第33話 遠足

「どう考えてもスウェットでいいじゃん」

「なにがだ、突然」

 一人で考えていただけなのに皇女殿下から声が返ってきて僕は驚く。慌てて見上げれば、皇女殿下の不思議そうな顔がベッドから僕を見下ろしていた。

「え、なに?」

「いや、いま突然なにか言ったであろうが。スウェットがどうのと」

 声に出してたつもりはなかった。最近どうも僕の体はポンコツで、こういうことがままある。

「ええと。ローダーで出撃するとき、戦闘服を着なきゃいけないだろ。でもなんていうか、ローダーに乗ってる僕の体はただ寝てるようなもんなんだから、もっと気楽なスウェットとか着てたい」

 なんであんなごわつく服を着てないといけないのか。今日シャワーのとき、尻に制服の跡がばっちりついているのに気づいて僕はしょんぼりした。

「……駄目だろう。一応、皮膚の保護が目的だろう、あの服は」

「中の僕がダメージを受けるような損傷をチグリスが食らったら、戦闘服だろうとスウェットだろうと僕は死ぬ」

「ギアローダーに乗っているときはな。いくら戦場へ出ていると言っても、四六時中乗って降りないというわけにはいくまい」

 居住区や基地の外、戦場になる地は荒れていて環境は厳しい。出兵中はサバイバルだ。

「外ではちゃんと上着を着るから、中はせめて許して欲しい」

「……あのな。ギアローダーから降りてきた兵士がパジャマであったら、私はとてもがっかりするぞ」

 別に殿下にモテたくてローダーに乗ってんじゃないよ、僕は。というのは、ちゃんと飲み込んで意図的に声に出さなかった。

「スウェットをパジャマって言うな」

 冬用の部屋着として支給されたこのスウェット生地というやつに僕は今惚れ込んでいる。すごく柔らかくて着心地がいい。なんで自室外で着用禁止なのか意味が分からない。

 そんなようなことを言い募ったら、上から盛大なため息が降ってきた。

「お前な。いや、もうなにも言うまい」

 はいはい、どうせ僕には殿下の言うファッションセンスとかいうものは皆無ですよ。それで話は終わりかと思ったが、皇女様は顔を出したまま僕を上から眺めて言った。

「準備、しているのか?」

 床に胡座をかいた僕の周りには、任務へ持って行くために選別している身の回り品が散らばっている。けど、僕はまだ皇女殿下には出征が決まったことは言っていなかった。別に今日明日出発、というわけではないからだ。

 しかし皇女様はどうやら知っていたらしい。

「うん、まあ。本当は全然急ぎはしないけど。もう今日からいつでも緊急出動できるように常時準備はしておけってお達しだからね」

 僕ら学兵、特に一二年は突発的な襲来に対する迎撃戦へ動員されることは滅多にない。だいたいは事前に計画された支援行動だとか戦闘補助だ。だから常に用意していろというのは単なる兵士としての心構えの一端だろう。というわけで、僕は携行を許された小さな鞄に荷物を詰める作業をしなければならない。

「いや待て。その鞄へスウェットを詰め込もうとするのはやめろ」

「えー。でも」

「でもじゃない。着替えは肌着だけ、そう書いてあるだろう」

 僕が床に広げて置いていた手引きを皇女様が上から指さす。確かに書いてあったけど、でも鞄に入るなら詰めておいたっていいだろう。誰の迷惑になるんだ。

「まったく。初めての出兵だというのに、緊張感のカケラもないな、お前は」

 呆れているような怒っているような皇女様の声が降ってくる。しかし緊張しろと言われても。僕は手引きを床から取り上げた。

「そう言われても、遠足だからねぇ」

 手引きの表にはでかでかと「遠足のしおり」とか書いてある。一体これを書いたのはどこのどいつだ。軍にも悪ノリする人間とかいるのかよ、と僕らは大いに脱力した。

 もっとも、説明する上官も至極真面目な顔で僕らの任務を「遠足」と呼んでいたから、もしかしたら本気で学校の遠足行事という扱いなのかもしれない。さらにタチが悪い。

 ちなみに遠足と呼ぶだけあって、内容は難しいことじゃない。前線の監視陣地へ補給物資を運んでいきながら、ついでに交代要員として見張りのお仕事を支援するだけ。ほんの数日で帰って来られる。さすが遠足。

「戦闘に行くわけじゃないんだ。大丈夫だよ」

「外の世界に“大丈夫”はない。危険は絶えず纏わる」

 畳み掛けるような皇女様の言葉に僕は憮然とした。

 戦場へ出ることもないお姫様には、一生懸命に遠足だと言い聞かせて不安を誤魔化す学兵の気持ちなど、どうせ分からないだろう。イライラしながら睨み上げた皇女様の瞳は、しかしただただ純粋に僕の身を案じていた。

 皇女殿下は、僕なんかより遙かに長く多く兵士を見送り、見守ってきた人、だった。

「決して気を抜くな。注意深くあれ」

 皇女様は言う。

「危険を軽んずるな。スウェットは置いていけ」

「…………」

 まぁ確かに、スウェットの上下を詰めると鞄はぱんぱんになってしまうしな。大切なスウェットもしわくちゃだ。

「アオイ・カゼ」

 もそもそと鞄からスウェットを引っ張り出す僕の名前を皇女様が呼ぶ。

「んー?」

「必ず無事に生きて帰ると、約束してくれ」

 見上げる皇女様のお顔は今日も美しい。

「いや、ごめん」

「は、『ごめん』?」

「うん、ごめん。できるかどうか分からない約束は、しない主義だから」

 うちのじーさん(別に英雄じゃない)の遺言だ。「できない約束はするな(※ただし返せない借金はその限りではない)」って。

「その約束は、僕はできない」

「……できるかどうかではない。できるように努力しろという話だ。そのためにするものだろう、約束は」

「え。いやいや。そういう問題じゃないよ。っていうか、そんな約束するまでもなく、別に全力で努力するし」

 僕は全然まったく死にたくなんてないのだから。そりゃ生きて帰ってきたいし、そのためには努力を惜しまない。が。

「無事に帰るなんて、努力だけでどうにかなる問題じゃないでしょ。自分でどうにもできない約束は、僕はしない」

 鼻白んだ皇女様は、次の瞬間大きく頬を膨らませた。

「ならば知らん! もう勝手にしろ! お前なんか、勝手に努力しろ!」

 捨て台詞を吐いて皇女様のお顔は引っ込んでしまった。まだ僕が遠足へ出るまで数日あるというのに、それまでどんな顔で過ごすつもりなんだか。

 それでも、そうだな。僕は、必ず無事に生きて帰るなんて約束はしないけれど。

 もしちゃんと帰って来られたら、その時は君のことをちゃんと聞こう、と思った。

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