕を見下ろしていた。

「馬鹿者。ちゃんとホットパンツを穿いておるわ」

 なん、だと……? ホットパンツだと? だがしかし、この際それがパンツかホットパンツかなんて、ほぼ何の意味もない違いだ。どちらにしろほぼ同じ布切れ。ホットパンツが見られてオーケーならパンツだってオーケーになってしまう。

「こら。なにをガン見しておる」

 見られて困るならそれもしまっておけ!

「殿下、頼むから少しは身の危険を感じて。その足は目の毒だ」

 皇女様は「は?」と可愛らしくお顔をかしげる。

「毒? とは、どういうことだ?」

 いやいやおいおい、どうして分からない。なんて言えばこのお姫様に僕の気持ちを理解させられる?

「だから。そんな風に素足を目の前にぶら下げられると」

「と?」

「……舐めたくなる」

 こう言えば、分かるだろう。

 皇女様は顔をひきつらせた。

「……キモ……」

 殿下、素のつぶやき。無自覚に心を抉ってきやがるな、この人。

「分かったら、それを早くしまえ」

 やや不満顔ながらも皇女様は御御足をひっこめた。ただ柵にもたれて頬杖をつき、僕をつまらなさそうに見下ろす。うん、これでよし。

 ところで僕は何かを忘れてやしないか。

 しばらく皇女様を見上げて考え、やっと思い出す。

「殿下」

「なんだ、変態」

 折れてくれるな、僕の心。

「殿下に聞きたいことがある」

「なんだ? 足は舐めさせないぞ」

 そんな事を聞くつもりはない。今のところ。

「殿下、そこの天井とか、クローゼットの中とか、妙な出入り口を使ってるよね?」

「……うむ。まあ。まあな」

「監視カメラの映像も好き勝手覗くことができるよね?」

「……ああ。まあ。まあな」

 若干顔をそらしつつも、皇女殿下は僕の確認に確かに頷いた。

「一体あれは、どういうこと? なんでそんなことができるの?」

「それは、」

 苦り切った顔の皇女様と目が合う。そのまましばらく見つめ合うと、ほどなく皇女様の瞳が決然とした色を帯びた。

「それは、私が皇女だからに決まっておろう」

 皇女だからで片付けられた!

 しかしそのあまりにはっきりとした物言いは、僕から二の句を奪う。

「……」

「皇女なのだから、そのぐらいできて当然ではないか」

 皇女って、皇女ってそういうものだったですかね。

「いや、でも」

 僕はなんとか言葉を絞り出した。

「そもそも、そもそも皇女ってなんなのさ」

「……皇女は、皇女だ」

「家族は? 皇帝とか皇后とか、皇太子がいるのか?」

「……いない。私は一人だ」

 強張る皇女様の声。

「皇帝がいないのに、なんで皇女だけがいるんだ。おかしいだろ」

 緑の瞳が揺れて僕を見下ろす。

「それでも、私は“皇女”だ、アオイ・カゼ。お前が“英雄の孫”であるのと同じように、私は“おうむすめ”なのだ」

 意味が分からなかった。けれどその顔も声も嘘をつこうとか誤魔化そうとしているようではなく、どこまでも真摯な音色で響いた。

 僕は皇女様を見上げる。

「家族、いないの?」

「いない」

「一人なの?」

「一人、だ」

 それなら。なぜ。

「どうしてここにいるの?」

 いっそう大きく揺れる瞳。それが静かに閉じられ、そして再び開いたとき、そのお顔はまるでなにかを諦めたかのようだった。

 その顔で皇女殿下は美しい微笑みを浮かべる。

「それは、私が“皇女”で“備品”だから、だ」

 皇女で備品。皇女殿下の備品ごっこ。けれど彼女の言うそれは、備品ごっこのそれとはどこか違う意味に聞こえた。

 ますます訳の分からなくなった僕は、ゆるゆると首を振った。

「意味が、分からない」

 皇女様の微笑みは崩れ、苦笑になる。

「それでいい。知る必要の、ないことだ」

 皇女殿下はその一言で僕を突き放した。僕はそれ以上なにを問えばよかっただろう。


 翌朝、起きたら皇女殿下は僕の部屋から消えていなくなっていた。

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