第32話 カバ
皇女殿下は分からないことだらけだ。あの人のことは結局なにも分かっていない。それでも僕は特に聞くでも調べるでもなく、なんとなくそのままにしている。
床で寝るのにもすっかり慣れている今、皇女様が僕の部屋で備品ごっこをしていて困ることもないし。むしろ今さらいなくなられても変な感じだし、と言い訳して。どうせあの人にそんな大した事情なんてあるはずもない、と思い込んで。
だから僕は知らないうちに皇女様のいる生活に甘えていたんだろう。
皮肉なことに、あの変なテスト以来チグリスの操縦性はまたぐんと上がった。
神経接続したチグリスは僕の体だ。そうと分かって動かすチグリスは、ほぼ違和感なく僕の体として動く。というか、むしろ実際の僕の体より強く早く軽く思い通り自由に動く。なんせ疲れないし。損傷があっても、ただの数値で痛みもないし。
しかし、チグリスが集めてくる情報はあまりに多かった。多すぎた。とても僕にはその全てを知覚することなどできない。全部を認識しようとするとひどい頭痛が起きる。
それを知った技術上官が、チグリスには性能のいい補助脳が積まれていると教えてくれた。まず情報はそっちで処理させて、必要なものだけ認知すればいいらしい。が。
君の脳みそが五個に増えるような感じですってどんな感じですかって感じなんですが。
というわけで、最近の僕の訓練は専らそれである。授業の部隊行動訓練で怒られない程度にのそのそ動きながら、なにをどう情報処理するかひたすら試す。
うまくできれば頭痛も緩和されるだろうとのことなので、僕は真剣に頑張っている。
短い休憩時間に入ると、僕はこれ幸いとチグリスから降りて頭を休める。ぼうっと視線を彷徨わせた先にアルの乗ることになったギアローダーがいた。名前は
なんというか、チグリスに比べて兵器らしくて格好いい機体である。重量級で耐久力は高いんだけれども、機敏性とのバランスも取れてて見た目はシュッとしている。代わりに他の重量級が装備しているような凶悪な武器はない。やや派手さに欠ける。
僕が見ているのに気づいたアルが近づいてくる。僕は疑問をぶつけた。
「なんでこれなんだろ?」
「は? なにが?」
アルは笑顔のまま首を傾ける。
「アルのローダー。だって、80%のやつじゃないだろ」
アルの適性検査の結果で一番適性率が高い機種はこれじゃなかったと思う。
「ああ」
アルの笑顔がちょっとだけ苦いものになった。
「まあそうなんだけど。適性よりも乗りたかったやつを選んだから」
そういえば、あのとき他に乗りたいと思っているやつがあるとも言っていたっけ。それがベヘモトだったのか。
「……希望で出したってこと?」
「あー。まぁ、そういうことだな」
そしてその希望が通ったと。その話に違和感を覚える。だって、適性が80%もある有望機種があるのに、別の本人の希望が優先された? なかなか珍しい話だ。
ちなみに僕が出した希望はガン無視された。適当に出したやつだからどうでもいいが。
「でも、なんでベヘモトなんだよ。これも悪くないけど、もっと派手で人気なのもあるだろ?」
人気があるのは凄い武器を積んだ派手なやつだ。ベヘモトは、良く言えばバランスが取れてる。悪く言えば中途半端。というイメージ。
「んー、いや。俺、ベヘモトも適性はそんなに悪くないんだぜ」
アルが僕の肩に腕を回してきた。耳に口を寄せてくる。
「アオイほどじゃないけどな」
吹き込まれた言葉にびくりとさせられる。アルめ。やっぱりこいつ、僕の結果をちゃんと知ってるんじゃないか。
すぐ横でアルが笑う気配がした。
「ごめんて。理由は、ベヘモトが親父も乗ってたやつだからだよ」
僕は、アルのこともなにも知らない。
「上官も親の古い知り合いが多いから。同情ひいて、無理矢理希望通しちゃった」
声は笑っているけど、アルはどんな顔をしているのか見せてくれなかった。
「ああ、そうだ」
腕を回したままアルが言う。
「俺、皇女殿下様のこと、思い出した」
「な、え?」
驚いて耳をそばだてる僕をアルは急に突き放す。離れて見えたアルの顔は、やっぱり笑っていた。
「思い出したら教えるって言ったけど、あれやっぱなし。ごめん」
「は?」
休憩時間の終わりと集合の笛の音が響く。
「俺は教えないから。知りたきゃ自分でエマに聞けよ」
それだけ言ってアルは僕に背を向けた。
エマ。それが皇女殿下の名前だと僕が気づいたのは、ずいぶん考えた後だ。
そしてこの日、僕らの初任務が言い渡された。
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